竜の王様
第六章 終わりから始まりへ
8
※ここでの『』の言葉は日本語です
(早くっ、早く、目を!)
「シオン!」
昂也の叫び声が間近に聞こえる。
何が起こっているのか、碧香は焦り、何度も目を開こうとした。
しかし、その瞼はまるでくっ付いて離れず、紫苑が触れた時に感じた熱さを保温しているようだ。
「どうして・・・・・紫苑!」
なぜ、彼は向こう側へと歩いて行くのだろうか。
かつて叔父と慕ったものの、叔母が亡くなってから間もなく、父に反旗を翻した聖樹のもとに行ってしまうのか。
そのまま拘束され、北の谷へと流されて・・・・・親族だった者に対するその仕打ちを、未だに根に持っている彼のもとに。
(それならば、竜人皆ではなく、私や兄に対してだけその怒りを向けてくれていれば・・・・・っ!)
こんな風に竜人界が滅ぶかもしれないほどの大事など、どうして起こしてしまったのか。
それを考えても仕方が無いことだとは思うものの、そんな言葉で終わらせられない所まで来ていた。
「碧香様!」
「アオカ!」
蒼樹と昂也の声が聞こえる。
「・・・・・ぶ」
自分のことなど気にしないで下さいと言いたいが、声がなかなか出ない。
「碧香様っ!」
「コーヤ、この人」
そんな2人の会話の中に、もう少し幼い声が混ざった。
「青嵐っ、あのな、その、何て説明していいのか・・・・・」
「・・・・・」
昂也が焦ったように青嵐に現状を説明しようとしているが、どうも上手くいっていないらしい。それでも、昂也が碧香のことを心配して
いるということは分かったらしく、
「じゃあ、アオカの目が見えたらコーヤは嬉しいんだ」
「そ、それはもちろん・・・・・」
「ちょっと、下に来て」
自分の手を引いて注意を促してくる少年の声。
姿は見えないものの、その力の巨大さは感じていた碧香は、その声に引きつけられるように身を屈めてみる。
そこへ、
「ちょっ、青嵐っ?」
瞼に触れる手が一瞬熱く感じたかと思うと、碧香は先程まで少しも自分の意思の通り動かなかったそれが自然と開いて行くのが分
かった。
暗闇の中に、いっせいに入りこんできた鮮やかな色彩。
目が見えなかった時間はそれほど長くはなかったと思うが、碧香は自分の世界に色がついて行く様を茫然と見つめ・・・・・そこに、見
慣れた美しい青年と、強い目の光を持つ少年、そして、額に一つの角を持つ少年を見ることが出来た。
「蒼樹・・・・・」
「碧香様っ!」
蒼樹は碧香の視線が真っ直ぐに自分に向けられ、美しい深い碧色の瞳に力が戻ってきたことを察したらしい。感無量のようにその
名を呼び、しっかりと手を握り締めてきた。
「心配を掛けてごめんなさい。でも、これで私のことに気兼ねなく、あなたも前を向いてくれたらいい」
「碧香様っ」
「・・・・・昂也?」
「ア、アオカ?」
不安そうに自分の名を呼ぶ少年が昂也だと直ぐに分かった。
実は龍巳の家で暮らしていた時、シャシンという姿を紙に写したものを見せてもらったのだが、歳よりも大人びた龍巳とは違い、とても
子供っぽい笑顔が印象的だった。
そして、実際に見る昂也はシャシン以上に愛らしく、それなのにとても強い光を全身に纏っているのが分かって、碧香は嬉しくなって
しまい、思わず昂也を抱きしめていた。
「ようやく、本当のあなたに会えました」
頭の中で交感をしている時も、アオカは何時も冷静で、何も分からない自分を励ましてくれた。
龍巳と共にこの世界に戻ってきた時、声から想像出来たように儚げで中性的な美しさを持つアオカの姿に息をのみ、それなのに綺麗
な目が見えないということに悲しくなってしまった。
それが、シオンの力で、青嵐の後押しで、本当に見えるようになったのだろうか。
『俺のこと、分かる?』
『ええ』
『じゃあ、初めまして、だな』
こんな時に呑気にそんなことを言っている場合ではないことはもちろん分かっているが、昂也にとってアオカは親友の大切な人であり、
自分自身とも心を分かち合った特別な存在として、ちゃんと向き合いたいと思ったのだ。
『そうですね・・・・・昂也、あなたを私達の世界の事情に巻き込んでしまったこと、本当に申し訳なく思っています』
『ア、アオカ?』
『兄上の仕打ちも・・・・・きっと、とても辛い思いをされたと思うのに、こうやって私達のために尽力して下さっていて・・・・・』
『当たり前だろ!普通、目の前に困ってる人がいたら助けるよっ。そりゃ、俺にも出来ないことはいっぱいあるけど』
この世界で普通に使っている気の力というものは昂也にはない。それはとても大きなハンデだが、それ以外のことで自分が出来るこ
とならば積極的に係わり合いたい。
知らない相手じゃない、もう、この世界の人達とは大勢知り合っているのだ。
『俺が出来ないことは、トーエンが代わってしてくれてる。あいつ、凄く頼りになるだろ?優しいし、思いやりがあるし、俺の自慢の幼
馴染なんだ!』
すると、アオカはその言葉に何かを感じたのか、少し笑みを浮かべた。
『東苑も、同じことを言っていました。昂也は自慢の幼馴染だと』
『く、くそっ、あいつ、恥ずかしいこと言うよなっ』
面と向かっても照れてしまうが、人伝てに聞かされても気恥ずかしい。
しかし、そんな風に思ってくれている龍巳のためにも、昂也は自分が今出来ること、アオカを守ることをやり遂げたかった。
『アオカ、ここから動くなよ?向こうで何が起こってるのか全然分かんないけど、それでも嫌な予感はするんだ。でも、今行ったらきっと
邪魔になると思う。後は東苑やグレンに任せるしかない』
『あ、兄上を、信頼して下さるのですか?』
『だって、未来の竜の王様だろ?絶対に強いはずじゃん』
きっぱりと言い切った昂也に、碧香が息をのんだ時だった。
ガガッ
『うわっ』
『・・・・・っ』
『碧香様!』
まるで地面が悲鳴を上げるかのように大きく揺れた。
(な、何かの前兆なのかっ?)
「紫苑」
「聖樹殿」
聖樹は紫苑の顔を見て、確信して笑みを浮かべた。
「どうやら、お前もその変化を身体で感じているようだな」
「・・・・・あなたはそれを知っていて、紅玉を私にお預けになられたのですね」
その言葉を誤魔化すことはしなくてもいいだろう。今、その時が来ているのだ、紫苑にも覚悟をしてもらわなければならない。
「王家の血を引かぬ者が翡翠の玉を身の内に入れてしまえば、その力が全ての身体の機能を変化させてしまう。力が無い者は直
ぐに命さえ落としかねないが、私やお前のようにある程度の能力を持った者ならば、その能力が増大し、信じられないほどの威力と
なるのだ」
それは、力が良い方に働いた場合のことで、もちろん、話は良いものばかりではない。
「力が増幅した者はどうなるのです」
「この世界の王ともなれる」
「本当に?聖樹殿、私は神官の修練をした身です。他の者達よりは僅かですが、この翡翠の玉のことは知っているつもりですよ」
「ふふ。本当にお前は頭が良い。紅蓮は馬鹿な奴だ、お前のような者ほど重用すれば良かったものを」
敏く、そして高い能力を持っている紫苑を、紅蓮はもっと大切にしなければならなかった。
王座に執着するあまり、自分の周りに目をやれなかった紅蓮が愚かな支配者だと嗤うしかないが、そんな自分の言葉や表情にも感
情を揺り動かさない紫苑は、さらに言葉を重ねてきた。
「私の身体は、紅玉の力に耐えうるのですか?」
「・・・・・無理だな。しかし、それがなんだという。己の命と引き換えに、この世界を壊すことが出来るのだ。愉快なことだと思わない
か?紫苑」
「・・・・・死ぬということですか」
「どうせ、この世界に未練などないだろう?」
(だからこそ、お前は私の手を取った)
既に後悔したとしても、事実は変わらない。
聖樹は己と共にその身体を消滅させる紫苑に向かい、右手を差し出して言った。
「さあ、私のもとに」
聖樹の言葉に紫苑は深い溜め息をついた。
何かある・・・・・寝返ったばかりの己に紅玉を預けてきた時からそう思っていたが、まさか紫苑も自身の身体自体を贄にされるとは思
わなかった。
(では聖樹殿は、己の身体を・・・・・)
紫苑がこちら側につかなければ、それは聖樹しか知らなかった事実だった。
今回のことが良かったのかどうか、その判断は自分では出来ないが、それでも紫苑は真実を知る者としてこの場にいることが出来た
ことは感謝した。
(この先、同じ間違いを犯す者がいないように、後世に示すことが出来る)
「・・・・・」
「・・・・・」
紫苑は差し出された聖樹の手に自分の手を重ねた。
ピシッ
その瞬間、眩しいほどの閃光が走り、痺れるほどの痛みが手に伝わってくる。
既に身体の中には紅玉が無いはずの聖樹と、未だそれを身の内に隠している自分の力が反発し合っていた。
「ふふ、かなり大きくなったようだ」
「聖樹殿」
痛みさえ快感のように笑う聖樹に、紫苑はどうしても訊ねたかったことを口にしてみる。
「あなたは、この竜人界を愛しているのですか?」
生まれ育ったこの世界を、聖樹は本当に滅亡へと導くつもりなのだろうか。
ほんの少し、それこそ、目に見えない砂粒ほどでも竜人界への思いが残っていたとしたら・・・・・。
「今更何を言う。私の愛しい者を奪ったこの世界など、何時でも滅ぼしてくれる」
にやりと笑った顔の中には、少しの躊躇いも感じない。
今言った言葉が本心なのだと聖樹の目を見て分かった紫苑は、溜め息の後目を伏せるとそのまま跪き、右手を地面へと付けた。
「やる気になったのか?」
「少しでも早い方が良いでしょう」
「ああ」
同じように、聖樹が自分の隣に跪く。
「どうせ、この世界に未練などないだろう?」
確かに、そう思っていた。先の見えない世界をこの目で見たくなくて、いっそのこと無にしてしまえたら・・・・・しかし、そう思うと同時に、
心のどこかで変化も望んでいた。
未練、いや、執着は、無からでも産まれてくるのだなと、今更ながら思い知る。
(・・・・・私は、聖樹殿、あなたとは・・・・・違うっ)
コーヤの腕を掴んだまま、青嵐は空を見上げ、次に地上に視線を向けた。
(・・・・・壊れそう)
コーヤは分かっているのだろうか?もう直ぐこの世界は壊れてしまう。いや、元々それほど大きな力を持っていない者が反則的な技で
増大した力は、せいぜい壊すことしか出来ないようだ。
自分ならば、この世界を無にすることも出来るが、どうやらコーヤはそれを望んではいないようなので、しない。
(コーヤと私だけ守ればいいか)
![]()
![]()
![]()