竜の王様2

竜の番い





第一章 
新たなる竜



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 「戻られたか」
 白鳴は空を見上げて呟いた。
凄まじい気が近付いてきたと思って見上げた先に見えたのは、金色を帯びた赤い鱗と、赤い目を持つ雄々しい竜。どんな竜よりも抜
きんでて大きく、圧倒的な気を放つそれは竜王となる者が持つ気に違いなかった。
 「誰かおらぬか」
 白鳴が呼ぶと、しばらくして数人の召使いと衛兵が姿を現す。
 「紅蓮様のお帰りだ。正門を開けてお迎えするように」
 「はっ」
いっせいに動きだす衛兵と召使達を見送った後、白鳴は再び歩き出した。

 紅蓮は数日前、東の都、真紫呂(ましろ)に向かった。
一部の町で王族に対する不信感が高まり、暴動が起こるかもしれないという報告があったからだ。
 白鳴は最初自らか、もしくは黒蓉を遣いに出した方がいいと進言したが、どうしても現状を己の目で見、耳で聞きたいと言い、紅
蓮は竜に変化して真紫呂へと出向いた。
 供も連れて行かなかった視察。どういう話になったのかも、まだ白鳴は知らない。
それでも、白鳴は紅蓮はきっと民の気を鎮めてきたと信じている。今の紅蓮は権力や能力を使わなくても、王としての言葉や態度で
相手を従わせるものを持っていた。
 そして、白鳴の心情としても、真紫呂の問題が大きくならないようにと願う。
紫苑の処分のこと、姿を現さないコーヤのこと、王位継承式のこと。紅蓮を悩ませる問題はまだまだ山積していた。

 白鳴が出迎えに行くと、既に紅蓮は執務室に向かったと告げられる。
急ぎそちらへと足を向け、失礼しますと声を掛けて扉を開けた。
 「紅蓮様」
 「白鳴」
 椅子に座り、何やら書き事をしていた紅蓮が顔を上げる。
 「留守中、問題は?」
 「何もございませんでした。無事のお帰り、安心致しました」
 「我が竜人界を見回るのに何の不安がある?どの土地も、民も、私にとっては大切なものだ」
そう言った紅蓮は、一度大きく息をついた。




 紅蓮が最後に真紫呂に行ったのはどのくらい前だっただろうか。
まだ先王が元気な頃で、紅蓮自身、己が王になることは自覚していても、それはもっと先のことだと思っていた。
 その時はまだ民は強い王である父を尊敬し、一つにまとまっていたと思うが、先日久し振りに訪れた真紫呂の都はどこか紅蓮によ
そよそしい感じがした。
面と向かって敵意をぶつけられたわけではない。
それでも、自分の都は自分達で守るんだと、まるで王など必要ないと宣言されたような気がした。
 「・・・・・白鳴、私は自分の力不足を痛感している」
 「紅蓮様」
 「やり方はけして正しくはなかったが、聖樹・・・・・叔父上が私に王位を継がせたくないと思ってしまったのも、まったく考えられないこ
とではなかったかもしれない」
 「なにを仰られるのですっ。たとえ今ここにいるのが私1人だとしても、今のようなご発言は絶対にすべきではありません」
 やんわりと諭されるかもしれないと思った予想とは裏腹に、白鳴は強い調子で諌めてきた。
紅蓮はまじまじとその顔を見つめた後、少しだけ口角を上げる。白鳴がどれ程親身に己のことを考えてくれているのか、今の言葉で
痛いほど伝わってきた。
 頼りない主君だという自覚はあるが、それを支えてくれる有能な臣下は大勢いる。
この白鳴も、そして、黒蓉、浅緋、蒼樹・・・・・。
 「白鳴」
 「はい」
 「紫苑の処分だが」
 「・・・・・はい」
 白鳴の声に緊張が走った。
 「私が決めたことに異論はないな?」
 「・・・・・はい。その結論は、紅蓮様が熟慮した上で出されたものだと理解しております」
 「分かった。・・・・・紫苑の元に参るぞ」
立ち上がった紅蓮に、白鳴は珍しく焦ったようだ。
 「今戻られたばかりだというのにですか?」
 「早い方が良い」
 自身に決断力がなかったせいで、こんなにも時間を掛けてしまった。
罰を考える自分も辛かったが、それ以上に裁決を待つ紫苑は生きた心地もしない毎日を送っていただろう。
(それも、今日決着をする)
 慇懃無礼な態度を取る真紫呂の都で、紅蓮は王という立場と一個人の立場をずっと考えていた。この数日の視察があったからこ
そ、今の決断が出来たのかもしれない。
(紫苑・・・・・)




 「今日はとてもいい日和です。紫苑様、少し風に当たられますか?」
 江紫の言葉に、紫苑はゆっくりと首を左右に振った。
 「紅紫、このような厚遇を受けていても私は罪人なのですよ。自由に動くことなど許されるはずもない」
きちんとした治療を施してもらい、ゆっくりと身体を休める場所を与えてもらって、紫苑はこれほどまでに丁寧に扱ってもらっていることが
申し訳なくて仕方がなかった。
 もう寝台から起き上がり、立って歩くことも出来るので、出来れば地下牢へと移して欲しい、いや、それよりも一刻も早く罰を与えて
欲しいと日々考える。
(他の者達は、いったいどうなっているだろうか・・・・・)
 聖樹の偏った考えを知らず、ただ竜人界を良くしたいという改革の精神のために反乱を起こした者達・・・・・琥珀(こはく)や浅葱
(あさぎ)を含めた反乱軍の者達はいったいどうなっているだろうか。
 「紅紫」
 「はい」
 それを訊ねようとした時だった。
 「失礼する」
 「白鳴様っ?」
何の前触れも無く扉が開いたかと思うと、その向こうに白鳴の姿が現われた。
驚きは、なかった。むしろ時間を貰ったくらいだと思いながら、紫苑はゆっくりと寝台から立ち上がる。
 「紫苑」
 「処遇が決まったのですね」
 「・・・・・そうだ」
 「し、紫苑様っ」
 「紅紫、ありがとう。お前は下がっていなさい」
 かつて師と仰いだ者が落ちぶれて行くさまを見せてしまうのは酷だろう。
そんな紫苑の思いを汲み取ったのか、紅紫は一瞬泣きそうに顔を歪めたが、それでも反論せずに深く一礼した後、白鳴の脇を通って
部屋から出て行こうとした。
 「ぐ、紅蓮様っ!」
 外を向いた瞬間に聞こえてきた紅紫の動揺した声。しかし、紫苑は当然かと凪いだ気持ちでいる。
 「・・・・・」
(一緒にいらしたのか)
じっと視線を扉に向けていると、そこから現われたのはかつて君主と仰いだ紅蓮だった。

 真っ直ぐにこちらを見ながら歩み寄ってくる紅蓮の瞳には、まったく迷った様子は見えない。彼の中ですでに全てに決着がついている
ようだと悟った紫苑は、その場に両膝を着いた。
 「病み上がりだ、椅子に腰掛けるが良い」
 「いいえ、罰を受ける身で頭を上げるようなことは出来ません」
 「・・・・・そうか」
 伏せた視界の中に、紅蓮の靴先が見える。
 「紫苑、お前の罰を伝えに来た」
 「・・・・・わざわざお足を運んでくださって申し訳ありません」
役人への伝達でも十分だというのに、こうして紅蓮自らやってきたことが紫苑への情けだろう。その気持ちが嬉しくて、紫苑は深く頭を
垂れた。
 「覚悟は出来ております」




 目の前で両膝を着き、頭を下げながら淡々と言う紫苑の声には少しの動揺も感じられない。
こうして実際に罰を言い渡される前に、いや、もしかしたら王家に背くことを考えた瞬間から、こうなることを覚悟していたのかもしれな
い。
 思慮深く、知識も豊富な紫苑。そしてあの戦いの中では想像以上の大きな能力を持っていたことも知った。
幼い頃からいずれは王となる己の側近として常に側においていたというのに、何も知らなかったことが悔しくて・・・・・悲しかった。
(だからこそ・・・・・もう、間違えはしない)
 自分にとって何が大切なのか。
目に見えるものだけを信じず、そのもっと奥まで理解したつもりだ。
 「紫苑」
 「はい」
 「先だての反乱の首謀者、聖樹に与したお前の罪は重い」
 今、こんなふうに紫苑を断罪する立場にあるものの、自らに責任がなかったとは言わない。
聖樹の抱える闇を払うことが出来なかった父も、民の声よりも王座を得るだけに邁進していた自分も、きっと大きな罪を背負っている
はずだ。
 「・・・・・はい」
 「お前は神官長として責任のある立場であったにもかかわらず、その力を反乱に使用し、我が兵士達に多大な被害をもたらした。
幸いにも命を落とした者はいないが、後々まで傷が残る者もいる」
 それでも、けじめとして、この言葉を告げなければならない。
 「神官長としての位を剥奪すると共に、一介の兵士として我が手足となるように」
 「・・・・・っ」
弾かれたように紫苑が顔を上げた。珍しく動揺が表情に表れていて、こんな場面だというのに紅蓮は久し振りに見ることが出来た紫
苑の素の表情がとても嬉しかった。
 「紅蓮様、私に死罪を申し付けてくださるのではないのですかっ?」
 「・・・・・死をもって、自らが安らぐつもりならば許さぬ」
 「・・・・・!」
 「一度反乱を起こした者が再び王家に仕えるというのは、その者にとっても辛く、困難の多いものとなるだろう。だからこそ、紫苑、お
前には一番厳しい罰としてこのまま生き長らえ、私の側にいることを命ずる」
 きっぱりと言い切った紅蓮は、その場に片膝を着いて紫苑と目線を合わす。
 「・・・・・甘いと、腹の中で嘲笑っても構わない。私は・・・・・大切な者を失うことが耐えられないんだ」
 「紅蓮様・・・・・」
紫苑は名前を呼んだきり、何か傷みに耐えるかのように目を閉じた。

 己の言葉が紫苑にどういった影響を及ぼすのか、紅蓮はこの目でちゃんと見届けなくてはならない。
(お前が受け入れられないと思っても、私はこのままお前を手放すことは出来ない)
死罪や追放が、紫苑の望む刑罰だと分かっていた。そうした方が、きっと紫苑も心安らかに刑罰を受け入れていただろう。
 「怖いか、紫苑」
 「・・・・・」
 「紫苑」
 「・・・・・恐ろしいです。私のようなものが、再びあなたの側にいることが・・・・・」
 微かな声でそう答える紫苑の気持ちは良く分かる。
一度裏切った者を王宮の中の者達は簡単に受け入れるかどうかは疑問だ。もともと神官長である紫苑は軍の方にはあまり通じてお
らず、どこか浮世離れした存在として見られていた。
 そんな彼が王族に対して反乱を起こしたことだけでも驚愕が走ったが、位を剥奪されても再び王宮にとどまっているということに対し、
不審を抱くものも少なからずいるはずだ。
 畏怖と、疑念。
そんな目を向けられることが分かっていても、紅蓮は紫苑が側にいることを望む。
 「お前が再び忠誠を誓ってくれるよう、私は立派な竜王になってみせる。だから、紫苑、どうか私を・・・・・もう一度信じて支えてはく
れないか」
 「・・・・・っ」
 微かな息が漏れる音と共に、床に雫が落ちるのが分かった。
 「紫苑」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・勿体無い・・・・・お言葉・・・・・っ」
それ以上言葉が続かないのか、俯いた紫苑は顔を上げないまま黙り込む。それでも紅蓮は、それが紫苑の受諾だと思えた。