竜の王様2

竜の番い





第一章 
新たなる竜



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 新しい妃用にと作られた屋敷からこの地の長、トキワが暮らす大きな城へと、ヤマブキに手を取られながら昂也はゆっくりと歩を進
めた。あまりに急ぎ過ぎると、長い衣装を踏んで躓いてしまいそうだからだ。
(・・・・・大きいな)
 初めて城の敷地内に入った時は相当緊張していたので周りを見る余裕もなかったが、コーゲンたちとの再会によって昂也の胸の
中にはかなりの余裕が出来た。
もちろん、油断してバレてしまわないように気を張っていなければならないと思うが、それでも少し復活してきた好奇心でこっそりと周
りを見つめる。
 城の内部は王宮と同じほのかに光る石で出来ているようだが、一番偉いはずのグレンが住んでいたあの城は、どこか厳かで余所
者を排除するかのような冷たさがあったが、ここはそれよりもかなり華やかだ。
 貴重らしい花々も飾られているし(今日が結婚式だからかもしれないが)、頭を下げて自分達を迎えてくれている召使い達の服も
随分飾りがついている。
(ここの人たちは、今回の結婚式をちゃんと祝ってくれているのかな・・・・・)
 本当にここにいるのがあの少女だとしたら、心から受け入れてもらえただろうか。
 「瑠璃様?」
 昂也の視線が一点に向かっていることにいち早く気付いたらしいヤマブキが、気遣わしげに声を掛けてくれた。
心配をさせたくなくて、昂也は慌てて首を横に振る。
(大丈夫)
 声も出せず、口元も隠しているので自分の思いを直接伝えることが出来ないが、昂也は再びヤマブキの手を握り締め、軽く頷い
てみせる。
その行動に、ヤマブキの厳つい顔がホッと緩むのが分かった。
 「・・・・・瑠璃様が御暮らしになられていた呂槻と、さほど変わった暮らしではないと思いますが」
 「・・・・・」
そこに、カイハクが割り込んできた。
一瞬、声を出して訊ねようとした昂也は、慌てて口を引き結び、頷くことで返事の代わりにした。
 「・・・・・瑠璃様はまだお若いですが、しきたりを重んじる方なのですね」
 「・・・・・」
 「私はあなたがここにいらしてから、まだ一度もそのお声を聞かせていただいていない」
 「・・・・・っ」
 言葉自体はとても柔らかいのだが、何だかその意味を深読みしてしまいそうだ。いや、頭の良さそうなこの男は、必死に隠そうとし
ている秘密の何らかの兆候を感じ取っているのかもしれない。
(お、俺、どこかで失敗、した?)
 どうしようかと焦る昂也に、
 「それは致し方ありません、灰白殿」
力強い味方の声が聞こえた。
 「まだお若い姫様にとって、今回の御結婚は多くのものを背負い過ぎています。緊張されて声も出ないというのもおかしなことでは
ありませんよ」
 「・・・・・」
(コーゲン、ナイスホローッ!)




 灰白の眼差しがコーヤから自分に向けられた。
それ自体は構わなかったが、この物事の裏をも見通そうとする眼差しはどうしたものか。
 「・・・・・この度は常盤様の特別なお計らいで結婚の立会人をしていただくことになりましたが、本来あなたはただの客人だというこ
とをお忘れなきよう」
 「・・・・・もちろんです」
 江幻は口ごたえをせず、やんわりと受け止めた。
その対応が更に不審を招いてしまったのか、灰白の眼差しはなかなか自分から逸らされない。
(・・・・・ほんとうに、勘が良い)
 コーヤの身代わりは今の時点ではバレていないはずだ。
しかし、何か隠していることがある・・・・・それは感じているのだろう。だが、ここで自分から話を続けるつもりはなく、江幻はただじっと
灰白を見返す。
すると、しばらくして灰白の目元が緩んだ。
(ん・・・・・?)
 「あなたは変わった目をしていらっしゃる」
 「目、ですか?」
 普通の竜人たちよりも明らかに違う容姿。それがどんな血筋からか、目の前のこの男は分かっている。
それでも決定的なことを言わないのは常盤によって・・・・・この彩加にとって得なのかどうか、その算段をしているからに違いない。
 江幻は笑みを浮かべた。
ここで、焦ってはならない。
 「あなただけではなく、蘇芳殿も。その色合いに何らかの意味はあるでしょうが・・・・・私のようなものが詮索をしない方がよろしい
ようだ」
まるで自分に合わせるように、灰白も笑みを向けてきた。
 「そういえば、蘇芳殿のお姿を見かけませんが・・・・・どちらにいかれたのでしょうか?」
 「さあ?私は彼の親ではないですし」
 「・・・・・なるほど」
 そこまで言った灰白は、ようやく歩みを再開した。その後を山吹に手を引かれたコーヤが戸惑ったように続いている。
先頭を行く灰白の背中をじっと見つめた江幻は、ようやくホッと息を吐き出した。
(まったく・・・・・頭の良い人間は困るな)
 気持ちを切り替えなければならない。この先には灰白よりも厄介な男、常盤がいるのだ。
どんなことをしても昂也の身代わりがバレにようにし、その後に無事にこの城から脱出させなければならない。




 大きなホールのような場所。
そこには十数人の着飾った一団がいて、妙ににこやかな表情をして昂也たちを出迎えた。
 「この方々は常盤様の側近です。今回は瑠璃様がまだお若く、呂槻の長が病床に臥せっておられるという事情も考慮し、今回
は結婚の承認式という形態を取らせていただきます。いずれ落ち着きましたら、瑠璃様に相応しい盛大な式を執り行う予定ですの
で」
 「・・・・・」
(わ、分からない)
 カイハクの口調は丁寧で声も聞き取りやすいのだが、言っている言葉は難しくて意味がよく分からない。
それでも、
 「それはこちらも承知している」
言葉短かなヤマブキの肯定に、どうやら困難なことを言われているわけではないらしい。
 「瑠璃様」
 そうこうしているうちに、呂槻からずっと同行してきてくれた人たちが外に追い出されてしまった。
この広い空間に味方はコーゲンとヤマブキしかいない。昂也がコクンと唾を飲み込むと、今自分達が入ってきた入口とは別の、奥の
大きな扉が開かれる。
 「・・・・・っ」
数人の、綺麗な男女に囲まれて姿を現したのはこの彩加の支配者、トキワだった。

 初めて見た時、整った容貌だと思っていた。
ただ、目の奥が少しも笑っていなくて、冷たい印象で、昂也は意識していなくても声が出なかった。
 今もその印象は変わっていないが、夜に姿を現した時とは違って随分着飾っている。煌びやかな宝飾も、幾重にも纏った微妙に
色彩の違う青い衣装も、彼の容貌には合っているもののどこか・・・・・怖かった。
 「常盤様」
 カイハクが恭しく頭を下げた。
 「手筈は?」
 「すべて整っております」
 「では、早速承認式を始めよう」
そう言ったトキワがゆっくりとこちらに近付いてくる。
(・・・・・怖・・・・・い)
 「本当に、美しい」
 「・・・・・っ」
 トキワが近付いてくるたびに、無意識に身体が逃げそうになる。そんな昂也の身体を支えてくれているのはヤマブキで、その近くで
コーゲンの気配も寄り添ってくれているのが分かった。
 本当は、このまま、この場所から逃げ出したいほどの恐怖を感じているが、情けないことに足が動かない。
 「瑠璃姫」
やがて、本当に間近に来たトキワが、ヤマブキの手から昂也の手を取った。
 「今日から、あなたは私の花嫁です」
 「・・・・・」
 「私が治める彩加と同様、あなたの故郷である呂槻も私が守ると誓いましょう」
 「・・・・・」
 「どうしました?もう、愛らしい声を聞かせてもらえませんか」
 式を挙げるまで、花婿である男以外に顔も声を見せない。
だが、式を挙げてしまったら?トキワのものとなった花嫁の顔も声も聞かせないという縛りはなくなってしまうのだ。
(こ、声は・・・・・)
 どう変えても、少女のようには話せない。
昂也は無意識のうちに自分の手を取っているトキワの手を握り締めてしまった。




 何の利害もなければ、こんな子供に丁寧に接する義理などない。
男も女も、自分が望めば簡単に身を投げ出す者は多く、わざわざ成熟していない子供に手を出すなど面倒なことはしたくなかった。
 ただ、先日の夜、少しだけ会って気持ちが変わった。
常盤のことを恐れているのは明らかに分かるのに、それでも足を踏ん張っている姿が新鮮に思えた。
あそこでただ泣き喚いていたならば、こんな承認式もしなかったかもしれない。
 「今日から、あなたは私の花嫁です」
 常盤のこの言葉で、自分達はもう夫婦だ。
 「どうしました?もう、愛らしい声を聞かせてもらえませんか」
いったい、どんな声を出すのだろうか。
怯えて、それでも精一杯虚勢を張って挨拶をしてくるだろうか。
 「・・・・・」
(さて・・・・・)
 相手の出方を待った常盤だが、瑠璃はなかなか声を出さなかった。そればかりか、幾重にも巻いた布で隠された顔を頑なに俯か
せている。
 顔の美醜など価値の一端でしかないが、仮にも妃となる相手だ、美しい方が望ましい。
触れた手の滑らかで瑞々しい感触ではその容貌も期待出来るかと思ったのだが、なかなか顔を上げないので顔立ちすらいまだ分か
らなかった。
(・・・・・まさか、私の顔を見たくないということではあるまい)
 いくら政治的な意味合いの強い結婚だったとしても、いずれは身も捧げなければならない相手だ。どんなに逃げようとしても無駄な
ことだと内心嘲笑いながら片手を伸ばした時だった。
 「常盤殿」
 今回の結婚式の立会人を頼んだ江幻が、すっと間に割り込んでくる。
 「式はどうしますか?」
 「どうとは?先程の私の言葉でもう済んだと思うが」
王都に出す婚姻届は既に用意されて、今日にでも能力者によって運ばせる手筈は整えていた。
 義父となる呂槻の長の体調不良ということもあり、何より他に気に掛かることのある常盤は今は盛大な式を挙げる気もなくて、本
来ならばもうこれですべて終えたはずだ。
 「3人目の妻を娶るそちらはともかく、初めての結婚がこれでは少々可哀想な気がしないでもないな」
 「・・・・・」
 唐突に聞こえてきた声に、常盤はゆっくりと視線を向ける。
今の今まで、まったく気配に気づかなかったことに驚き、同時に少し警戒を強めて口を開いた。
 「今頃姿を現したのか、蘇芳」
 「こう見えて忙しい身でしてね」
 「・・・・・」

 「捜し物は、東」
 「さあ。捜し物が何なのか分からないからな、俺が分かるのはここまで」

 そう、謎の言葉を残し、それ以上の説明をしなかった蘇芳。
有能な先読みだということは既に分かっているので、今回の言葉にもそれなりの信憑性があると思ったが、読めない男はそれ以上の
手の内を見せなかった。
 今の常盤にとっては、今回の結婚よりも大きな意味を持つことで、意識は目の前の花嫁から蘇芳へと完全に切り替わった。
常盤は形だけ瑠璃に向かって頭を下げる。
 「火急の用が入ってしまった。瑠璃とはまたゆっくりと時間をとって話そう」