竜の王様2
竜の番い
第一章 新たなる竜
15
※ここでの『』の言葉は日本語です
しばらく見つめていても少女が目覚める気配は無く、ヤマブキはポンと昂也の肩を叩いてきた。
「打ち合わせをしよう、別の部屋で」
そう言って先に部屋を出るヤマブキの後を追うように歩き始めた茜の手を、昂也はとっさに掴んで引き止めてしまった。
「コーヤ?」
自分でもなぜそんなことをしてしまったのか分からないが、昂也はどうしても茜に言わなければならないと思ったのだ。
「茜、ごめん」
「・・・・・」
「ごめん」
あの少女を、そしてヤマブキを救いたいと思った気持ちは本当だ。自分でも何か出来ることがあるのではないかと思い、それが少女の
身代わりとして彩加に行くということならば、昂也は怖さも押し殺して行くと決めた。
しかし、一方でそれがとても危険なことだというのも分かる。
彩加には誰がいるのか、自分が何のためにこの地に来たのか。身代わりを承知した後で次々と思いだされることに、昂也の頭の中は
パンクしそうなほど一杯になってしまう。
それでも、今更ヤマブキとの約束を反故にするつもりは無かった。ただ、自分のためを思って行動してくれている茜にはちゃんと謝っ
ておかなければならない・・・・・そう思い、昂也はその腕を掴んだのだ。
「茜、ホントは反対、ね?」
確認するように訊ねると、少しだけ間を置いて茜は応える。
「・・・・・ああ」
誤魔化すことなく肯定してくれた。
一瞬、涙が込み上げてきたが、ここで涙を流すことは違う。
(やっぱり、俺の考えは・・・・・甘いんだよな)
「・・・・・トキワ、きけん」
「忘れているかと思った」
目を細めて笑う茜に、昂也も少しだけ笑った。そんなに自分は単純で忘れっぽくは無いはずだが、傍から見ればそうとしか思えない
のかもしれない。
昂也はただ、頭を下げることしか出来なかった。
「・・・・・ごめん」
そう言われても仕方が無いと唇を噛みしめる。
いい加減、ちゃんと周りの状況を見て判断してもいいと思うのに、どうしても感情で暴走してしまう。
性格を変えようがないというのは逃げで、本当は茜と話し合ったうえで決めなくてはいけなかったのに、どうしても少女の境遇に同情し
てしまった。
大変なのは自分だけでなく、茜もだ。いや、どちらかといえばトキワの性格というものを把握しているらしい茜の方の心労が大きいだ
ろうと思うと、昂也はますます顔を上げられないほど項垂れる。
「・・・・・」
「コーヤ」
そんな昂也の髪をクシャッと撫でてくれた茜は、顔を上げろと言った。
「もう決めたことだ。後はどう立ちまわればいいのか考えよう」
「茜」
「さっき山吹に言ったように、俺にとっては一番優先すべきはお前の安全だ。ただ、出来ればあの姫も助けてやりたい。どうすればい
いのか、お前も一緒に頭を働かせろ」
「・・・・・うん」
あの少女を助けたいと言った昂也の気持ちをくんだうえでそう言ってくれた茜の優しさが嬉しくて、昂也は掴んだ手にさらに強く力を
込めた。
第三妃に瑠璃を望んだ反面、常盤は今まで瑠璃に会いにこの地までやって来たことは無いらしい。
初めて会う日が式当日ということになるが、その式もどうやら内々で済ませると、先日彩加を訪れた山吹は直接告げられたようだ。
「正妃様がいらっしゃるとはいえ、屋敷も瑠璃様だけ別棟とされた。始めから名目だけの婚姻だというも同然だ」
彩加に嫁入りをした瑠璃の暮らし向きを説明された山吹にとって侮辱でしかないことでも、今の状況では随分優位に働く条件だろ
うと思えた。
「じゃあ、きちんとした式ではないということだな?」
「ああ。彩加の重鎮は出席するらしいが、招待客はいないということだ」
「・・・・・」
(それなら、コーヤの顔を隠しとおすことは可能だな)
ただし、常盤がコーヤの持つ独特の気に気づいてしまったらまずい。
何しろコーヤは人間だ。外見の違い以上に身にまとう雰囲気は全然違い、それをあの常盤が気づかないとは思えない。
先ずはその気を抑えること・・・・・長時間は無理だが、僅かな間なら何とか出来るはずだ。
「・・・・・なんとか、その披露目も取り消しになるような方向に出来ないものかな」
「披露目を?」
「そうだ、病気でも、怪我でも、とにかく人前に出ることが出来ないと言える理由を作って欲しい」
「・・・・・だが、そんなことをすれは瑠璃様の立場が・・・・・」
眉間に皺を寄せる山吹に、茜は今は立場など考えるなと言った。
「どうせ出るのはコーヤだ。出来るだけ人前に立つことが無いようにした方が良いだろう」
「・・・・・」
「幸い、常盤も今回の結婚を政治的な意味で捉えているし、何とか出来るんじゃないか?」
たたみかけるように説明すれば、山吹も口を閉じた。
これが本当に瑠璃が赴くのならば盛大に文句も言いたいところだろうが、今回はその身代わりでコーヤが同行するのだ。名誉や見栄
ということなど一切関係なく、出来るだけ目立たないようにと考えることが先決だ。
「・・・・・分かった。瑠璃様の体調を理由に、出来る限り表に出ることは控えさせてもらおう」
「そうしてくれ」
(多分そんな申し出をしても、あの男は何とも思わないはずだ)
よほど興味を持たないのならば、常盤は自身の妻に、いや、子供にさえも気が向かない男だ。だからこそ、今回の無茶な作戦にも何
とか協力しようという気になったのだ。
そんな茜に、山吹は確認をしてくる。
「茜、お前も供として同行するということでいいな?」
「・・・・・いや、それは不味いかもしれない」
「不味いのか?」
「あそこには俺の顔を知っている者もいるしな」
多分、常盤はあの村から自分が白鳴の探し人を連れだしたということを知っている。
そんな時にノコノコ姿を現してしまえば、その人物・・・・・コーヤはどこにいるのだという話になってしまうだろう。
「茜・・・・・」
それは避けなければならないが、どうにかしてコーヤの側にいてやりたい。
不安げに自分を見つめてくるコーヤの顔を見ながら、茜はそんなことを考えていた。
(茜は一緒にいられないってことか?)
茜の身元をトキワが知っている限り、姿を現すのはとても危険なことだ。そうは分かっているつもりでも、離れてしまう不安は簡単に克
服出来るものではなかった。
『俺って・・・・・勝手・・・・・』
今回の身代わりを言いだしたのは自分のくせに、不安を感じるなどどれだけ身勝手なんだと思い、下を向いた。
(茜がいなくてもちゃんとしないと・・・・・)
顔を見せないでいいとは言うものの、一度も夫になるはずの相手と対面しないというわけにはいかない。興味が無いままおざなりな挨
拶で終わってしまえばいいが・・・・・。
まだ話し合いをしている茜達を見ながら、昂也はそっと部屋を出た。
ここは少女の部屋からは離れた屋敷の端の部屋で、今は人影も見当たらない。
『・・・・・どうなるんだろ』
思わずそう呟いた時、遠くから甲高い叫び声が微かに聞こえた。
(今の・・・・・)
パッと視線を向けたと同時に今出てきた部屋のドアが開き、ヤマブキが飛び出してくる。
「ヤマ・・・・・ッ」
昂也が声を掛けるのも聞こえないように走り去っていくヤマブキの背中を呆気に取られて見送っていると、続いて姿を現した茜が昂
也の隣に並んだ。
「あの姫の声みたいだな」
「あの・・・・・?」
「自ら命を絶つほど逃げ出したかった現実が、再び目の前に迫っていることを知ったら・・・・・」
「・・・・・」
(じゃあ、今の声って・・・・・)
悲痛なあの叫びは、目を背けたい現実と向き合ってしまったショックから出たものなのか。あの少女が今どんな思いでいるのか心配
で、昂也は走り去ったヤマブキが消えた方角に視線を向けた。
それからどのくらい経っただろうか。
部屋の中で茜と2人ただ待つことしか出来なかった昂也は、ようやく現れたヤマブキの焦燥に歪んだ顔にどう声を掛けていいのか分か
らない。
「姫は?」
「・・・・・薬湯を飲ませて眠らせた。今は起きている時の方が瑠璃様にとっては悪夢だろう」
「・・・・・」
沈黙するその場の雰囲気を破るように茜が言った。
「今回の計画、姫にはくれぐれも話さないようにな」
「・・・・・分かっている」
「出来れば、この屋敷の中の者にも知られない方がいい」
当初の段取りの通り、嫁入りのために少女を屋敷から連れ出し、その途中で上手く自分と入れ替わる。
その間、少女は安全な所で保護出来るかと茜が言えば、しばらく考えるように目を閉じていたヤマブキがゆっくりと頷いた。
「町の外れの森に薬師をしている俺の叔母がいる。彼女に任せていれば安全だと思う」
「では、今回のことはここにいる俺達3人と、その女性だけが知っているように内密に動こう」
「ああ」
何時、どんなふうに少女と昂也を入れ替えるか、茜とヤマブキは真剣に話し合いを始める。今度は昂也もその場から逃げずに話
し合いに加わった。所々分からない単語が出てきても、ちゃんと知っていなければボロを出してしまう。
(そうしたら、茜やヤマブキが危険なんだ)
「眠り薬を貰ってきた」
翌朝、山吹は手に薄いブルーの布を持ってやってきた。
「じゃあ、町外れまで来た時、他の供にこれをうまく飲ませてくれ」
「瑠璃様にはもう少し強い薬を今朝からもう飲ませている。一日眠られた後、目を覚ましたら叔母に説明してもらうようにした」
屋敷の召使達が暮らす一角で夜を明かした茜とコーヤ。その間、山吹は薬師という叔母に今回の事情説明と協力を求めに行き、
その時にこの眠り薬を貰って来たという。
「協力は得られたんだな?」
「叔母も、常盤殿を嫌っているからな」
「・・・・・何か因縁が?」
「さあ。女の気持ちは俺には分からん」
無骨な男の言葉に少しだけ笑った茜は、側で自分達の話を神妙に聞いているコーヤへと視線を向けた。
昨夜はなかなか眠れなかったようで、今も少し目が赤い。それでも逃げ出したいという弱音は吐かず、ここにいるコーヤの強さが心強
い一方で少し寂しく、茜は笑い掛ける。
「今から少し変装するぞ」
「顔、見えないのに?」
「少し見えても気づかれない程度にはな。山吹」
「瑠璃様の持っているものの中で、身体の線が目立たない大人しい物を選んできた」
そう言いながら手にした布を広げれば、なんとそれは裾の長いドレスのようだ。
姿を隠すという前提があり、もしかしたらこのままでもと思っていたらしいコーヤは少し口元が引き攣ったように見えるが、それでも嫌だ
とは言わずにそれを受け取った。
「後、頼んだものも用意してもらえたか?」
「ここにある」
腰に結び付けていた袋を外して手渡してもらい、その中を覗きこんで頷く。そういった方面に疎そうな山吹がどこまで理解してくれた
かと思ったが、これだけあるのならばそれなりのことは出来そうだ。
「コーヤ」
「な、なに?」
何かを予感したのか、コーヤがビクビクとした様子でこちらを見る。
「化粧(けそう)もするからな」
「け、そう?」
「女らしく顔を装うことだ。身代わりの姫もまだ年端もいかないし、それほど濃いものをしなくてもいいだろうが、していた方がお前も安
心じゃないか?」
絶対にしなければならないことではなかったが、それでも用心に越したことは無いと説明する。反論することも出来ないらしいコーヤの
丸く見開かれた目が妙に可愛くて、茜はこんな緊迫した時だというのに声を出して笑ってしまった。
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