竜の王様2
竜の番い
第二章 孵化の音色
2
※ここでの『』の言葉は日本語です
「どうした?青嵐?」
まるでおんぶお化けのように屈んだ背中に抱きついてきた青嵐。名前を呼んできたその声が不安そうに揺れていたので視線を向け
れば、金色の綺麗な瞳がこちらを見つめていた。
いったい、どうしてそんな表情になっているのか見当もつかなかったが、昂也はそのまま振り返ると黙り込んでしまった青嵐の名前を
呼んでみる。
「青嵐」
「・・・・・そいつ、きらい」
口を尖らせてきっぱりとそう言ったのに驚き、昂也は目を丸くしてしまった。
青嵐が自分以外にあまり懐かないことは心配していたが、その感情がこんな赤ん坊にまで向けられるとは思わなかったのだ。
「え?」
「コーヤ、とった」
「とったって・・・・・」
昂也はただ、必死に自分に手を伸ばしてきた子供を抱き上げただけにすぎない。もちろん、そこにはこの子供が卵の中から生まれた
瞬間に立ち会ったという特別な感情もあったが、それで青嵐に対する思いが軽いとは思っていなかった。
(・・・・・妬きもち、かな)
子供らしい妬きもちを焼いたのだろうかと、昂也は自分が抱いているシロガネを見下ろし、また青嵐を見てから、その場に片膝を付
いて腕を伸ばした。
「おいで」
「・・・・・」
そう言った途端に、青嵐の顔に満面の笑みが浮かぶ。直ぐに抱きついてきた身体をしっかりと受け止めたつもりだったが、腕に抱い
ているシロガネと青嵐、2人の身体は昂也が思っていた以上に重かった。
(う、嘘だろ〜っ)
グレンが軽々と2人を腕に抱いているのを見て簡単に出来ると思っていたのに、どうやら自分の腕力は情けないほどに弱いらしい。
踏ん張ったつもりが思わずよろけてそのまま尻もちをつきそうになったが、そんな昂也の腰を誰かが強く抱きとめてくれた。
「大丈夫か?」
「あ、ありがと」
そう言いながらシロガネを取り上げたのはスオーだ。
昂也の腕から引き離された途端に泣きだしたシロガネをうるさそうに見るスオーの表情に笑いながら、昂也は何とか青嵐を抱え直す。
自分に甘えてすり寄ってくる仕草に頬を緩め、次にスオーに抱かれたまま自分の方へと手を伸ばすシロガネに顔を近づけた。
「ごめんな、今は青嵐が心配だから、また後でちゃんと抱っこするから」
「あー、あー」
小さな手が、昂也の頬を叩く。もちろん痛くないし、昂也もお返しのように丸みを帯びた頬をくすぐってみた。楽しげに笑うシロガネ
に、周りの子供たちから不満げな泣き声が上がってしまった。
「もちろん、みんなもな」
いつの間にか、昂也の足元は赤ん坊で囲まれていて、まるで自分も早く抱いてくれと催促をしているように見える。
その赤ん坊たちの頭を1人1人撫でながら、昂也はわかってくれているかどうか不確かなまま声を掛けた。
「後少し、待ってて」
蘇芳は腕の中の赤ん坊を見下ろした。
(白銀といったか)
赤ん坊の分際で、いや、赤ん坊だからこそ堂々とコーヤの腕に抱かれる特権を主張している様子は、微笑ましいというよりは苦々し
い思いしか抱けない。蘇芳が同じような行動をとれば、絶対に周りに止められるのはわかりきっていた。
「ずいぶんおっきくなったよな」
「・・・・・ああ、そうだな」
「子供って成長早いなあ」
自分の子でもないのに嬉しそうに言うコーヤの表情は見ているだけでも楽しい。
そもそも竜人は幼少期が短いので、人間のコーヤからすれば成長が早いように感じるのかもしれないが、蘇芳や他の者たちはごく当
たり前の成長速度にしか見えなかった。
いや、ほんの少し・・・・・その身をまとう気が生まれた当初とは違うように視えるが、処分されるはずだった卵から生まれた子供たち
だ、少しは普通の子供と違っても仕方がない。
(能力者ではないようだしな)
蘇芳はちらっと側にいる紅蓮に視線を向ける。この男が赤ん坊を腕に抱く姿など想像もしていなかったが、こうしてみるとかなり手慣
れた様子だ。江幻と共にコーヤを捜すため王都から出ていた間に、この男にもそれなりの変化があったということなのだろうか。
「名前、誰が付けた?」
「・・・・・」
怪訝そうな眼差しがこちらに向けられた。
「私だ」
「ふ〜ん」
「何が言いたい?」
「・・・・・いや」
(以前のお前なら、臣下に決めさせていただろうに)
子供が少なくなり、竜人界全体で守り、育てていかなければならなくなったとはいえ、皇太子自らが名付け親になるということは通常
ならば考えられないことだった。
「・・・・・まさか、子供を使ってコーヤをどうこうしようとは思っていないだろうな?」
「そのような姑息な手を使わずとも、コーヤが私のものだということは既に決まっている」
「・・・・・それ、冗談でも口にするな、腹立たしい」
仮に、コーヤが竜人だったならば、竜王になる紅蓮がその権力を使って我がものにするというのも可能だっただろう。しかし、あいに
くコーヤは人間で、竜王の命などに従わなくてもいい自由な意思を持っている。
そもそも、そんなことがあれば絶対に自分が阻止してやると思いながら、蘇芳はもう一度腕の中の子供を見た。
(一体、何が・・・・・)
懐に忍ばせている玉に意識を集中し、白銀の心中を覗く。普通の竜人と同じような波動を感じるはずだが、やはりどこか違うのがわ
かった。だが、それが何なのかは今の段階ではまだわからない。良くも悪くも、白銀はまだ幼過ぎた。
「蘇芳」
蘇芳が何をしているのかわかったらしい紅蓮が怪訝そうな眼差しを向けてくる。もちろん、それに付き合う気などまったくない。
「子守りは俺の性に合わないな。おい」
少し離れた場所に立っていた少年神官を呼び、恐る恐る近づいてきた相手に白銀を手渡した。白銀は泣きはしないが、不思議そ
うな眼差しを向けてくる。
「言っておくがな、あれは俺のものだ」
「あぅー」
目線でコーヤの存在を示したが、赤ん坊にその意味がわかるとは思えない。
自分らしくもなく、赤ん坊に対して何をムキになっているのだろうと、蘇芳は溜め息をついてから自分を見る白銀に笑い掛けた。
子供たちが落ち着かないのは自分のせいかもしれない。
そんなふうに妙な責任感を感じてしまった昂也は、そのまましばらくこの部屋にいることにした。赤ん坊のことをもっと知りたくて、コー
ゲンから緋玉を借りたままだ。やはり、ちゃんと会話が出来るのは助かる。
「・・・・・で、この子が桔梗(ききょう)です」
「き、きょう」
昂也の相手をしてくれるのはコーシで、彼は1人1人赤ん坊の名前を教えてくれる。
今までは言葉の意味など全く分からず、その響きだけを聞きとって口にしていたが、改めてこの世界にやってきた時から言葉を勉強
してきた昂也の耳には、その名前は意味を持って聞こえるようになった。
「茜もそうだけど、竜人の名前って色のイメージがあるよな」
「色、ですか?」
「うん。茜っていうのは夕方の空の色・・・・・少し黄色が混じったような赤色なんだ」
「・・・・・」
「桔梗は、青紫、かな。どれもみんな綺麗な色だよ」
名は体を表すと言うが、グレンはどんな目でこの子供たちを見て名前を付けたのだろうか。
グレンが子供たちの名前を付けてくれたと聞いた時は本当に驚いた。名前がないのは可哀想だと訴えたものの、本当にその言葉を
守ってくれるとは正直あまり期待はしていなかった。
(俺の言うことなんか絶対に聞いてくれないだろうなって思っていたけど)
「・・・・・あ」
ふと、グレンの名前が頭の中に浮かぶ。
紅蓮の炎・・・・・彼の名前が燃え盛る炎の色だとしたら、何だかとてもピッタリなような気がした。
「あおに」
「あ〜あ」
「ちぐさ」
「う〜」
「こうじ、さんご、まそお・・・・・あ、やまぶきっておんなじ名前だ」
呂槻の厳つい武人の顔を思い出し、昂也は思わずプッと噴出した。どう見たって彼とこの赤ん坊には共通点はないというのに、だ。
それぞれの名前を呼べば、まるで返事をするかのように答えてくれる。相変わらず昂也の身体のどこかに触れているので、いくら赤
ん坊とはいえ重たくて仕方がなかった。
だが、どうしてこんなに懐いてくれるのだろうか不思議でたまらない。一緒に過ごした日々はそれほど多いわけでもなく、彼らが生ま
れた瞬間にたまたま立ち会っただけなのだが。
「・・・・・礼を、言います」
「え?」
ふと、小さな声が聞こえて顔を上げたが、目の前のコーシは顔を逸らしている。
(気のせい?)
「コーヤ」
「あ、うん」
どうやら、気のせいではなかったらしい。名前を呼ばれた昂也は改めてコーシと向き合った。
相変わらず視線を合わせないままだが、コーシが自分に話し掛けたそうにしている気配は感じる。いったい何を言おうとしているのか、
昂也はコーシが口を開くのを待った。
「・・・・・紅蓮様に命乞いをしてくれたと聞きました。そのおかげで、紫苑様の命は助かったのです」
「お、俺は、別に・・・・・」
あれは命乞いとかいうものではない。自分の思いを勝手にグレンにぶつけただけで、本当にその言葉が役に立ったのかどうかなん
てわからなかった。
それよりも多分、グレンにとってシオンという存在が本当に必要だったからこそ、グレンは彼を自分のもとに留めているのだと思う。
「コーヤ」
「あ、青嵐」
昂也の注意がずっと自分からそれているのが面白くなかったのか、青嵐がコーシとの間に割り込んできた。
子供っぽいその独占欲が微笑ましく、昂也はクシャクシャっと青嵐の髪を撫でる。
「・・・・・おとなしい」
「え?青嵐はずっとおとなしくていい子だぞ?」
多少、強い力を持ってはいるし、明らかに普通の竜人たちとも違う角や容姿をしているが、昂也に酷い我儘を言うことはないし、む
しろ何度も助けてくれた。
「・・・・・私たちは、その角持ちが・・・・・恐ろしい」
「恐ろしいって・・・・・」
こんなにも可愛くて素直な青嵐の何が怖いのだろう。もしかしたら、あの大きな力のことだろうか。
(でも、それだったら青嵐のせいじゃないのに)
生まれた時からそんな力が備わっていたのだとしたら、青嵐にはどうすることも出来ないはずだ。そんなことで同じ竜人から怖いと思わ
れているのならなんだかとても可哀想だ。
「青嵐はいい子だよ。怖いとか、思って欲しくない」
悲しげな顔をしてそう言うコーヤに、江紫は自分が言った言葉が彼を傷付けてしまったことに慌ててしまった。せっかく戻ってきてくれ
た紫苑の恩人である彼に、こんな顔をさせたかったわけではない。
「すみません」
「コーシ」
「ただ、私は・・・・・」
(伝説の角持ちが今現れたわけを考えてしまうんだ)
聖樹の反乱と紫苑の裏切りは、神官たちの間でも大きな動揺を生じさせた。
物静かで、深い信仰心を持ち、紅蓮に対しても心からの忠誠を誓っていると思った紫苑のまさかの行動は、それほどに大きな出来
事だった。
紅蓮が能力者と共に反乱を制圧し、首謀者の聖樹は命を落として、紫苑は傷ついた身体で拘束をされた。
確かに彼は反乱者ではあったが、これまでの長い年月を共に過ごしてきた神官たちにとって、彼を罪人として扱うことはとても出来な
くて・・・・・無意識のうちにそれまでと同じように仕えてしまい、紫苑本人から注意をされたほどだった。
その中で、角持ちの青嵐の活躍も、手当をした能力者たちの口から聞くことが出来た。
竜王となる紅蓮の力をはるかに凌ぐ圧倒的な力は、その場にいた者たちに恐怖という感情を抱かせたらしい。
そんな角持ちが、外見だけは子供の姿で同じ王宮にいるということに、江紫は精神的な圧迫感を感じていた。
「今は、理解出来なくっても仕方ないかもしれないよな」
「・・・・・コーヤ」
「でも、せっかくこうして身近にいるんだから、少しずつ青嵐のことも知ってくれると嬉しい。本当に、可愛くていい子なんだ」
「・・・・・」
(そんなふうに思うのは、きっとコーヤだけだと思うけど)
竜人ではないコーヤは、角持ちの伝説というのも知らないはずだ。過去、その力でこの世界を制してきた角持ち。それまではその力
を竜王が管理していたが、この世にいる角持ちはどうなのだろうか。
「・・・・・」
江紫は青嵐を見つめる。確かに額の角以外は、珍しい金の髪も瞳もとても綺麗な子供だ。
(外見と同じように、心も綺麗だったらいいのに・・・・・)
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