竜の王様




第一章 
沈黙の王座








                                                             
※ここでの『』の言葉は竜人語です





 トーエンに手を引かれてしばらく歩くと、やがて碧香の目の前に古びた建物が現れた。
 「ここは祖父の家」
 「・・・・・これは何で出来ているのですか?」
 「木だけど・・・・・アオカの世界では違う?」
 「はい。竜人界では自然は神聖なものですから、滅多にこういった建物に使うことはありません。自然に倒れたものや、不運な出来
事で折れたりしたもので物を作ります」
 「へえ、エコだな」
 「エ、コ?」
言葉の意味が分からずに思わず呟いたが、その声は余りに小さくてトーエンには聞こえなかったようだ。
 「じい様、いらっしゃいますか?」
 中に入るなりトーエンはそう叫んでいたが、碧香は初めて見る人間界の建物を不思議そうに見つめていた。
多分、古い建物なのだろう。木の匂いからもそれは分かるし、随分時間が経ったような色目をしている。
しかし、先程現れた滝壺の周りの空気のように、この家の中の空気は清浄で心地良かった。
(本当に・・・・・この世界にやってきた王族の末裔かも・・・・・?)
 突然現れた自分に奇異の目を向けなかったことや、結界の力が効かなかったわけをトーエンにはそう説明したが、碧香の心の奥底
では本当にそうなのだろうかという疑問が僅かながらも残っていた。
しかし、この建物の空気を感じると・・・・・それが不思議ではなくなった。
 「煩いぞ、東苑」
 その時、少し歳を取ったような・・・・・それでいて十分に力強い声が聞こえてきて、1人の人間が現われた。
 「・・・・・」
(白い・・・・・)
髪も髭もほとんど白髪に近かったが、肌の色艶や目の光は十二分に若々しい人間。
碧香はこの人間界にやってきて2人目に会う人間の姿に、少し緊張して無意識のうちにトーエンの腕を掴んでいた。
 「アオカです。しばらくここに泊めてください」
 「ト、トーエン」
 そんな簡単な説明でいいのかと視線で問い掛けると、トーエンはその碧香の視線にしっかりと頷いてくれた。
 「分かった」
碧香の不安をよそに、トーエンの祖父という人間は鷹揚に頷き、続いてじっと碧香の顔を見つめた。
(・・・・・目っ)
自分の目が人間とは違う色だとはっと気付いた碧香は直ぐに顔を伏せようとしたが、そんな碧香の顎を掴んだ人間はさらにじっと顔を
見つめて静かに言った。
 「人間ではないな?」
 「・・・・・!」
(どうして・・・・・?)
やはり目の色で分かったのかと青褪める碧香の肩を、トーエンがしっかりと支えてくれた。
 「じい様は少し分かるんだ、人の気というものが」
 「・・・・・」
 「心配しなくても、アオカの味方だ。そうですよね?」
 「わしは美人の味方だ」
 「・・・・・アオカは男ですよ?」
 「美人には違いなかろう」
 2人の掛け合いのような話を呆然と聞いていた碧香は、やがて恐々とトーエンを振り返った。
 「私は・・・・・」
 「アオカの為にも、俺の家よりはここの方が居心地がいいだろう?ああ、アオカがいる間は俺もここに寝泊りするから」
 「・・・・・よろしくお願い致します」
その言葉にホッとして、碧香は丁寧に頭を下げた。



 アオカを一目見て祖父東翔(とうしょう)は何かを感じたらしかった。
普通ならば一見の人間を家に泊めることなど有りえないほど厳格な祖父なのに、アオカに対しては初めからある種の親しみを込めた
目線で見つめていた。
(遥か昔の竜人の末裔・・・・・本当のことなのか?)
 目の前で東翔がアオカに茶を入れてやっている。
不思議そうに熱い緑茶を見つめているアオカを見て少しだけ笑った東翔は、1人離れて土間に立ったままの龍巳を振り返った。
 「東苑、あちらには誰が行った?」
 「・・・・・じい様」
 「あちらの方が来られたんだ、こちらから誰か行ったんじゃないのか?」
東翔の言葉に弾かれたように顔を上げたアオカが龍巳を振り返った。
 「・・・・・昂也が」
 「・・・・・ああ、あいつの気は綺麗だからな」
 「そんな事が関係あるんですか?」
 「東苑、お前はまだ良く分からないだろうが、この世には不思議な存在はそこかしこに存在している。わしはたまたま見える人間だ
からよく分かるが、敏感な者もはっきりとは分からないまでも感じるはずだ」
 「・・・・・」
 「コウは、感じていただろう?」
 そういえばと、龍巳は思い出した。
幼馴染の昂也はよく龍巳の家にも泊まりに来ていたが、時々夜中に目覚めると泣きながら訴えていた。

 「お化けがいるよ、とーえん〜」

決まって、翌朝おねしょをしていた昂也。龍巳はそれを誤魔化す為の言葉だと思っていたが、東翔の言葉からすれば本当は昂也は
感じていたのかもしれない、人間ではないものの存在を。
(あいつ自身がそんなの信じないタイプだからな・・・・・)
目に見えないものは信じないタイプの昂也は、自分のそんな過去のことはすっかり忘れているだろうが、龍巳は何度もあったそんな出
来事を覚えていた。
(・・・・・悪いことをしたな)
おねしょのことをからかっていたことを今更に後悔するが、それを謝りたい昂也は今目の前にいない。
 「アオカ、玉を探しているって言ったな?」
 「は、はい」
 茶の飲み方を教えていた東翔から慌てて視線をこちらに向けたアオカは、きちんと座りなおして(なんと正座をして)龍巳に頭を下げ
た。
 「どうか、手をお貸しください」
 「ああ。それはもちろんだけど、それってどんな物なんだ?写真なんて無いだろう?」
 「シャシン・・・・・というものは分かりませんが、トーエン、手をお貸しください」
 「手?」
 「多分、トーエンとならば感じ合えると思います」
 「・・・・・分かった」
躊躇うことなく手を差し出した龍巳の手を取ると、アオカは目を閉じて俯く。
 「アオ・・・・・っ!」
どうしたのかと訊ねようとした龍巳は、パッと頭の中に広がったイメージに思わず声を上げてしまった。
 「赤い、玉っ?」



(やはり、トーエンとは通じることが出来るんだ)
 碧香は自分が送った念をトーエンがきちんと読み取ってくれたことが嬉しくなった。
かなり薄くなっているはずの竜の血は、確かにトーエンの身体の中に受け継がれているようだ。
 「・・・・・綺麗な玉だな」
 「はい。この紅玉と蒼玉、本来は融合していて翡翠の玉として存在しています」
 「これがここと、アオカの世界に分かれて持ち出されたわけか」
 「・・・・・はい」
 それも、多分王族の血を引いている誰かの仕業であることは間違いが無かった。
自分の一族を疑いたくは無い碧香だが、人間界へ来られるのは王家の血を引いた者でしか不可能で、それは結局誰の仕業かを大
幅に狭めてしまっている。
きっと、竜人界に残った兄は、その犯人を必死で捜しているはずだ。
 「どこにあるかとか、分かるのか?」
 「近付けば、その力を感じることは出来ます。ただ、この人間界も広いのでしょう?どこから探してよいものか・・・・・」
 「それでも何か手掛かりがあるはずだ。アオカ、よく考えてみてくれ」
 「は、はい」
もちろん碧香もそのつもりだったので強く頷いたが・・・・・。
 「おい」
 不意に声が聞こえ、碧香はハッとした。
(ここにはトーエンのお爺様がいらっしゃったんだ!)
トーエン以外に話を聞かれたと真っ青になった碧香だが、トーエンは少しも動揺することなく祖父を振り返った。
 「何か分かりますか?」
 「話も聞かずに分かるはずが無い」
 「ああ、そうですね」
 「力になれるかどうか、話すつもりなら聞く」
 「はい。アオカ」
 「ト、トーエン」
 「じい様は俺よりよっぽど頼りになる。ここは意地を張らずにきちんと説明して力を借りた方がいいと思うぞ」
 「・・・・・はい」
 大丈夫だろうかと心のどこかで思うものの、トーエンの祖父ならば大丈夫だとも思える。
こんな短時間の内に自分でも驚くほどトーエンを信頼している自分に気付くが、碧香はそれをおかしいとも不思議とも思わなかった。
 「お爺様、私の話をお聞きください」
座り直して真っ直ぐに自分を見つめる碧香に、トーエンの祖父は鷹揚に頷いた。