竜の王様2

竜の番い





第一章 
新たなる竜



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 琥珀の口から常盤の名前が出てきた時、紅蓮は即座に違うと否定出来なかった。
それは、今の段階で琥珀が自分に臣下の謀反という虚言を言うとは思えなかったし、何よりも常盤自身がその可能性を感じさせる
男だったからだ。
 四方地を治める首長の中で、一番若い常盤。
しかし、その能力は飛び抜けて高く、出世欲も旺盛だと感じていた。
 それでも、頭のよい常盤は紅蓮に逆らうよりもその権力の下に付いている方が得策だと理解していたようだし、実際に何度か会っ
た時も表立った反抗心は見えなかった。
(その常盤が、叔父上と会っていた・・・・・)
 反乱そのものには関与していなくても、何らかの意図があって2人が接触していたのは間違いがないだろう。
常盤の力を知っている紅蓮にとって、それは見逃しておけるほど小さな出来事ではなかった。
 「紅蓮様、何故彩加に向かわれるのです?いったい何があったというのですかっ?」
 理由が分からない黒蓉は珍しく困惑したように訊ねてくる。
何も分からないこの時点でどの程度の説明をしてもいいのか・・・・・紅蓮は素早く考えたが、黒蓉に内密にする必要はないと思った。
 「叔父上と接触をしたらしい」
 「!」
 黒蓉の目が見開かれる。思い掛けない名前を聞いたと思ったのに違いない。
 「すでに叔父上はこの世に無いが、僅かでも謀反に対しての懸念が残っているのならばそれを払拭しておきたい。お前も知っている
ように常盤はなかなかの食わせ者、今の段階で見極めておくことが必要だろう」
 「・・・・・ならば、私もお供します」
 「黒蓉」
 「王都には白鳴と浅緋、それに有能な能力者も何人も揃っております。・・・・・紅蓮様、あなたはお1人で彩加に向かわれようとな
さっていたのでしょう?私などでもいないよりは良いのではないかと」
既に紅蓮の許可を伺うというよりも、絶対にこの意思は曲げぬと決めたような強い言葉。
自身に対するその篤い忠義心に、紅蓮は僅かに苦笑を漏らした。
 「ここで否と言っても、お前なら後から追ってきそうだ」
 「無論です」
 きっぱりと言い切る黒蓉に許可を与えようとした時だった。
 「ぼくも、いく」
 「・・・・・っ、お前は・・・・・!」
唐突に割り込んできた声に反射的に視線を向けた紅蓮は、思わず驚愕の声を上げてしまった。








 一度にたくさんの力を使ったせいか、身体の成長も力の回復も思ったより遅くなってしまった。
これが、成人した身体でしたことならばこれほどの痛手を負うことはなかったのだが・・・・・名を与えてくれ、小さな手で自分を守り、好
意を向けてくれた大切な存在を守るためには仕方がないことだった。
 彼のことを思えば、自由には動けない幼い姿で力の回復を待つことも、まったく苦ではないとさえ思っていた。

 だが、その大好きな気が消えてしまった時、また、自分は捨てられてしまったのかと絶望してしまった。
醜い外見と、脅威を覚えるほどの力を持つ自身を恐れ、永遠に逃げようと思われてしまったのかとさえ思った。

 しかし、再び同じ世界にかの気は戻ってきてくれた。
今度は絶対に離さない。
何があっても、一番側にいる。
 それを伝えるためには、言葉を発することが出来るほど身体を成長させなければならず、ただ、そうなると力の回復はもう少し遅れて
しまう。
どうやったら、彼の側にいけるのだろうか。
そう考えている時に、利用できる存在が身近にいたことに気が付いた。

 早く、早く、会いたい。
もう一度、温かな腕で抱きしめて欲しい。
本当は自分が抱きしめてあげたいが、今度はもっと成長の速度を考えなければ、前回と同じようにすぐに子供に戻ってしまう。
彼を守れないということだけは嫌だった。

(待っていて、コーヤ・・・・・)








 昂也はまるで補習を受けるように身を小さくしながら、じっと自分を見つめてくるコーゲンの視線を受け止めていた。
(か、顔は笑っているのに、逆らえない雰囲気なんだもん・・・・・)
昂也としては呆気なく結婚式が終わってしまい(どうやら正式なものではないらしいが、書類だけはちゃんと揃っているようだ)、トキワ
に対する警戒心が少しだけ薄れ掛けていた時に、3人から口々に怖い可能性を聞いてしまった。
 ここにいるのは男の自分だが、それを知らないトキワにとっては自分は呂槻の姫で・・・・・。ややこしいが、男が女の子に邪な思いを
持つのは驚くことではない。
 それなのに、可愛らしい姫が自分のような男に代わっていたら、きっとトキワも怒ってどんな罰を与えてくるかも分からない。
そう言った昂也に、コーゲンはわざとらしいほどの大きな溜め息をついてみせた。

 「コーヤ、君には男の欲というものがまだ分からないようだねえ」

性別なんて、甘いか苦いかの違いくらいだよと、昂也にとって一番分かりやすい食べ物を例にしてくれたが、その例自体が難しくて理
解出来なかった。
 ただ、確かに、自分のような子供が大人の思惑を感じ取れたと思うのは少し言い過ぎだったかもしれないと思う。
 「それで?お前の仲間は大丈夫なのか?」
 口を噤んだ昂也の頭を一撫でしてくれ、ヤマブキがコーゲンに訊ねる。
 「ええ。夜明けまで目を逸らすことが出来れば十分」
 「・・・・・あいつが危ないめに遭うことは?」
続いて、茜がポンポンと宥めるように頭を手を置いてくれた。
 「それも大丈夫。逃げ足は速いから」
 「逃げ足って・・・・・」
 「コ、コーゲン」
 スオーの名前が出てきて、昂也はあっと彼のことを思い浮かべる。
あの緊張した場面にトキワの側に置いて来てしまった。大丈夫だとコーゲンは言うものの、本当に安心していいのだろうか。
(なんか、不気味なんだよな)
 あまり知らない相手にそんなことを思うのは悪いと思いつつ、本能で感じてしまった印象は簡単に拭えそうにもない。
昂也は今入ってきた扉に視線を向ける。あの向こうで、スオーはどうやってトキワの意識を逸らそうとしているのだろうか・・・・・?




 宛がわれた屋敷に戻れば、コーヤは茜と再会をするはずだ。
(・・・・・口付けなんか許すなよ、江幻)
柔らかな物腰の癖になかなか捻くれた性格をしている江幻が側にいるので心配はないだろうが、茜のコーヤに対する思いは笑って見
逃せる類のものではない。
 ただし、鈍いコーヤは自分に向けられる好意に鈍感なので、その点については・・・・・。
 「蘇芳」
 「・・・・・」
(おっと、忘れてた)
コーヤのことを考えていると、つい周りのことが見えなくなってしまう。
今のこの状況でさすがにそれは不味いと気持ちを切り替え、蘇芳は改めて常盤に向き合った。
 コーヤ達が出て行く時にもまったく視線を向けなかった常盤の頭の中には、きっと白鳴の求めている人物のことしかないのだろう。
その当の本人が直ぐ手が届く距離にいたと知れば、この済ました顔がどんなふうに歪むのか想像しただけで楽しそうだ。
 もっとも、そんなことを口に出せばコーヤの身に危険が及ぶので、蘇芳はあくまでもその存在はここにはいないんだということを常盤
に強く印象付けなければならなかった。
 「この間も言ったと思うが」
 「捜しものは東と」
 「ちゃんと覚えてくれていたようだ」
 「それは東の都、真紫呂のことか?それとももっと別の場所にいると?」
常盤は蘇芳から視線を逸らさない。隠すことも、嘘をつくことも許さないという刺すような眼差しに、蘇芳はフッと笑みを浮かべて見せ
た。
多分、他の者ならば背筋が凍るほどの冷たいそれだが、蘇芳にとっては恐怖を感じるほどのものではない。
焦がれた相手、コーヤと再会した今、蘇芳に怖いものなど無かった。
 「光は小さい」
 「・・・・・それは、衰弱しているという意味か?」
 「この世界の存在じゃないからな、何事もなく無事だということの方がおかしいだろう?」
 口から出てくる嘘に、少しだけ気を込める。
いや、これは嘘ではない。
(俺は、コーヤの名前を出していない)
 はっきりとした言葉ではなく、やんわりと言葉を濁して言うそれは、正確には嘘ではないはずだ。
今口にしている事を常盤が勝手に解釈し、暴走するだけ・・・・・後の責任は自分にはない。
(1日だけでも常盤がこの地から離れたらいい)
 常盤のいない彩加からコーヤを連れだすことは容易なはずで・・・・・。
 「常盤様」
その時、今までその存在感をまったく感じさせなかったある声が割り込んできた。
 「どうした?」
 「先日、桜牙(おうが)殿がいらっしゃいましたが、そのようなお話はございませんでしたが」
 「・・・・・」
(いらないことを・・・・・)
蘇芳は常盤から視線を外して小さく舌を打った。




 淡々と告げる灰白の言葉に、常盤は改めて蘇芳を見た。
自身の忠臣である灰白が虚言を口にすることは考えられない。だとすれば、蘇芳の言葉こそ真実ではないということなのか。
(この男が私に虚言を告げる意味など・・・・・)
 しかし、何の得もない事を蘇芳がするとも思えなかった。
蘇芳のことをよく知っているというほどの付き合いはないが、男が王家に、いや、紅蓮に対しあまり良い思いを抱いていないということ
は感じていた。
その紅蓮のために、捜しものの在り処を告げるなど・・・・・あり得ない。
(だから、か?)
 四方地の首長とはいえ、王都とは離れた土地にいる己より、紅蓮の側近、白鳴にその事実を告げる方が早い。
それをせずにこちらに伝えたということに、蘇芳の何らかの意図を感じてしまった。
 それに、灰白と昔馴染みだとはいえ、東の首長に仕える桜牙がこちら側に情報を与える可能性は低い。
蘇芳と、桜牙と、どちらの言葉を信じるのか。
 「灰白」
 「はい」
 「明日、夜明けを待って真紫呂に向かう」
竜に変化して飛んでいけば、それほど時間は掛からずに真実をこの目で確認出来るはずだ。
 「常盤様」
 灰白が珍しく強い口調で名前を呼んできた。
明らかに今の判断を非難する口調だ。
それでも常盤が眼差しを向けると、灰白は口を閉じ、目を伏せる。どんなに異を唱えようとも、いや、思うことも出過ぎたことなのだと
敏い男は分かったはずだ。
 その態度は当たり前で、常盤はそのまま私室に戻ろうとしたが、ふとあることに思い当って足を止める。
 「灰白」
 「・・・・・」
 「私が留守の間、瑠璃の世話をよろしく頼む」
 「瑠璃様を、ですか」
不思議そうな色を纏った声音に、常盤は自嘲するように頬を歪めた。
情というものなど一切無視をする自分が、政治的な意図で結婚をした、それも、欲望を解消することさえ出来ないような子供を気に
するなどあり得ないと思っているのに違いない。
 常盤自身、自分がなぜそんなことを言いだしたのか分からないが、それでも不思議な雰囲気の花嫁を放っておくことも出来ないと
感じた。
 「いいな」
 「・・・・・はい」
灰白は言葉短く答え、深々と頭を下げた。