竜の王様2

竜の番い





第一章 
新たなる竜



35





                                                             
※ここでの『』の言葉は日本語です





 コクヨーが目を逸らすのを、昂也はなぜか不思議な気持ちで見ていた。
何時も睨むような、威嚇するような強い眼差しで自分のことを見ていたコクヨーが、こんな風に視線を合わせないということをするとは
思えなかったからだ。
(俺の知らない間に、何かあったのか・・・・・?)
 コクヨーの気持ちをちゃんと聞いてみたいと思ったが、そんな昂也の行動を避けるようにコクヨーは紅蓮の方へと身体を向けた。
 「紅蓮様、コーヤにはこれまでの経過を訊ねなければなりません。常盤殿には席を外して頂くのがよろしいかと」
 「え・・・・・?」
(で、でも、ここってトキワの城だよな?)
いくらグレンが竜王だからといって、いわば人の家の中で勝手な振る舞いは許されないのではないかと思った。
しかし、そう思ったのはどうやら昂也だけで、名指しされたトキワ自身がゆっくりとグレンに頭を下げる。
 「それでは、私はしばしの間下がっております」
 「すまない」
 「いいえ。話が済まれましたらお呼び下さい。紅蓮様がお越しになられた理由もお聞きしなければなりませんし」
 「分かった」
 トキワはその返答にもう一度頭を下げてからドアへと向かう。その途中でこちらを見たような気がしたが・・・・・昂也は慌てて視線を
逸らしてしまった。騙したことへの後ろめたさを感じているのもあるが、同時にトキワの得体のしれない薄気味の悪い雰囲気を感じて
しまったからだ。
 自分の花嫁が偽物だと分かったのに、グレンの前だとは言えあれほど冷静でいられるだろうか?呂槻の姫への愛情があまり感じ
られないその行動に、昂也の中でトキワという人物への不信感がさらに強まってしまった。
(・・・・・あっ、そう言えば茜っ)
 グレンたちの登場ですっかりと頭の中から落ちてしまった存在を思い出し、昂也は慌てて蘇芳を振り返る。
 「スオーッ、あ・・・・・っ」
茜という名前を口にする寸前で止めた昂也は、トキワが完全に部屋から姿を消すのを待ってからもう一度言った。
 「スオー、茜、見なかった?」
 「茜なら・・・・・」
 スオーの言葉が途切れる前に、ドアが軽く叩かれた。
中にいた者たちがいっせいに視線を向けると、開かれたそこに立っていたのは・・・・・。
 「茜っ!」
 「コーヤ」
昂也が茜の姿を見てホッとしたように、茜も改めて安心したらしく表情を緩めている。
無事を喜ぶ昂也とは裏腹に、茜と初対面のグレンやコクヨーは訝しげな視線を向けてきた。青嵐などはますます昂也に強くしがみつ
いて来て、まるで昂也を自分の傍から離さないようにしているかのようだ。
 「コーヤ」
 そんな一同の気持ちを代弁するかのように、グレンが少し厳しい口調で名前を呼んできた。
 「その者の正体を含め、すべてを話してもらおうか」
 「・・・・・うん」
それは、当然だと思う。
昂也は一度大きく深呼吸をしてからグレンと向き合った。

 あの日、突然元の世界に戻ってしまった日から、今日、グレンたちと再会するまで。
自分がどんな思いを抱いていたか、どんな生活をしてきたか。緋玉を使って出来るだけ詳細に昂也は説明した。
 途中、呂槻の姫の身代わりになるくだりではさすがにグレンは眉を顰めていたが、それでも口を挟まずに最後まで聞いてくれた。
 「・・・・・で、さっき、この城を抜け出す前にみんなに会ったってこと」
最後まで話した昂也はさすがに疲れて溜め息をつく。
それでも、自分が抱えてきたものを本当にすべて吐きだすことが出来て何だか気持ちが軽くなった。
 「・・・・・まったく、愚かだな」
 「・・・・・だって・・・・・」
(馬鹿だったって、今なら分かるけどっ)
 「何も考えず、真っ直ぐに私のもとに来ればよかったものを。余計なことなどしたせいで、常盤の花嫁になどなってしまったのだろう」
 「そ、それは、身代わりだしっ」
 「誓いの言葉を口にしたなら同じことだ」
腕を組み、紅い瞳で睨まれると、さすがに怖いという思いが生まれる。
 「今回のことでは常盤には何の罪も無い。心待ちにしていた花嫁が偽物だと分かったのだぞ、どういう言い訳をするつもりだった?」
 「・・・・・」
 言い返したいのに、グレンの言うことは一々もっともで口を開けない。
昂也は唇を噛みしめ、ますます強く青嵐を抱きしめてしまう。
(・・・・・謝っても、許してもらえないかな・・・・・)




 傍から聞けば辛辣な言葉を言っているが、その眼差しの中には怒りだけではない熱さがあるのを感じた。
茜は初めて間近で見る皇太子、紅蓮に緊張するよりも、コーヤとの関係が気になってしかたがない。
(人間嫌いだという噂の紅蓮様が・・・・・コーヤだけは別だというのか・・・・・?)
 慣れ親しんだ空気は感じないものの、そこには・・・・・。
 「恐れながら」
そこまで考えた茜は、コーヤを見つめる紅蓮の視線を遮るように一歩前に歩み出ると片膝をついた。
本来なら、自分のような民がこんなにも近くで顔を見ることさえ出来ないほど高位の相手に対するが、不思議と自身を卑下する思い
は無かった。
 「今回の件は私がコーヤに押し付けた話です。コーヤに責任はありません」
 「・・・・・」
 紅蓮の眼差しが真っ直ぐに自分に向けられる。
コーヤの説明の最中にも名前は出ていたが、その時にはチラッとも視線を向けられなかった。初めてその視界に入り、王者の証であ
る鮮やかな紅い瞳を向けられ、さすがに茜は身が引き締まる思いがする。
 「お前は・・・・・」
 「けしてコーヤを危険な目に遭わせるつもりはありませんでした」
 「茜と申したな」
 「はい」
 「コーヤを守るとその口で言いながら、側にいなかったのはどういうわけだ?口で言うのは容易いが、それを実際に行動に移してこ
そ価値があるのだ。今のお前の言葉には少しの真実も見えない」
 辛辣な物言いだ。しかし、確かに常盤と顔を会わせたくないというごく個人的な事情から、一番側にいてやらなければならない時に
他の者にその役目を託してしまった。
 今のコーヤの話の中ではそこまで語られてはいなかったが、敏い紅蓮は何かを感じ取ったのだろう。
(・・・・・っ、くそっ)
 「グレンッ、茜はちゃんと俺を守ってくれてたんだ!こっちの世界に来てからずっと世話になってきたし、言葉だって教えてくれた!」
拳を握り締めた茜の耳に、必死に庇ってくれるコーヤの声が届いた。
 「今回のことを承諾したのは俺自身だし、責任って言ったら俺だってある!茜だけを責めないでくれよっ」
 「コーヤ・・・・・」
 「・・・・・コーヤ」
 多分、自分とは違う思いでその名を呟いたのだろう。なぜ庇うのかと、不機嫌そうな表情を隠しもしない紅蓮。
ただの竜人ならば震えあがるほどの畏怖を感じるだろうが、人間だからかコーヤの意思は見事なほどにぶれた様子は無い。
竜王の紅蓮にも自身の気持ちを臆することなく告げるその姿はいっそ潔く、茜は勇気を貰ってさらに紅蓮に告げた。
 「紅蓮様、どうかこのまま私にコーヤを守らせて下さい。コーヤを彩加にまで連れてきた責任は私が取りたいんです」




 目の前の男が何を言おうとしているのか。いや、その言葉の意味自体は分かっても、紅蓮はどうしても納得がいかなかった。
コーヤを保護し、ここまで守ってきたことは評価したいが、同時に怪しげな花嫁の身代わりをさせるなどコーヤを危険にさらすようなま
ねもしている。それがたとえ不可抗力だとしても、このままコーヤの側にいることを許せるものではない。
 「お前に何が出来る?茜」
 「・・・・・っ」
 「後見人がいなかった今までならばともかく、今ここには竜人界を治める私がいる。私がいればコーヤをいっさいの危険から守ること
など簡単だと思うが」
 この世界において、紅蓮ほど力のある者はいない。
そう言えば、茜は唇を噛みしめて俯くだけだ。反論する者などいないと思った紅蓮だが・・・・・。
 「グレン、俺は茜も一緒にいて欲しいよ」
 「・・・・・なに?」
 本当ならば臣下でもない者が紅蓮に逆らうことなど大変な罪だ。だが、コーヤは紅蓮が睨みつけても一向に怯むことなく言葉を続
ける。
 「茜の迷惑になるのならもちろん諦めるけど、そうでないのなら彼がいてくれた方が心強いんだ。今まで俺のことを助けてくれたし、
色んなことも教えてくれた。茜は俺にとって大切な人なんだ」
 即座に、その言葉を否定出来なかった。
その、特別という言葉にも怒りが湧くが、今までならその感情を直ぐにぶつけていた紅蓮も耐えるということを知った。
コーヤの意見をそのまま受け入れることはとても出来ないが、その言葉の意味を考え無ければ今までと同じ失敗を繰り返すかもしれ
ないという恐れもあった。
 コーヤがいなかった間の喪失感を再び味わうことは避けたい。
身体の一部分が欠けてしまったかのような、あんな思いは・・・・・。
 「紅蓮様」
 紅蓮の心中の葛藤に気づいたのかどうか、黒蓉が良い時期に声を掛けてきた。
 「・・・・・」
それに助けられたというわけではないが、紅蓮は無言のまま立ち上がった。
 「グレンッ?」
 「常盤のもとに行ってくる。その間、よく考えろ、コーヤ。この世界において異質な存在であるお前の側に置くということの意味を」
 その瞬間、コーヤの表情が苦痛の色に染まる。自身の言葉で傷付けてしまったコーヤをこれ以上見たくなくて、紅蓮はそのまま部
屋から出ていった。




(俺の側に置くことの、意味・・・・・)
 昂也は自分の前で跪いている茜の背中をじっと見た。
(迷惑掛けるってこと・・・・・分かってる・・・・・)
人間だからというだけでなく、何の力も無く言葉さえまだ不自由な自分が側にいれば茜の迷惑になるだけだとさすがに分かる。
そうでなくても自分のために故郷の村からこの彩加まで出てきたのだ、それだけでも茜の生活を乱していると自覚しているのに、ま
だ側にいて欲しいと我が儘を言ってもいいのだろうか。
 「・・・・・」
 立ち上がった茜が振り向いた。その表情は思ったよりもすっきりとして見える。・・・・・そう、見たいだけなのかもしれない。
 「コーヤ」
 「茜、俺・・・・・」
 「ありがとう」
思い掛けない礼に、昂也は戸惑った。
 「茜?」
 「俺がいたら心強いと言ってくれただろう?情けない所ばかり見せたのに、紅蓮様の前でそう言ってもらって本当に嬉しい」
 「だって、本当のことだし。茜はすごく頼りになって・・・・・」
 「おい」
 昂也が茜と間近に視線を合わせた時、それに割って入るようにスオーが身体を入りこませてきた。いや、スオーだけではない。腹に
くっついている青嵐も、何だか不穏な眼差しを茜に向けているようだ。
 「青嵐?」
どうしたのかと顔を覗きこもうとする前に、昂也は強引に顎を取られてスオーと視線を合わせる形になった。
 「コーヤ、今回の身代わりの件にカタがつけば、その時点で茜との繋がりは切っても良いんじゃないか?紅蓮の肩を持つわけじゃな
いが、あまりこちらの事情に引っ張りこまない方が良い」
 「こっちの・・・・・」
 普通の竜人である茜に、これ以上の負担は掛けるな。そう強く言われたような気がして、昂也はさすがにそれでもと言葉を継げる
ことが出来ない。
 「コーヤ」
 昂也の迷いを振り切るように、茜がその腕を掴もうとして・・・・・パシッとその寸前で叩き落とされた。
それをしたのはスオーではなく、腕の中の青嵐だ。
 「・・・・・角持ち・・・・・」
 茜がその額にある角を見て言ったので、昂也は直ぐに違うと否定する。そんな曖昧な存在などではなく、腕の中の子供はちゃんと
今を生きている、普通の子供と同じなのだ。
 「つのもちじゃない、せいらんだ!」
 だが、昂也が言い返す前に、青嵐が自分の口で名前を告げる。
その後、青嵐はなぜか昂也の身体から手を離すと、そのまま自分の足で立った。長身の茜と比べればその身長は腰にも届かないほ
どに低く、すべてがまだ小さいのに、昂也にも圧倒するような強い気を感じ取れた。
 「せ・・・・・」
 「こーやは、ぼくの」
 「おい」
 子供の反論に茜が苦笑した時だ。
 「・・・・・ぅぁあ・・・・・っ!」
 「青嵐!」
 青嵐の伸ばした小さな手が茜の腕を掴んだ瞬間、茜は呻き声をあげながらその場に膝をつく。顔には汗が滲み、唇を噛みしめてい
るその姿に、何か苦痛を耐えているように感じた。
 茜に痛みを与えているのは青嵐だ。とっさにそう思った昂也は青嵐の名を叫ぶ。
 「青嵐っ、手を離せっ!」
 「やだ。こいつがいると、こーや、ぼくをみないもん」
 口を尖らせて不機嫌そうに言う青嵐は子供が我が儘を言っているようにしか見えないのに、対する茜は苦痛の声を漏らしている。
あまりにも違う2人の対比に、昂也は焦って青嵐の手を掴んだ。