竜の王様2

竜の番い





第一章 
新たなる竜



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 そもそも、男である昂也は化粧をするということに全くの知識が無い。これが軽くなのか、それともこってりとしたものなのか判断はつ
かなかったが、一応、唇に何か塗られたのと、軽く顔を何かではたかれただけで済んだのは良かったと思った。
(鏡があったら見れたんだけど・・・・・)
 しかし、一方では女装をした自分を見たいとはちょっと思わない。
 「・・・・・どうなの?」
 「うん、可愛い」
 「か、かわい?」
 「山吹がコーヤに身代わりを頼んだのも頷ける。これなら、ちょっと見ただけでは男だとは分からないだろう」
化粧をしてくれた茜は、服まで着こんだ昂也を見て満足げに頷いている。その言葉をうのみには出来ないものの、ばれないのならばい
いかといい方に意味を取ることにした。
 「でも、歩きにくい、これ」
 ぞろ引くほど長いドレスは身体の露出は無いものの、女の子が着るようなシルエットで何だか落ち着かない。一応、下に膝までのズ
ボンを穿くことは強く主張したが、それでも走ったり暴れたりの大きな動きは無理そうだ。
 「準備は出来たか」
 そこへ、ヤマブキがやってきた。支度を済ませたコーヤを見て一瞬目を見張ったが、直ぐに茜を振り返ってその肩を叩く。
 「これなら瑠璃様と信じてもらえるだろう」
 「え?」
(・・・・・って、おいおい、それ、俺が女顔だってこと?)
緊張しているのに、思わず心の中で突っ込んでしまった。しかし、何とか声には出さないでおこうと努力する。
まだまだ自分は育ち盛りだし、これからもっと男らしく成長する予定だ。その過程の容姿で役に立つことがあるのならせいぜい利用し
た方がいい。
 「コーヤ」
 茜に声を掛けられて顔を上げると、頭の上から綺麗な透ける布を被せられた。
 「花嫁になる者は、当日家を出た瞬間から夫になる者に会うまで、他の男に顔を見られてはいけないんだ」
 「へえ」
 「だから、少し暑苦しいが我慢してくれ」
そう言って、今度は分厚い布をかぶせ、器用に鼻の辺りまで隠していく。
これでは目の辺りしか見えないが、その間も薄い布で最初に隠されているので黒い瞳は見えないだろう。
 「後は」
 最後にと、茜が小さな袋を昂也の胸元に入れた。
 「これ?」
 「どんなに外見を変えても、お前が持つ異質な気は隠しようが無い。それを一時だけ誤魔化すことが出来る香を入れているんだ」
昂也にはほとんど匂いは感じられないが、竜人相手ならば一瞬の幻覚剤の作用があるらしい。
 「へえ。茜って色んなこと、しってる」
 「・・・・・少しだけだ」
 「そんなことないよっ!茜のこと、ずごく信じてる!俺、がんばるから!」
 本当は身代わりのことを快く思っていないだろうに、昂也の気持ちを考えて協力してくれることになった茜。その気持ちに報いるため
にも、絶対に失敗は出来ない。

 こっそりと泊った部屋から出た昂也は、少女の部屋の近くまでいったん向かった。
少女の身内にも、仕える召使い達にも、彼女がトキワに嫁入りするのだという姿を見せ、信じさせなければならないからだ。
 「よし、ここからだ」
 「う、うん」
 顔はバレないだろうが、昂也は深く俯き、ヤマブキの手を取って廊下を歩き始める。
すると、そこかしこから現れ出た者達が、いっせいに跪いて口々に言い始めた。
 「姫様、どうかご辛抱下さいませっ」
 「私達のために・・・・・お可哀想な姫様・・・・・っ」
 「どうか、どうか、常盤様に可愛がっていただくように・・・・・」
 「・・・・・」
(すごい・・・・・全部マイナス思考だ)
 言葉だけを聞いていれば、この少女はどんな極悪非道な男の元に嫁入りするんだと本当に可哀想になってくる。
そして、少女をこれほど心配する召使達も気の毒になって、大丈夫だからと説明をしてやりたくなった。
(俺はあのお姫様じゃないって知ったら・・・・・)
 悲しげなこの声も治まるだろうが、その少女のためにも今は何も知られてはいけない。
昂也はギュッとヤマブキの腕に掴まると、出来るだけ足早に歩いた。




 正門の前には羅馬二頭で引く御輿が準備されていた。これから数日、コーヤはこの中にずっと閉じこもっていなければならない。
 「瑠璃様」
 「・・・・・」
 「どうぞ」
もう、山吹はコーヤを瑠璃として扱っている。その眼差しも、声の調子も、大切な姫に対するそれになっていた。
足場を用意され、コーヤはぎこちなく服の裾を捌きながら神輿の中に入った。その中には既に山吹によって運ばれた瑠璃が眠ってい
るのだ。
 案外、この中にいる瑠璃のためにも、山吹の態度は従順なものになっているのかもしれない。
コーヤの姿が完全に御輿の中に消え、安全を確かめてから山吹が慎重に扉を閉める。そして、辺りをゆっくり、まるで確かめうように視
線を巡らせた。
 「参るぞ!」
 山吹の号令に合わせて、羅馬はゆっくりと歩き始めた。先日、彩加からやってきた時はあれほど飛ばした羅馬も、中にいる者に振動
を感じさせないようにゆっくりと歩かされる。
(森に着く前に、皆に飲み物を配らないといけないな)
 森の中で山吹の薬師の叔母のもとに無事に瑠璃を置いて行くのに、絶対に同行する者達誰一人にも悟られてはならない。
一行の中の一番後ろからついて行く茜は、打ち合わせの通りに事が運ぶのかどうかが先ず第一に不安だった。




 「・・・・・」
(良く眠ってる・・・・・)
 ヤマブキが飲ませた薬のせいで、少女は全く起きる気配も無い。
狭い場所にこんなに綺麗な少女と二人でいるのに、昂也が感じるのは心配だけだ。本当にただ眠っているだけなんだろうかと、何度
も微かに動く胸元に視線を向ける。
 そして、その後に襲ってくるのは不安だ。この作戦が上手くいくのか、今の自分には祈ることしか出来ない。
(自分から言いだしたくせに何も出来ないなんて・・・・・)
最初の難関は、この少女を無事にヤマブキの叔母という人に預けることだ。そこから、ようやく彩加に向けて改めて出発する形になる。
 ガタガタと揺れる御輿の中、昂也は外の気配にじっと神経を集中させた。
 「そろそろ、一度休息を取ろう。姫様にとっては慣れない旅路だからな」
外から、ヤマブキがそう話すのが聞こえた。そして、しばらくすると御輿の後ろの扉が開いてヤマブキが姿を見せる。
 「姫様、ご気分はいかがか」
 大きな声でそう話し掛けながら乗り込んできたヤマブキは、慎重に扉を閉めるとコーヤの顔を見た。
 「大丈夫か?」
声を顰めて聞かれたが、用心のためただ頷くだけにする。その様子に少しだけ笑ったヤマブキは軽く頭を撫でてくれた後、その直ぐ傍
で眠っている少女の顔を見下ろした。
 「良く眠っておられる・・・・・」
心労が重なった上、もう目覚めて現実を見たくないという気持ちがそうさせているのか、少女は全く起きる気配は無い。
それに安心したのか、ヤマブキは今度は外の気配に息を潜めていた。
 「皆、疲労が取れる茶を調合している、一口ずつどうだ」
 「・・・・・っ」
(茜の声だ!)
ヤマブキを見ると、彼も深く頷いた。
 「ああ、美味いな」
 「本当だ、少し甘い」
 口々にそう言いながら、飲んでいるのだろう。しばらくは賑やかな気配がしていたが、それが少しずつ静かになっていく。
(もう少し・・・・・)
全員が完全に眠るまで、まだ昂也は口を開けなかった。

 それから、五分、いや、十分は経っただろうか。
静まり返った気配に、ヤマブキが後ろの扉を開いて様子を探る。
 「・・・・・いいぞ、コーヤ」
 「・・・・・ふぅ、だい、じょぶ?」
 「皆眠った」
 ヤマブキの代わりに答えたのは茜で、開けられた扉の向こうにその顔を見付けた時コーヤは思わず深い息をはいた。
 「茜、俺は今から瑠璃様を連れていく。それまでこの場を頼むぞ」
 「分かった」
ヤマブキは少女の身体を布で包んで抱き上げると、そのまま御輿の外に出て行った。
様子を見るために昂也も扉の近くまで膝立ちで近付いて見てみると、少女は羅馬に乗ったヤマブキに横抱きにされるようにしている。
 「落ちない?」
 「それは心配ないはずだ」
 「では、頼むぞ!」
羅馬の腹を蹴って走り出したその姿は、あっという間に緑の森の奥へと消えてしまった。




 「無事に着いたらいいんだけど・・・・・」
 心配げな声でそう言うコーヤを見下ろした茜は、コーヤとは全く違ったことを考えていた。
(このまま姿を消すということはないだろうな・・・・・)
常盤から逃げ出す手段に自分達を利用し、そのまま2人で逃げ出す。
意地悪な考えかもしれないが、可能性だけを考えればそれも否定出来ず、茜は周りで眠りこけている者達を見回した。
 ここにいるのは十人ほどで、皆が山吹の部下だ。彼がいなくなってしまったら茜では統率が取れないし、第一常盤と相対する者が
いなくなってしまう。
 そこからコーヤの身代わりがバレてしまうような最悪の展開は避けたいと思いながら、茜はコーヤに木筒を差し出した。
 「果汁だ。甘くて美味しいぞ」
 「あ、ありがと。でも・・・・・」
 「ああ、これじゃあ飲みにくいか」
厳重に顔を覆っていたことを思い出して布を解いてやると、コーヤは礼を言ってから木筒に口を付けて飲み始めた。思いの外早く動く
喉を見ていると、随分喉が渇いていたんだろうなと分かる。
 「おいし!」
 そして、ようやく木筒から口を離したコーヤは満面の笑みを向けてくれた。
 「そうか」
 共に暮らして、多少はコーヤの好みも分かっている。気分転換ではないが、好きなものを用意してやろうと思ったことは間違いでは
なかったようだ。
こんな時でもコーヤのこの表情を見れて茜も嬉しい。
 「ヤマブキ、だいじょーぶかな」
 「多分な」
 「あの子も、元気なればいーけど」
 「・・・・・」
 「いつ、帰ってくるかなぁ」
 コーヤの眼差しが、山吹が消えた方向へと向けられる。
誰かを信じる素直なコーヤの気持ちをここで否定することは無い。ただ、どんなことに関しても先ず疑いの目を向けることが、大人の自
分が出来ることだとも思っている。
(お前には、変なふうにねじ曲がった感情を持って欲しくない)

 山吹が戻るまでどのくらい掛かるだろうか。
この空が暗くなる前に戻ってくるだろうかと思っていた時、急に茂みがガサッと揺れた。
 「!」
 とっさにコーヤの頭から少し外していた布を掛け直し、その身体を自身の後ろに匿いながら腰の剣を抜こうとした茜は、
 「・・・・・山吹」
現れた大柄な身体に、剣から手を離した。
 「遅くなったな」
 「・・・・・いや」
 遅いどころか、かなり早い。まだ眠らせた者達も目覚める様子は無く、茜はチラッとコーヤを見た。
 「ヤマブキ、あの子はっ?」
 「叔母に確かに預けた。あの人なら瑠璃様が納得するように説明してくれるだろう。コーヤ、瑠璃様を気遣ってくれてありがとう」
厳つい顔に笑みを浮かべながら言う山吹に、コーヤは良かったと本当に安堵した表情になる。
 「・・・・・」
(コーヤの目は確かだな)
 子供の純粋な目で見て、山吹は信頼するに値した男だったということだ。
自分の考えは杞憂だったことに内心ホッとして、茜は気持ちを切り替えるように軽く髪を掻いた。