竜の王様2
竜の番い
第一章 新たなる竜
33
※ここでの『』の言葉は日本語です
「ようこそお越しくださいました、紅蓮様」
慇懃に頭を下げる常盤に、紅蓮は鷹揚に頷いた。
「突然の来訪、そちらには迷惑をかけたかもしれないが」
「いいえ、この世界は竜王ただお一人もの。ご自身の土地に何時いかなる時に足を踏み入れようと竜王のご自由ですから」
「・・・・・」
自分を褒め讃え、崇める常盤の言葉。確かに今常盤が言った通り、この世界を統べる竜王の自分が何をしようと周りの者が口を出
すことなど無いのだが、それでは独裁と同じことだと紅蓮は考えていた。
この世界のすべてのことに自分は責任を持たねばならない。しかし、この世界を生きている者たちの意思を無視してまで己の自由
にするつもりはない。
「紅蓮様、この度は如何様な御用件でございましょうか?先日、白鳴様がいらした時は何の問題も無いと納得して帰られたと思う
のですが」
「ああ。白鳴からはそのように報告を受けた」
だが、その後に琥珀の口から常盤の名前が出てきた。
はっきりとした謀反の証拠が出たわけではないが、あのまま放っておくわけにはいかなかった。常盤が次の聖樹にならないということ
は言えないからだ。
(こうして見た限りでは、とても何か考えがあるとは思わないが・・・・・)
「紅蓮様」
考え事をしていた紅蓮は、常盤の少し訝しんだ声音に視線を向けた。
「その御子は?」
「子か」
常盤が指したのは、紅蓮の後ろにいる黒蓉が抱いている子供・・・・・青嵐のことだ。
額の角を見せないように頭から全身をすっぽりと布でくるんでいるので歩き難いらしく、紅蓮が抱こうと告げたら盛大に拒絶をされて
しまった。
仕方なく黒蓉に任せていたのだが、紅蓮の直ぐ後ろを許している存在として、敏い常盤は不可思議に思ったのかもしれない。
「この者は・・・・・大切な預かりものだ」
「預かりもの?」
そう、青嵐はコーヤからの大切な預かりもので、竜人界にとっても稀有な存在、角持ちなのだ。
「煩くはさせないので、同行を許してもらいたい」
「もちろんです」
それっきり、常盤の興味は青嵐から離れたようだ。
「どうぞ、こちらに」
常盤の先導で、紅蓮は彩加の城の正門に足を踏み入れた。
ここを訪れるのは初めてではなかったが、前回よりもさらに装飾が華やかになっているようだ。
各地方の政治はそれぞれの首長に任せているので紅蓮は些細なことに口を出す気は無いが、常盤は明らかに他の者と政治手法
は違っていた。
「・・・・・そう言えば、第三妃を娶ったと聞いたが」
「はい。昨日無事、承認を得ました」
「それは・・・・・祝わなければならないな」
「ありがとうございます。妃も、一言紅蓮様にご挨拶を申し上げたいと」
確か、まだ若い姫だったはずだ。そんな姫が自ら紅蓮の名前を口にすることは考えられず、常盤の方から言いだしたのだろうという
ことは簡単に予想できた。
それでも、新しく妃になった者が挨拶をするというにはごく普通のことなので、紅蓮は分かったと答える。常盤に聖樹とのことを訊ね
るのはその後でもいいだろう。
「さあ」
やがて、大きな扉が面前に現れ、左右から衛兵がそれを開いた。
「わあぁああああーーーー!!」
その途端響く歓声に、紅蓮はゆっくりと左右に視線を向ける。
居並ぶ多くの兵士や召使いたち。ここにいる者は常盤の国の者たちであると同時に、紅蓮の大切な民でもあり、その歓迎は紅蓮に
とってとても嬉しいものだった。
「この者たちも、皆紅蓮様の戴冠式を楽しみにしております」
「・・・・・では、一刻も早くその姿を見せてやらねばな」
そう、告げた時だった。
「青嵐っ?」
突然、背後の黒蓉が焦ったように言うので振り返ると、その腕の中でもぞもぞと布が大きく動いている。
「どうした、青嵐?」
「やぁ〜!」
「こらっ」
暴れている間に足元の布が解けてしまい、その勢いのまま小さな足が黒蓉の腹を蹴った。
黒蓉の腕の拘束がそれで緩むと、腕の中にあった身体が床に転げ落ちる。
「おいっ」
怪我は無いかととっさに紅蓮が屈もうとすると、布を跳ねのけた青嵐がいきなり常盤の脇を通り抜けて走り始めた。
突然現れた青嵐の行動に歓声はたちまち途切れ、その場は静寂に包まれる。
「こーやぁ!」
「!」
(コーヤッ?)
ハッと、青嵐の走る先に視線を向けた紅蓮の目に、顔を隠した小柄な女の姿が映る。
その背後には数人の男達がいたが、その中に最近姿を消した江幻もいた。
(まさ、か?)
小さな背中は、真っ直ぐにその小柄な人物のもとに走って行く。そして・・・・・。
「青嵐っ!」
何かでくぐもったような声。それでも、その声がコーヤのものに間違いがないと確信した紅蓮は、無意識のうちに青嵐の後を追って足
を踏み出していた。
「こーや、こーやぁ〜」
何度も何度も自分の名前を呼び、必死にしがみついてくる青嵐。もう二度と置いて行かれないようにと思っているのか、その必死さ
に昂也は胸が熱くなってしまった。
「ご、めん、ごめん、青嵐」
自分の意思で無かったにせよ、青嵐を置いて元の世界に帰ってしまったのは事実だ。そして、再びこの世界に戻ってきても直ぐに会
いに行かなかったことも・・・・・。
昂也は何度も青嵐に謝罪し、小さな身体を抱きしめた。
「・・・・・っ」
青嵐は昂也の胸元で何度も首を横に振る。怒ってはいないと態度で示してくれているようで、昂也は涙がこみ上げそうになった。
「おっきくなった、青嵐。身体、だいじょぶ?」
また力を使ったのではないかと心配になりながら訊ねた昂也は、直ぐ傍に人の気配を感じて顔を上げた。
「あ・・・・・」
「コーヤ」
燃えるような紅い瞳が、まるで射抜くように自分を見つめている。責められているような気がして、昂也は何とかその名前を口にした。
「グ、グレン」
「コーヤ・・・・・」
「あのっ」
何と言えばいいのか、昂也は逃げる場所を求めるように青嵐の身体を抱きしめる。小さな手が、そんな昂也を守るように背中を抱
きしめてくれ、昂也はますます自分の心が逃げ腰になっていると感じて情けなくなった。
いずれは、グレンに会うこともあると覚悟をしていたはずだ。ここで会ったのは予想外だったが、それでもちゃんと顔を上げて紅蓮を見
なければいけないと思った。
(俺が何のためにこの世界に戻ってきたのか、ちゃんと話をしないと・・・・・)
「お、俺」
「・・・・・瑠璃」
「・・・・・あっ!」
この場で自分が何をしたらいいのかと目まぐるしく考えていると、まるでそんな昂也の思考をさらに大きくかき回すような冷たい声が耳
に届いた。
(お、俺っ)
昂也は青嵐の出現のために一瞬頭の中から抜け落ちてしまったそれに、あっと気が付いてしまった。
ヤマブキのため、あの幼い姫のために身代わりをかって出て、とりあえずは正体がバレずにこのまま城から出ていけるはずだったのに、
不注意のためにトキワに気づかれてしまった。
(ど、どうしたら・・・・・っ)
焦るコーヤの頭に、宥めるように大きな手が置かれる。
コーゲンかと縋るような思いで顔を上げれば、その手の主はグレンだった。
「常盤、どうやら私の話の前に、知らなければならないことが出来てしまったらしい。部屋を用意してはもらえないか」
「・・・・・承知致しました。灰白」
グレンの言葉には逆らえないのか、トキワは直ぐに灰白に命じている。しかし、その眼差しが自分の顔から離れないことに、昂也は何
だか嫌な予感がしていた。
(この姫が、コーヤだと?)
常盤はじっと椅子に腰かけている人物を見る。
昨日までは、いや、紅蓮を出迎える寸前まで、自分の新しい妃と思っていた相手が、あれほど捜していたコーヤだとは想像もしなかっ
た。
女の衣装を着ていたからとか、顔立ちがとかなどというのは理由にもならない。
確かに、一度も顔を合わせたことのない相手だったが、昨日顔を合わせた時は女だと信じて疑いもしなかった。この自分がまんまと
騙されていたという事実を苦々しく感じる。
こうなれば、呂槻の姫は別の場所にいるということだが、今はその存在を捜すよりもこの少年と紅蓮の関係を見極めなければと考え
た。呂槻には後で、今回の件についていくらでもこちら側の意見を飲ませるようにする。一方的に騙されたのだ、呂槻には文句も言うこ
とは出来ないだろう。
「・・・・・」
常盤は、コーヤの周りにいる男たちにも視線を向ける。
呂槻の人間である山吹は当然としても、江幻までコーヤ側についているとは考えもしなかった。
いや、この分では自分に先読みを告げた蘇芳もまた、今回の件に噛んでいるはずだ。その証拠に、東の都、真紫呂にいるはずの探
し人はここ、彩加にいた。
ガタッ
「コーヤッ」
「スオー」
案の定、間もなく蘇芳も現れた。その姿を捜していた灰白が後ろについて来ている。
コーヤの視線から察しても、蘇芳も間違いなくコーヤ側の者だ。危うく無駄足を踏まされるところだったと、常盤は苦い思いで口元
を歪めた。
最悪の状況・・・・・とは、言えないかもしれない。
コーヤの身代わりがバレテしまったことは確実だが、この場に紅蓮がいるというだけでも常盤に対しての抑止力になるだろう。
(俺にとっては、最悪かもしれないがな)
コーヤと再会してまだ数日、その間も、今回の身代わりの件で色々と動いていたためにコーヤの傍になかなかいることが出来なかっ
た。
紅蓮が来ることを知っていたのなら、その役目などさっさと放棄してしまえば良かったかもしれない。
コーヤの膝の上には幼い少年が座っていた。額の角を見れば、それが一目で青嵐だと分かる。強引に紅蓮についてきたのだろうが、
相変わらずコーヤに対しての嗅覚は鋭いと感心した。
「・・・・・ごめん」
何に対しての謝罪か。小さく呟きながら頭を下げるコーヤに苦笑する。
「無事で良かった」
とにもかくにも、コーヤの眼差しが自分に向けられたことに一応満足した蘇芳は、上座に座る男に視線を向けた。
「・・・・・よく分かったな」
「・・・・・なぜ知らせなかった」
紅蓮の返しに、蘇芳はフンッと鼻を鳴らす。そう言っていても、紅蓮も自分がコーヤの居所を言うはずがないと分かっていたはずだ。
「お前に知らせる義務などないからな」
「蘇芳」
「それに、俺はお前がコーヤを捜していると聞いてはいない」
白鳴が各地にそのふれを広めたらしいが、紅蓮自らその消息を訊ねるようなことは言われなかったし、もちろん見付かったら知らせて
欲しいという言葉も聞いてはいない。紅蓮もそれは分かっているのか、それ以上は蘇芳を責める言葉は言わなかった。
(以前なら、不届き者がと叱責されただろうがな)
多少、温和になったというか、冷静さが増したというか。どちらにせよ、竜人界にとっては良い変化かもしれないが、蘇芳にとってはど
うでもよい変化だった。
「コーヤ」
その間に、紅蓮はコーヤの名を呼んだ。
「・・・・・っ」
その途端、コーヤの肩が震えるのが分かる。
直ぐに側に行く自分と、江幻、そして山吹が、コーヤの左右を固めて守るように立った。何より、コーヤの胸にしがみつく青嵐が力強
い味方なのかもしれない。
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