竜の王様2
竜の番い
第二章 孵化の音色
12
※ここでの『』の言葉は日本語です
どうやら、こちらの言葉は聞こえているらしい。意味までわかっているのかどうかは不明だが、コーヤは反応が返ってきたことに明ら
かにホッとした表情になった。
しかし、黒蓉はそれで安堵など出来ない。この存在が紅蓮にどういう運命をもたらすのか、素早く判断しなければならなかった。
無言のまま近づけば、何を思ったのかコーヤが子供を自身の背後に隠す。まるでこちらの方が害を与える側に見られているようで、
黒蓉の眉間にはますます深い皺が刻まれた。
「その者をこちらに寄越せ」
「ど、どうする気?」
「背後を調べなければならない。その角を見る限りは《角持ち》としか考えられないが、そうなればなおさら王宮で管理することになる
だろう」
王宮の子供たちに表れた異変の原因かどうかはまだ判断出来かねるが、どちらにせよ《角持ち》を放置は出来ない。
青嵐との関係を含め、厳重に隔離をした方がいいだろうと手を伸ばしたが、
「・・・・・っ」
「・・・・・」
コーヤはなおも数歩後ずさり、黒蓉の手から少しでも離れた位置に立とうとした。
「コーヤ」
いかにも怪しい存在に何を振り回されているのだと名を呼ぶが、コーヤは何度も首を横に振る。
どうやらこちらには渡す気はないようだと悟った黒蓉は、コーヤの動きを気で制限しようとした。
しかし、
「黒蓉」
黒蓉が念を込める前に、コーヤの周りに強い結界がはられる。それが、江幻と蘇芳の力によるものだとわかり、黒蓉は口の中で舌を
打った。
強引に事を進めることは出来なくもないが、今、この2人を敵に回すことは得策ではない。少なくとも、自分の目が届く範囲にいるの
なら・・・・・黒蓉は何とかそう自身を納得させると、上げかけた手を握りしめた。
「諦めたか」
その行動を見て、蘇芳が挑発するように声を掛けてきた。黒蓉は視線を向けないまま、早口に言い捨てる。
「ともかく、この者が見つかった以上、この地に長居する必要はないだろう」
早々に紅蓮と対面させて処遇を決めなければならない。
北の谷に来たのは青嵐の急変の理由を探るためで、まだその一片も掴んでいなかったが・・・・もう、この子供が、マシロが見つかっ
ただけでも十分な気がした。
「そうだなあ」
江幻がコーヤを振り返った。
「どうする?」
「・・・・・」
「確かに、マシロを連れたまま動き回ることは出来ないしね」
江幻の説明を聞きながら、コーヤの眼差しは子供に向けられていた。必死な眼差しで、唇を噛みしめている。
何を思っているのかその表情だけでもよくわかって、黒蓉はどうすればコーヤを説得出来るのかを考えた。
「夜が明けると同時に王都に戻る。いいな、コーヤ」
「・・・・・」
しかし、優しい言葉など出るはずもなく、黒蓉はそう言い切って立ち上がる。
「黒蓉?」
「食事の準備をする」
逃げる自分が情けなかった。
(・・・・・グレン、どうするだろう・・・・・)
昂也は自分の腕の中にいる真白を見下ろした。
王都に戻るのは翌朝に決まったことで、コクヨーとコーゲンは夕食の支度をしている。彼らは三度の食事を取らなくてもあまり関係が
ないらしいが、昂也はどうしても腹が空くと思考が散漫になった。
それを知っているコーゲンが、まるで母親のように世話をやいてくれる。嬉しいが、やはりこんなところでも自分は迷惑を掛けている
んだなと溜め息が漏れた。
「どうした?」
すぐ隣で青嵐を抱いていたスオーが、そんな昂也の溜め息に敏感に気づいて声を掛けてくれる。
「ううん、なんでもない」
「コーヤ」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・真白のことが心配なだけだよ」
腹の中に溜めこむことを許さないかのようにじっと紫色掛かった赤い瞳で見られてしまい、昂也は結局誤魔化すことが出来なかった。
「グレンは真白をどうすると思う?《角持ち》って青嵐がいるだろ?あんな力がこの子にあるのかわからないし、だとしたらっ」
「落ち付け、コーヤ」
スオーは興奮した昂也の言葉をいったん止めた。そして、手を伸ばして頭を撫でてくる。
まるで子供に対するような行動に一瞬顔を顰めたが、直ぐに昂也は思い直した。何時もなら嬉しく感じるこの行為に心がささくれだっ
ているのは、相当気持ちが不安定になっているからだ。
(ここで考えてたってしかたないよ、な)
ああ見えて、グレンはこの国の子供たちのことを気にかけているし、大切にしてくれている。きっと、この角が半分折れてしまってい
る真白に対しても、その優しさを分け与えてくれると・・・・・信じる。
「スオー、青嵐は?」
「眠ってる。でも、さっきから眉を顰めているぞ」
その言葉に慌てて青嵐の顔を見ると、確かに眉がギュッと顰められていた。
「どうしたんだろ、苦しいのかも・・・・・」
連れまわしている間に、身体の具合がますます悪くなったのかもしれない。焦る昂也にスオーは笑った。
「いや、多分妬いているんだろ」
「やく?」
「何時もは、お前腕の中はこいつの指定席だっただろ?それが、他の子供に取られて怒ってる」
昂也が腕の中に抱く真白を顎で指しながら言われたが、昂也にはとても信じられないことだ。
(嘘だろ?)
真白が見つかってから、いや、その前からずっと、青嵐は死んだように眠り続けている。ここに、自分の存在を脅かそうとしている者が
いるなんてわかるはずがないのだ。
だが、青嵐はあの大きな力を持っている。見えなくてもその気配を感じ、怒っている可能性はゼロではないかもしれない。
「馬鹿・・・・・青嵐、お前のことだって大切だよ」
どちらかではない、どちらも大切で、守りたい。自分にそんな力がなく、どうしても誰かに頼らなくてはならないことが悔しくてじれったく
て仕方がないが、それでもこの気持ちを信じて欲しい。
小さな青嵐の手に触れると、反対に指を強く握られる。わかってくれたのかなと、昂也もさらに力を込めて握り返した。
「えーっと・・・・・これ、あむ、ね?食べられるよ?」
コーゲンとコクヨーが作ってくれた食事を前に、少し遅めの夕食を取ることになった。
昂也は自分の隣に座らせた真白に、食べ物を食べさせようと悪戦苦闘する。
(ど、どう説明したらいいんだろ)
旅先だということで、用意されたのはもちっとしたパンのようなものと、干した肉を焼き直したものだ。味付けは薄いが、人間とほぼ食
べるものは変わらない。
ただし、真白がそれを食べられるかどうかは謎だった。
「ははは」
大きな口を開け、自らがパンを食べて見せる昂也の姿に、コーゲンは先ほどから笑いっぱなした。別に笑われても構わないが、じっ
とこちらを見ているくせに手を出そうとしない真白をどうすればいいのか困っていた。
「ほら、毒なんかじゃないから」
「コーヤ、毒は酷いんじゃないか」
「ご、ごめん」
毒という言葉は、作ってくれたコーゲンとコクヨーに失礼かもしれない。
昂也は直ぐに謝ると、改めて真白に向き直った。
「腹、へらないのか?」
「・・・・・」
反応がまったくないので、空腹なのか、それとも食べる意思がないのかもわからない。昂也はどうしようか悩み、少しだけパンを千切っ
て真白の口元まで持っていった。
「あ〜ん」
「・・・・・」
「真白、あ〜んしてみて」
昂也が何をしようとしているのかわからないのか、真白はただ黙って見つめてくるだけだ。
少しでもその目の中に感情が浮かべば読みとる可能性はあるのに、それがまったくなければお手上げだ。
「・・・・・食べなくても、大丈夫なのか?」
「コーヤ、無理をさせることはない。腹が減れば自ら手を伸ばして食べるだろう。それはお前が食べなさい」
世話好きなコーゲンならば他にも何か手を考えてくれるのではないかという期待もあったが、どうやらそれはないらしい。
「・・・・・わかった」
行き場のなくなった手の中のパンをじっと見つめ、昂也は溜め息をつきながら自分が口にした。
食事が終わり、気疲れがしたのかコーヤは早々横になると、時間を置くことなく眠りに落ちたようだ。
その左右に青嵐と真白がしっかりと陣取っている様を見て、江幻はくくっと笑った。事態はかなり緊迫しているのだが、コーヤのする
こと為すことはすべて微笑ましい。
蘇芳も同じ気持ちなのだろうか、3人に向ける眼差しは何時になく優しげなものだったが、黒蓉だけは相変わらず眉根を寄せて一
言も発さない。
「明日、王都に戻ったとして・・・・・あの赤ん坊たちの容体は良くなるか・・・・・」
江幻の呟きに、黒蓉がハッと顔を上げた。
「どういう意味だ、江幻っ」
「マシロの存在が良いものとは限らないということだ」
「お前っ、先ほどまでコーヤに対して良いことばかり言っていたではないか!」
「コーヤに心配を掛けるわけにはいかないだろう?」
自分と蘇芳が視た限り、このマシロに青嵐のような強烈な気は感じなかった。しかし、その身を取り巻く黒い闇は共に過ごすほどに
強くなってきている。多分、マシロの存在は・・・・・。
「・・・・・殺すか」
「・・・・・」
「・・・・・」
黒蓉の呟きに、江幻と蘇芳が視線を向けた。
しかし、江幻も蘇芳も、拒絶する言葉を発しない。そのことに、黒蓉は自分の想像している以上に事態が深刻なのだと察した。
「・・・・・どうした、江幻。お前なら直ぐにでも止めると思ったが」
「コーヤの目が届かない場所ならば構わないよ。・・・・・私も、この竜人界を愛しているしね」
「それほどに・・・・・危険か」
「ここに紅蓮がいれば、即座に始末しただろうな」
何よりもこの竜人界を思う竜王、紅蓮。いくらコーヤが泣いて縋っても、マシロがこの世界に害なす存在とわかったならば、その身を
滅ぼすことに何の躊躇いもしないだろう。
そのことで、どんなにコーヤが悲しんだとしても、だ。
(明日、このマシロを王都に連れ帰っても、同じ結末を迎えるならば・・・・・)
紅蓮の手を、汚させるわけにはいかない。
「・・・・・」
黒蓉は立ち上がり、ゆっくりとコーヤの側へと歩み寄った。身を丸めるようにしたコーヤの胸元に横たわるマシロを見下ろした黒蓉は、
その目が開いていることに気づいて動きを止める。
(私が何をしようとしているのか・・・・・わかっているのか?)
己の息の根を止めようとしている相手。その殺気を感じないはずはないのに、マシロの表情は相変わらず無のままで、感情のない
くすんだ眼差しで見つめることなど出来るのか。
「・・・・・すまぬ」
小さく呟いた黒蓉は、そっとマシロの身体を抱きあげる。
「ん・・・・・」
「・・・・・っ」
身体に触れる温かさがなくなったことに違和感を感じたのか、コーヤが小さな声を漏らした。思わず息を潜めた黒蓉だったが、どうやら
起きたのではなさそうだ。
それに安堵し、黒蓉はマシロを抱え直し、こちらを見ている江幻に向かって言った。
「夜が明けるまでに戻ってくるつもりだが、それが叶わなかった時は先に王都に戻ってくれ。そして、この経緯を紅蓮様に説明して欲
しい」
「まるで、戻れないことを前提にしている言い方だな」
相変わらず嫌みを込めた蘇芳の言葉に、今ばかりは腹を立てることはない。
「その可能性もある。なにしろ、《角持ち》の片割れだ、私の力が及べばいいが・・・・・」
「黒蓉」
「頼むぞ」
「戻ってくると信じているよ」
「・・・・・」
それ以上言うことはなく、黒蓉は一夜の寝床に決めた洞穴から出た。空は暗く、足元さえも見えないくらいだ。
(出来ればこの地ですべてを終えたいが・・・・・)
今は《角持ち》の力の欠片も見せないが、いざ命を取られる場面になればどんな能力を発揮するかわからない。へたに近くで行えば
コーヤたちに危険が及ぶかもしれないので、この北の谷の最果てにまで行かなければならないだろう。
「・・・・・すまない」
まったく逃げようともしないマシロに再度そう言った後、黒蓉は闇の向こうへと歩き始めた。
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