竜の王様2

竜の番い





第一章 
新たなる竜








                                                             
※ここでの『』の言葉は日本語です





 南の首都、彩加までの旅程には、そう何時も旅人が泊れる宿があるわけではなかった。
いや、はっきり言えば、集落を出て初めて泊った宿以降、5日間野宿だった。虫が怖いなどという女々しいことを言うつもりはなかった
が、さすがに硬い地面に連続して横になるのはきつい。
羅馬の背中は柔らかな毛に包まれてはいるものの、そこは生き物特有の筋肉の硬さがあるので尻も痛い。
 茜はそんな昂也の身体を気遣って多めの布で身体を巻いてはくれたものの、とてもそれでは追いつかなかった。


 「あ、後、どのくらい?」
 さすがに弱音を吐いてしまった昂也に、茜は羅馬の速度を少し緩めてくれながら言った。
 「明日には着くと思う」
 「あ、あした」
(後もう少し、か)
まったく先が読めないまま進むよりも、はっきりとした目標が出来れば気力も湧き上がる。目の前にはまだ一軒の家も見えないが、茜
が言うのなら間違いはないはずだ。
 「よく頑張ったな、コーヤ、後少しだ」
 「うん」
 「・・・・・それと、な」
 続けて口を開こうとした茜の言葉を待ったが、次の言葉がなかなか聞こえない。昂也がどうしたのだろうと首を後ろに向けると、茜は
眉間に皺を寄せたまま厳しい表情をしていた。
(茜?)
 この旅の間も昂也に不安を抱かせないように落ち付いた、そして穏やかな態度を崩すことはなかった茜だが、もう直ぐ目的地という
所で何か思うことがあるのだろうか?
 「茜?」
 昂也が名前を呼ぶと、茜は完全に羅馬の足を止めた。
 「一つだけ、聞いていいか?」
 「きく?」
 「お前は・・・・・人間だな?」
ニンゲン・・・・・人間かとはっきり聞かれていることが分かり、昂也はピクッと肩を揺らす。
多分、茜は気づいているのではないか・・・・・人間とはっきりと分からなくても、自分達のような竜人ではないことに気が付いているの
ではないかと思ってはいたものの、それを突きつけられると一瞬声が出なかった。
 なんだ、人間かと、このままここに置き去りにされてしまう可能性だってゼロではない。
それどころか、蔑みの目で見られることだってあるかもしれない。
 いままで過ごしてきた半月ほどの時間があっという間に覆られてしまう恐怖を、想像するだけで胸が痛くなった。
 「俺も、人間を見たことはない。話で聞いたものや、本で読んだことがある人間というものとお前は随分違うしな。それでも、今から
彩加にいく上できちんとお前のことを知りたいと思った。・・・・・俺の言葉、分かるか?」
ゆっくりと丁寧に話してくれる茜の言葉の意味はちゃんと分かる。所々聞いたことがない単語が混じっていたが、前後を考えれば話は
通じた。
 茜がなぜ今更それを聞くのか分からないが、けして昂也を追い詰めるわけではないようだ。
昂也は一度キュッと唇を噛みしめた後、茜の目を真っ直ぐに見返して頷いた。
 「俺、人間」
 「・・・・・そうか」
 「嫌い、なった?」
 聞かれなかったからとはいえ、ずっと黙っていたことを不快に思わないのかと恐る恐る訊ねると、茜は大きな手でグシャグシャに髪を
かき回してきた。
 「ば〜か、嫌いだったらここまでお前を逃がしてこない」
 「に、にがす?」
 「・・・・・お前、追われてるそ」
 「・・・・・終われた?」
まったく分からない言葉に、昂也は首を傾げた。




 休憩を取ろうと近くの岩陰で羅馬を休ませながら、茜はコーヤに水分補給の代わりに果物の実を渡した。
たっぷりと甘い果汁が含まれた、その名も蜜柑(みつかん)はコーヤの口に合ったらしく、もう3つ目を口にしている。
(・・・・・やはり、竜人とは違うな)
 通常、竜人は食が細い。力仕事をしている者達でも、一日二食の食事をとるくらいだ。
しかし、コーヤは朝、昼、晩と、どんなに少量でもきちんと食事をとっていた。それが何時ものことだと言って。それだけ食べるわりには、
茜よりも遥かに体力の無いコーヤだったが、食べる時の嬉しそうな、楽しそうな表情を見るのは心が和んだ。
 茜の仕事を一生懸命手伝ってくれて、集落の子供たちとも一緒になって遊んで。
気遣いも出来るコーヤを、今更人間だったから嫌えというのは無理だ。
 「コーヤ」
 「んむ?」
 「分かっているのか?お前は手配されているんだぞ?」
 「ん〜・・・・・分からない?」
 言葉の意味が分からないのか、昂也は呑気に首を傾げている。
竜人界の宰相直々の命が下っているというのに、当の本人がここまで自覚がないと心配しているこちらの方が馬鹿馬鹿しく笑えてし
まう。
(それが、コーヤなのかもしれないが)
 それでも、彩加に向かうのならば用心に越したことはない。自覚の無いコーヤに少しでもその意識を持ってもらうために、茜は言葉を
継いだ。
 「彩加の人口は多いし、皆生活するのに一生懸命だろうから他人のことまで気にしていられないだろうが、首長の常盤は・・・・・あい
つは用心しなければならない」
 「トキ、ワ?」
 「そう・・・・・あいつは、やっかいな男だからな」
 彩加の首長、常盤は、とても野心的な男だ。今は南の地域を治めている首長の地位にいるが、いずれは首都に上がるつもりだろ
う。
竜王紅蓮の側近として四天王の一角に入り込もうと狙っているのは明白だが、あの男にはそれだけの能力があった。
(竜に変化出来る能力者だからな・・・・・)
 普通ならば茜も気にならない。自分の上で何があろうが、茜の生活には直接関係ないことだ。それでも・・・・・あの男だけは、常盤
が力を持つことだけは許容できなかった。
 だから、コーヤを守らなければならない。
今頃はあの集落にコーヤがいた事実を把握して、その身柄を捕らえようと狙っている。
常盤にコーヤを渡すくらいなら、自分が白鳴に直接対面させた方がいいかもしれないと茜は思い始めていた。




 翌日。
太陽が真上に差し掛かるまでずっと羅馬を走らせ続けた茜が、
 「コーヤッ、前を見ろ!」
いきなりそう話し掛けてきた。
 「ま、前っ?」
 風の抵抗を受けながら昂也は必死で前方を見た。
 「あ!」
(し、城っ?)
遠くに見える高い塔。それを囲むようにずらりと長い城壁が囲っている。その合間から見える幾つもの建物が、そこが大きな町であるこ
とを示していた。
 「あれっ、サイカッ?」
 「そうだ!」
 「・・・・・っ」
(あれが、南の都・・・・・!)
王宮と、離宮、そして北の谷の岩山しか見ていない昂也にとって、そこはいかにも賑やかそうな生きている町に見える。
(あそこでなら、みんなのことも分かるかもしれないっ)
 自分がいなくなって以降のグレンや青嵐、それにシオンや他の皆のことも色々と分かるかもしれない。
昂也は気持ちが急いた。

 実際に首都が見えてから周りを囲っている塀まで辿りつくのに半日近く掛かった。
 「どうやら、間に合いそうだな」
 「え?」
 「中に入る時に門衛の取り調べを受けなければならない。名前と出身地、彩加にきた目的くらいだがな。1人1人だから・・・・・」
 「うわ・・・・・」
茜と一緒ならばともかく、1人だけでその取り調べに答えられるだろうかと、昂也はさすがに不安になってしまう。何とか相手の言葉は
聞き取れるが、返す語彙はまだまだ少ないのだ。
 「茜ぇ」
 どうしようと眉を下げながら名を呼ぶと、茜は大丈夫だときっぱりと言い切ってくれた。
 「日が暮れてからで返って良かった。お前の瞳の色はこの光ではよく見えないだろう。後は名前も変えなければな」
茜の指南に、昂也は真剣な顔をして頷いた。




 「次!」
 壁に開いた大きな入口の前には、石で作られた囲いがあった。屋根がないそこで、どうやら取り調べがあるらしい。
時間が遅いせいか、昂也達が到着した時には前に2人だけ男がいた。
 「コーヤ」
 「え?」
 小声で声を掛けてきた茜を振り向くと、手に小さな袋を乗せられる。それは大きさの割には結構重たかった。
 「な、なに?」
 「役人にそれを渡せばいい」
 「・・・・・これを?」
 「彩加はこれが一番効くんだ」
 「・・・・・」
にやりと笑う茜の顔を見てから、昂也はチャラッと揺らしてみる。その音で、昂也はあっと思い付いた。
(これ、お金だ!)
 どのくらい入っているのか分からないが、これは多分賄賂ではないだろうか。時代劇で見たことがある、悪い商人が役人に渡して自
身の優位に動いてもらうものだ。
(こっちの世界でもそんなことがあるのか・・・・・)
 じっと考え込む昂也に、茜は考えるなと言った。
 「これで簡単に中に入れてもらうのなら安いものだ」
 「で、でもっ」
 「これも作戦の一つだ」
 「あ、茜」
 「次っ」
本当にこれでいいのかと言おうとしたが、その時に中から声がした。次は昂也の番だ。
 「ほら、役人も俺達が最後だから早く済ませたがっている。さっき言った通りに言って早く許可を貰うんだ、いいな?」

 茜に背を押され、昂也は木のドアを開けた。
篝火がたかれた空間には、簡素な木の机があり、その向こうには1人の男が座っていた。
 「名前は」
 顔を上げないまま聞いてくる男は、本当に首都を守る気があるのかと疑ってしまうほどにやる気を感じない。これならお金を渡しさえ
すれば、名前も言わずに通してくれそうな気配だ。
(それでいいのか?)
 「・・・・・」
 「おい」
 昂也がなかなか言葉を発しないので、男はようやく顔を上げる。まだ若い面差しだが、その顔の首筋辺りに見える影は・・・・・鱗だ
ろうか。ここが別世界だと、改めて感じた。
 「名前は何というんだ」
もう一度重ねてそう訊ねられ、昂也はゆっくり口を開いた。
 「・・・・・紺、です」
 昂也という名前は変わっているので、違う名前を言うように言われていた。後は・・・・・。
 「出身は」
後は、今手にしている袋を目の前の役人に渡せば、それ以上の質問をされずに解放されるはずだ。
 「・・・・・」
 なんだか、すごいズルをしているような気がして、昂也はなかなか身体が動かなかった。ここまで連れて来てくれた茜のためにも、目
を付けられるようなことはしてはいけないと分かっているのに、何だか・・・・・お金を渡すのが嫌なのだ。
 「おい」
 口を開かない昂也に、役人がそろりと椅子から立ち上がる。さすがに大柄なその男をじっと見つめながら、昂也は後ろ手に持ってい
る袋を強く握り締めた。