竜の王様2
竜の番い
第二章 孵化の音色
プロローグ
※ここでの『』の言葉は日本語です
この扉の重さは、多分自分の緊張と比例しているのだと思う。
誰かと真剣に向かい合う・・・・・今までもそんな場面は何回かあった。
悪戯をして、母に怒られる瞬間。
宿題を忘れて、先生に叱られる瞬間。
喧嘩をした翌日、友達と会うために教室に入る瞬間。
初めて海に潜った時も、運動会でかけっこの順番を待つ時も、その一瞬一瞬が自分にとっては真剣で、緊張した場面だった。
しかし、今回はそのどれもと違う。仲間を裏切り、その代償に自分の命を差し出すという、あまりにも非現実的な出来事を目の前
で見、彼がどうなったのか、その無事を見ないまま自分はもとの世界に帰ってしまった。
だから、どんな顔をして会ったらいいのかわからない。
彼がどんな目で自分を見るのか、怖い。
会いたくないと、拒否されたら・・・・・。
自分の気持ちを相手に押しつけるのはよくないし、受け入れてもらえないのならそれも仕方がない。
ただ、それでも、今の自分の気持ちまですべて否定したくない。
まったく見知らぬ世界で、一番最初に優しい言葉を掛けてくれた相手に、感謝の気持ちを絶対に伝えたい。
会わなければ・・・・・大きく深呼吸をした行徳昂也(ぎょうとく こうや)は、意をけっして視線を前へと向けた。
その部屋は簡素ながらも広く清潔で、とても罪人を押しこめておくような場所には見えない。
(俺、岩屋の牢とかに入れられているのかもしれないって思ってた)
きっと、グレンが怪我人でもあるシオンを気遣ってくれたのだろうと嬉しくなって、昂也はちらりと自分の後ろを振り向いてしまった。
「どうした?」
「ありがと」
「・・・・・」
唐突に礼を言った昂也の心中がわからないのか、グレンが端正な顔に怪訝そうな表情を浮かべる。
だが、その意味を説明するにしてもどう言っていいのかわからないので、昂也は再び前を向いてベッドに上半身を起こした格好でこ
ちらを見ているシオンに笑いかけた。
「シオン」
「・・・・・コーヤ」
その言葉の響きをどう言ったらいいのだろうか。
シオンも何か思うことがあるのだろう、名前を呼んだきり次の言葉が出てこないようだ。昂也はゆっくり歩いて側まで行くと、彼の青白
い手を両手でギュウッと握り締めた。
優美と言えた彼の容姿は、怪我のせいか随分細くなったように見えるが、それでもこうして無事に生きてくれているだけで嬉しい。
「・・・・・よかった、生きてた」
鼻が、ツンとする。目元が熱くなり、なんだかこみあげてくるものがあった。
(ま、まず・・・・・っ、泣くかもっ)
大勢の前で泣くのは子供っぽいと思う。
第一、ここで自分が泣いてしまえば、シオンにますます罪悪感と負い目を感じさせてしまうかもしれない。
だが、違うのだ。これは悲しくて泣いているのではない。シオンとこうして会えて、言葉を交わすことが出来るということが、昂也にとっ
て自然と涙がこみ上げてくるほど嬉しいことだった。
「コーヤ、私は・・・・・」
「シオン、俺ね、シオンが悪い、人、ちがう、思う」
昂也の言葉を聞いて、シオンの目が僅かに見開かれた。最後に彼に会った時よりも幾分語彙が多くなったのを驚いているのかもし
れない。そんなシオンに向かって、昂也はゆっくりと言葉を継いだ。
「ひつよー、だから」
「・・・・・コーヤ・・・・・」
「みんな、シオンがひつよーだから」
何を、どう伝えたらいいのか考えていたが、昂也の口から出てきたのはそんな単純な言葉しかなかった。
シオンを生かしてくれたグレンにも、生きているだけでもつらいかもしれないのにこうしてここにいてくれるシオンにも、こんな言葉ではま
だまだ足りないだろうが、それでも少しでも、シオンに前向きになって欲しい。
頬に零れた涙を片手の手の甲で拭い、昂也はシオンに笑い掛ける。そんな自分をしばらくじっと見つめていたシオンが、ふと目を細
めて言った。
「・・・・・本当に、戻ってくるなんて・・・・・」
「うん」
(俺も、いろいろあったんだよ)
突然元の世界に帰ってから、再びここにやってくるまで。そして、ここにやってきてから、みんなと再会するまで。
大変だったとは思わない。何時だって周りに助けてもらったし、自分の努力なんて微々たるものだったと思う。
「あなたが、またここに戻ってきてくれるとは思いもしませんでした」
「なにか、したい、思った」
「何、か?」
「ここ、新しくなる。グレンがおーさまになって、みんな助けて・・・・・それ、少し、俺もしたいって」
人間と竜人。そこには大きな違いがあるものの、あの大変な時を共に過ごしたということで自分も何か、新しい竜人界をつくる手助
けをしたい。
その自分の決意をどうシオンに説明しようか考える昂也の手が、シオンの方から強く握り返された。
「会いたかった・・・・・」
「シオン」
「あなたに、会いたかったんですよ・・・・・」
「・・・・・うん」
(俺、少しはここに来た意味があったのかな)
こんなふうにシオンが喜んでくれた。それだけでも、昂也は自分がしてきたことが意味のあるものだと思えた。
主を裏切り、この世界を終わらせるために自ら進んで行動した。その時の自身の気持を今更言い訳などしようとは思わないし、後
悔もしていない。あの時の紫苑は、どうしてもこの世界を変えたかった。聖樹に聞かされた長い間の歪な王族の支配を断ち切り、何
とか新たな竜人界をと望んだ。
そのためには自身の命などどうなろうと構わなかったが、唯一の紫苑の誤算はコーヤという人間を知ったことだった。
第二王子、碧香が人間界に行ったことにより、その形代として竜人界に呼ばれてしまったコーヤ。
その当時から聖樹と通じ、紅蓮を裏切ることを決意していた紫苑にとって、コーヤは異質な存在でしかなく。
傍観者にもなれないだろう人間の子供に、紅蓮の意に沿うように思わせて距離を置いて接しようとしたものの、あまりにも真っすぐ
で眩しい存在のコーヤを視界から外すことは出来なかった。
「シオン」
「・・・・・あなたが、元気そうでよかった」
「うん」
突然人間界に戻ってしまったコーヤが、再びこの竜人界に戻ってくるとは思わなかった。
もう二度と会うことはない・・・・・それは思った以上に紫苑の胸を重くしたが、それでほんのひと時でも自分に優しい時間をくれたあの
人間の子供が幸せな生を送れることが出来るのなら。
そう思っていたのに、再びこうして目の前に立った姿を見た時、すぐに湧きあがった感情は嬉しさだった。
「言葉、上手になりましたね」
「こと、ば?」
コーヤは首を傾げた後、ようやく頭の中に意味が通じたのかパッと顔を輝かせる。
「俺、がんばった!」
「ええ、よくわかります」
「ほんと、わかる?」
「私など、あなたの世界の言葉を何一つ知らないのに・・・・・」
見知らぬ世界にいきなり呼ばれてしまったのに、コーヤはとても前向きだ。江幻の持っている緋玉があれば言葉は簡単に通じるの
に、自らが努力してこうして話せるようになっている。
自身の存在というものを消すことしか考えていなかった自分とは違い、新しく道を切り開いていたのだ。
(本当に、私の考えの上を行く)
それを、こうして自分の目で見ることが出来るのが嬉しい。
「教える」
「コーヤ?」
「俺の、ことば。覚えて」
もう一度傍にいることを望んでもいいのだろうか。
「な、シエン」
コーヤの目にはもう涙は溜まっていない。しかし、まだ濡れている頬を紫苑は指先でつっと拭う。
これは尊い、とても綺麗なものだ。人のために泣くことの出来るコーヤの優しさに感情を揺さぶられ、紫苑も自然と笑みを浮かべる
ことが出来た。
目の前で、コーヤと紫苑がしっかりと手を握り合っている。
そこには純粋に再会した喜びしかないのだろうが、見ている紅蓮(ぐれん)の心中は複雑だった。
(紫苑は、コーヤをどう思っている・・・・・?)
紅蓮と、四天王と呼ばれる四人を含めた中で、一番最初にコーヤに対して理解を示した紫苑。そのせいで、コーヤが一番懐き、
紫苑の処分に対しても必死に許しを乞うていた。
その中にどんな感情があったのか、その時は深く考えていなかったが、今は・・・・・。
「・・・・・」
紅蓮は2人から目を逸らす。このままじっと見ていると、なんだか自分の中の見たくない感情まで出てきそうだったからだ。
しかし、このままこの場から立ち去ることも出来ない。自分の目の届かないところでコーヤに何らかの変化が生まれるのは・・・・・。
「コーヤ」
様々な思いが渦巻く中、紅蓮はコーヤの名前を呼ぶ。コーヤは直ぐに紅蓮を振り返った。
「安心したか」
「うん。ありがと、グレン」
「礼などいらない」
コーヤの言葉はとてもくすぐったく、紅蓮はどうしてもその素直な感謝の思いに慣れない。
自然にそっけない態度になってしまい、それをすぐに後悔してしまうが、言われたコーヤはあまり気にしてはいないようだった。
「シオン、元気でよかった」
自身の目で紫苑の無事を確認し、本当に安堵したらしい。どこまで非情な男だと思われていたのかと面白くなかったが、それで
も恐れられたり嫌悪されるよりははるかにいい。
「そろそろ行くぞ」
「あ・・・・・シオン、ケガしてるしね」
「・・・・・そうだ」
自身の気持が優先したのだが、コーヤはその言葉を好意的に捉えたらしい。
すぐに紫苑を振り返り、また来るからと言い残してこちらへと駆け寄ってきた。
会わなかった時間、コーヤに何があったのか紅蓮は直接聞こうと思っていた。
どうして彩加に現れたのか、茜という男とどんな生活をしていたのか。
人間界を捨て、再び竜人界にやってきたのは・・・・・何のためか。直接聞かなければわからないことは山ほどあって、そのどれもが紅
蓮にとっては知らなければならないことばかりだった。
しかし、そんな紅蓮の思惑とは裏腹に、コーヤにまとわりついている者たちはなかなか離れようとしない。
「・・・・・」
「コーヤ、腹減ってないか?」
「だいじょーぶ」
「・・・・・」
紅蓮は意識を背後に集中する。
「コーヤ、最初から張り切っていると身体が持たないよ」
「コーゲン、心配しすぎ」
「それが私の性分だからねえ」
「・・・・・」
耳に届くコーヤの声は、腹立たしいほどに喜色を帯びていた。
(違うだろう、コーヤッ)
左右からコーヤに話しかける蘇芳と江幻は、紅蓮を完全に視界から外している。皇太子に対して、いや、次期竜王に対してする
態度ではないが、今更咎めても態度を改める男たちではない。
それよりも、こうしてコーヤが自身の領域に戻ってきたことで考えなければならないことが様々にあると改めて考える。
人間であるコーヤを、どうすればこの竜人界に留めておくことが出来るか。人間界に戻すことなど、絶対に考えられない。
(これは、私のものだ)
自分のものを手元に置いて何が悪いのか。
咎めるものなどいるはずがない。この竜人界の頂点にいるのが自分なのだ。
(蘇芳と江幻、それに茜という男の処遇も考えねばならないな。能力者は王家に仕えるのが本当だが、おそらくこの者たちは私の
言葉など聞かないだろう)
「こーや、だっこ!」
そして。
「おいで、青嵐」
なにより、この角持ちをどうすればいいのか、それが一番の難問だった。
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