竜の王様2

竜の番い





第二章 
孵化の音色



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 「ここは黒蓉に任せようか」
 「・・・・・」
 少し笑みを含んだ江幻の言葉。
現状を考えれば、江幻が言うように黒蓉に任せるのが最善策だろう。しかし、蘇芳は黒蓉を芯から信じることが出来なかった。
理由など簡単、黒蓉の主が紅蓮だからだ。今後、何かあった時の自分たちの言動は、すべて黒蓉から紅蓮に筒抜けになるはずで、
蘇芳は紅蓮の地位を脅かすつもりはないが、コーヤのことについて口を出されることに良い気がするはずもない。
 「蘇芳」
蘇芳が何を考えているのかすべてわかっているはずの江幻は、憎たらしいほどの楽しげな表情になった。
 「何がおかしい」
 「もっと、自信を持ったっていいと思うけど?」
 「自信?」
 「一番近くにいるのは誰か、考えなくてもわかるだろう?」
 誰のとは言わなくても、江幻の言う主語がどこにあるのかはさすがにわかる。今、コーヤの側にいるのは間違いなく自分たちだし、
今後もその立場を譲るつもりもない。
(そう考えていればいいってことか?)
 江幻も、少なからず自分と同じ気持ちのはずだ。それなのに、これだけ落ち着いているということは、江幻自身己の気持ちに自信
があるということだろうか。
コーヤと共にいた時間にそれほど差がないというのに、これほど感情に違いがあるのはなぜだろう。
(お前も、コーヤを・・・・・)
 「スオーッ」
 その時、大きな声で名前が呼ばれた。
 「行くよっ?」
 「・・・・・ああ」
江幻の胸の内は気になるものの、コーヤに名前を呼ばれれば自然と足が前に進む。それほど、自分はコーヤの言動に左右されて
いるのだなと改めて思いながら、蘇芳は意識を切り替えて足早にコーヤの側に寄り添った。




 地上に降りてから、しばらくコクヨーの先導で歩いた。
地面は土と言うよりも細かな砂利に近く、あちらこちらに大きな岩が行方を遮るように立ちふさがっている。その間を木が生い茂ってい
るという形で、上も下も、注意を払わなければならなかった。
 一応靴は履いているが、底が柔らかいので歩くたびに鈍い痛みが襲ってくる。しかし、それはどうやら昂也だけらしく、他の3人の表
情に変化は見えなかった。
(前は、もっと切羽詰まっていたから、周りを良く見る余裕なんてなかったけど・・・・・)
 初めて来た時は、盗まれた玉を探しに。
二度目は、聖樹との戦いのために。
昂也にとってもこの地は印象深い場所で、来るたびに色んな問題が圧し掛かってきている気がする。それを、どうにか解決するために
再びやってきたのだが、本当に何か解決策は見つかるのだろうか。
 「・・・・・コクヨー、わかる?」
 「・・・・・」
 「ごめん、俺がちゃんと説明出来たら良いんだけど・・・・・」
 いくらコクヨーがあらかじめソージュたちに聞いてきたとはいえ、自分はその時一緒にいたのだ。本来ならこの辺りだと見当をつけられ
たら早いのに、まったく地理がわからないのが申し訳なくて仕方がなかった。
(地図ももちろんだけど、携帯とかパソコンがあったら・・・・・って、何回思ってるんだよ、俺〜)
 この世界に来て、何度も考えたこと。文明の利器の似合う世界ではないと十分わかっているつもりだが、それでもなお、自分の武
器になれるものを持っていたらどんなに良かったかと、何度も何度も考えた。
それは結局叶うはずもないことだというのも理解していて、昂也はただグルグルと考え込むしか出来ない。
 「・・・・・」
 コクヨーはそんな昂也を一瞬振りかえったが、直ぐに黙って歩き続ける。昂也の力はまったく期待していないとでも言いたげな態度
にまた落ち込むが、自分が足を止めてしまったらコーゲンとスオーの歩みも止まってしまう。
 いや、自惚れかもしれないが、自分を落ち込ませたコクヨーに対して負の感情を抱かれる可能性も0ではないので、昂也は何とか
足を前に踏み出した。

 「少し、気が変わったね」
 しばらくして、不意にコーゲンが呟いた。警戒しているというよりは、純粋に不思議に思ったような言葉の響きに、昂也は思わず聞き
返す。
 「変わったって、どういうふうに?」
 「元々、この地はあまり良い気を放ってはいなかったし、聖樹のせいでさらに悪化したのを青嵐が何とか元に戻して収まっていたん
だけど・・・・・どうも・・・・・」
そこで、コーゲンはいったん口を閉じた。そして、確認するかのように周りを見回す。
 「コーゲン?」
 「ん〜」
 「?」
 「・・・・・生気が感じられない」
 コーゲンの口調はあくまでも軽く、深刻さはまったく感じられなかった。それ以上に、昂也には言葉の意味自体がよくわからない。
(生気が感じられないって・・・・・生き物がいないってこと、か?)
この世界のことを知らない昂也も、この地が王都や、茜と出会った土地とは違い、妙にもの寂しい雰囲気だというのは肌で感じてい
た。
 人間の世界とは違い、様々な交通手段もなく、町に溢れる音楽や、耳を押さえたくなるような騒音もない、竜人界。
音と言うのは、本当に生きているものが醸し出すものと自然のものだけで、人工的なものなどいっさいない世界だとわかっているつも
りだが、この地の静けさは一種異様な気がした。
 「・・・・・」
 昂也はコーゲンの腕に抱かれている青嵐の顔を見る。静かに眠っているように見えたが、呼吸をしているのか心配になってしまい、
思わず口元に手のひらを持っていってしまった。
(・・・・・良かった、ちゃんと息してる)
 「コーヤ、青嵐は大丈夫だよ」
 「・・・・・ホントに?」
 「角持ちが容易に危機に陥るはずがないしね」
 妙に自信満々なコーゲンのその根拠がどこにあるのかはわからないが、今のところこの地に着いてからも青嵐には何の変化も見ら
れないということだ。
 「それなら、いいけど」
(青嵐になんかあったら・・・・・)
本当に、ここに来て正解だったのか、昂也の中に生まれた不安は少しずつ大きくなっていった。




(位置は、間違っていない)
 黒蓉は教えてもらった記憶を辿りながらも、注意深く周りに目を配っていた。
既にこの地には大きな力を持つ存在はなく、紅蓮の監視の目もしっかりと届いている。そのことを何よりも側にいて知っている黒蓉に
とっては、この地に新たな悪が芽生えているとはとても思えなかった。
 しかし、青嵐の存在を考えると現状は不透明だ。そうでなくても、謎の多い《角持ち》が関われば不可思議なことが起こる可能性
も否定は出来ない。
 「・・・・・っ」
 その時、背後で小さく息をのむ声がした。この場でそんな声を出す者など1人しかいない。
それまでの黒蓉ならば完全に無視したが、どうしてだか振り向かずにはいられなかった。
 「大丈夫か、コーヤ」
 「う、うん、ごめん」
 そこには、体勢を崩したコーヤの身体を支えている蘇芳がいた。どうやら大きな石に足を引っ掛けたようだ。
(・・・・・まったく、そそっかしい)
自身でもその自覚があるのか、恥ずかしそうに顔を赤くして蘇芳に礼を言っているコーヤの横顔を見、黒蓉は再び前方を向いた。
何かあったわけではないということに安心し、そう感じた自身の思いに眉を顰める。
 どう考えても、コーヤは今回足手まといでしかない。手を取らないだけましだろうと思うはずで、些細な言動に気持ちを揺らすことな
どあり得ない、のに。
 「黒蓉、まだ遠いのかい?」
 まるで、そんな黒蓉の動揺を見透かしたかのように江幻が言った。
 「・・・・・」
 「黒蓉」
 「・・・・・近い」
 「そう。コーヤ、後もう少しらしいから頑張って」
 「うん、ありがとう、コーゲン」
背後で和やかな会話が続く。その声を無意識のうちに聞きながら歩いていた黒蓉は、ふとある気配を感じて足を止めた。
(今・・・・・?)
 ほんの僅かな違和感。それを確かめようと素早く周りに視線を配るが、見える範囲に変化はない。
しかし、どうしても気になり、黒蓉は歩みの方向を変えた。そのまま数歩歩いたが、直ぐに異変を感じ取ったらしい江幻が声を掛けて
くる。
 「どうしたんだ、黒蓉」
 説明が出来ず、眉を顰めたまま振り向くと、しばらくこちらを見ていた江幻が隣にいる蘇芳に胸に抱いた青嵐を預けた。
 「おい」
 「頼むよ」
短い言葉の後、江幻は少し足を速めて黒蓉の前までやってくると、先ほど黒蓉が見ていた方向へと自身も視線を向けた。
 「・・・・・いるね」
 「何がっ?」
 「ん〜」
 「おいっ、何が見えるんだっ?」
 黒蓉に見えない何かが江幻には見えるらしい。能力の差と言うものをそこに感じて悔しい思いはしたものの、それ以上にその正体
を一刻も早く知りたかった。
あからさまな殺気は感じられないが、こちらに害を及ぼすものなのか、否か。
自分を含めた能力者が3人いるが、その力で勝てる相手なのか。
青嵐に関係あるものなのか、それとも単に別の・・・・・。
 「何があったんだ?」
 さすがに異変を感じたコーヤが駆け寄ってこようとするのを蘇芳が止めている。
 「・・・・・」
(コーヤは、大丈夫なのかっ?)
何の力もない、ただの人間のコーヤ。しかし、その存在を利用しようとするものが現れないとも限らない。今すぐにでも対処をしなくて
いいのかと江幻を睨みつけると、一瞬目を細めた江幻が何でもないような口調で言った。
 「用があるのは、多分青嵐のようだよ」
 「青嵐?」
思わず訝るように呟いた言葉に、江幻はゆっくりと頷いた。




 黒蓉の様子がおかしいと感じ、江幻は直ぐに周りに気をやった。
すると、それまでまったく異変を感じていなかったのに、明らかに大きな気が何時の間にか自分たちの周りを囲っていた。
 今の今まで気づかなかった自分の力不足を嘆くと言うよりも、相手の手際の良さと高い能力に感心する。
(これほどの能力者がまだいたとはねえ)
 「江幻」
 自分とほぼ同時に、蘇芳もこの気に気づいたらしい。低い声で名前を呼んできたので、同意を示すように軽く頷いて見せた。
相手の正体がわからないままではどうしようもなく、まずはそれを確かめようと江幻は抱いていた青嵐を蘇芳に渡し、先を歩く黒蓉の
側に歩み寄る
 「おいっ、何が見えるんだっ?」
黒蓉は少し前から気づいていたようだ。だが、その正体まではわからないらしく、厳しい口調で江幻に問いただしてきた。
今更慌てても逃げようはないし、はっきりとした殺意はない。ここは対抗したり逃げたりするよりも、向こうの正体を確認し、その出方
を確かめた方が得策だろう。
 「用があるのは、多分青嵐のようだよ」
 「青嵐?」
 そう、相手の気はこの辺りすべてを包囲しているが、最も強いそれは確実に青嵐に向けられている。
江幻は今にも戦闘態勢を取ろうとしている黒蓉を視線で制すると、その気を放つ主に向かって言った。
 「隠れていたら、こちらもどう対処していいのかわからないよ。私たちに敵意はない、それはわかるだろう?」
 薄暗い木々の生い茂っている空間に向かって言っても、向こうからの反応はない。こちらの立場を見極めようとしているのかもしれ
ない。
(警戒心は強いようだ)
それならば、どういう方法を取るのが一番効果的だろうか。
(私たちが能力者と言うだけでも、簡単に気を許さないのかもしれないけれど・・・・・)
 「コーゲンッ、どうしたんだっ?」
 当然のように、コーヤにはこの気が感じ取れないらしい。それでも、自分たちの様子が変わったことには敏感に勘付いている。
鈍い方ではないのは良いことなのか、どうか。
 「コー」
 「しっ」
 コーヤに気を取られている僅かな間に、気の主が急速に近づいてきた。明らかに異質な存在であるコーヤに興味を持ったのかもし
れないが、さすがに簡単には近づけさせられない。江幻は背中にコーヤを隠すように立ち、相手の意識を自分に向けさせるようにわ
ざと軽い口調で揶揄した。
 「強い相手には姿を見せるのも怖いのかな?どこの赤ん坊かはしらな・・・・・っ!」
 シュッと、風が耳元をすり抜ける。
次の瞬間、生温かいものが頬を伝って流れ落ちるのを感じ、江幻は相手の感情を荒立てることに成功したことに笑みを浮かべた。