竜の王様
第一章 沈黙の王座
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※ここでの『』の言葉は竜人語です
龍巳は非現実なことをあっさりと受け入れている自分が不思議だった。
本当ならばパニックになったり、もしくはこれは夢なのだと現実逃避してもおかしくは無いのだろうが、教師にも友人にも、そして親や幼
馴染の昂也からも、老成し過ぎているといわれる自分の性格はこんな時にも発揮されているようだ。
それにしても・・・・・と、龍巳は目の前の華奢な体躯を見下ろした。
確かに昂也もまだ発育途中で、自分よりも遥かに細く小さいが、この碧香の容姿は昂也以上に儚げで、触れるのさえ怖いと感じて
しまうくらいだった。
そこまで考えた龍巳は、ふと疑問が沸いた。
「アオカ、俺はどうして昂也の事を覚えてるんだ?」
「トーエン?」
「君がここにいる限り、昂也の存在は無かったものになるって言っただろ?さっきの不思議な石を使った結界で、とか。でも、俺は昂
也の事をちゃんと覚えてる。どうしてだ?」
「・・・・・」
自分の心の中の疑問をそのまま口にした龍巳に、碧香は綺麗な碧色の瞳を向けた。
「これは、私の推測でしかないのですが・・・・・多分、トーエンには竜人の血が流れているのではないでしょうか?」
「え?」
(俺の、中に?)
それは碧香が現れた時以上の衝撃だった。
生まれてから16年、自分が人間ではないと思ったことは無い。両親だってちゃんと揃っているし、祖父も健在だ。幼馴染の昂也との
思い出は、物心付いた時からずっとある。
(俺が人間で無いなんて・・・・・血だって赤いぞ?)
「誤解しないでください、トーエン。あなたが純血の竜人と言っているわけではないのです。多分・・・・・遥か昔に人間界に訪れた
竜人が人間と交わった・・・・・その血を受け継ぐ人間ではないかと」
「他にもこっちの世界に来た竜人というのがいるのか?」
「はい。竜人界の歴史は、人間界に劣らないほどに長いものです。その長い歴史の中で、今回の私のように目的があったのかどう
かは分かりませんが、何人かの王族がこちらに来たのは確かです。そして、そのほとんどの方が、二度と再び竜人界にはお戻りになら
なかったということも」
古い歴史書を読むことが好きだった碧香は、多分人間界を嫌っている兄よりも昔のことは知っていると思う。
竜人界と人間界は昔から深い繋がりがあり、その2つの世界を行き来した人間は少なからずいたのは事実だった。
その中で、なぜか人間界に行った王族で戻ってきた者はほとんどおらず、その理由を書き示す記述もそこには書かれていなかった。
ただ、人間界から竜人界にやってきて、そのまま残った人間達の話は少しだけだが残っていた。
【永遠と思う想いを手に入れた】
それが、どういう意味かは碧香にはよくは分からない。
ただ、兄は絶対に否定するだろうが、遥か昔の王族の中には、人間と愛し合った者がいるのではないかと思った。
(私達の中にも、もしかしたら人間の血が流れているのかもしれない・・・・・)
初めに人間界に行った竜人のことははっきりしないが、その後は、人間と愛し合った王族がいた後は、それが王族のみが人間界と
行き来出来る理由になったのではないだろうか・・・・・碧香はそう解釈しているが、兄は、他の竜人達は、きっとその話を頭から信じ
ないはずだろう。
「遥か昔、人間界にやってきた私達の祖先のどなたかの血が、トーエンには流れているのではないでしょうか。ですから、普通は直
ぐに信じられないような話にも納得して頂けたし、結界の力も効かないのではないかと」
「・・・・・信じられないな」
トーエンはじっと自分の両手を見つめ、その後身体にも視線を向けた。
見た目は竜人も人間もそれほど違いが無いので、見ただけで判別は付かないだろうが、それでも確かめたいというトーエンの気持ち
は良く分かる気がした。
(私の存在で、トーエンを混乱させてしまった・・・・・)
申し訳なく思う。
それでも、碧香は自分がこの地に、このトーエンの前に現われたのは意味があると思っている。
竜人界の気に良く似たこの辺りの空気は、碧香にとっても心地良いものだ。
そして、自分に何の疑いもなく手を差し伸べてくれるトーエンという存在も、紅玉を見付ける為に必要な存在なのだろう。
(早く紅玉を見つけなければ・・・・・っ)
この優しい人間の、もしかしたら自分達とはごく僅かながら同じ竜人の血が流れているかもしれない相手の大切な存在を、このま
ま長く竜人界に引き止めておくわけには行かない。
碧香は深く頭を下げた。
「お願いします、トーエン。あなたにはとても迷惑を掛けてしまうかもしれませんが、どうか私に力をお貸しください」
一刻も早く、この優しい瞳をした人間に大切な存在を返してやらなければと思った。
頭を下げる碧香に、直ぐにいいからということが出来なかった。
さすがの龍巳も、自分の身体の中に竜の血が流れているかもしれないと言われたら動揺してもおかしくは無いはずだ。
しかし、不思議と碧香の言葉を頭から否定することも出来なかった。
確かに自分には不思議な力もないし、流れる血も赤いものだが、碧香の青い血を見ても驚きはしたが嫌悪は無かったし、碧香に
対しても初めからその存在をすんなりと受け入れていた。
(同じ血がそうするのか・・・・・?)
そこまで考えた龍巳はふっと苦笑を零した。
気が遠くなるほど昔のことを、今の自分が知るはずが無かったし、今はそんな事実を知ることよりもしなければならないことがある。
「アオカ」
かなり長い間沈黙していたせいか、ようやくその名を呼んだ時に顔を上げたアオカの表情はかなり不安そうだった。
悪かったなと、可哀想に思った。
「色々疑問に思うことはあるんだが・・・・・」
「・・・・・はい」
「それはその都度聞くとして」
「・・・・・」
「お腹空かないか?」
「・・・・・え?」
「これが昂也だったら、色んなことを考えてると必ず腹減ったって叫ぶんだ。俺達も、空腹じゃいい案も浮かばないと思って」
「トーエン・・・・・」
「俺の家においで、アオカ。そして服を着替えて、何か食べて、もう一度ゆっくり話さないか?」
「・・・・・宜しいのですか?」
「君達の世界では何と言うのか分からないけどね、人間の世界では・・・・・この日本では、こういうのを縁と言うんだ。突拍子もな
いことに見えて、今回のこともこうなる巡りあわせだったのかもしれない」
そう言うと、龍巳は碧香を安心させるように笑って、そのまま碧香に手を差し出した。
温かく、大きな手。
竜人の自分達とはかなり違うその体温に途惑いながらも、碧香は縋るようにその手を掴んだ。
そのまま山を下り始めたトーエンの後ろ姿をじっと見ながら、自分はかなり恵まれた立場だと、碧香はこの地にやってきたことを嬉し
く思った。
それと同時に、今頃理由も分からないまま竜人界に行かされたトーエンの大切な存在の立場を憂えいでしまう。
(兄様がちゃんとお世話してくれていたらいいのだけど・・・・・)
人間嫌いの兄がその人間、コーヤをどう扱っているのか・・・・・自分がこんなにも親切にしてもらっているだけに心配でたまらなかっ
た。
「あの、トーエン」
「ん?」
「コーヤという方は、いったいどんな方ですか?」
「昂也?そうだな・・・・・頼りになる親分ってとこかな」
トーエンの横顔が穏やかに笑んでいる。きっと、コーヤというのは素晴らしい人間なのだろう。
「何?昂也の事を心配してくれてる?」
「・・・・・竜人界にいる兄は・・・・・少し、人間を嫌っているところがあるので・・・・・」
とても嫌悪しているとは言えず、少し言葉を濁してしまうが、トーエンは何でもないことのように笑った。
「多分、心配ない。昂也はヤワじゃないから」
「ヤワじゃ、ない?」
「正々堂々渡り合うことが出来るって事」
ゆるぎないその言葉は、トーエンがコーヤを深く信頼しているように思え、碧香はなぜかコーヤが羨ましく思った。
自分は兄以外に、こんな風に信じあえる相手がいただろうか?
(竜人界の皆は大切だけど・・・・・)
誰かを、こんなにも信じたことは無いような・・・・・気がする。
「アオカ?」
歩く速度が少し落ちた碧香に気付いたトーエンは、直ぐに足を止めて振り返った。
「疲れtた?」
「い、いいえ」
「もう直ぐそこだから、頑張って」
「はい」
優しい言葉に、泣きそうになる。
(コーヤは・・・・・何時もこの手を掴んでいたのかな)
トーエンの愛情と信頼を、無条件に受け入れていたのだろうか。
「行こう」
「はい」
(早く・・・・・早く見付けなければ・・・・・)
自分の心の中に、認めてはならない感情が生まれてきそうな予感がする。
碧香は自分の為にも、一刻も早く紅玉を見つけ出して竜人界に戻ることを誓わなければならなかった。
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