竜の王様2
竜の番い
第二章 孵化の音色
11
※ここでの『』の言葉は日本語です
「コーゲンッ?」
自分の悲鳴が耳に届くなんて滅多にあることじゃない。それほど大きな声でコーゲンの名を呼んだ昂也は、次の瞬間には見えない
何かを探るように辺りを見回した。
(な、何が起こってるんだっ?)
昂也には何が起こっているのかまったくわからないし、変わった様子は見て取れなかったが、コーゲンたちは明らかな異変を感じて
警戒をしている。いや、そればかりではない。頬に傷を負ったことで、それが敵意だと昂也にも感じ取れた。
「心配ないよ」
「だって!」
「相手も、このまま姿を隠している気はなさそうだし」
妙に楽しげなコーゲンの視線の先を慌てて追った昂也は、
「・・・・・なっ?」
思わず、呆けた声を上げてしまった。
昂也たちから20メートルほど離れた先に、見慣れぬ人影があった。
いや、人影というほど、相手は大きくはない。むしろ、この世界では小柄な部類に入る昂也よりもずっと小さい・・・・・どう見ても、4、
5歳の幼児。
しかし、昂也が驚いたのは、そこに幼児がいたからだけではない。その外見が、今まで見たこともないような異様なものだったから
だ。
「ど、どうしたんだよっ?」
反射的に駆け寄ろうとした昂也の腕をスオーが掴んだ。
「離せって!」
「待て。向こうの出方がまだわからない」
「そんなこと言ってる場合じゃないだろっ?スオーは見えないのかよっ!」
昂也が住んでいた世界とはまったく別の世界、竜人界。
そこには、コーヤが初めて見るような様々な容姿の竜人たちがいた。
しかし、昂也はその姿に驚いたことはない。珍しいとは思うものの、個人個人が強烈な個性があるので、容姿のことを気にする前に
受け入れてしまっていたのだ。
だが、目の前の相手は幼児にしか見えない背格好と共に、どうしてもその容姿が特に目を引いてしまう。
「何かあったんだって!早く保護しないと!」
「何かって、あのな」
「そうじゃなきゃ、あんなに真っ白な髪になるわけないだろ!」
暗い中にも浮き立って見える、真っ白い髪。肌も、色素がないほどに青白かった。
身にまとっているのは、服と言えるかどうかもわからないような布で、かろうじて腰回りだけを覆っている。まさに、野生・・・・・そう、ま
るで動物のようにしか見えない。
「・・・・・っ」
「コーヤ!」
昂也は何とかスオーの手を振り払い、幼児に駆け寄る。そして、その肩をしっかりと掴んで顔を覗き込んだ時、さらに息をのんでし
まった。
(目・・・・・ま、で?)
くすんだ、灰色のような瞳が真っ直ぐ昂也を見ている。その中には好意はもちろん、敵意もなく、ただそこに立っているものを見てい
るだけという眼差しが昂也の胸を強く締め付けた。
「な、名前は?」
「・・・・・」
「1人で、ここにいるの?」
「・・・・・」
「誰か、側に・・・・・」
大人が側にいたらこんな恰好にはならない。そのことに気づいた昂也は口を噤むと、その場に膝をついた。それでもまだ、対する相
手の視線は自分を見上げている。それほどに、小さいのだ。
「どう、して・・・・・こんな・・・・・」
艶のない髪を撫でてやろうとし、昂也はふと手に違和感を感じた。その原因を見るために、もう一度額の髪をかき上げれば、そこに
は思い掛けないものがある。
「・・・・・折れた、角?」
青嵐とほぼ同じ場所にある角は、その半分辺りで折れていた。
コーヤに追いついた江幻は、その後ろから同じように幼児を見つめた。
先ほどまで感じていた気はなりを潜めており、相手からは何の、本当に何の感情も向けられていない。
(角、か)
コーヤの手が止まっている先にある額の角は、見事に折れていた。それも、ポッキリと綺麗に折れているわけではなく、まるでねじ
切ったような醜い切り口だ。
「・・・・・」
「江幻、こいつは・・・・・」
「ああ、多分」
(青嵐の、片割れだ)
《角持ち》が双子で生まれてきたという記述はない。元々、一つの時代に1人しか現れない希少な存在が《角持ち》で、だからこそ
その存在を欲して誰もが血眼になってきたらしい。
だが、額の角から言っても、この幼児は《角持ち》で、よくよく見れば面影も青嵐に良く似ている。青嵐の見事な金髪、金瞳と対照
的な白髪、灰瞳というところから考えて、きっと《角持ち》としての力はほとんど青嵐に持っていかれたはずだ。
(だが、聖樹との戦いの時もこの地にいたということになると・・・・・誰かに守ってもらっていたのか?)
コーヤがこの地で青嵐を見つけてしばらく経つ。自分の頬に掠り傷を付けることが精一杯な弱い気だけで、これまで1人で生きてき
たとはとても考えにくかった。
「おい」
そんな江幻の思考を、厳しい声が遮った。
「あれは何だ?」
「何だと言っても、私もすべてを知っているというわけではないしね」
「・・・・・前置きはいい。あれは、何者だ」
答えを急ぐ黒蓉に、江幻は口元に苦い笑みを浮かべながら言った。
「多分、《角持ち》」
「・・・・・今世にはもう、青嵐がいる」
黒蓉も江幻と同様、一時代に《角持ち》は1人ということを知っているようだ。だが、滅多に現れることのない《角持ち》だからこそ、
こんな不規則な状況もありえるのだと納得出来る気がする。
どちらにせよ、この幼児は《もう1人の青嵐》だ。
「コーヤ」
江幻は先ほどから動けないままのコーヤの手を取り、幼児の頭から離す。ようやくぎくしゃくと振り向いたコーヤの黒い瞳は、戸惑い
で揺れている。
生き生きとした生命力あふれる黒い瞳が好きな江幻は、宥めるようにその頬を一撫でした。
「とにかく、どこか休める場所を探すとしよう」
「コーゲン・・・・・この子」
「もちろん、連れて行こう」
そう答えると、コーヤはあからさまにホッとした表情になる。
そして、江幻から視線を離して目の前の幼児に向かい、手を差し出した。
「俺たちと一緒に行こう?」
「・・・・・」
「大丈夫、怖くないから」
「・・・・・」
緋玉を持っているコーヤの言葉はちゃんと竜人の世界のものとして聞こえているはずだ。それに反応を示さないとなると、もしかした
ら言語を理解する力が欠けているのかもしれない。
「コーヤ」
相手が動くのを待つよりも、こんな小さな身体なら抱いて行った方が早いと言おうとした江幻だが、
「ほら、行こう」
コーヤは辛抱強く、相手が行動するのを待つつもりらしい。
江幻は肩を竦めると、睨むようにして幼児を見ている黒蓉に言った。
「この近くで休むとしようか」
「・・・・・」
「紅蓮への報告は、もう少し詳細がわかってからにした方がいいだろう」
北の谷。
来たはいいものの、ここには何の手掛かりもないだろうと頭のどこかでは考えていた自分が、今となっては浅はかだと思う。通常では
ないことが次々と起こっているのだ、何事も断定せずに柔軟に考えなければならない。
(これで、青嵐の様子も変わるといいんだが・・・・・)
思い掛けないことのオンパレードの中で呆けていた昂也は、気づけば洞穴の中で白髪の幼児と手を繋いで座っていた。
どんなに声を掛けても動こうとしない相手に諦め、その判断をコーゲンに委ねようとした時に、小さな指先が差し出していた昂也の手
に触れてきた。
まるで骨かと思うほどに、小さくて痩せた指。いや、それは指だけではなく全身を見ても痛々しく感じるほどで、昂也は自分が着て
いた上着をその身体にすっぽりと掛けてやった。
「・・・・・」
何をされたのかまったくわからない様子で、じっと上着を見つめていたその子は、ようやく身体が温かくなったとわかったのか少しだ
け雰囲気を緩めた気がする。しかし、表情にはまったく変化はなかった。
「まさか、こんなことになるとはね」
火を起こしながら言ったコーゲンに、青嵐を抱き抱えたスオーも同意する。
「まったく、想像外だ」
「過去の文献にも記述はなかったし、本当にどういうことなのかまったくわからないね」
そう言いながらも、コーゲンはどこかワクワクとしている気がする。まるで目の前に新しいおもちゃを出された子供のようというか、未知
の実験を行おうとしているマッドサエンティストのような・・・・・。
(・・・・・って、こんなふうに思っちゃいけないよな)
何といっても、この中で《角持ち》に関して一番詳しいはずだ。どうにかしてこの状況を打破してもらわなければならないと思っている
と、僅かに手を握り返してくる感覚に振り向いた。
「どうした?」
「・・・・・」
「えっと・・・・・熱い?」
冷え込む夜にこの焚き火は随分と温かいが、この子はこれまで火というものを見たことがない可能性もある。温かいが、怖い。そん
なふうに感じ取っているかもしれないと思うとたまらなくなって、昂也は小さな身体を抱きあげて座っている自分の膝の上に下ろした。
(・・・・・軽い)
青嵐よりも遥かに軽い身体。
こうして手で触れていても、本当に生きているのかどうか疑問にも思う。
「・・・・・名前、教えてくれないっていうのは、もしかしたら・・・・・ないのか?」
「・・・・・」
青嵐に出会った時のことを思い出す。
あの時の青嵐も直ぐに言葉を話すことはなかったが、まだ赤ん坊なので当然だとどこかで納得も出来た。しかし、この4、5歳に見え
る歳の子供が一言も話さないのは一種異様だ。
いや、話さないとしても、身ぶり手ぶりでコミュニケーションをとろうとしてくれればいいのだが、反応が乏しいのでどう話していいの
かも正直戸惑う。
でも。
「・・・・・俺が、付けてもいい?名前がないと、呼ぶ時困るもんな」
「勝手なことを・・・・・」
「いいじゃないか、黒蓉。コーヤ、何か良い名が浮かんだのかい?」
「う~ん・・・・・」
竜人たちには、色が入った名前が多い。どうやらその容姿にも関係があるようで、名は体を表すというのがよくわかるが、そうだとし
たらこの子に相応しい名前はどんなものだろうか。
(白い髪、か)
一種異様に映るこの子の容姿も、それを個性だと受け入れたい。
最初は確かに驚いた。歳をとった上での白髪ならばまだ理解出来たが、本人はまだ幼児。それに、この世界で《白》がどんな意味を
持つのかもまったくわからない。
本人はもしかしたら嫌かもしれないが、誰にも持っていない《白》を嫌わず、受け入れることが出来たならどんなにいいだろうか。
(あ・・・・・)
そういえば、昂也が孵化を見守った子供たちの中にも、《白》を名に持つ子がいた。
白銀(しろがね)。それはグレンが名付けたものだが、白銀もまた、目の前の子のように細く、色素が薄い子だ。まさか、共通項があ
るとも思えなかったが、その名前が昂也の頭の中でグルグルと回り、やがて一つの名前が浮かんだ。
「・・・・・真白(ましろ)」
「マシロ?」
「純粋な、白って意味」
昂也の持つ《白》のイメージは雪だ。
この世界に降るかどうかもわからないが、すべてを綺麗に白く染め上げていくあの光景を見たら、きっと気にいってくれると思う。
今は、とても現実的ではない考えだが、何時か・・・・・。
昂也は目の前の幼児と視線を合わせた。
「真白って名前、どう?」
「・・・・・」
「マシロ、真白」
何度も言い聞かせてみたが、相手はなかなか口を開こうとしない。気に入ってもらえなかったのかもしれないと昂也が溜め息をつく
と、その向かいに座っていたコーゲンが不意に、
「マシロ」
と、名前を呼ぶ。
すると、その子は顔を上げ、真白と呼んだコーゲンを見た。
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