竜の王様2
竜の番い
第二章 孵化の音色
9
※ここでの『』の言葉は日本語です
「グレンがいいって言ってくれるなんて思わなかった」
王宮の裏山に登りながら、昂也は思わず小さく呟いた。その声を耳にしたらしいコーゲンはふっと吐息で笑い、軽く昂也の頭を撫で
てくれる。
「今が緊急時だということをわかっているんだよ」
「でも」
「まあ、本人が行きたそうな顔はしていたけれどね」
「・・・・・」
(確かに・・・・・そうかも)
正門まで見送ってくれたグレンの表情を思い出し、昂也はコーゲンの言葉に同意した。
あの後コクヨーが現れ、ハクメーは簡潔に北の谷行きを説明した。その間、コクヨーの表情は硬く、どう考えているのか昂也には読み
取れなかったが、即座に拒否する言葉や、問いただす言葉は彼の口から出てこなかった。
そんな時、反対側の廊下からグレンが姿を現してしまった。
その瞬間、昂也は今回の北の谷行きは反対されると思い、しまったと後悔したのだが、グレンはハクメーからの説明を聞くと、意外に
もすんなりそれを許可してくれた。
それには、ハクメー同様コクヨーの同行が告げられたが、結果的にグレン公認の北の谷行きになり、今昂也はコーゲンとスオー、そ
してコクヨーと共に飛び立つ山へと足を動かしている。
青嵐は今、コクヨーの腕に抱かれていた。グレンがそうするようにと促したのだが、コーゲンは反論することもなく素直に青嵐の身体
をコクヨーに預けた。
「・・・・・」
昂也は振り返り、後ろから付いてくるコクヨーと、その腕の中にいる青嵐を見る。
(青嵐・・・・・)
本当に、北の谷に行くのが正解なのだろうか。青嵐の現状を何とかしたくて、あのシロガネの姿が目に焼き付いて、今自分はこうやっ
て歩いているが、一足進むごとにそれが正しいのかどうか不安は大きくなる。
こんな時、自分にも何らかの力があったら。普通の人間には持ちえないそれを持っていたら、もっと・・・・・。
「・・・・・トーエン」
ふと、唇から懐かしい名前が零れ出た。
「コーヤ?」
「・・・・・」
(駄目だ・・・・・っ)
無意識に幼馴染に頼ろうとした自分が恥ずかしい。彼は、龍巳は、のうのうと元の世界で過ごしているわけじゃない。竜人である碧
香を守り、懸命に生きていると目で見なくてもわかる。それくらい、自分と龍巳は長い付き合いなのだ。
「・・・・・よし!」
昂也はパンッと両手で自身の頬を叩く。少し痛かったが、今いるここが自分の現実なのだと再認識出来た。
「おい」
一連の昂也の行動が心配になったのか、隣を歩くスオーが気遣わしげな眼差しを向けてくれるが、この腕に頼ってばかりいてはいけ
ないのだ。
「大丈夫」
「コーヤ、お前」
「絶対に、原因を探して見せるから」
自分自身に強く誓い、昂也は自らが先頭になって歩き始めた。
「いいか、黒蓉」
前を歩く3人の背中を見つめていた黒蓉は、腕の中の青嵐に視線を移した。
一見、息をしておらず、身体も冷たいが、幼いこの角持ちはまだ確かに生きている。
(角持ちがこの状態になるとは・・・・・一体、今竜人界で何が起こっている?)
正門を出る直前、紅蓮に呼び止められた黒蓉は、目の前の紅い瞳に射抜かれて息をのんだ。
「青嵐の変化を見逃すな。今回のことに角持ちであるあの存在は重要な関わり合いがあるかもしれない。関係ないとしても、王家
以外の者の手に角持ちが渡ることは絶対にあってはならない」
「はい」
紅蓮の言う意味を正確に捉えて黒蓉は頷く。今、青嵐は紅蓮の庇護のもとにあるが、それはあくまでもコーヤがここにいるという理由
からだ。
なぜか、コーヤを慕っている青嵐は、コーヤの動向に自身のそれも合わせている。もしも、コーヤが紅蓮以外の者のもとに行ってしま
えば、おそらく・・・・・いや、確実に青嵐もそれに従うだろう。
恐ろしいほど巨大な力を持つ角持ちが紅蓮と敵対してしまえば、それこそこの竜人界は滅んでしまう。
「青嵐もコーヤも、必ずこの王宮に、紅蓮様のもとに連れ帰ります」
「・・・・・頼む」
その言葉が、重く黒蓉の心に響いた。
紅蓮は変わった。
今まで絶対的な力の元、傅かれることが当たり前だと泰然としていたが、今はどんなに下の召使いにも労いの言葉を掛ける。当初
はその変化を快く思っていなかった黒蓉だったが、そのせいか紅蓮に仕える者たちの意識も変わってきた。
その要因が何か、さすがに黒蓉も気づいている。だからこそ、絶対にこの存在を他の者に奪われるわけにはいかない。
(俺自身の、ためにも・・・・・)
しばらくして、開けた場所に到着した。ここから竜に変化して、一気に北の谷へと向かう。
「誰にする?」
「・・・・・」
ここで、誰が竜に変化するかという話になった。人間であるコーヤは当然省き、残り3人。
「私がなろう」
黒蓉は当たり前だと口を開く。
「いいのか、コクヨー」
「この中で誰が一番速く飛べるかを考えれば簡単だ」
コーヤに答え、抱いている青嵐を手渡そうとした黒蓉は、
「馬鹿なことを言うな」
不機嫌な声に視線だけを向けた。
「何が馬鹿なことだ?蘇芳。私は間違ったことは言っていない」
「お前が変化するのは構わないが、一番速く飛ぶというのは取り消せ」
「なぜ?」
「お前より俺が速いからだ」
「・・・・・」
こんな所で張り合うこともないだろうに、コーヤの目を気にしてか蘇芳は引こうとしない。それが愚かだと思うのに、黒蓉自身、蘇芳
に負けたくはなかった。
「私は間違ったことは言っていない。そもそも、紅蓮様の守役として力を鍛えてきた私と比べるなど笑止」
「お前・・・・・」
「ちょ、ちょっと」
言い合いを始めた自分たちの間にコーヤが割って入ってくる。その小さな存在を目にし、自分も蘇芳も次の言葉を飲み込んだ。
「どっちが速いかなんて関係ないよ。俺には出来ないことが出来る2人は、どっちも凄いんだし。だから、公平な勝負としてじゃんけ
んで決めたらいいと思うんだけど」
「「じゃん、けん?」」
訊いたことのない響きに、黒蓉は眉を顰めた。
何らかの勝負を決める時、この世界では剣を交えることも多い。その前に絶対的な家柄や、特別な者しか持っていない力も関係
するが、コーヤが提案した人間界のそれは、思いがけなく難しい手先の勝負だった。
「すべて開けば2本の指に負け、2本の指は拳に負け、拳はすべて開いた手に負けるということか?」
「そう。紙はハサミに切られるけど、ハサミは石を切れないし。で、石は紙に包まれるって理由なんだけど・・・・・わかった?」
「・・・・・」
黒蓉は蘇芳を見る。そこには不可解という表情が見て取れた。どうやら、理解出来ないのは自分だけではないらしい。
そもそも、ハサミというのがどんなものなのかわからないし、手の動きだけで勝敗を決めるということに理不尽な思いが残らないという
こともないが、力の優劣を言い合っていても時間だけが経つばかりだ。
「蘇芳」
「ああ。これでどちらが上だって決まるのは疑問だが、手っ取り早く勝敗はつくだろうな」
その言葉に頷くと、自分たちが了承したと思ったのかコーヤが間に立った。
「じゃあ、いくよ。最初はグ〜」
「・・・・・」
「・・・・・」
「あれ?2人共どうしたんだ?」
「コーヤ、最初はぐうというのは何だ?」
黒蓉の疑問は、蘇芳が代わりに言ってくれた。
あれだけ緊迫した2人の空気を、あっという間に溶かしたコーヤの手腕はたいしたものだ。
腕に青嵐を抱き、鱗にしっかりとしがみ付いているコーヤの腰を後ろから支えながら、江幻は深い笑みを頬に湛えていた。
「コーヤ、大丈夫か?」
「う、うん」
今まで数度竜の背に乗っているとはいえ、慣れるということはなかなかないだろう。手に伝わる細かな身体の震えに気づいたが、江
幻はあえて口にはしなかった。
(それにしても、あの戦いの仕方は面白かった)
剣を交えず、力を競わず、それでいてはっきりとした勝敗を決めることが出来る手段があるとは思わなかった。時間も短く、何より明白
なそれに、黒蓉も、負けた(らしい)蘇芳も文句の言いようがなかった。
いや、多分これを言いだしたのがコーヤだからだ。他の者が同じ戦い方を提案したとしても、この2人が素直に受け入れたとは言い
難い。2人、コーヤに対する思いがそうさせたのかもしれないと、人ごとのように思っている自分も、きっと立場が違えば同じように考え
るような気がした。
「どのくらいで、着くっ?」
唸る風に負けないような大声でコーヤが訊ねてきた。
「悔しさをぶつけるように力を出しているからね。蘇芳のこの飛翔なら、日が暮れてしばらく経てば着くんじゃないかな」
ギャアォ〜ッ
その時、江幻の言いざまに反論するかのように竜が嘶いた。振動に体勢が崩れそうになったコーヤを、江幻はしっかりと抱き締める。
(いくら怒っても、今の身体では何も出来ないよ、蘇芳)
下手に変化を解いてしまうと、コーヤはそのまま地上に落ちてしまう。気を放とうとしても、これだけ密着しているコーヤを巻き添えに
しないとは言い切れない。
結局、あの勝負に負けてしまった蘇芳はどうすることも・・・・・出来ない。
「あれ、いいね」
「えっ?」
唐突な江幻の言葉に、意味がわからないコーヤが訊き返してきた。
「あの勝負、今度から何でもあれで決めようか」
「気にいったのか、コーゲンッ」
「ああ、とても」
反論するように、竜の背中が再び大きく揺れた。
早く自分に文句を言うためか、蘇芳はそれからさらに速度を増して、予想していたよりも早く一行は北の谷の入口へと到着した。
岩山を避け、少しだけ切り開かれた場所へと下りると、まず黒蓉が直ぐに背から飛び降りた。乗っている時は無言のままおとなしいと
感じていたが、どうやら蘇芳の背に乗ることは不本意だったらしい。
「おい」
「え?」
「何をぐずぐずとしている」
そして、そのままコーヤへと手を差し伸べる。青嵐を抱いている自分が手を貸せないのは仕方がないが、こうやって率先して動く黒
蓉を見ているのはなんだかおかしかった。
「あ、ありがと」
躊躇いは一瞬で、コーヤは直ぐに黒蓉の手を借りて自身も竜の背から降りた。
それを見ながら動いた江幻だったが、地に足が着くや否や、竜の変化は解かれ、不満そうな表情の蘇芳が現れる。
「蘇芳、ゆっくり解いてくれないと、私の顔が地面に叩きつけられるところだったよ」
「すまんな」
まったく感情のこもっていない謝罪に、返って笑ってしまった。先ほどからかった仕返しなのだろうと思い、江幻は意識を周りに切り替
えた。
青嵐の力でもとに戻ったように見えても、そこかしこで岩山は崩れ、僅かな森も枯れている箇所が多い。どれほどの負の気をこの地が
抱えているのかは予想がつかないが、多分、以前よりも厄介な場所になったのは確かだ。
「コーヤ、青嵐を見付けた場所はわかるかい?」
「あ・・・・・ごめん、わからない」
「ごめんごめん、無理もないね」
普通の竜人でさえ滅多に・・・・・いや、罪を犯さない限り足を踏み入れることのないこの地のことを、人間であるコーヤが知っている
方がおかしい。
訊いた自分が軽率だったと後悔していると、
「私が知っている」
黒蓉が淡々と告げてきた。
「間違いない場所だろうね?」
「浅緋と蒼樹に聞いた」
旅立つまでに間がなかったというのに、黒蓉は青嵐が見つかった時に立ち会っていた浅緋と蒼樹にきちんと場所を聞いていたらしい。
思った以上に戦力になるなと、江幻はまだ口を引き結んだままの蘇芳を振り返った。
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