竜の王様2
竜の番い
第一章 新たなる竜
36
※ここでの『』の言葉は日本語です
「青嵐!」
もう一度強く言うと、青嵐がこちらを見上げてきた。
どうして止めるんだと不貞腐れているような、それでいて昂也に叱られるのが怖いというような・・・・・。複雑な表情の青嵐の手を掴ん
だそれに力を込めてみると、ふっと纏っていた肌を刺すような殺気が薄れたような気がした。
「・・・・・おこる?」
「・・・・・怒んないよ」
それはすべて自分に対して向けられた好意から来る行動だからだ。
なぜだか、自分に固執している青嵐だが、もちろん向けられる好意が嬉しくないはずがない。自分が見付けた、この世界の中でも随
分珍しい角持ちという存在を、可愛くて大切だという思いが昂也の中にはあった。
「でも、こんなことは止めような?茜は俺のことをいっぱい助けてくれたんだ。だから、青嵐にも茜のこと好きになって欲しい」
青嵐と目線を合わせて言うと、しばらくは口を尖らせて黙り込んだ。
「・・・・・」
「な、青嵐」
「こーやがいちばんすきなの、ぼく?」
子供らしい言葉に、本当ならそうだよと答えてやるのがいいとわかってはいたが、昂也はこの場面でおざなりな返事は出来ない。
暗に頷いてしまったら、これから先も同じようなことが起こるかもしれないのだ。
「青嵐も好きだ。俺には、大切で大好きな人がいっぱいいる。欲張りかもしれないけど、その全部を手放したくないって思ってるん
だ。その中に青嵐も入ってるよ」
「・・・・・」
青嵐の手が茜から離れ、そのまま昂也にしがみついてくる。
「ぼくは、こーやがいちばんすき」
「青嵐」
「こーやだけが、だいじ」
自分の言葉の意味を青嵐は理解出来ていないのかもしれない。
それでも、こうして茜から手を離してくれただけで嬉しくて、昂也は強くその身体を抱きしめた。
「うん、ありがと」
青嵐が落ち着いたのを感じ、昂也は腕を押さえたままこちらを見ている茜を振り返る。
「茜、大丈夫?」
「ああ」
いったい、どんな力が茜に向けられたのか、その体験をしていない昂也にはわからない。それでも、茜が人前であんなふうに苦痛の
声を漏らしたということはかなりの苦痛を感じたはずだ。
青嵐が勝手に暴走したと言えば話は早いが、原因は考えるまでもなく自分なので、昂也は腰に青嵐をひっ付けたままごめんと頭を
下げた。
「青嵐、本当にいい子なんだ。許してやって」
「お前が謝ることはない」
「でも」
「ちょっとした行き違いのはずだ。・・・・・そうだろう、青嵐」
茜が話し掛けると、青嵐はチラッと視線を向けるものの直ぐにフンッとそっぽを向く。
それでも、茜はその態度に怒ることはなく、腕を撫でながらさすがだなと呟いた。
「角持ちの力は初めて感じたが、たったあれだけの気でもすごい衝撃を受けた。凄いな、お前」
「・・・・・」
(あ〜あ、青嵐、無視しちゃってる)
照れているのか、それとも本当に話したくないのかわからないが、どうやら今の段階ではなかなか仲間だという意識には変われな
いらしい。
それも仕方がないと諦めた昂也は、ふと気付いて少し離れた場所に立つコーゲンを呼んだ。本当は自分がそちらに向かいたかったの
だが、青嵐がいるので歩き難かったのだ。
「どうした?」
直ぐにやって来てくれたコーゲンに、昂也はズボンのポケットに入れていた緋玉を差し出した。
「ありがと、これ。やっぱり、自分の言葉が相手にちゃんと通じるっていいな」
「・・・・・もういいの?これ、コーヤが持っていても良いんだよ?」
「うん、本当はそれがあった方がいいってわかるけど・・・・・それに頼ってたら何時までも言葉を覚えないし。それにこれ、コーゲンの
大切なものじゃないのか?」
「そう見えた?」
「う・・・・・ん、よく分からないけど、持ってたらあったかくて安心出来るし。これって、コーゲンが大切にしているからかなって」
どちらにせよ、便利なものに頼っていては自分が努力をしようとしなくなる。それではここにいる意味がないので、昂也はもう一度あり
がとうと告げた。
(視えないのに、感じるってことか)
力が無いことを軽んじることが出来ないと思うのはこういう時だ。強い気を持っていなくても、相手を良く見ていれば感じることはあ
るのだ。
「ん、分かった」
コーヤの差し出した緋玉を受け取り、自分の懐の中にしまい込んだ。
コーヤが言うほど大切にしているわけではないが、ある程度の意味はある。これは、江幻の母親から譲り受けたものだからだ。
母親もまた、代々それを受け継いだと聞いた。遥か昔にもこの緋玉はあったのだと思えば、それだけでも多少は大切にした方がいい
だろうという気にはなっていた。
「でも、トキワ、あやまるないと・・・・・」
緋玉を手放した途端、コーヤの言葉遣いは急に幼くなる。それに笑い、江幻はそうだねと頷いた。
「でも、紅蓮の前で何事もなかったって言ってしまったからね。心配するようなことはないと思うけど」
「・・・・・そーかな」
身代わりの件がバレてしまったことを随分と心配しているようだが、江幻は紅蓮の登場でその心配はほとんど皆無になったと思ってい
る。常盤の言葉や態度からしても、あの男が呂槻の姫に対してそれほど執着を感じていないことがわかるからだ。
もちろん、こんな風に身代わりを出され、面目が潰れてしまったと言えばある程度の見返りを要求することは出来るかもしれないが、
それでも彩加が呂槻を支配出来るほどのものではない。
(ただし、コーヤに対しての興味の程はわからないけれど・・・・・)
茜から聞いた話では、常盤は自ら赴いてコーヤを探していたらしい。それが紅蓮に対する忠誠心かどうかは、今後の経緯を見てい
なければ判断がつかないだろう。
それでも、今回に限っては紅蓮の名前はかなりの強い抑制になる。本人は煩わしいと思っているかもしれないが、竜王と言うものは
その名だけでも大きな力があるのだ。
「コーヤ、これからどうするんだ?」
「え?」
「呂槻の問題が片付けば、王都に戻る?」
「それは・・・・・」
自身の価値に自信が無いからと二の足を踏んでいたらしいが、結果的に紅蓮に知られた今となってはその理由も関係ない。
(私たちも、もう一度王都に向かうことになりそうだな)
コーヤが姿を現したことによって、様々なものが動いていきそうな気がする。
その際、紅蓮には簡単にコーヤに手を出させないようにしなければならないなと思いながら、江幻は服の上からそっと緋玉を撫でた。
あの状況で部屋から出てきたことが良かったのかどうか。
それでも、紅蓮は自分の目の前で他の男を庇うコーヤの姿を見たくはなかった。
(あれは既に私のものだというのに、何時までフラフラとしている気だ)
一度だけだとは言え、その身体をすべて支配もした。江幻や蘇芳たちよりもコーヤの泣き顔も、苦痛を訴える顔も、唯一知っている
のは自分だけだ。
(それを、いくら身代わりとはいえ、他の男と結婚の誓いなど・・・・・!)
「紅蓮様」
行くあてもわからないまま部屋を出た紅蓮だったが、黒蓉が直ぐに控えていた衛兵に告げて灰白を呼び付けた。そして灰白の先導
である部屋へと案内されていたのだが、ずっと考え事をしていた紅蓮はその声に直ぐに気付くことが出来なかった。
「紅蓮様」
再度呼ばれ、ようやく紅蓮の視線が灰白に向けられる。
「常盤様はこちらに」
「・・・・・そうか」
灰白が扉を開けると、直ぐ前に常盤が立っていた。あらかじめ紅蓮が向かうという連絡は受けているようだ。
「お話はお済みですか?」
穏やかな笑みを浮かべながら言う常盤は、一見何の思惑もないように見える。だが、実際には常盤がコーヤに強い興味を抱いたよう
だと紅蓮は感じていた。
「ああ。時間を取らせてしまって申し訳ない」
「いいえ、お気遣いなく。私も驚くことが続きましたが、紅蓮様がお探しになられた方がこの地にいて良かったと思っております」
「そのことだが」
これだけははっきりと言っておかなければならないと、紅蓮は勧められる上座に置かれた椅子に座りながら言った。
「呂槻の姫の身代わりと誓った結婚は無効ということで良いな?」
知っていたならば、もちろんどんな手を使ってでも止めていたが、それを知ったのはすべてが終わった後だった。
本来離縁は王都の神官長の許しを得なければならないのだが、今はその座は空白だ。それでも手続きをしようと思うのならば竜王と
しての権限を使えばよかった。
それでも、私的な理由でその力の行使は出来るだけしたくないと思っていた紅蓮に、常盤は穏やかな笑みを崩さずに承知しておま
すと答えた。
「私にとっても思い掛けないことでしたが、今回の結婚がお互いに意図しないものであったことは確か。呂槻の長とは今後ゆっくりと
話し合いたいと思っております」
「それならば良い」
コーヤが誰かのものでは無くなったことを確認し、紅蓮は内心深い安堵の息をついた。
だが、話はこれで終わったわけではない。
まず、常盤が恐れながらと切り出した。
「今回の来訪は、私の結婚とは関係がないと思いますが、いったいいかなる御用でいらっしゃったのですか?」
その言葉に、紅蓮は本来自分が常盤に問いただそうとしていたことを思い、僅かに眉を顰めた。
先の王家への反乱を企てた首謀者、聖樹と密会をしていたという常盤が、いったいどんな思惑だったのか。今回謀反に加わった者
たちの処遇を決めている今、ここはきちんと知っておかなければならないと感じた。
「少し、聞き捨てならないことを耳にした」
「・・・・・」
「常盤、お前が聖樹と密会していたと告げる者がいるのだが、申し開きはあるか」
単刀直入に聞いたのは、その時の常盤の反応を見ようと思ったからだ。
まずいと焦るか、それとも陥れられたのだと泣きを入れるか。
元々一筋縄ではいかない男なので簡単には口をわらないだろうとも思っていたが、意外にも常盤はハハハと声を出して笑った。
「常盤」
「これは失礼を・・・・・。ですが、悪いことは出来ぬなと思い知りまして」
「では、聖樹と会ったことは認めるというのだな」
「はい。確かに数度、私はあの方とお会いしました。反逆者で罪人だったということは知っておりますが、一方でかつては王族であ
り、勇名を轟かせた方。言下にお断りすることは出来ませんでした」
「・・・・・では、聖樹の方からお前に会いたいと言ってきたのか?」
常盤の口調はとても滑らかで、どこか始めから考えていた台詞のようにも聞こえる。
しかし、紅蓮が今日彩加に来ることは突然に決められたことで、実際にこの地に到着するまで多少の時間かあったにせよ、気持ちを
落ち着かせるには不十分な時間だったはずだ。
(真に他意が無かったのか、それとも私が思う以上にふてぶてしい意思の持ち主なのか・・・・・)
その堂々とした物言いの真意をどうやって測ろうか、紅蓮は常盤の反応を注意深く見ながら言葉を続けた。
「はい、その通りでございます」
「何を話した?」
「・・・・・王族の内部のことを少々お聞きしました」
少し含んだ物言いに、その内容が見えるようで苦く笑う。
「私への不満か」
「それだけではありませんでした。あの方はどちらかと言えばこの竜人界そのものを厭うておられるようでした。複雑な思い故と、窘め
ることなく自由にお話をしていただきましたが・・・・・このような私の行動も反逆と取られてしまうのでしょうか」
頬から笑みを消し、真っ直ぐに紅蓮を見る常盤。笑みを消した常盤の顔は、驚くほど鋭さを感じさせる。
反乱の首謀者である聖樹と、例え何でもない会話だけをしたとしても罰を与えなければならないところだ。そこからどんなふうに王族へ
の反逆心が育つかわからないからだ。
しかし、今の紅蓮はむやみに処罰を与えることが良いわけではないということを理解していた。そこからまたさらに別方向へ暗い思い
が育つ可能性も考慮しなければならない。
「・・・・・いや」
「・・・・・」
「お前が竜王に従う限り、反逆心を持っているとは思わない」
「紅蓮様」
「急なことにお前も戸惑っただろうが・・・・・本当ならば聖樹の言動に不審を抱いた時、直ぐに私に報告するのが正しい対処の仕方
だった。そのことはしかと胸に留めよ」
もっと前に、聖樹の心の闇を知っていれば、もしかしたら今の状況は変わっていたかもしれない。
わかり合うことは出来なくても、その命を落とすことはなかったのではないかという思いもけして消えはしないが、過去のことをいくら悔
やんでも仕方がないともわかっている。
(ただし、今後このようなことはけしてないようにしなければ)
「よいな、常盤」
「はい。寛大な御心、感謝致します」
常盤が深く頭を下げ、これで本来紅蓮が彩加にやってきた目的は遂げた。
元々長居する気はなかったが、探していたコーヤが見付かったので早くその身を王都に連れていきたいと考える。何時までも他の男
の腕の中に守られている姿を見るのは面白いものではなかった。
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