竜の王様2

竜の番い





第一章 
新たなる竜



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 ヤマブキが戻ってきたのは、茜が言っていたように日が暮れた後だった。
 「道中、山吹からすべて聞きました」
そう言って昂也の目の前に現れた少女は、青白い顔色のまま深く頭を下げてくる。
 「私のために・・・・・本当に申し訳ありません」
 「あ、頭っ」
 自分などに頭を下げる必要はない。
結局、身代わりという役目も最後までやり遂げることは出来なかったし、彩加と呂槻の関係もどうなるかはまったく不透明だ。
 もしかしたら、自分のしたことでこの2つの町の関係が悪化することも可能性としては考えられ、大丈夫だろうかという心配もつきな
かった。
 「下げないでっ」
 「瑠璃様」
 「・・・・・」
 昂也の言葉とヤマブキの促しで頭を上げた少女の顔を改めて見る。
以前彩加に初めて来た時に顔を見たが、その時は自害をはかった直後で、彼女はずっと眠っていた。あの時も顔色は悪いが13歳
という歳にしては大人びた面影だと思ったが、今こうして見る少女はやはりまだ子供だ。
 元々竜人は人間に比べて体格が良いので、身長だけで言えば昂也よりも僅かに低いだけだが、自分だけが逃げていいのかという
心労のためか身体は可哀想なほど痩せ、その年頃の少女に見られるような華やかさや溌剌さは微塵も見えない。
 「・・・・・」
 昂也は助けを求めるようにヤマブキに視線を向ける。とりあえずは切羽詰まった危機は去ったのだと、この少女に伝えて欲しかった。
 「瑠璃様、今回のことは長もご自身の不手際だったとおっしゃられていました」
 「・・・・・父上が?」
 「瑠璃様のお気持ちも考えず、結婚話を進めたことを後悔していらっしゃいます」
ヤマブキの大きな手が、宥めるように少女の背を撫でる。
 「今後の彩加との関係は長が責任を持って常盤殿と話し合いを持たれるそうですので、どうかお気持ちを楽にしてください」
ヤマブキの言葉に、少女はようやくほうっと大きな息をついた。その様子に、昂也はチクッと胸が痛む。
(自分のことよりも、町のことを心配してるんだな)
 自分たちの世界で、そこまで周りのことに責任感を持つ少女がいるだろうかと考えた。もちろん、育ってきた環境ももちろん、世界の
常識自体が違うので仕方がないと言えばそうだが、それにしてもと昂也は改めて少女を見つめる。
 「早く、元気なって」
 傷付いてしまった心身をゆっくり癒して欲しい。心からそう思い、昂也は笑い掛けた。




 呂槻の長は、良くも悪くも古い竜人だった。
周りとの調和を考え、それには自身の娘までも犠牲に出来るといった考えの持ち主だったが、それでも自害まで図ったらしい娘のこと
は気になったようだ。
 「くれぐれも、お願い致します」
 深く頭を下げた呂槻の長に対して鷹揚に頷いた紅蓮は、そのまま案内された部屋を出た。
呂槻に来るとは思わなかったが、彩加での所要は早く済んだし、思いがけずコーヤを見付けることも出来た。後々考えれば今回の来
国は悪いものではなかったと思えるだろう。
 「黒蓉」
 「はい」
 「直ぐに発つぞ」
 コーヤが呂槻に行くと言ったのでついてきただけだ。そのついでといったらおかしいかもしれないが、彩加と呂槻の間で争いが起き
ないように双方の長に話を付けた。
これ以上、自分がここにいる必要も無い。
 「コーヤはどこにいる?」
 「今案内をさせましょう」
そう言った黒蓉が、近くにいた召使いに声を掛けた。

 案内された客間の一室で、コーヤは他の男たちと一緒にいた。
江幻と蘇芳は何も言わなくてもついてくることは確信していたが、紅蓮はもう1人の人物である茜の処遇をどうするか考える。
 当人はコーヤの側にいたいらしいが、これ以上やっかいな者をコーヤの側に付けるのは面白くない。大体、王都で、いや、この竜人
界にいてコーヤに危険が及ぶことなどありえないのだ。
 「グレンッ」
 扉を開けた途端、こちらを見ていたコーヤと視線が合う。そして、周りにいた男たちを見向きもせずに自分の方へ駆け寄ってきた姿
に僅かに笑みを漏らした。
 「呂槻の、長はっ?」
 「話はした」
 「それでっ?」
 「常盤が理不尽な条件を付けて再度申し出をしてきた時は、竜王の名において私が間に立つと。相手にはそれを告げるだけでも
随分抑制にはなるだろうしな」
 「え・・・・・っと」
 詳しく説明をしてやったというのに、コーヤの口からは直ぐに感謝の言葉が出てこない。
この解決案でも不満なのかと眉を顰めれば、江幻がしゃしゃり出て来てコーヤの肩にポンと手を置いた。
 「紅蓮がすべて上手くやってくれたということらしいよ」
 改めて(要約した形ではあるが)江幻がそう言うと、コーヤの顔は笑み崩れる。
 「そっか!」
 「・・・・・」
 「ありがとっ、グレン!」
 「・・・・・いや」
(そうか、言葉が・・・・・)
随分意思疎通が出来ているような気がしたが、まだまだわからない言葉があるのだろう。わざと小難しく話しているつもりではなかった
が、改めて人種が違うのだということを痛感し、気を遣ってやらなかった自身を苦く思う。
 しかし、そんなことを口にするわけにはいかず、紅蓮は表面上は感情を押さえてコーヤに告げた。
 「行くぞ」
 「え?」
何を言われたのかわからないのか、コーヤは間抜けな返答をしてくる。
 「直ぐに王都に発つ」
 「ええっ?」
 「・・・・・」
(そんなに驚くことか?)
 そのことについては、彩加を旅立つ前に告げていたはずだ。長居する必要も無いので発つというのに、コーヤにとってその申し出は
意外なことのようだった。
 「で、でもっ、今きたよっ?」
 「それでも、用件は済んだ」
 そうでなくても、戴冠式の前の多忙な時、どうしても聖樹のことが気になって彩加までやってきたが、のんびりとする時間は少しも無
いのだ。
そして、自分の側にいなければならないコーヤがそれに合わせるのは当然だ。
 「・・・・・」
反論は認めない。そんな意思を込めた視線を向けた。




 確かに、グレン自身は呂槻に何の用も無かっただろう。
彼がここまで来たのはあくまでも昂也たちの後始末のためだったし、そのことについてはトキワとも話してくれた彼に感謝したいと思う。
 ただ、ここに着いてまだ30分も経っていないはずだ。はい、さよならと、ここで言っていいものかどうか、昂也は迷っていた。
(で、でも、長居したら迷惑っていうのもあるし・・・・・)
ヤマブキは長と話し合うことがあるだろうし、姫は休んでもらわなければ。結局、グレンの言うように、早々に発つことが一番良いことな
のかもしれない。
 「・・・・・わかっ・・・・・」
 「それと、お前」
 コーヤが承諾の言葉を言う前に、グレンの視線は茜へと向けられた。

 「紅蓮様、どうかこのまま私にコーヤを守らせて下さい。コーヤを彩加にまで連れてきた責任は私が取りたいんです」
 「お前に何が出来る?茜」
 「後見人がいなかった今までならばともかく、今ここには竜人界を治める私がいる。私がいればコーヤをいっさいの危険から守ること
など簡単だと思うが」

昂也の頭の中に、睨み合うようにして向かい合った2人の会話が思い出された。
茜の懇願に対し、グレンは結局返事を言わなかったが、もしかしたらやっぱりついてくるなと言うつもりなのだろうか。
(そ、そりゃ、俺についてきてくれたって何も無いけど・・・・・っ)
 あの田舎の村で、平和に笑って暮らしていた方が茜にとっても良いことだとわかっているつもりだ。
ただ、その一方で、自分を守ってくれようとする茜の気持ちも嬉しかった。この世界に再びやってきた昂也を一番最初に見付け、保護
してくれたのは茜なのだ。
(言葉だって教えてくれたし、他のことだって・・・・・)
 「グレンッ」
 「なんだ」
 「え、えっと・・・・・」
(こ、ここで喧嘩しないでくれって言うのもおかしい、よな)
 特に言いあっているわけではないので、喧嘩と表現するのはおかしいかもしれない。
どう言おうかと迷う昂也の肩をポンと叩いてくれたかと思うと、後ろにいたはずの茜が前に出てきた。
 「紅蓮様」
 「・・・・・」
 「私の思いは先にお伝えした通りです。どうかお聞き届け下さい」
 片膝をつき、頭を下げる茜を目を丸くして見た昂也は、直ぐに自分も茜の隣に膝をついた。
 「お願いっ」
グレンの視線が強くなった気がするが、ここで引いては茜とはこれっきり会えなくなる。なんの礼も返せないままさよならすることだけは
嫌だった。




 「さて、どうするか見物だね」
 茜の行動は予想がついていたが、コーヤがここまでするとは少し予想外だ。それほど、コーヤの中の茜の存在が大きいことがわかり、
江幻は出遅れた感が否めない。
 「・・・・・」
 それは、自分の隣にいる男の方がより感じていることだろう。コーヤを悲しませたくはないが、これ以上コーヤを特別に思う男を側に
近付けたくない・・・・・そんなふうに思っているからこそ、紅蓮の言葉を静観しているはずだ。
 「読めなかった?」
 試しにからかうように言うと、ふんっと鼻を鳴らされた。
 「本来、未来はわからないものだ」
 「うん」
 「金になることだけ視てりゃ簡単なんだがな」
その言葉が、きっと江幻の問いに対する答えなのだろう。
厄介な力は、自分が望むものだけを視せてはくれない。だからこそ、少しでも反抗するために、こうして蘇芳は黙っている。
 「・・・・・」
 江幻は再びコーヤを見た。
隣にいる茜はコーヤを立たせようとしているし、紅蓮の纏う気は重く、鋭いものに変化していた。ただ、それを肝心のコーヤが感じなけ
れば意味など無い。
 「・・・・・お前の能力のこと、王都に着いたら説明してもらうぞ」
 しばらくして、紅蓮の言った言葉に江幻はおやっと片眉を上げた。
(気付いたのか?)
彩加でコーヤの気配がした時、その存在が視難いと蘇芳は言った。
その言葉から、何らかの力がコーヤに掛けられていると踏んでいて、その後コーヤと再会した時に茜の存在を知ったのだ。
外見だけ見れば強力な能力者には見えないが、多分茜には何らかの不思議な力が備わっていると江幻も思っている。それを会った
ばかりの紅蓮も感じ取ったとは・・・・・さすが、次期竜王だと言おうか。
 「紅蓮様」
 「いいな」
 「・・・・・わかりました」
 素直に答えた茜には興味が失せたのか、紅蓮はいきなりコーヤの腕を掴んで立たせた。
 「えっ?あ、あの?」
一連の会話の意味がわかっていないコーヤは、紅蓮と茜の顔を交互に見ながら戸惑っている。
しかし、そんなコーヤの感情をくみ取ってやらないのも暴君、紅蓮だ。
 「行くぞ」
 「ちょっ?」
 「こーやぁ!」
 引きずられるようにして歩くコーヤの後ろを、青嵐が慌てて追いかける。
その後ろを無言で早足で付いていく黒蓉を見ながら、江幻も蘇芳と共に歩き始めた。
 「茜」
 ふと、その場に突っ立ったままの茜を見て、一応声を掛けた。ハッと我に返った茜も、ようやく足を踏み出す。
 「大変だよ、コーヤの側にいると」
楽しいことはもちろん、面倒なものもついてくる。それでも大丈夫なのかと暗に訊ねた江幻に、茜は先程までの神妙な顔とは違うふて
ぶてしい笑みを浮かべて言った。
 「覚悟している」