竜の王様2
竜の番い
第一章 新たなる竜
8
※ここでの『』の言葉は日本語です
目が覚めて、コーヤの姿が隣の寝台に無かった時、茜は一瞬息が止まりそうになった。
誰かに連れ去られたのかもしれないという思いがとっさに頭の中をよぎったが、次に考えたのは昨日のコーヤの態度。
金を渡して役人の口を黙らせた自分の行動がどうしても我慢が出来ず、この先旅を出来ないと思ったのかもしれないと考えてしまっ
た。
コーヤの言うことは正しい。金を払うことなく、あの役人を納得させる方法は他にもあったかもしれない。
ただ、一方でそれが綺麗事だということも茜は理解していた。まだ若い分、コーヤはその思いが強かったのだろう。
それだけでは今世の中を渡ってはいけないと冷静に思う反面、そんなコーヤの真っ直ぐさは茜には眩しかった。
己の行為が良かったのか悪かったのか、それを考える暇もなく宿を飛び出した茜はコーヤの姿を捜した。
パッと見た外見では、コーヤが人間だというのは分からないだろう。ただ、珍しい黒い瞳、それと、会話を続けた時の言葉の危うさを
不審に思われてしまったら。
そんなことを考えている間、宿からそれほど離れていない朝市の入口でコーヤを見付けた。
心配をさせられたことを叱るよりも、無事であることの嬉しさの方が大きくて、茜はしっかりとコーヤの肩を掴まえてしまった。
「ご、ごめんなさい!」
コーヤも直ぐに謝罪してくれた。
とりあえずの無事を確認出来たことにホッとし、茜はクシャッとその手触りの良い髪を撫でる。
「俺も、悪かった」
「あ、茜、何も悪くないっ」
「そうだとしても、お前がちゃんと納得するまで説明すれば良かった。昨夜の内に彩加に入りたくて焦ってしまったんだ」
「・・・・・」
茜にとってはそれは当たり前の謝罪だったが、目の前のコーヤの眼差しは泣きそうに歪んでしまっている。
これ以上自分が謝ることはコーヤにとって負担のようだ。しかし、その逆もそうである。
「これで、この話は終わろう。まだ当分一緒にいるんだ、お互いちゃんと納得するまで話し合って色んな事を決めよう、それでいいな、
コーヤ」
結局、自分よりも遥かに大人の茜がことを丸く収めてくれた。
自分の方が悪いのにと思いながらも、その茜の気持ちに甘えて頷くと、茜はふっと目を細めて笑いながらようやく明るくなってきた空
を見上げて言った。
「せっかく出てきたついでだ、朝市を覗くか?」
「い、いい?」
「顔は見られていないんだろう?」
それは気を付けていたので大丈夫だと思う。
そう答えた昂也に、茜は行くかと言って歩き始めた。
「さすがに首都だからな、変わった食い物もあるぞ」
「くいもの?」
「宿でも朝食は出るが、何か摘もう」
先程までとは違い、今はほとんどの露店が開いている。
野菜に、果物。肉に、日用品。見慣れているような、どこか違うような食べ物や道具を一々説明してもらい、茜に何を食べるかと聞
かれた。
「いっぱい」
「ああ、賑やかだろう?」
確かに、ここは生き生きとしてとても賑やかだ。
(何だか、外国に来てるみたいだよな)
異世界というよりも、今まで住んでいた世界の、どこか別な国といった感覚の方が強い。それでか、この空気感はとても懐かしいも
ののように感じた。
茜が隣にいることで、図々しいとは分かっていても昂也は随分と気分が楽になる。
「茜は?何食べたい?」
そんな思いのまま隣を見上げると、茜も周りに視線を向けながら口を開いた。
「俺か?俺は・・・・・」
そう言い掛けた茜は、いきなり昂也の腕を掴む。
「えっ?」
いったい何があったのか、昂也はその手と茜の顔を交互に見つめて思わず聞き返した。
「茜?」
「こっち」
突然どうしたのかと訊ねる前に、茜はそのまま早足で歩き始めた。昂也とはかなり違う歩幅に、どうしても小走りになってしまう。
「あ、茜っ?」
「ちょっと、会いたくない奴がいた」
「あい、え?」
早口だったので、はっきりと聞き取れない。
「取りあえず、宿に戻ろう」
それでも、先程自分と顔を合わせた時とはまるで違う、少し怒ったように眉を顰めた茜に嫌だと言うことも出来ない。
(どうしたんだろう・・・・・?)
そんな不安を抱いたまま、昂也はとにかく茜の後を付いて行くしかなかった。
時間をかけることなく宿に戻ると、茜から先に部屋に戻っているようにと言われた。
そのまま大人しく部屋で待っていると、しばらくして茜が戻ってくる。その手には朝食らしきものがあった。
「腹が減っているだろう?さっきは何も食べれなくて悪かったな」
「ううん、だいじょーぶ。でも、何か心配?」
急に態度が変わってしまった茜。何があったんだろうとその場で聞きたかったくらいだが、今やっと言葉に出すことが出来た。
「ここに来れば会うかもしれないとは思ったんだが・・・・・何の心の準備もないまま会ってしまうと動揺してしまうな」
「どーよー?」
「・・・・・幼馴染がいるんだ。もうずっと前にあの集落からいなくなった奴なんだが・・・・・」
そこまで言うと、茜は黙ってしまった。
その表情の中にはどこか戸惑った色も濃い。昂也はもっとその相手のことを聞きたかったが、茜はそれきりその話題を口にはしてくれ
なかった。
少し気まずい朝食を終えると、茜はさてとと居ずまいをただして昂也と向き直った。
「コーヤ、これからのことを少し話そうか」
「これから?」
穏やかな口調ながら真剣な様子が垣間見え、昂也も茜と向かい合う。
確かに、これからのことはちゃんと話し合っていた方がいい。
(だいたい、あの集落を出た方がいいわけも、まだ茜から聞いてなかったし)
どうやら、彩加の首長であるトキワと顔を合わせない方がいいということだが、その理由は昂也には分からない。そこを説明して欲し
いし、その上でこれからどうしていいのか相談をしたかった。
「しゅーちょ、トキワ、悪い人?」
「悪い・・・・・とは、言い難いな」
歯切れの悪い言い方だ。それでも、ニュアンスは何となく感じ取れる。
(とにかく、厄介な感じなのかな)
顔も見ていない相手。ただ、空を飛んでいた青竜の姿は見た。竜に変化出来るということは、トキワという人物はかなりの能力者とい
うことなのだろう。
ただ、それだけの力があるはずの人物が、先のセージュとの戦いの時は姿を見せなかった。
(面倒なことは嫌いな、事なかれ主義?それとも・・・・・)
「あいつは、自分の欲望に忠実なんだ」
昂也が考え込んでいる間も、茜の説明は止まらない。
「ちゅーじつ?」
「上昇志向も強い。あのまま集落に残っていたら確実に奴に掴まって、そのままお前の身柄を手土産にして王都に乗り込むつもり
だったのだと思う」
「・・・・・」
「王家に反発する者と手を結んだという噂もあるし、油断はならないだろうな」
(おーけに、反発?)
聞きとれた単語は不穏なもので、昂也はそれを自分が聞いても良かったのだろうかと少し不安になってしまった。
常盤はとにかく評判が悪い。
力があることは皆知っているし、統治能力も東西南北の首長の中でも秀でている存在だ。
ただし、その胡散臭さから、反感や不信感を抱かれることも多いと聞いている。
そして、茜はそんな一般的な評価を口にする者達よりも少しは詳しく、常盤のことを知っていた。
「茜、トキワ、悪い人か?」
「悪い・・・・・どうだろう」
「わかんない?」
「ああ、それだけ複雑な男だからな」
なかなか手の内を見せないあの男の真実がどこにあるのかは、さすがに茜にも分からないことが多い。とにかく、あの男には近付かな
い方がいいというのが一番有効な手だと思った。
「多分、お前のことを捜しているだろうし、あまり歩きまわるのは考えものだな」
「・・・・・じゃあ、どうする?」
何のためにここまでやってきたのだと思っているらしいコーヤに、茜は真っ直ぐな視線を向けた。
「お前、自分がどうして追われているのか知っているか?」
「おわれ?」
「捜されていることを、だ」
もう少し言葉を砕いて言うと、コーヤは考えるように首を傾げてから左右に振った。
「わかんない」
「白鳴様にだぞ?宰相自らがそう命令を下されているんだ、知らないはずが・・・・・」
「ハクメーが?」
「・・・・・」
白鳴の名前に反応したコーヤに、茜は眉間の皺を深くする。あまりにもその名を言い慣れた口調に、何だか・・・・・嫌な予感が渦
巻いた。
(今の言い方はもしかして・・・・・)
「知っているのか?白鳴様のことを」
「・・・・・ううん、知らない」
さっきは確かに知っている風な言い方をしたのに、何を思ってか今はそれを否定する。
「・・・・・そう、か」
(こいつは、いったい・・・・・)
いきなり南の辺境の地に現れた人間、コーヤ。どうしてあんな場所に現れたのかと不思議には思ったし、青磁から、
「コーヤ、あいつ手配されているぞ」
「手配?」
「ああ。白鳴様直々の言葉だ」
と、いう話を聞いた時も、頭の片隅では可能性として考えていたことだった。それでも直ぐにコーヤに確かめなかったのは、茜の心の
どこかで王家とコーヤが関係があるのだと思いたくなかったからだ。
コーヤが白鳴に、いや、王家にとって特別な存在だったとしてら、早々に自分の手から離さなければならない。
信用のならない常盤にコーヤの存在が知られるくらいなら、いっそ自分が白鳴の元に連れて行こうとは思っていたが、それはあくまで
も白鳴とコーヤが知り合いではない場合だ。
コーヤがたとえ人間であったとしても、この竜人界に害をなす者ではないと訴えるつもりだったが・・・・・2人が顔見知りならば今少し、
その考えは置いておいた方がいいようだ。
「そう、か」
あまりにも分かりやすい嘘。
しかし、その嘘が、今の茜にとっては安堵する要因にもなった。
(び、びっくりした)
いきなりハクメーの名前を出されて驚いてしまい、その様子に茜には疑いを持たれたようだ。
人間に対してあまり良い感情を抱いていないはずの王宮の中の人間が、不用意に自分と知り合いだと思われない方がいいと思った
のだが、茜はちゃんと誤魔化されてくれただろうか。
自分がいなくなってからの状況をもう少しはっきりと把握するまでは、どうにか何も聞かないで欲しいと思った。今の自分が、グレンの
立場を悪くさせるわけにはいかない。
全てを話すのには、もう少し待っていて欲しい。
「・・・・・茜?」
恐々名前を呼んでみると、茜は硬かった表情を緩めてくれた。
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