竜の王様2

竜の番い





第一章 
新たなる竜








                                                             
※ここでの『』の言葉は日本語です





 「何か話せない事情でもあるのか」
 ゆっくりとこちら側に向かってくる男をじっと見つめていた昂也は、茜に顔を上げないようにと注意されたことなどすっかり頭の中から消
えてしまっていた。
(茜の言うことは、多分正しいんだろうけど・・・・・っ)
 こんなふうに胸の中がモヤモヤしている自分の方が子供なのだと自覚しているが、それでも昂也は今持っている金をこのまま役人に
渡すことが出来なかった。
 「・・・・・」
 役人の指先が面前に迫った時、
 「私はっ、神官の見習いです!」
昂也の唇から突いて出たのは、以前アオカから教えてもらった言葉だった。
 「神官の見習い?」
 さすがに驚いたのか、役人は手を止めてマジマジと昂也を見下ろしてくる。その視線を真っ直ぐに見返しながら、昂也は力強く頷い
て続けた。
 「神官の見習いです!役、立つ!大切!だいじょーぶ!」
 「な、なんだ、お前は・・・・・」
 どう説明するのが一番いいのか分からなかったが、自分の存在は価値があるのだとアピール出来たらいいと思った。わざわざ賄賂を
渡して入国を許してもらわなくても、必要とされる神官(見習い)なのだから使いようがあるのだと、知っている語彙を駆使して説明し
たかったが、やはりというか・・・・・意味は中途半端にしか通じていないらしい。
 役人の表情は驚きから訝しげなものに変わり、顔を良く見せろと強引に顎を取られてしまった。
 「お前、本当に神官の・・・・・」
 「申し訳ない!」
 「・・・・・っ」
その時、バンッと勢い良くドアが開く音がした。
 「なんだ、お前は。まだこの者の調べが終わっていないぞ」
 突然飛び込んできた相手に役人は厳しい声を掛けるが、侵入者・・・・・茜は、もう一度謝罪しながら昂也の腰を後ろから抱き寄
せた。
その動作で、役人の手から解放され、昂也はホウッと安堵の息をつく。
 「こいつは俺の弟です。神官見習いというのも間違いじゃないが、今から修行を始めるくらいの初心者で、ここでお役人様にお見せ
出来るような力はまだありません」
 「お前達が兄弟・・・・・似ていないが」
 明らかに疑っている相手をどう誤魔化すのだろうかと思う間もなく、昂也は茜の手が素早く役人の懐に伸びたのが見えた。
その手に持っていたのは自分が今手にしている物よりも少し大きな袋だった。
(・・・・・結局、同じことなのか・・・・・)
 「・・・・・分かった、神官見習いと商人ということで入国を許可しよう。ああ、弟は少し礼儀を教えたほうがいいぞ。言葉も拙いし、
神官は諦めた方がいいかも知れんな」
 「そう言いきかせます、ありがとうございました」
 2人分の入国許可証を貰った茜は愛想よく笑いながら役人に頭を下げると、そのまま足が固まったように動かなかった昂也の腕を
引っ張るようにしてドアの向こうに出た。
 「コーヤ」
 「分かってる」
 羅馬の綱を引き、直ぐ側にある彩加の都に入る門をくぐりながら、昂也は俯いていた。
 「俺、子供だ」
 「・・・・・」
どんなに嫌だと思っても、結局は金の力ですべてがスムーズに行った。いや、もしもあのまま役人に自分が人間だと知られてしまったら、
一緒にいる茜さえも責められていたかと思うと、とっさに行動してしまった自分の浅はかさを後悔するしかない。
 それでも・・・・・嫌だったのだ。どんなに甘いと思われようとも、悪いことをしているわけでもないのにこうして裏で細工をしなければなら
ないことが。
 「いいんじゃないか、それでも」
 「茜」
 「コーヤのその気持ちは確かに綺麗過ぎるが、それを押し殺したらお前じゃなくなる気がする」
 「・・・・・ごめん」
 自分の子供っぽい正義感で、もしかしたら茜も危ない目にあったかもしれないのだ。自分の言動が全て正しいと思ってはならないの
だと、昂也は唇を噛み締めた。




 既に日も暮れてしまい、茜は宿を探そうと言った。
 「安くていいよ」
さっき役人に払ったお金のこともあるしあまり贅沢はしなくていいと告げると、茜は少し目を瞬かせた後笑った。
 「子供が金の心配をするな」
 「だって」
 「それに、お前のおかげで渡す金はほぼ半額で済んだんだ。その浮いた金を使えばどうってことない」
 「・・・・・そうかな」
(なんだか違うような気がするんだけど・・・・・)
 そもそも、昂也がいなかったらあの賄賂は1人分で良かったはずだ。いや、もっと言えば、昂也がいなければ彩加に来ることはなかっ
たはずで、賄賂だってそもそも必要はなかった。
(・・・・・俺って、疫病神、か?)
 なんだか茜に申し訳ないが、今は彼しか頼る相手がいなかった。せめてコーゲンやスオーと出会えればまた違うが、王都にいるはず
の彼らのことを考えても仕方が無い。
 ここで不意に出会うよりは、青嵐の世話をしてくれていた方がよほど嬉しかった。
 「ここでいいか?」
 「ここ?」
門から二百メートル町中に入った一軒の宿を見上げながら言う茜に、昂也は直ぐに頷く。
宿が嫌などと文句を言うつもりは毛頭なかったし、外観を見てもそれ程高額な宿代を取りそうではない気がした。
 「前に一度泊まったことがあるんだ」
 「茜、ここ来た?」
 「・・・・・まだ若い頃にな」
今でも十分若い茜のその言葉に首を傾げたが、それ以上茜は笑って説明をしてくれなかった。

 久し振りに汗と汚れを落とした昂也はさっぱりした気分で部屋に戻った。
 「どうだった?」
 「きもちよかったー」
そう言いながら、一つのベッドにばたんと仰向けに倒れこむ。
(・・・・・柔らかい・・・・・)
 野宿も2、3回は楽しかったが、柔な身体の昂也にとっては連続のそれは随分負担になっていた。こうして柔らかな(日本の自分の
ベッドと比べれば硬いが)場所で眠れるというだけで幸せだと思う。
 「おい、飯を食わないのか?」
 「・・・・・ぅ」
 「コーヤ?」
 「・・・・・」
茜の声が遠くに聞こえる。それに答えているつもりだったが、昂也は急激に襲ってくる睡魔に勝つことが出来なかった。




《・・・・・ヤ、会いたい・・・・・》
 「ん・・・・・ぁ」
 誰かが名前を呼んでいる。良く知っている相手のはずなのに、その顔も声も思い出せなくて、昂也は必死に相手を捜して走り回っ
た。走って、走って・・・・・。
 「・・・・・っ」
誰かの名前を呼んだつもりだが、自分が何を言ったのか分からないままパッと目を覚ます。
 『・・・・・あ、そっか』
 起きたその場所が自分の部屋ではなかったことに驚いたのは一瞬で、昂也は今どこにいるかを直ぐに思い出した。
 「・・・・・」
横のベッドを見ると、まだ茜は眠っていた。野宿をしていた時は、昂也が目覚めると既に起きていたが、さすがにその疲れが出て今日
はよく眠っているのかもしれない。
(俺の面倒も見なくちゃいけないんだし・・・・・悪いな)
 自分のことは自分で全てしたいが、見知らぬこの世界では誰かに頼らなくては何も出来ない。ここまで来るのにも、結局全て茜にお
膳立てをしてもらうしかなかった。
(せめて、言葉を早く覚えないと・・・・・)
 「・・・・・」
 昂也はベッドから起き上がった。
昨夜は夕食も食べずに早くから眠ってしまったので、今から二度寝をするつもりはない。腹も減ったなと思いながら窓にはめてある板を
そっと開けると、外はまだ薄暗く、夜が明けるにはもう少し時間が掛かりそうだ。
(外に出ちゃ駄目かな)
 この彩加がどんな所なのか、早くこの目で見たいと思った。それには、人の少ない早朝は都合がいいと思う。
 「・・・・・」
茜を起こそうかどうか迷ったが、少しだけ近くを歩いたら戻ってこようと思ってしばらく寝せておくことにして、昂也は静かに服を着替える
とそっと部屋から出た。




 完全に夜が明けてないものの、道には何人もの人々が行きかっている。
荷台を引いたり、背中に大きな籠を背負ったりしている様子に、彼らは商人ではないかと見当をつけた。不思議な力を持っている者
もいるとはいえ、普通の暮らしをしている人の方が多いのではないか。
(あ〜、お金があったら買い物したいな〜)
 だが、昂也は当然のごとく無一文だ。まさか茜にお小遣いをくれとは言えない。
(あ、市場だ)
朝市の仕度をしている露店がずらりと並ぶ大きな通りに出ると、賑やかさはいっそう大きくなった。
 「おはよう、これ1つくれ」
 「はいよ」
 「なあ、速い羅馬手に入らないか?」
 そこかしこで交わされる会話は所々分かる。なんだか普通に人間みたいだなと思っていると、前方から若い・・・・・多分昂也より少
しだけ年上に見える女の子達が話をしながら近付いてきた。
 「え、じゃああなた行ったのっ?」
 「ええ、ようやく予約が取れたの」
弾んだように言う1人の女の子の言葉に、他の2人が羨ましげに声を上げる。
 「いいな〜、私も父さんに頼もうかしら」
 「結構お金が掛かるんでしょ?私は悩むなあ」
 「それでも、あんなにステキな人と2人きりで話が出来るのよっ?彩加には滅多にいないいい男!」
 『・・・・・』
(わ、若い女の子って、どんな世界でも元気なんだ・・・・・)
 周りに話が聞こえるのも構わずに騒いでいるその話を何とか聞き取れば、どうやらカッコイイ男と金を払って会うらしい。
何だか胡散臭さ満点な話だが、本人達がこれほど喜んでいる中、昂也が怪しいと注意するのもおかしいだろう。それに、どんなに怪
しいと思っても、会いたいと思うほどにその人物に価値があるのなら・・・・・。
 「その先読み、本当に当たるの?」
 「私は当たるって聞いたわ」
 『・・・・・』
(サ・・・・・ヨミ?)
 何だか、分からない単語だ。
 「あの近眼鏡の奥の紫の瞳で見つめられると、身体が痺れてしまうわよ〜」
 「あら、私は時々見かける赤い髪と目の方のほうが好きだけど」
 「私はどちらでもいいわ、抱きしめてもらえるのなら」
やだあと笑い合う女の子達が横を通り抜けた。昂也も男なのだが、どうやら視線を向けるほどの魅力はないらしい。一応、旅着のマ
ントを羽織っているので顔はよく見えないだろうが・・・・・なんだか虚しくなる。
 「あ、あの人カッコイイ!」
(どんな顔がカッコイイ基準なんだ?)
 声につられて振り向いた昂也は、意外にも自分に向かって走ってくる人影に目を丸くしてしまった。
 「あ、茜っ?」
 「コ、紺!」
人の目があるせいか直ぐに言い直した茜は、昂也の目の前に立ってじっとその姿を見ると、安堵したようにハ〜ッと大きな息をつく。
その額に滲んだ汗を見た昂也は、茜に心配させてしまったことに即座に気付いた。
 「ご、ごめんなさい!」
 「いや、無事で良かった」
 「で、でも・・・・・っ」
 「昨日のことがあって、もしかしたらお前に呆れられたのかと思ったが・・・・・そうじゃないって思っていいのか?」
当たり前だと、昂也は激しく首を縦に振った。