竜の王様2
竜の番い
第二章 孵化の音色
1
※ここでの『』の言葉は日本語です
シオンに会えて、昂也は本当に安心した。多分、彼はもう簡単に自身の命を捨てようとはしないはずだ。
この世界に戻ってきた理由の一つが無事に達成出来て、昂也は弾んだ気持ちのままグレンの後ろを歩いていた。
(本当に、どうして変わったんだろう?)
慎重で冷静沈着、言葉を変えれば石頭で融通の利かない頑固者であったグレン。
初めから自分の言うことは簡単に聞き入れてはくれないだろうと思っていたが、思いがけなく呂槻と彩加の問題にも介入してくれて、
結果的に双方大きな傷を受けることなく問題を一応解決してくれた。近く王様になるから当然なのかもしれないが、それでも予定外
の労力だったはずだ。
(シオンのこともだけど、いろいろお礼言わないといけないよな)
「グレン」
昂也がその名を呼ぶと、前を歩いていたグレンが足を止めて振り返る。その行動も、以前から比べると全然対応が違う。
(別人になったみたいだよな)
初めて会った時から、セージュとの戦いの中でグレンは確かに変わっていった。そして、自分がいない間にも、彼は確実に変化して
いるようだ。
それはどうやらいい方向のようで・・・・・昂也は自然と笑みを浮かべてしまった。
「シオン、元気だった」
「そうだな」
「グレンが、守ってくれた」
「私は・・・・・」
「俺、うれしい」
罪を断罪するのではなく、やり直すことを認めたのだろうグレンの気持ちがずごく嬉しい。
何回礼を言っても足りないくらいだと思うのに、グレンはじっとこちらを見ていたかと思うとふっと視線を逸らしてしまった。怒っているよう
には見えなかったが、自分の言い方があまり気に入らなかったのだろうか。
(まだちゃんとした会話が出来ないもんな)
「えっと・・・・・」
どうしようかと昂也が考えた時だった。
「紅蓮様っ」
突然、数人の少年たちが駆け寄ってくる。自分とそう年の変わらない彼らの中に、知った顔があった。シオンと共に自分の世話をして
くれた少年だ。
「どうした、江紫(こうし)」
「・・・・・」
(そうだ、コーシ)
何時も険しい表情をしながらも、食事の世話をしてくれた彼は一瞬昂也の方を見た。
しかし、すぐにその眼差しは紅蓮の方へ向き直り、彼は片膝をついて口を開いた。
「子供たちの様子がおかしいのです」
「子供たちの?」
紅蓮の眉が顰められ、声が硬くなったのがわかった。
その言葉の意味はわかった昂也だが、いったいコーシがどの子供のことを言っているのかまったく見当がつかない。この世界の、昂也
が知っている子供と言えば青嵐だが、彼は今ここにいる。
(青嵐以外の子供って・・・・・?)
それも、グレンがここまで気にする存在とはいったい誰のことなのか。
昂也は気になって、グレンとコーシの会話を必死に聞きとろうとした。
「おかしいとはどういうことだ?」
コーヤが孵化を促して生まれた9人の子供たちは、通常少年神官たちが面倒を見ていた。
聖樹との戦いの最中も、その存在を必死で守ってくれた彼らの功績は紅蓮も認めていて、今では安心して任せていたが、生まれて
くる子供の数が極端に減っている今、子供たちを立派に育てていくのは竜王となる者の大切な義務だった。
コーヤが不在の時、子供たちはどこかふさいだ様子だったが、それでも健康面は厳重に管理させていたはずだと紅蓮が厳しい声で
問い詰めると、江紫は深く頭を下げながら続けた。
「数日前から、皆落ち着きがないように見えたのですが、今朝になってからはそれがさらに酷くなり、自ら部屋の外へと出ようとする
のです。諌めても、宥めてもきくそぶりは見せず、このままでは扉を押し破って出ていく勢いで・・・・・」
「すぐに参る」
動揺している江紫の説明はよくわからないながら、何事かの異変が起きているのは感じ取れた。
紅蓮は側に控えている黒蓉に視線を向ける。
「コーヤを部屋に案内しておけ」
「は」
「ま、まって!」
直ぐに歩き出そうとした紅蓮は、衣の袖を掴まれて動きを止められてしまった。
振り向くと、コーヤが何やら焦ったような表情でこちらを見てくる。その理由を聞いてやりたいとは思うが、今は一刻でも早く子供たち
のもとに向かわなければならない。
「コーヤ、話は後だ」
「俺もいく!」
「・・・・・何?」
「子供って言ったなっ?なにかたいへん、あったなら、俺もっ」
「・・・・・」
何が起きているのかわからなくても、コーヤも江紫の言葉を聞き咎めたらしい。
コーヤ自身があの子供たちと接触したのは数少なく、青嵐に向けるほどの思いがあるとはまったく考えていなかったが、元々コーヤが
触れたことで孵化をした子供たちだ。なにかしら反応があるかもしれない。
それに・・・・・。
(あの子供たちとかかわることで、コーヤがここから離れることのないよう・・・・・)
人間でありながら、竜人界のことを考えるコーヤだ。きっと子供たちのことも見捨てることなど考えもしないだろう。
「コーヤ、お前は自分が孵化を促した卵のことを覚えているか?既に生の可能性からも見放された、ただ死を待つだけだった卵から
生まれ出た子供たちのことを」
「・・・・・」
紅蓮の言葉にコーヤは直ぐには反応を示さなかった。それどころか、直ぐに背後を振り返り、江幻のもとに駆け寄っていく。
「コーゲンッ、あれ!」
「・・・・・ああ、これ?」
憎らしいほどに意思の疎通が出来ているような江幻は直ぐにコーヤが何を言いたいのかわかったらしく、衣の胸元から緋玉を取り出
してコーヤに手渡した。
それを見て、紅蓮は初めて自分の言葉がコーヤに伝わっていなかったことに気付く。
思いがけない江紫の言葉に焦りがあったのも確かだが、どうしてもっとコーヤがわかるような言葉で説明してやれなかったのだろうか
と眉間に皺が寄ってしまった。
「グレン、子供たちって?」
明らかに、先ほどよりもしっかりとした口調でコーヤが訊ねてくる。それに答えてやらなければと思うのだが、どうしても自身に腹が立っ
てしまった紅蓮はコーヤから顔を逸らして早口に言った。
「付いてくればわかる」
グレンとコーシの言う子供という言葉が気になて仕方がない。
昂也が思い当たったのは、以前自分の目の前で卵から孵った子供たちのことだが、彼らはグレンの庇護のもとで安全に暮らしている
はずだ。
あの戦いの中でも無事だったというのに、今何が起こっているのだろうか。
(まだ赤ん坊のはずだし・・・・・何かあったらっ)
昂也は手をしっかりと握っている青嵐を見た。角持ちという特別な存在の青嵐が周りの竜人たちに負けないほどの大きな力を持っ
ていることは自分の目で見てわかっていたが、あの子供たちはそんな力などないのではないか。
まさかとは思うが、自分が再びこの竜人界に来てしまったことで何らかの影響があったのかと、昂也はきゅうっと胸が締め付けられる
ほど心配になった。
「・・・・・ぁぁ・・・・・っ」
「!」
(い、今の声っ?)
普段は自分の足音しか聞こえないほど静かな廊下に、子供の鳴き声が響いている。それは歩くごとに近づいていき、1人ではなく
複数のものだということもわかった。
「紅蓮様っ」
「紅蓮様・・・・・」
やがて、一つの扉の前で固まっている数人の少年たちの姿が見える。コーシと同じ服装をしている彼らも神官だろう。
「子供たちは?」
その中の一番年嵩の少年にグレンが訊ねると、彼は動揺した表情を必死で押し殺すようにしながら口を開いた。
「先ほどから皆泣きやみません。このようなことは初めてで・・・・・」
「開けろ」
「はいっ」
開けられたドアの向こうに身を滑り込ませたグレンに続き、昂也も躊躇うことなく足を踏み込む。一体この部屋の中はどうなっている
のだろうかと多少の恐怖と好奇心、しかしそれをはるかに上回る心配を抱えながら視線を向けた昂也は、
「うわっ!」
いきなり、足首に1人の子供がしがみ付いてきたことに驚いてしまった。
「な、なに?」
「白銀(しろがね)っ?」
「・・・・・シロ、ガネ?」
驚いたようなグレンの言葉を思わず繰り返した昂也は、自分の足元にいる子供をまじまじと見下ろす。
(シロガネって・・・・・この子の名前?)
随分、色素が薄い子供だ。他の子供よりも一回りほど身体は小さく、成長不良なのかと思わせるほどだった。
その子に、まるで長い間会っていなかった母親にようやく出会えたかのような必死な反応を見せられ、昂也は自分がどうすればいい
のかわからない。少なくとも、こんなふうに慕われるほど自分は何もしていないはずだった。
「あ〜」
「・・・・・」
「コーヤ」
「え・・・・・な、なに?」
声を掛けてきたグレンを見れば、彼は2人の子供を抱き上げている。その慣れた手つきに、こうするのが初めてではないのだと昂也
にも直ぐにわかった。
「抱いてやってくれ。この子供たちは皆、お前を待っていた」
「・・・・・俺を?」
(待ってたって・・・・・でも・・・・・)
どう、反応していいのだろう。それでも、昂也は無意識にその場に跪き、足元にしがみ付いている子供を抱き上げる。見掛け以上に
軽い身体に心配になりながらも目線まで持ち上げ、恐る恐るその名を口にしてみた。
「・・・・・シロガネ?」
「あぅあ」
嬉しそうに小さな手を伸ばして、その子供・・・・・シロガネは笑う。
「か、可愛い・・・・・っ」
強く抱きしめたら壊れそうなその子を、昂也はそっと抱きしめた。
「・・・・・」
コーヤが自分以外を抱きしめている。
まだコーヤよりもはるかに小さな身体なので抱きしめることは出来ないが、抱きしめられるのは自分だけの特権だと思っていた。
それなのに、今コーヤの腕の中には自分ではない子供がいる。
「・・・・・」
キン・・・・・ッ
耳元で何か音がして、まとう空気が冷たくなる。
自分が何を引き起こそうとしているのかまったくわからないまま、ただ黙ってコーヤの姿を見つめていた青嵐は、
「やめなさい」
穏やかな言葉と共に肩を掴まれた。振り向かなくても相手が誰だかはわかる。
「じゃま、コーゲン」
「でも、止めないとどんな無茶をするつもりなんだ?コーヤまで傷ついてしまうかもしれないけど、いいのか?」
「・・・・・」
(コーヤを傷付けるなんて、思ってない)
「でも、もう感情を抑えきれなくなっているんじゃないのかい?角持ちというのはもっと冷静だと思っていたんだがな・・・・・」
呟くような江幻の言葉に腹立たしい思いはさらに強くなった。
見掛けはこんな子供の姿だが、精神的にも、能力的にも、自分はかなり成熟していると自負している。江幻のたわ言など、普段な
らば軽く聞き流すはずなのに、コーヤが絡むとどうしても感情はままならない。
(コーヤ、こっち・・・・・こっち見て!)
青嵐は念じた。力のないコーヤは気付かないだろうが、それでも今、コーヤが自分の方を見てくれたら・・・・・。
「青嵐?」
「!」
腕には自分以外の子供を抱いたままだ。
「どうしたんだ?」
それでも、その眼差しは真っすぐに自分に向けられている。
「・・・・・コーヤ」
その黒い瞳を見返しているだけで青嵐の激しい感情は次第に柔らかく解けていき、肌を刺すような気も緩んでいくのがわかる。
自分を動かすことが出来る唯一の人はコーヤだけなのだと、青嵐は駆け寄って細い身体に抱きついた。
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