竜の王様




第六章 
終わりから始まりへ



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 紅蓮の執務室から一礼して出てきた白鳴は、丁度向かいからやってきた黒蓉の姿に足を止めた。
普段から厳しい表情をしている男だったが、ここ数日の纏っている気配は知らぬ者を怯えさせるほどに張りつめている気がする。
その意味を、白鳴は多分分かっていた。
 「黒蓉」
 「・・・・・」
 黒蓉は白鳴を見つめ、軽く頭を下げる。年上であり、四天王の中でもまとめ役のような自分に対しては、黒蓉は何時も礼儀正し
く接してくれていた。
 だからこそ、指摘するのは自分しかいないかもしれない。白鳴はそう思い、そのまま部屋に入って行こうとした黒蓉を呼びとめる。
 「どうした、黒蓉。これはお前が望んでいたことだろう?」
 「・・・・・何のことでしょうか」
 「紅蓮様が竜王と定められ、反乱分子もあぶり出して捕らえた。異質な存在であった人間も元の世界に戻って行ったというのに、
お前はどうしてそんな顔をしている?」
 「そんな顔?」
珍しく当惑したような黒蓉の言葉に、白鳴は自身の予想が外れていたのを知る。黒蓉は今の自分の状態を分かってはいなかった
のだ。
(まさかこれほどとは・・・・・)
 紅蓮に対し、盲目的な忠誠心を持つ黒蓉。
白鳴達他の3人ももちろん同じように紅蓮を敬愛しているものの、黒蓉のそれはあまりにも強い。常に傍にいて紅蓮を守ってきたから
こそ、他の者よりもその思いは強かったのかもしれないが、そのせいで自身の思いが全く見えていないようだ。
(外から見れば、お前の変化は手に取るように分かるものを)
 「お前、コーヤを忌み嫌っているわけではないだろう?」
 「私は・・・・・」
 「コーヤは紅蓮様を変えた。お前も、変わったな」
 「・・・・・っ」
 いなくなってからこそ分かる、その存在の意味。白鳴も、コーヤの存在の大きさを、今目の前にいなくなってからひしひしと感じてい
た。
このままコーヤがこの世界に戻って来なければ、紅蓮はまた戻ってしまうかもしれない。ようやく賢王への道を歩み始めるだろうと思っ
ていた主君の絶望への道は、絶対に遮らなければならないと思っていた。
 「私は、この世界にコーヤが必要だと思っている」
 「白鳴殿っ」
 「もしも、再びコーヤがここに戻ってきた時は、それなりの地位に迎えるように紅蓮様に進言するつもりだ」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
(お前は、どうする・・・・・黒蓉)
 今までの黒蓉ならば即座に否と言うはずだ。そうしないことこそが変化だということを、黒蓉自身がまだ分かっていないというのが悲
しかった。



 白鳴に何も答えることが出来ないまま、黒蓉は紅蓮の執務室に入った。
コーヤがいなくなった当初はずっと地下神殿にいて、その姿が再び現れるまで待っているかもしれないというほどに鬼気迫った雰囲気
を纏っていた。
 しかし、紅蓮はなぜか思い直したように猛烈に執務をこなし始める。
戴冠式は後にして、早速様々な地域の民の声を聞き、その生活を改善するべく動き出している。
それが誰のためなのか、黒蓉は何も語らない紅蓮の内なる声が聞こえた。常に傍に寄りそい、紅蓮の意を自分の意志としてきた黒
蓉だからこそ、声なき悲鳴を上げている紅蓮の心が見えている。
 「紅蓮様」
 「・・・・・」
 声を掛けると、紅蓮は目線だけを上げて先を促してきた。
 「四方に使いを出した者達が、長達の返答を持ってまいりました」
その言葉に、紅蓮は今度こそ顔を上げる。
 「何と?」
 「皆、紅蓮様と直接対話が出来ることを喜び、心待ちにしている様子です。日付は先の通りでよろしかったでしょうか」
 「一刻も早い方が良いだろう」
 「・・・・・」
竜人界には大小様々な町や村がある。それぞれに長となるものが存在するが、今まで王が直接話をしたことなど無かったはずだ。
どうしても能力者や、権力があるものとの対話が主になってしまっていたが、紅蓮は今回どんな小さな村の長とでも話をするつもりら
しい。
(全ては、聖樹の反乱のせい・・・・・)
 王家への小さな不満が、いずれ大きなうねりとなる可能性がある。
今回のことが良い例だった。紅蓮は今後このようなことが無いよう、どんな小さな声も拾おうとしているのはかなり大変なことだが、良
いことだとも分かっていた。
 そして、そんな風に紅蓮を変えたのは・・・・・。
 「紅蓮様」
 「何だ」
報告が終わり、再び書面に視線を落としている紅蓮に、黒蓉は思わず訊ねてしまった。
 「あなたは・・・・・あなたはあの人間が、コーヤが再びこの世界に来ると思っていらっしゃるのですか」
 「・・・・・」
 「紅蓮様」
 「黒蓉、私は何度も言ったはずだ、あれは私のものだと」
 己の物が、この手を離れて存在するはずが無い。
きっぱりと言い切る紅蓮に、黒蓉は目を伏せた。もう、紅蓮の心の中では決まっているのだ。
(・・・・・だが、コーヤが再び来るだろうか・・・・・?)
辛いばかりだったこの世界に、あの人間の少年が再び訪れるとはとても思えなかった。



 「違う場所に?」
 「そう。お前なら分かるんじゃないか?」
 江幻の言葉に、蘇芳はしばらくじっと考えた。
確かに、自分が先読みで見れば、ある程度のことは分かるはずだ。そうでなくてもコーヤのことを知りたいと思うのは蘇芳も同じで、一
刻も早くその姿を確認したいが・・・・・。
 「・・・・・分からない」
 「え?」
 「視えないんだ」
 先の戦いで力を遣い過ぎたのか、それとも自分自身の欲が絡んだことだからか、言われるまでも無くコーヤの行方を捜していた蘇
芳の先読みにその姿は映らなかった。
 「本当に?」
 「こんなことで嘘を言っても仕方が無いだろう」
 けして全てが視えなくなったわけではないのに、一番知りたいことが分からない蘇芳の鬱憤は溜まっていて、心配しているだろう江幻
にもあたってしまった。
 「お前こそ、どうしてコーヤの行動が読めなかった?俺よりも信頼を得ていたはずだろう」
 「蘇芳」
 「何時もヘラヘラ笑ってばかりで、肝心の時に勘が働かないのか?」
 「・・・・・」
 「・・・・・悪い」
 今のは完全に自分が悪い。
コーヤがこの世界からいなくなってしまった時、傍にいたのは江幻ではなく自分だった。蘇芳があの地下神殿にコーヤを連れて行った
からこそ、あのまま時空の扉がコーヤを呼んだ。
(俺は・・・・・どうして・・・・・っ?)
 あれから何度も自分自身に問い掛けた。どうしてあの時、コーヤが願うままにあの場所に連れて行ったのかということを。
連れていくべきではなかったことは、現状を考えればもちろん分かっていたことだ。それでも・・・・・分からない何かを知りたいという真っ
直ぐなコーヤの眼差しに逆らえなかった。
(結局、惚れた俺の方が負けだということか)
 負けなら、喜んで認める。だから、どうか戻ってきて欲しい。
人間界へ追い掛けていきたい思いをこらえ、蘇芳は待っていた。二度とこんな思いをしないよう、コーヤが自身の意志で再びこの地に
まい戻ってくることを。
 しかし、それが叶わなかったら・・・・・?
 「・・・・・自分が無能だと思わずにはいられないな」
自嘲するように言えば、江幻が苦笑を浮かべる。
 「私も同じ思いだよ」
その言葉に、蘇芳は江幻の肩を叩いた。



 蘇芳に視えない。
それは、彼の能力に陰りが出たという可能性もあるが、今もって蘇芳が纏っている気に変化はない。どちらかといえば、心理的なもの
ではないかと思えた。
 もしくは・・・・・。
(コーヤの心が定まっていないということかもしれない)
自分が生きてきた世界に留まるか、もしくはこの竜人界に再び戻る気なのか。
それが決まっていない現状だからこそ、蘇芳の先読みの力が働かないということもあるような気がした。
 「私達に出来ることは待つことだけか」
 「・・・・・今のところはな」
 「蘇芳?」
 「視えれば直ぐに追いかける」
 「・・・・・ふふ、確かに」
 今はコーヤの影が全く掴めないために動くことが出来ないが、もしもその動向が掴めたならば直ぐに追いかけるのは江幻も同じだ。
(いや、私達だけじゃないな)
青嵐もきっと、直ぐに動くだろう。
 「大きな存在なんだな、コーヤは」
 「今更だ」
 「・・・・・」
 「お前が俺にコーヤを引き合わせた。責任もって最後まで付き合え」
それは少しこじつけだとは思うが、江幻ははいはいと頷いた。






 寝静まった王宮内。
静寂が支配する地下神殿に足を向けた紅蓮は、そこでじっと時空の扉である泉を見つめている青嵐を見た。
 「まだ待っているのか」
 「・・・・・」
 「何時戻ってくるやも分からぬのに・・・・・」
 「・・・・・」
 「もう、戻って来ないかもしれないぞ」
 本当は紅蓮こそがそう思いたくなくて打ち消して欲しいことを、話すことが出来ない青嵐にわざとぶつける。返答が無いことはもちろ
ん分かっているが、紅蓮はそれを臣下には言えず、それでも口に出したくて・・・・・。
(このような赤子に言っても仕方が無いというのに・・・・・)
 「コーヤは・・・・・戻ってくるのか・・・・・?」
 思わず小さな声で呟いた紅蓮に、
 「あー」
青嵐がまるで応えるように泣いた。あまり好かれていないと思っていたが、今は同じ目的を持った同志のように思えるから不思議だ。
 「私は信じている。あれは私のものなのだ、戻って来ないはずが無い」
 「あー」
 「反論するのか?だが、お前の腕ではコーヤを抱き締めることも出来ぬであろう?」
 金の目が睨むように自分を見つめているのが分かり、紅蓮はふっと笑みを浮かべる。
 「文句があるのなら早く成長しろ」
 「・・・・・」
 「・・・・・っ」
不意に身体が締め付けられた。本当に怒ってしまったのか、青嵐が力で自分を縛っているようだが、このくらいだったら何時でも解くこと
が出来る力だ。実際の青嵐の、角持ちの力はこんなものではないはずだ。それを見せないのは、青嵐もきっと力を温存しているからに
違いない。
(いずれコーヤを迎えるために、か。私も・・・・・)
 大きな力を持っているだけではコーヤは納得しないだろう。
 「・・・・・成長しなければならないのはお前だけではない」
 「あーう」
 「ふふ」
力だけでなくその心も王として成長しなければならないと分かっている。
紅蓮は大きく息をつくと、まるで鏡のように少しの波も打っていない泉を青嵐と共に静かに見下ろした。