竜の王様2

竜の番い





第一章 
新たなる竜



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 茜はゆっくりと夜が明けていく空を見上げた。
 「・・・・・今日、か」
何も問題が無ければ、今日が常盤と呂槻の姫、瑠璃の結婚式だ。山吹からも中止になったという連絡はなく、どうやら当初の予定
通りに執り行われるらしい。
 今、この時、コーヤがどうしているだろうかと心配でならないが、茜自身今更常盤の城に忍び込むのは至難の技で、今はただ山吹
からの連絡を待つしかなかった。
 いや、もう一つ・・・・・。
(あの男・・・・・)
コーヤと知り合いだという蘇芳という先読みが上手く事を運んでくれたらと思う。誰かの力を借りることしか出来ないという現状がとて
ももどかしく、茜は焦燥にかられていた。

 城には入り込めないが、それでも少しでも早く動ける位置にいなければと思い、茜は全身で警戒しながら城へと向かう。
途中、そこかしこで今日の結婚式の噂を耳にした。
 彩加と呂槻の関係が今以上に強固になると喜ぶ者と、幼いらしい少女のこの先の運命を憂う者。さらには、常盤の手腕を褒め称
え、いずれは竜王の側近になるものと息まく者など、反応は様々のようだ。
(・・・・・本当に、外面だけはいい)
 茜は眉を顰めながら足を進める。茜自身、常盤のことをすべて知っているというわけではないが、それでも少しでもあの男と共にい
れば、その得体のしれない気を感じ取るはずだ。
自分達の町が繁栄しているからといって、その支配者に対して盲目的な信頼を預けるのは・・・・・。
 「茜」
 「・・・・・っ」
 少しの間自身の思考に浸っていた茜は、突然名前を呼ばれてハッと顔を上げる。
そこにいたのは、数日前にその名を知った蘇芳だった。
 「どうして・・・・・」
 今日は常盤と瑠璃の、いや、瑠璃の身代わりとなっているはずのコーヤの結婚式だ。そんな大切な日にどうしてコーヤの側にいて
やらないと、茜は無意識のうちに蘇芳を睨みつけた。
 「こんな所で何をしている?」
 「それはこっちが言いたい」
 初対面の時のふてぶてしさはまったく変わらないまま、蘇芳は目を眇めてこちらを見ている。
 「・・・・・こんな腰抜けをコーヤが信頼しているなんて信じられないがな」
 「・・・・・コーヤが?」
 「あいつはお前のことを心配している。茜、自分の身が可愛いならこのままこの場から引き返せ、あいつには俺達が付いている。だ
が、自らもあいつのことを守りたいと思うのなら、俺と一緒に城に向かうぞ」
あまりにも不遜な物言いだったが、その言葉自体は茜の胸を突き刺すほどに鋭い言葉だった。
面倒なことは避けたくて、以前のような思いはしたく無くて常盤との直接の接触を避けたものの、今の茜の心はコーヤのことが心配で
ならない。それは、多分このままこの場から立ち去れば、もっと大きな心の枷となるだろう。
 「どうする、茜」
 「・・・・・」
 茜は手を握り締めた。
 「・・・・・今、コーヤは・・・・・」
 「結婚式の準備をしている」
 「・・・・・」
 「一見の価値はあると思うぞ、きっととても愛らしい花嫁のはずだ」
なぜか、面白そうに言う蘇芳は、この状況においても心の余裕があるようだ。
 「・・・・・」
 茜は、自身の口元が自然に緩んでくるのを感じる。
たった1人で立ち向かうと思っていた状況から、こんなにも不敵な同行者がいるのだ。
 「連れて行ってくれ」
 今、コーヤはどんな思いであの城の中にいるのだろう。気持ちが固まれば早くその顔を見たくて、茜は目の前の蘇芳の腕を掴んで
歩き始めた。




 「うん、可愛い」
 「・・・・・」
 「ほら、にっこりと笑ってくれないか、コーヤ。布を被って顔が見えなくなる前に、せっかくの花嫁姿を堪能させて欲しいな」
 「・・・・・笑えない、コーゲン」
 昂也はムスッと口元を引き結んでコーゲンを睨んだ。
とうとう、結婚式の当日になり、昂也自身は朝から花嫁支度に大忙しだった。
どうやらカイハクが準備を手伝うための召使いを寄越すと申し出てくれたらしいが、ヤマブキがきっぱりと断ってしまったようだ。
 だが、そうなってしまうと無骨なヤマブキ以下、花嫁支度が出来る者など皆無で、なぜか嬉々として立候補してくれたコーゲンが慣
れた(?)手付きであっというまに花嫁を1人作りあげてくれた。
 鏡が手許に無いので自分がどんなふうに変わったのか分からないが、コーゲンだけでなくヤマブキまで称賛してくれるくらいの出来
にはなっているようで・・・・・なんだかすごく情けない気分になった。
 「俺・・・・・女じゃない」
 「分かっているよ」
 「・・・・・」
 「でも、私は可愛いものは可愛いと言う正直者だから」
 きっぱりと言い切るコーゲンには何を言っても無駄なような気がする。昂也はハァと溜め息をつくと、そのまま自分の恰好を見下ろし
た。
呂槻の長が娘のためにと用意しただろう衣装。真っ白で手触りの良いその衣を本来着るべき姫は、いまだ呂槻の領土内にいる。
(少しは落ち着いたかな・・・・・)
自分の運命が変わってしまったことをどう思っているだろうか。
思いつめなければいいのにと思いながら、昂也は改めて目の前のコーゲンに言った。
 「俺、だまって立ってるだけでいー?」
 「ああ、後は私達に任せてくれたらいい」
 「・・・・・だいじょぶ?」
 「私が信じられない?」
 信じるかどうか。そう言われたら信じると頷く。それくらいには、昂也はコーゲンを信頼していた。
 「さあ、ここに座って」
 「うん」
椅子に腰かけると、昂也は頭から透ける布をかぶせられる。それを何十も器用に顔に巻かれ、やがて目だけを残した顔全体が布で
覆われた。
 「蘇芳はきっと悔しがっているだろうね。自分が見る前にどうして隠してしまったのかって」
 「・・・・・」
 昂也としては、自分のみっともない女装姿を見る者が1人でも少ない方がいい。
 「コーヤ」
 「え?」
不意に、コーゲンが名前を呼んだ。その声は今までからかっていたものとはまるで違う、思いがけず真剣な響きを伴っていた。
 「心配はしなくていい。コーヤのことは私達が守るし、呂槻のことも・・・・・」
 「うん」
心配はしていない。コーゲンとスオーが大丈夫だと言えば、きっとすべてが上手くいくと信じられた。

 コーゲンに支度を整えてもらった昂也が部屋から出ると、そこには硬い表情のヤマブキが立っていた。
 「・・・・・コーヤ」
ヤマブキは一瞬驚いたような響きの声で名前を呼んできたが、直ぐに表情を改めて深く頭を下げる。
 「本当に・・・・・申し訳ない」
 「ヤマブキ・・・・・」
 「今・・・・・こんなことを言う資格はないのかもしれないが、コーヤ、お前のことは絶対に守ってみせる」
 きっぱりと言い切るヤマブキは、この状況に相当責任を感じているように思える。もちろん、彼の熱意に押されたということもあるが、
納得し、この場に立っているのは自分の意思だ。
(ヤマブキの責任だけじゃない)
 「俺、がんばるから」
 何の力もなく、自分はこの世界では子供以上に頼りない存在かもしれないが、それでもここまできたら腹をくくるしかない。
(絶対にバレないようにしないと!)
初めて会った時、先入観があったかもしれないが、常盤に感じたのは得体のしれない恐怖だった。見掛けだけで人格を決めつけたく
はないが、そう思っていても感じてしまうものは消せない。
 そんな相手に自分はどこまで秘密を持ち続けられるかと思いながら、昂也は一度大きく深呼吸をした後出来るだけしっかりとした足
取りで歩き始めた。




 「こっちだ」
 今日の結婚式のために、城の兵士や召使いはかなりの数手を取られていた。
いくら常盤が結婚式自体に興味が無くても、都の長と、最大の町の長の娘が結婚をするのだ、それなりのことをしなければならない
らしい。
 「ああ、気配を悟られないようにしていろよ」
 「もちろんだ」
 しっかりと答えた茜は、その通り完全に自分の気というものを消していた。
初めて会った時もなかなか気配を探ることが出来ないと思っていたが、本当にこの男は見掛けに寄らず高い気の持ち主だ。
(・・・・・ったく、江幻の奴。どうして俺が迎えの役目に・・・・・)
 今日の結婚式をどうやり過ごすか。
ずっと話し合い、その中でコーヤが何度も口に出した茜の力も借りることになった。それには反対はしないものの、どうして自分が迎
えに行かなくてはならなかったのかと少々不満があった。今頃江幻はコーヤの可愛らしい花嫁姿を堪能しているに違いない。
 「・・・・・なんだか、段々腹が立つな」
 「蘇芳?」
 「こっちの話だ」
 他の男のために装う姿など見たくないと言った手前、断ることが出来なかったのは自業自得だ。
今更グダグダ言っていると呆れられるのも悔しい。
 「城の中は知っているか?」
 「少し。俺もここに来るのは数度だ」
頼りないその言葉に、蘇芳は足を止めて振り返った。
 「じゃあ、今から言うことを頭に叩き込めよ」




 ヤマブキに手を取られ、昂也は真新しい屋敷から足を踏み出す。
そこにはカイハクを始めとする十数人の召使いと、それと同じくらいの兵士が既に待ち構えており、姿を現した昂也達に向かって恭し
く頭を下げてきた。
 「瑠璃様、このたびは常盤様との御成婚、おめでとうございます」
 いっせいに頭を下げられ、コーヤは戸惑いながらも軽く頭を下げて見せる。
まだちゃんとした式を上げていないので、声を出さないとしてもなんらおかしいことはないはずだ。
 「とても初々しく、可愛らしい花嫁様ですね。常盤様もさぞかしお喜びになるでしょう」
 「・・・・・」
(ほ、褒め言葉なのか?)
 言葉自体を聞けば良い意味だし、実際に言っているカイハクの表情も柔らかなのだが・・・・・どうしても疑いを持って聞いてしまう。
無理矢理花嫁として迎える少女を、本当に心から喜んで迎えてくれるのだろうか?
 「・・・・・江幻殿もいらしていたんですか」
 そんな中、灰白が直ぐ側にいたコーゲンに視線を向けた。
本来、呂槻とはまったく関係の無いコーゲンが、この場にいること自体が不思議だったのかもしれない。いや、向けられる眼差しはと
ても鋭くて、昂也は自分の方が緊張してしまった。
 「今回の式では一応立会人を任されているので、花嫁のことを一つでも知っておきたいと思うのはおかしいことではないでしょう?」
 「・・・・・」
 「ご心配なく、私が言葉を交わしたのは山吹殿ですよ、ねえ?」
 「いかにも」
 厳つい表情のまま、堅苦しく応えるヤマブキを見るととても嘘を言っているようには思えないだろう。
どうやらカイハクも多少釈然としないところもあるようだったが、それでも軽く頷き、もう一度昂也に視線を向けてきた。
 「それでは、これから大広間の方へご案内します」
 「・・・・・」
 「瑠璃様」
 そう言って、カイハクが手を伸ばしてくる。どうやら自分が連れていくということらしい。
手に触れられたら、柔らかな少女のものではないと知られてしまうと焦った昂也は、今手を取ってくれているヤマブキのそれをさらに力
を込めて握った。
 「・・・・・いや、瑠璃様は私が」
 「山吹殿」
 「貴殿は先導してくれるだけでいい」
 昂也の意図に気づいてくれたヤマブキは、そう言ってカイハクを促す。
しばらく、読めない視線を向けてきたカイハクは、それではと一礼してから背を向けた。