竜の王様2
竜の番い
第一章 新たなる竜
3
※ここでの『』の言葉は日本語です
昂也がこの世界に来て15日目の夜が明けた。
「おはよー!茜!」
「ああ、起きたかコーヤ」
朝起きた時、家の中には既に茜の姿はなかった。
もう畑仕事に行ったのかと昂也は慌てて着替え、外の壺の中に溜まっている湧き水で顔を洗っていると、枯れ枝を背中の籠いっぱい
に取ってきた茜が、昂也の顔を見て何時ものような穏やかな笑みを向けてくれた。
しかし、昂也としてはその笑顔に癒されている場合ではない。
「起きた!オレも仕事するぞ!」
1人だけ呑気に寝ていては申し訳ないと思った昂也の思いが伝わったのか、茜は長い手を伸ばしてきて髪をグシャグシャにかきまわ
してくる。これももう、昂也には慣れた彼の癖だった。
「じゃあ、朝飯の支度を手伝ってくれるか?」
「あさめし・・・・・ご飯?」
「そう、ご飯」
「うん、手伝う!」
茜の家に居候をさせてもらうようになってから、昂也は彼にこの世界の言葉を教えてもらった。
茜はまるで教師のように根気強く、そして分かりやすい教え方をしてくれた。
初めはまったく別の世界の言葉を覚えるということに悲壮な覚悟をしたが、少し考え方を変えればそれは中学に入ってから英語を
習い始めるようなものかと思い直した。
昂也の英語の成績は普通で、特に覚えが良いという自信は無かったが、アルファベットを教えてもらうように一つ一つの単語を教え
てもらい、それを耳で覚えて発音を繰り返すということを根気強く続けた。
数日後、その勉強の中で茜の名前を間違えたことを知って、昂也は慌てて茜に謝った。
話を聞くと、この世界の竜人達の名前にもそれぞれちゃんとした意味があるらしい。茜の名前のことも聞いてみると、夕陽のイメージ
だというので勝手に頭の中で《茜》と漢字に変換してみた。すると、案外すんなりと頭の中に言葉が入って来る。
そんな風に一つ一つ、申し訳ないと思いながらも茜に訊ねながら覚えた昂也は、今でもまだ完璧に聞きとれるわけではないものの、
随分こちらの言葉に慣れたと思う。
学校の英語の授業は苦手だとさえ思っていたのに、人間やる気になれば随分違うのだなと、昂也は自身の生きるという本能を凄い
なと思うようになっていた。
茜の主な仕事は農業と村の子供達に字の読み書きを教えることらしい。
教師とまでは行かないようだが、それで村人に信頼が厚いのだということは分かった。昂也も毎日その授業に混ぜてもらっているので、
子供達とのコミュニケーションは取れていると思う。
身体の大きな子供達は、小柄な昂也を自分達よりも子供扱いにしてくることは正直複雑な思いだ。
それでも、そんな小さなプライドは日々の忙しさの中ではたいした問題にならなかった。
「今日も勉強に来るか?」
「うん、早く、覚える」
ゆっくり話してくれる茜との会話は成立するものの、年下の子供達との会話さえもまだ詰まってしまうことも多い。
その時にはジェスチャーも入れて何とか対応しているが、細かなことはやはり言葉で伝えなければ分からなかった。
(ジェスチャーが万国共通で助かってるよ)
「今日は少し騒がしくなるかもしれないぞ」
「騒ぐ?」
「南の首長が視察に来られるそうだ」
「しゅー、ちょー?」
「しゅ、ちょ、う。前にも教えただろう?東西南北の首長の話」
ゆっくりと説明してくれる茜に、昂也もようやくああと思い当るものがあった。
この世界のことは茜に少しずつ聞いて分かっていたが、数日前に確か今の言葉を聞いたはずだ。
(確か、区域を統括している人のことだっけ)
この世界は多くの町や村があるが、それらをまとめると4つの大きな地域に分類される。
その4つの地域の代表が首長と呼ばれる者らしい。多分、日本で言えば知事みたいなものだろうと判断して、昂也の頭の中には《首
長》と漢字変換されていた。
大体、意味は合っていると思う。
「怖い?」
「最近、息子に代替わりをしたと聞いたな。今回ここに来るのは初めてだし、俺も何とも言えないが・・・・・。向こうも、こんな小さな
集落のことを一々気に掛けていることもないんだろうが、どうやら隅々まで目を配るようにとの上からのお達しがあったらしくてな。多分、
こんなことは二度は無いんじゃないか」
「・・・・・」
「コーヤ?」
「早い、分からない」
昂也に教えてくれていた言葉は後半自分自身に言い聞かせるような調子になって、昂也の今の読解力では補い切れなかった。
困ってしまってつい言い返した昂也に、茜はごめんと苦笑を返してくる。
「俺やお前には関係ないことだ。ただ、今日は大人しく家にいた方が良いだろうな」
「おとな、し?」
「そう、静かに家にいてくれ」
「分かった、いる」
問題はないらしいが、今の茜の言い方では昂也は顔を見せない方が良いようだ。
(まあ、何を聞かれたって直ぐに答えられるわけじゃないし)
もしかしたら、その首長という相手に会えば王都に簡単に行けるかもしれないとも思う。ただ、昂也はここまで来て他人任せになってし
まうのは嫌だった。
何年も掛かってしまうのはもちろん困るが、出来る限り自分の言葉や足を使って王都に辿りつきたい。首長に連れて行って欲しいと
頼むとしても、それをちゃんと説明出来るようになっていなければと思うのだ。
(まあ、少し不安だっていうのもあるけど)
勝手に元の世界に帰ってしまった自分が、今更ノコノコ舞い戻ってきて受け入れてもらえるかどうか。
この世界にやって来る自分の強い思いはあったが、それを受け入れる側の相手の気持ちまで考えていなかった昂也は、今更ながら
迷惑じゃないかなどと考えるようになっていた。
それから昼まで、家の雑事を手伝っていた昂也は、不意にドアをノックする音に顔を上げた。
今茜は家の裏にいるのでこの音は聞こえないのだろう。集落の人々の顔はかなり覚えていたので対応は出来るだろうと、昂也はは
ーいと言いながらドアを開けた。
「あ、青磁(せいじ)」
「よお、コーヤ」
そこに立っていたのは、茜の友人である青磁だった。
夜明けの木の葉の色を現した名前だと説明され、セージという響きから昂也の頭の中では青磁になっている。本人にも漢字の意味
を言うとカッコイイなと笑ってもらえた。
「茜は?」
「茜、うしろ」
指を指して言えば、分かったと言って彼はそのまま歩いて行く。
『・・・・・昼飯、3人分用意した方がいいかな』
昼食は出来るだけ昂也が作るようにしていた。美味しいのかどうか、料理自体あまり作ったことのない昂也には自信がないことばかり
だが、茜はどんなものでも美味しいと言って食べてくれる。
かなりお世辞が多いだろうと思うが、何とか本当に美味しいものを作って食べさせたい。
『青磁は好き嫌いあるのかなあ』
そう言いながら、昂也は食材が入った籠を覗きに行った。
どうやら自分の言う通りに大人しくしてくれることを約束してもらい、茜は内心ホッとしていた。
正直、首長にコーヤの存在を知られたくない。
(明らかに竜人でないコーヤが捕らわれてしまうのは目に見えているからな)
初対面の時に聞いた神官見習いという言葉が嘘だというのは初めから分かっていたし、竜人とは少し違う柔らかな綺麗な肌とまっ
たく通じない言葉からこの世界ではない住人・・・・・もしかしたら人間ではないかと思っていた。
茜自身今まで自分の目で人間を見たことはなかった。
ただ、昔から言い伝えられてきた人間というものは卑怯で自己中心的で醜い存在だということだったが、今一緒に暮らしているコーヤ
からはとても考えられないことばかりだ。
言葉が通じないとはいえ、コーヤは知ろうという努力をする。それは言葉だけではなく、茜の仕事に対しても同じで懸命に何か手伝
おうとしてくれるのだ。
元気が良くて、前向きで、そして・・・・・可愛いコーヤを、茜はかなり気に入っている。ただ子供を見過ごしに出来ないという感情で連
れ帰ったのだが、今では共に暮らす時間が少しでも長くなればいいなとさえ思っていた。
「茜」
「ああ、どうした」
不意に姿を現した青磁に、茜は笑みを向けた。
幼馴染である青磁とは事あるごとに行動を共にしていたし、今回コーヤを引き取った時も直ぐに紹介したくらいだ。
普段は畑仕事をしているが、地方で何かあった時の兵士予備軍でもあり、王都からの命令を聞ける立場でもあった。
「コーヤ、あいつ手配されているぞ」
「手配?」
思い掛けない言葉に、茜は思わず聞き返した。
「ああ。白鳴様直々の言葉だ」
《黒き髪、黒き瞳のコーヤという少年を見付け次第、王宮に連れてくるように》
なぜという理由もないまま、竜人界全てに広まったそれは、辺境の集落であるここには少し遅れて伝わってきた。
「・・・・・それを知っているのは?」
「まだ俺だけだ。だが、今日来る首長の話で長老達も知るだろうな」
「・・・・・そうか」
自分の家に居候している少年の名前がコーヤだということ以前に、少年がこの世界では珍しい黒い髪や瞳を持っているというのは
周知の事実だ。
悪気などではなく、つい口に出してコーヤの存在が首長に知られてしまったら・・・・・いや、それだけでなく、その場で強引に拘束され
てしまったら、コーヤはいったいどうなってしまうのだろう。
(まだ言葉も満足に話せないのに・・・・・)
庇護しなければならない存在。茜にとって、宰相である白鳴の言葉よりも側にいるコーヤの存在の方が大事だ。
とりあえず、今しなければならないことを早急に考えなければならなかった。
「どうするんだ、茜」
青磁の言葉に茜は顔を上げる。
「お前はどうするつもりだ?」
「・・・・・俺が口を噤んでも、何時かは存在を知られてしまうだろう。出来れば、今直ぐにでもここからコーヤを逃がした方が良い」
「・・・・・そうだな」
結論はそれしかない。茜は溜め息をついた。
「あ、茜、ご飯、できた!」
家の中に戻ってきた茜にそう笑い掛けた昂也は、後ろから当然付いてくると思った青磁の姿が無いことに首を傾げた。
「青磁は?」
「ああ、帰った」
「帰った?」
せっかく青磁の分も作ったのにと思いながらテーブルの上に用意していた器に視線を向けると、茜もそれに気付いたらしい。
「せっかく作ってくれたのに悪かったな。その分俺が食べさせてもらう」
「だ、だいじょぶ、だよっ」
ただ材料を切って塩で茹でたような料理だ、そんな風に気遣ってもらう方が悪い気がする。
「じゃあ、食べる?」
「ああ」
昂也は意識を切り替えて野菜スープを器に取り分けると、いただきますと言ってそれを口にした。しかし、その視線は茜に向けている。
味がどうなのか気になって仕方がないのだ。
「美味いな。」
「ほ、ほんと?」
「コーヤは教えたことをちゃんと覚えてくれるから助かる」
「え、えっと、教え・・・・・」
今の茜の言葉を頭の中で理解しようとするが、少し言い回しが難しかったので良く分からなかった。それでも、その眼差しや声の調
子から悪いことを言われてのではないことは感じる。
「コーヤ、話があるんだが」
そんな時、不意に茜が改まったように言いだした。
![]()
![]()
![]()