竜の王様2

竜の番い





第一章 
新たなる竜








                                                             
※ここでの『』の言葉は日本語です





 「・・・・・」
 報告書に視線を走らせた紅蓮は深い溜め息をついた。
 「紅蓮様」
 「・・・・・竜人界は広いな」
様々な思いを込めて呟けば、宰相の白鳴が苦笑を漏らした。
 「その広い世界をあなたはその手に握っているのです、紅蓮様」
 そう、白鳴の言う通り、竜王と定められた己の肩には、この広い世界と竜人達の運命が掛かっている。
まだ翡翠の玉に選ばれていなかった頃は一刻も早く王となりたいと思っていたが、いざそれが間近に迫ると大きな重圧が紅蓮の心を
押し潰してきた。
それでも、逃げるわけにはいかない。
 「・・・・・次の報告を」
 「はい」
 新たな親書を読み始めた白鳴の声に耳を傾ける。紅蓮は何があっても父王から受け継いだこの世界を守っていかなければならな
かった。


 竜人界の皇太子であった紅蓮が、王の地位を定める翡翠の玉から認められて幾日か過ぎた。
その間に叔父、聖樹の反乱のせいで竜人界全体が崩壊の危機に陥ったが、角持ちである青嵐がそれを押さえてくれた。
しかし、出来てしまった歪みは完全には回復していない。なにより、竜人達の中には何時まで経っても決まらなかった竜王に対し、
王家への不信感が渦巻いていた。
 それを一つ一つ解決するために紅蓮をはじめ、白鳴や黒蓉も奔走している。
ただし、四天王の一角、神官長の紫苑がいなくなってしまった席はいまだ埋まってはいなかった。




 話が一段落つくと、そういえばと白鳴が切り出した。
 「江幻と蘇芳が南の都に入ったそうです」
 「南?」
紅蓮は顔を上げる。
 「そこにいるのか?確か、そこからは何も報告が上がってきていないはずだが」
 江幻と蘇芳が王宮を出てから十の夜が過ぎた。
元々王家に仕えているわけではない2人であるし、一筋縄ではいかない能力者たちなので元から抑えるつもりはなかった。
ただし、この2人の行く先には必ずいるはずなのだ、紅蓮が心の底から欲する者が。
 「南の都以外にも、コーヤが見付かったという知らせはないな?」
 「はい。一見して竜人に見えない者がうろついていたら即刻拘束されるはずです。それがない今、コーヤが再びこの世界に来ては
いないか・・・・・」
 「いる」
 「紅蓮様」
 「私も・・・・・それに、青嵐も確かに感じた」
 地下神殿で感じたあの特異な気配は、絶対にコーヤのものだった。
(直ぐに王都に来ると思っていたのに・・・・・っ)
コーヤが竜人界に戻ってくれば、直ぐに再会出来ると思ってどのくらい経ってしまっただろう。あれから青嵐も落ち着かなく、少しでも目
を離せばどこかに行ってしまう勢いだった。
 そんな中、突然いなくなってしまった江幻達の行く先が気にならないはずがないだろう。
 「付けているのは知られているだろうな」
 「・・・・・おそらく」
有能な能力者に2人を追わせているものの、その2人こそがかなり力がある者達だ。紅蓮が手の者を付けていることには既に気がつ
いているはずだが、今だ返り討ちに遭っていないのはそれを彼らが受け入れているからだ。
 多分、こちら側で何らかの動きがあった時に利用しようとしている。心理戦のようなものだが、あの行動力は今の紅蓮には持ち得な
いものだった。
 「南、か」
 「・・・・・」
 「白鳴」
 「行かれるのですか?」
 即座にそう返され、紅蓮は眉を顰める。
 「まだ何も言っていないが」
 「私にも多少はあなたのお考えが分かります」
幼い頃から共にいた者達だ、その思考を読まれても仕方が無かった。特に白鳴は未来の竜王に支える者として、様々に頭を働か
せているのだろう。
 紅蓮のコーヤに対する複雑な思いも知られているのは気恥ずかしいが、今の紅蓮にその想いを隠すつもりはなかった。
 「・・・・・あれは私のものだ。私の手の内にいなくてなんとする」
 「紅蓮様」
 「・・・・・気持ちが、急いてしかたがないのだ」
 「あなたがそのように何かを欲しいと仰るのは初めてですね」
そんなはずはない。今までも王座が欲しいと言っていたし、もっと幼い頃はそれこそ小さなものでも欲しいと訴えたことがあったはずだ。
紅蓮のその疑問に、白鳴は目を細めて苦笑を零した。
 「心の奥底から望まれたことは、確か無かったと思います」
 「・・・・・」
 「私も、コーヤが早くあなたの元に来ることを望んでいますから、その行方は全力で追わせていますよ」
 それは、褒めていいのだろうか。
困惑した紅蓮にさらに笑みを深めた白鳴だったが、次の瞬間表情を改めて口を開いた。
 「ところで紅蓮様、新しい神官長の選定ですが」
新たな問題に、紅蓮も思考を切り替えた。
 「・・・・・それがあったな」
 「戴冠式にも必ず神官長が必要です。何時までも空席にしていることはあまり良くないことだと思います」
 もちろん、それは紅蓮も感じていたことだった。しかし、それは白鳴が言う戴冠式のことだけではなく、信心深い竜人達のためにも、
その象徴である神官長の存在は重要だったからだ。
 「候補はいるか?」
 「紫苑ほどの能力の者はそうそういません」
 「・・・・・」
 「いるとするならば・・・・・江幻でしょうか」
 「江幻、か」
 「しかし、あの男が大人しくその任に就くとは思えませんが」
 紅蓮もそう思う。神官長としての江幻の能力は申し分ないものの、あの男が大人しく紅蓮の下につくとは思えなかった。
白鳴も一応言ってみただけのようで、江幻をどうこうしようという提案を口にはしない。
 「・・・・・どうするかな」
早急に決定しなければならない事案だが、とても簡単に決着はつきそうに無かった。




 江紫 が部屋に入った時、既にかの人は寝台の上で身を起こしていた。
 「紫苑様っ」
 「江紫」
向けてくる顔にも少し色が戻っていた。ようやくその容態に安心が出来、江紫は嬉しくてたまらないのに泣きそうになってしまった。
神官見習いとして王宮に仕えるようになってから、ずっと側で様々な教えを乞うた相手だ。素晴らしい力を持っていたし、人格的にも
尊敬するに余りあるほどの人物だった。
 それなのに、何時の間にか彼は王家への反逆という大罪を犯し、今は狭い部屋に軟禁されている状態だ。
その上、あの素晴らしい力も失ってしまった・・・・・彼を慕う者として、嘆かずにはいられない現実だった。
 「お身体は?」
 「もう、大丈夫だ」
 「ですがっ」
 つい数日前まで、寝台から身を起こすことも出来ないほどに衰弱していたのだ、こんなに急激に回復したといわれてもそのまま信じ
ることはとても出来ない。
 「江紫、頼まれてくれないか」
 そんな江紫の心中を知ってから知らずか、紫苑は変わらない穏やかな笑みを口元に湛えたまま真っ直ぐに江紫を見つめて言った。
 「白鳴様をここに呼んで欲しい」
 「白鳴様を?」
 「紫苑が話があると・・・・・御多忙であると思いますが、ぜひお越しくださいと伝えて欲しい」
紫苑が一体どんな思いで白鳴を呼ぼうとしているのか分からないが、彼の望みならば絶対に叶えたいが・・・・・。
 「江紫」
 「・・・・・」
 「江紫」
 「少し、お待ち下さい」
江紫は一礼し、足早に部屋を出た。




 江紫は本当に直ぐに白鳴の元に行ってくれたらしい。
それと同時に、白鳴も罪人である紫苑の願いを直ぐに聞き入れてくれて、紫苑はそう待つ間もなく白鳴を迎えることが出来た。
 「白鳴様」
 既に己は白鳴と同格ではない。
紫苑はそっと身体に掛かっていた掛け布を外して床に足を下ろす。そのまま膝を着いて頭を垂れる紫苑を見て、江紫が焦ったように
声を上げた。
 「紫苑様っ、そのようなことをなされてはお身体に障りますっ」
 「罪人である私が横たわって宰相様にお目見えすることなど出来ません」
 「紫苑様!」
 「江紫、お前は下がっていなさい」
 部屋に入って初めて口を開いた白鳴は、毅然として紫苑を見下ろしながら言う。
 「は、白鳴様っ、紫苑様はまだお身体が・・・・・!」
 「下がりなさい」
重ねてそう言った白鳴の言葉には強い響きがあり、江紫は大きく肩を揺らして怯えた視線を彼に向けていた。
まだ見習いの地位である江紫と宰相の白鳴では存在の大きさだけでも違っているし、自分などのために江紫が白鳴に反発するのは
得策ではない。
 気遣ってくれる気持ちは嬉しいが、紫苑もまた下がるように言った。
 「私は大丈夫だから」
ずっと世話をしてくれていた江紫の目をごまかすことは出来ないが、彼には自分の言葉が一番効くことは良く知っている。案の定、江
紫は泣きそうな顔で紫苑を見つめてきたが、やがてゆっくりと頭を下げて失礼しますと部屋を出て行った。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 少し間があってから、白鳴が言った。
 「顔色は良いようだ」
 「ありがとうございます。私のようなものにも手厚い手当てをしていただき、このように罰を受けることが出来るまでに回復することが出
来ました」
 「紫苑」
 「紅蓮様に、一刻も早く私に罰をお与えくださいますよう、白鳴様からも進言していただけないでしょうか」
 「・・・・・」
 牢ではなく、このような部屋にいることさえ身分不相応なのにずっと耐えていたのは、少しでも早く体力を回復してきちんと処罰して
もらうためだった。
神官としての力がなくなったくらいでは罰とはとてもいえない。敬愛する竜人界の皇太子、紅蓮を手に掛けようとした聖樹に手を貸し
たのだ。あの戦いの中で命を落としてしまいたかった。
(それでも・・・・・私の命はコーヤに助けられた)
 あの小さな人間の少年が命懸けで助けてくれたこの命を捨てるような真似は出来なかった。
きちんとした罰を受ける。それが、今の紫苑が紅蓮に出来る贖罪であり、コーヤに対しても胸が張れる手段のような気がしていた。
 「・・・・・進言はしよう」
 「ありがとうございます」
 「だが、紅蓮様がどう思われるかは分からないぞ」
 白鳴はゆっくり歩み寄ると、紫苑の肩にそっと手を乗せてくる。
 「お前も、ここまで自身を追い詰めなくてもいいものを」
頭を下げている紫苑には白鳴の顔が見えないが、その口調は困ったような、呆れたようなものだ。四天王の中でも一番年長者であ
り、泰然としていた彼らしくない口調だった。
 「これでも私は・・・・・お前に情があるんだが」
 「白鳴様」
 「紅蓮様にお前の命乞いをすることは許してもらうぞ」
 「・・・・・っ」
 閉じた瞼の裏が熱い。
こんなふうに思われているのが嬉しいと思ってしまう自分は、まだ覚悟が足りないのかもしれなかった。