竜の王様




第六章 
終わりから始まりへ








                                                             
※ここでの『』の言葉は日本語です





 聖樹の言葉の意味を紅蓮も理解することは出来た。いや、せざるをえなかったと言う方が正しいか。
以前の自分ならば全く相手にしないどころか、そんなことを口に出した者を即座に処罰したかもしれないが、今回のことで紅蓮は可能
性というものを考えるようになった。
 父親が人間の女に産ませたという蘇芳。
同じ王族の血を引くと噂されている江幻。
角持ちの青嵐に、碧香と共にこの世界にやってきたタツミも含めて、力の大きさや血筋だけを見れば、今自分の周りには王になりうる
者達がいる。
 しかし・・・・・それでも、この世界を背負うのは己なのだと、紅蓮は拳を握り締めながら聖樹を見据えていた。父に任されたこの竜人
界を救うことが出来るのは自分しかいない。
 確かに、父が亡くなってから今までの自分の行動を全て肯定することは出来ないが、それでも竜人界のことを一番思っているのは自
分だと・・・・・そう思わずにはいられなかった。
 「権利がある者がそれを主張することはおかしい話ではないだろう」
 無言のまま己を見据える紅蓮に薄く笑った聖樹は、傍で茫然とした様子のコーヤにさらに問い掛けている。
 「あ・・・・・」
 「違うか?」
コーヤが答えられるはずなど無い。
案の定、迷うように視線を揺らすコーヤを見た時、紅蓮はその身体を庇うように聖樹の視線の前に立ちふさがった。
 「・・・・・」
 突然そんな行動をとった紅蓮に聖樹が視線を向けてきた。
 「紅蓮、私の今の言葉に反論はあるか」
 「聖樹、お前の思いの中にある父への憎悪を私に向けないでくれ」
 「・・・・・なに?」
 「父はもう亡くなった。そして、次世は私が引き継ぐ」
聖樹がなぜここまで自分を、いや、父を憎んでいるのか紅蓮には分からない。いや、これは聖樹以外は皆そうだろう。
しかし、その憎しみでこの世界を乱し、民を惑乱させた罪は重い。
 「このまま私に拘束され、審判を待て」
 紅蓮は一歩一歩、足を前に進める。
今聖樹から攻撃を受けてしまえば相当の痛手になってしまうが、それでも自らの背に隠したコーヤまでは大きな衝撃はいかないはず
だ。
(こんな時に、コーヤのことを考えるとはな)
それでも、コーヤのことを考える時、紅蓮の張りつめた緊張感が融和されるのだ。
 「聖樹、覚悟を」



(大きなことを・・・・・)
 全て、今更なことだ。
今紅蓮に向けている憎悪が本来は先王へ向かうものだというのは分かっていたし、私怨のためにこの竜人界全体を巻き込むことが愚
かなことだと分かっていたが、それでも亡くなってその存在を無にしてしまったものに思いをぶつけることは出来ない。
(お前しかおらぬのだよ、紅蓮)
 「何の考えもなく、私がここに立っていると思っているのか?紅蓮」
 「・・・・・」
 「お前は感じているのか・・・・・いや、認めたくないかもしれないが、今の私の力はお前以上だ。馬鹿馬鹿しい、王の印とやらのせい
でな」
 「何?」
 前王の若い頃によく似た紅蓮が眉を顰めた。
親子とはいえ、これほど似ているのが紅蓮の不運だった。目の前に憎むべき相手がまだいるのだと、聖樹に錯覚させる紅蓮の容姿が
悪い。
(だからこそ、完膚無きまでに叩きのめしたいのだよ)
いや、その命さえ奪ってしまいたいのだ。
 「・・・・・」
 「!」
 聖樹が気を高める。身体全体が赤みを帯びた金色の光に覆われていく様を、紅蓮が目を見張って見つめていた。
赤い気というのは王族しか持ちえないものだと知っているからだろうが、この力を得るのに自身がどれほどのものを犠牲にしたのか知っ
たら、それこそ声を出すことも出来ないに違いない。
(それに、私1人ではないんだ、紅蓮)
 理に背いてまで手に入れた力を持つのは己だけではない。
聖樹は気を高めながら、その眼差しを紅蓮の背後にいるある人物へと向けた。



 「碧香様っ、私の背から出られぬように!」
 「そ、蒼樹っ」
 「あ奴・・・・・っ、これほどに凄まじい気を何時・・・・・っ?」
 恐れと、反感と、悲しみ。複雑な声音になっている蒼樹の言葉を耳にしながら、紫苑はそっと己の手を見下ろした。
そこから漏れる気は聖樹と同じ光で・・・・・自分の中の紅玉が聖樹の気に反応しているのだ。
(私の中が変化しているのか)
 力の象徴であると言われる紅玉。
本来は王家の血筋の者以外には反応さえしないはずなのに、一介の竜人である自分にこれだけ影響を及ぼしてしまうというのは、そ
こに対となる蒼玉が無いからだろうと想像出来た。
 二つで一つの力となる翡翠の玉。その片方の、それも力を示す紅玉を長い間身の内に入れていればどうなってしまうのか。
まだそれほど日も経っていない己がこれほどの影響を受けたのならば、それよりも遥かに長い時間身体の中に紅玉を隠し持っていた
聖樹への影響はさらに大きいものだろうが、力が増大すると同時に、その負の影響ももちろん大きいだろうと分かっていた。
 「・・・・・」
 「紫苑っ」
 「止まれっ、紫苑!」
 聖樹のもとへ向かおうとした紫苑の腕を掴んだ蒼樹と、悲痛な声を上げた碧香。
2人がどんな思いで自分を呼び止めたのか分かった紫苑は、口もとに柔らかな笑みを浮かべたまま静かに言った。
 「これが、私への罰です」
 「紫苑!」
 「お許しを」
 「なにを・・・・・っ!」
 気を込めた片手で蒼樹の首筋を掴めば、一瞬で身体の力が無になってしまった身体が倒れ掛かった。
その身体を抱きとめた紫苑はそっと岩陰に横たわらすと、視えない目で己の気配を必死で探る碧香の二つの瞼にそっと手を翳す。
 「し、紫苑っ、止めてっ」
 「・・・・・」
 「どうして、こんな力が・・・・・っ」
 「私には過ぎた力です。それを、あなたのために使うのは悪くないでしょう?」
 もう、時間が無い。聖樹の気と呼応して、身体を突き破って溢れ出そうな気を何とか制御し、碧香の視力を回復させるよう祈る。
そう・・・・・本当は、この竜人界の全ての竜人のために祈りたいだけだったのだ。
(私は何時、方法を間違えてしまったのだろうか・・・・・)



 『な、なに?』

 目の前で、昂也にも見える空気の渦巻きのようなものがセージュの周りを取り囲んでいる。
何か凄まじい力を感じるが、うすら笑いを浮かべているセージュが何をしようとしているのかは分からず、昂也はただグレンの背に庇わ
れるように立っていることしか出来なかった。
 しかし、そうしている間に、不意に背後から熱い熱を感じたような気がしてとっさに振り返ると、少し離れた場所にいるシオンとソージュ
が見え、ソージュの身体が不意に崩れ落ちたのが目に映った。
 『な、なに?』
(今、何が起こったんだ?)
 その光景に、周りの誰も気が付いていないようだ。皆セージュの変化に気を取られている。
 『・・・・・っ』
 驚く暇もなく、シオンは今度は碧香の面前に手の平を向けている。何をしているのか気になるのと同時に、何だか嫌な予感もして、
昂也はとっさに駆けだした。

 『シオン!』
 自分の声が聞こえたのかどうか、シオンが振り向くと同時にこちらへとやってくる。思わず足を止めてしまった昂也は、じっと彼が歩い
てくるのを見てしまった。
 『コーヤ』
 『シオン、俺っ』
 『・・・・・』
 手が伸びてきたと思ったら、次の瞬間にはシオンに抱き締められていた。
まるで縋るように強いその手の力に思わず声を漏らしてしまったが、シオンは拘束を解かずにしばらくそのままの体勢でいた。
(ど、どうしたんだ?)
 昂也の存在を確かめるかのように、それ以上は何もしないシオン。一体自分に何を訴えたいのかと思ったが、昂也はそこまで彼の気
持ちを想像することは出来なかった。
それでも、シオンが自ら言っていたように、こちらに対しての敵意というものは全く感じられない。
 『・・・・・』
 『・・・・・シオン?』
 シオンがようやく腕の中から解放してくれたのでその顔を見上げれば、そこにあるのは昂也が見慣れた優しい表情の顔があった。
この一時で、シオンの中に何か変化があったのだろうか。
 『あなたと出会えて良かったです』
 『え?』
 『どうか、紅蓮様を・・・・・』
 お願いします・・・・・そう聞こえた。
しかし、直ぐに聞き返そうとした昂也の脇をすり抜けてしまい、そのまま対峙しているグレンとセージュのもとへと向かって行った。



(凄い、力だっ)
 龍巳は傍にいるだけでヒリヒリと肌に熱さを感じた。
セージュの力が強いということは分かっていたが、今感じるものはそれまで感じていた以上で、龍巳は彼の中で力が確実に増大して
いるのが分かった。
 それは、とても巨大な力だ。
自分が、いや、自分以外の者も含めた力が勝てるかどうか、それさえも怪しいと思えるほどに大きな力をなぜセージュが持っているか
など考えることは出来ない。考えている時間など無い。
 『グレン!』
 龍巳はグレンの名前を叫んだ。
 『俺達も早く、力を!!』
 『タ・・・・・ツミ』
 『早く!』
今止めなければ、この世界に甚大な被害が及ぶかもしれない。それならば、今!
 『早く!!』
重ねて叫べば、ようやくグレンの手が動き、見る間に力を溜めているのが分かった。
 面前にいるグレンが戦闘態勢に入っても、セージュは少しも動揺した様子は無く、そればかりかさらに気を高めている。男の絶対的
な自信がどこから来るのだろうと思いながら、龍巳はグレンのもとに駆け寄り、彼の手を掴んで自分の気を注いだ。
 『タツミッ?』
 『一緒に!』
 自分とグレンが別々に攻撃するよりもグレンの気に沿わせ、気を増幅させてから勝負した方がいい。
最初の一撃を外してしまえば、後の闘いは厳しい。始めの攻撃でセージュを足止め出来るくらいのものを放たなければならず、それ
には僅かなものでも自分の力も役に立つのではないか。
 『シオン!』
 『!』
(昂也っ?)
 突然、背後で昂也の焦ったような声が聞こえた。
一体何があったのだと振り返る前に、龍巳の横を影が通るのが分かった。
(え・・・・・?)
 『シオン?』
 それは、背後にいるはずのシオンで、彼は全く危なげない足取りのままセージュのいる方へと歩いている。
 『シオンッ、待って!』
昂也の声が龍巳の中の警鐘を鳴らすが、今自分はグレンの手から己のそれを外すことが出来ず、動けない。
 『紫苑』
 『聖樹殿』
そんな龍巳の目の前で、セージュとシオンが意味ありげな視線を交わした。