竜の王様2
竜の番い
第一章 新たなる竜
21
※ここでの『』の言葉は日本語です
腕の中にいる女の恰好をした人物が本当にコーヤなのかどうか、自慢ではないが蘇芳は一瞬見ただけで直ぐに確信出来た。
外見をどんなに装うとも、あの夜空を凝縮したような綺麗な黒い瞳は隠しようもなく、その目で真っ直ぐに見つめられただけで蘇芳は
自身の身体が熱く燃え上がるのが分かった。
「・・・・・よく、戻ってきてくれた・・・・・っ」
「スオー」
「・・・・・っ」
人間のコーヤにとって、この竜人界に再び戻ってくる義理などまったくないはずだった。あの帰りは確かに突然のものだったが、それで
もあのまま人間界に留まり、二度と姿を見せないという方が可能性としては大きかった。
心の中ではその覚悟をしていたものの、口に出すのは嫌だった。先読みでも、コーヤの気配が視えたのだからと縋るような思いをして
いたが・・・・・本当にこうやって自身の目の前に立っているコーヤを見るまで、蘇芳は自分の願いが叶えられたのだと信じることが出来
なかった。
もっと、冷静にコーヤに対したいと思っていたのに、いざこうして目の前にすると情けなくも涙ぐんでしまう。
そんな自分を見せたくなくて、蘇芳はしばらくコーヤを抱きしめたまま動くことが出来なかった。
「・・・・・スオー」
「・・・・・」
「スオー、ねえ」
「・・・・・」
(・・・・・今?)
コーヤの温もりを感じていた蘇芳は、ふと違和感に気がついた。
それを確かめるために拘束していた腕を緩め、そのままコーヤの顔を覗き込む。
「コーヤ、お前・・・・・」
「スオー、ごめん。俺、すぐ戻らなかった」
「・・・・・」
やっぱりと、蘇芳はらしくも無く目を見張ってしまった。
ここには江幻の緋玉がないというのに、蘇芳はコーヤの言葉が分かるし、どうやらコーヤもこちらの反応が分かっているようだ。
「お前、俺の言葉が分かるんだな?」
「ゆ、ゆっくり話して。だいたい、分かる」
「お前、いったい・・・・・いや」
コーヤに聞きたいことは数多くあったが、何時までも誰かに見られる可能性のある廊下で話すのは危険だ。
そうでなくても、先ほどの言葉だけで常盤が引き下がったままでいてくれるかどうか、もしかしたらもう一度ここに戻ってくる可能性も考え
られて、蘇芳はコーヤの背中を押して部屋の中へと入り込んだ。
「おい、色々と質問には答えてもらうぞ」
もちろん、その一言を忘れることはなかった。
目の前のスオーは、別れた時とあまり変わらない。
いや、少し痩せたかなとは思うが、まだ別れてひと月ほどしか経っていないのだ、そう容姿が変わることはないのだろう。
ただし、凄く不機嫌そうな様子は分かる。なかなか会いに行かなかった自分を怒っているのかもしれない。
(で、でも、俺だって色々心の準備があったんだし・・・・・)
「じゃあ、お前がこっちの世界に戻ってきてから茜という男とずっと一緒だったというのは本当なんだな?」
「う、うん」
まだたどたどしい自分の言葉でどれだけ伝えることが出来ただろうかと心配だったが、さすがにスオーは頭の回転が速く、所々聞きな
おしてくれたりもして、大体のことは把握してくれたようだ。
「・・・・・ったく」
「・・・・・」
「どうして直ぐに俺達を訪ねなかった?俺達がどんな思いで・・・・・」
「ご、ごめん、さい」
眉を顰め、鋭い舌打ちをしながら吐き出されるスオーの言葉に、申し訳なさと怖さも相まってどもりながら答えると、ちらっと視線を向
けてきたスオーが溜め息をついてから悪かったと謝ってきた。
「そんなことを言っても、お前にはその方法さえなかったんだよな」
「ス、スオー」
「・・・・・一応、あの男に感謝しておかないといけないか」
諦めたようなスオーの言葉に引っ掛かり、昂也は思わず聞き返す。
「あ、あの男って、スオー、茜と会った?」
「・・・・・会った」
「どこにいたっ?」
茜が無事だということにホッとし、自分の側にいてくれたことが嬉しく、その上こうやってスオーまで呼んでくれた礼を何とかして伝えたい
と思った。
だが、スオーは急きこむように訊ねた昂也を目を眇めて見つめ返してくる。
「お前、その男をどう思ってるんだ?」
「どうって、茜はいーひと」
何も分からない自分を保護し、今まで世話をしてくれた相手だ。
優しくて、頼りになって、ちゃんと叱ってくれる大切な相手。
「・・・・・俺はな、コーヤ、面白くないんだ」
「え?」
「お前が俺以外の男を頼ったこと。そして、その男を俺の前で心配していること。コーヤ、まさかと思うが、お前あの男を好きだって言
わないよな?」
「え・・・・・好きだけど?」
嫌いなはずがないと首をかしげながらも言うと、スオーは額に片手を当てては〜っと大きな溜め息をついた。
なんだかぐっと疲れた様子が見えるが、何がスオーをそうさせているのかまったく分からない。ただ、このままでいいとも思えなくて、昂也
は焦って言葉を継いだ。
「あ、茜だけじゃないっ、スオーもコーゲンも好き!」
「・・・・・馬鹿。そんな言葉を気軽に言うな」
どうやら、その言葉は失敗だったらしい。
長い足と腕を組み、じろりと睨まれて、昂也は無意識のうちに首を竦めてしまった。
コーヤと茜という男の関係を考えれば考えるほど面白くないが、あの男がコーヤの今の居場所を教えてくれたのは事実だ。
それに、目の前のコーヤの格好を見れば茜の言っていた現状も嘘だとは思えず、この対応策をこれから考えなければならない。
(まったく、せっかく戻ってきたというのに・・・・・)
こんな場面で再会するなど、想像もしていなかった。
「俺はコーヤの側にいてやれない。頼む、お前の力を貸してやってくれっ」
別れ際、そう言って頭を下げた茜。
もしも本当にそれがコーヤならば頼まれなくても守ってみせると思ったが、事態は結構複雑だ。自分1人でも解決できないことはない
が、少々力技になってしまうし、そうなると後々コーヤに災難が降りかからないとも限らない。
ここは、変に頭の回るあの男にも出てもらうしかないと、蘇芳はコーヤに待っているようにと言い含めていったん屋敷から出た。
「コーヤがここに?」
「ああ」
「・・・・・」
江幻はそう言ったきり黙りこみ、目を閉じてしまった。
「・・・・・だが、コーヤの気はここにはないようだけど」
「茜っていう男が細工をしたようだ。気を散らす香袋を持たせているらしい」
「へえ。どういう男なんだ?」
「・・・・・腹が立つ男だ」
思いのまま苦々しく言えば、江幻はその口調だけでも何かを感じ取ったのか苦笑する。
しかし、次の瞬間には立ち上がり、さあと蘇芳を振り返った。
「早くコーヤの元に案内してもらおうかな。私も彼に飢えているんだよ」
とてもそんな風には見えないが、江幻がコーヤのことを心配していたのは確かだ。言い方は多少面白くないが、蘇芳はああと頷いて
足を進めた。
「コーゲンッ?」
「コーヤ」
蘇芳の言葉を嘘だとは思わなかったが、この目でその姿を確認するまでは甘い希望を抱かないでおこうと思っていた。
だからこそ、江幻は蘇芳に案内されたその部屋の中で心許無さげに椅子に座っているコーヤの姿を見た時、自身でも分かるほどに
顔が笑み崩れてしまった。
「よく、無事で」
「コーゲンもいたんだっ?」
椅子から飛び上がるように立ち上がったコーヤが、自分のもとへと駆け寄ってこようとする。
しかし、
「うわっ!」
女物の衣の長い裾を踏んでしまったのか、そのまま顔から倒れてしまいそうになるのをとっさに手を伸ばして抱きとめた。
自分の後ろにいた蘇芳は一歩及ばなくて、悔しそうに唸っているのがおかしい。
(本当に、戻ってきてくれたのか・・・・・)
コーヤを挟んだ自分と蘇芳の心地良い関係が戻ってきたようで、江幻は笑いながらそのままコーヤを抱きしめた。
「無事で良かった」
「コ、コーゲン」
「今まで大変だったね」
労うようにポンポンと頭を撫でてやると、コーヤは自分からも抱きついてくれる。
「ううん、みんないー人だった。俺、いっぱい助けてもらったし」
「・・・・・」
(言葉も、かなり覚えたようだ)
少々子供っぽい発音だが、コーヤの言葉はちゃんと理解出来る。
この世界からいなくなり、そして再び戻ってきてそれ程時間は経っていないはずなのに、ここまで努力したコーヤを素直に偉いと思う。
きっと、どれ程不安で、心細い思いをしたか。蘇芳は愛しい少年の身体をさらに抱きしめた。
「おい」
しかし、そんな幸せな時間は、不機嫌な男の一言で終わる。
蘇芳が実力行使に出る前に、江幻はコーヤを腕の中から解放して、改めてその正面に立った。
「蘇芳に話したと思うけど、私にももう一度説明してくれるね?言い漏らしたことがあるかもしれない」
「う、うん」
スオーとコーゲン。
頼もしい2人がまるでヒーローのように目の前に現われてくれて、昂也は内心の興奮を抑えるのが大変だった。
この2人の力があればきっと何とかなる。むしのいい話かもしれないが、呂槻の現状を救う手助けをしてもらえるかもしれない。
昂也はそんな思いを抱きながら、何とかもう一度今自分が置かれている立場を説明した。通訳が出来る緋玉を持つコーゲンがいれ
ばもっと簡単に会話が出来るが、自分が今までどんな生活をしてきたのか、実際に話をしてみた方が分かってもらえると思った。
所々、言葉に詰まり、何度も言いなおす場面があったが、それでも昂也は先ほどスオーに簡単に説明したよりももっと詳しく、自分
と茜の関係、そして呂槻の姫の身代わりになった経緯を、出来るだけ詳しく説明した。
「それは、大変だったね」
茜のことを話して直ぐに不機嫌になったスオーとは違い、コーゲンは昂也の今までを労ってくれた。
「ううん、俺、茜にめーわくばっかり」
「でも、その茜という男も、コーヤの気持ちを酌んで手を貸してくれたんだろう?迷惑を掛けてすまないというより、力を貸してくれてあ
りがとうと思っていた方がいいんじゃないかな」
「コーゲン・・・・・」
ゆっくりと、穏やかに話すコーゲンの言葉はすんなりと心の中に届く。
(感謝の気持ち・・・・・)
「それで、コーヤ、私達も今回のことに手を貸してもいい?」
「手、かしてくれる?」
「当たり前だろう。あの男ばかりにいい顔をされたくない」
答えたのはスオーだ。
「蘇芳、お前は感情に走り過ぎ」
そんなスオーに苦笑しながら一喝したコーゲンは、もう一度真っ直ぐに昂也に視線を向けてくれる。
「コーヤ、私達は何時でも君の味方をしたいと思っている。だから・・・・・会わせてくれないかな?呂槻から同行してきたヤマブキとい
う男に」
「ヤマブキに?」
「仲間になる相手の真意は知っておきたいからね」
コーゲンの笑みに、昂也はおされるようにコクコクと頷いた。
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