竜の王様2
竜の番い
第二章 孵化の音色
13
※ここでの『』の言葉は日本語です
緩く、身体を揺すられた。
昂也は何度かうなった後、ようやく目を開く。
「・・・・・あれ?」
一瞬、ここはどこだろうと考えた。薄暗い、岩だらけの天井に、身体も硬い所に横たわっているようで・・・・・。
「あっ!」
そこまできて、昂也はバッと飛び起きた。今自分がどこにいるのか、ようやく思い出したからだ。
そして、直ぐに自分の横に視線をやる。寝る前、青嵐と真白が自分に寄り添うように眠っていたはずだが、
「い、ない?」
しかし、青嵐は側で眠っていたが、真白の姿はそこにない。
「どうした、コーヤ」
「コ、コーゲンッ!」
直ぐ側にいたコーゲンが自分の名を呼んだので、昂也は直ぐに真白のことを訊ねた。
「真白、どこ行ったか知らないっ?確かに俺、一緒に寝たはずなんだけどっ」
「コーヤ」
「俺が寝てる間に何かあったのかなっ?まさか、1人で出歩いたとか・・・・・?」
初めて会った自分たちのことを怖いと思って、眠っている間に逃げ出したのかもしれない。
真白がもう少し大きかったら・・・・・心配はするだろうが、それでも多少は気持ちも違っていただろう。だが、あんなにも小さな子供が
森の中を彷徨っているなど、想像するだけで心配でたまらなかった。
「コーヤ」
「え?」
肩を掴まれ、昂也はようやくコーゲンを振り返る。何時も、余裕を持った笑みを浮かべているコーゲンは、なぜか今とても真剣な顔
で自分を見ている。
なんだか、嫌な予感がした。
「マシロのことは心配しなくてもいい。黒蓉が一緒にいるよ」
「・・・・・コクヨーが?」
どうしてと、疑問を持った声が唇から漏れた。
昨日、どう見ても真白に対して良い感情を持っているとは言い難いコクヨーが、どうして今その真白と一緒にいるのか、まったく理由
が想像出来なかった。
しかも、多分今はまだ夜が明けた頃だ。こんなにも早い時間だというのも、昂也の中の不安を増大させる。
「どうして?どうしてコクヨーが真白と一緒にいるんだ?」
「あの子は、コーヤが思っているよりも随分危険な存在なんだ」
「危険?だって、子供なのに?」
「一つの時代に2人の《角持ち》が現れたことは今までになかった。それがどういう意味を持つのか、コーヤ、わかるかい?」
「どう、って・・・・・」
こんな岩山だらけの場所に、幼い子供がいること自体に驚いた。続いて、その額に青嵐と同じような角を見つけ、この竜人界に
とって大切な存在だと思った。そんな自分の考えが、コーゲンは間違いだと言うのだろうか。
昂也は俯いた。何か言おうとしても、言葉が喉の奥に張り付いて、呻き声さえ出てこない。不安で不安で仕方がない昂也は、不
意に頭を撫でられてパッと顔を上げた。
「お前が俯くことはないんだよ、コーヤ」
「コーゲン・・・・・」
「少し、言い過ぎたかな」
小さくそう言ったコーゲンは、ふうっと深い息をついた。
夜が明けるまでに、黒蓉は戻ってこなかった。
それがどういう理由かはわからない。この辺りに気の異変はなく、あの変異した《角持ち》、マシロが暴走したとは考えられなかった。
しかし、だからといって、今ここに黒蓉がいないという時点で、何事かが起こったことは確かだ。それを、コーヤに説明すべきかどう
か、珍しく江幻は迷っていた。
(多分、コーヤも感じているはずだが)
何時もとは違う自分の空気を感じているはずのコーヤに、これ以上はっきりと言葉で伝えて悲しませても良いものか。
何のためにコーヤにわからぬように黒蓉がマシロを連れだしたのか、それでは意味がない気がする。
「江幻」
その時、蘇芳が名前を呼んだ。
「蘇芳?」
「お前がそんな顔をしてどうするんだ。コーヤを不安がらせるな」
眉間に皺を寄せ、ぶっきらぼうに自分を叱る蘇芳の姿をしばらく呆気にとられて見ていた江幻は、次の瞬間ふっと表情を和らげた。
何時もなら自分の方が蘇芳を宥める立場なのに、思ったよりも江幻自身がこの状況に緊張を強いていたらしい。
こんなふうではコーヤにより不安を抱かせたかもしれないと自己反省した江幻は、目の前の黒い瞳に向かって笑いかけた。
「ごめんね」
「コーゲン・・・・・」
そう話しかけると、コーヤの表情が明らかに安堵の色に変わった。
「でも、私が今言ったことは撤回しない」
「・・・・・っ」
「今のマシロには大きな力はないかもしれない。だけど、その存在自体が危険なものに変わりはないんだ。そして、紅蓮の側近で
ある黒蓉は彼の身のことを考えて先回りした。コーヤには黙っていたけれど、私は黒蓉の行動を非難するつもりはないよ」
いずれ誰かが手を汚さなければならないかもしれなかった。その役割を、黒蓉は自ら引き受けたのだ。
今、他の子供たちの身に起こっている出来事に明確な理由を見つけられないのなら、ほんの僅かな可能性の芽も摘んでおくのは
正しい選択だと思う。
コーヤは、俯いて自分の言葉を聞いていた。今度は興奮した様子は見せなかったが、代わりにピンと張りつめた緊張感がこの場
を支配しているのを感じる。
優しいコーヤがマシロの身を案じているのは十分わかるが、それでも・・・・・。
(この竜人界と、マシロを比べたら、どちらに重きを置くのかは明白だ)
「コーヤ」
江幻はコーヤの柔らかな髪を撫でてやろうと手を伸ばした。しかし、
「・・・・・」
その寸前で手を止め、素早く辺りに視線を配る。
「蘇芳」
「ああ」
どうやら、蘇芳もこの気の変化を感じ取ったらしい。
先ほどまでは何の異変もなかった気の中に、明らかに異質なものが混じっている。この、肌に突き刺さるような強烈なそれは、何時
も身近に感じているものと酷似している気がした。
江幻は、まだ眠っている青嵐に視線を向けた。
(この気は、角持ちの・・・・・)
「あっ!」
その時、コーヤが突然声を上げて駆けだす。とっさに視線を向けた江幻は、らしくもなく身体に震えが走った。
「マ、シロ」
寝床にしていた洞穴の入口に、小さな白い子供が立っていた。
暗い洞窟の中をまるで照らすかのように全身白い子供は、駆け寄ってきたコーヤを見上げるとゆっくり口を開いて言った。
「コーヤ」
「え・・・・・」
「口がきけるか」
初めて聞いたマシロの声は、掠れた、かろうじて何を言っているのかわかるほどの声量だ。しかし、マシロは口が聞けないだろうと
思っていただけに、驚きは大きかった。
いや、それだけではない。マシロはちゃんとコーヤの名前を覚えていた。マシロの認識の中にコーヤは存在していたことも意外だっ
た。
しかし、江幻はもっと気にかかることがある。
「黒蓉の姿がないな」
ポツリと呟いた蘇芳の言葉に内心で頷きながら、江幻は注意深くマシロの様子を観察した。
真白の変化に、昂也も驚いた。
昨日まで、いや、ついさっきまで自分のことなど視界にも入れていないように見えていた真白が、ちゃんと名前を呼んでくれ、真っ直ぐ
に視線を向けてくれている。
それだけで十分嬉しかったが、今の昂也はどうしても手放しで喜ぶことができなかった。
(コクヨーは・・・・・どうしていないんだ?)
コーゲンの話だと、真白はコクヨーが連れだしたらしい。その目的が何なのか、あまりよい想像はできなかったし、ましてや真白が1
人で帰ってくるとは思いもよらなかった。昂也からは、真白は自ら動くようには見えない。ここに連れてきた時もおとなしく従ってくれた
が、それは自ら望んだというよりは、ただ手を引かれたからついてきたという感じだった。
そんな真白が自らここに戻ってきてくれたことには、何か意味があるとしか思えない。昂也は真白の目線と合うように腰を下ろし、恐
る恐る細い腕を両手で掴む。そして、怖がらせないように笑いかけた。
「真白、コクヨーは一緒じゃないのか?」
「・・・・・」
「コクヨー・・・・・一緒に出掛けた男の人だよ?」
名前を言ってもわからないかもしれないので言い変えたが、真白はただ黙って昂也の顔を見つめるだけだ。その表情の中には動揺も
驚きもなく、昂也はどう反応していいのか迷ってコーゲンを振り返った。
「コーゲン」
「・・・・・蘇芳、2人を頼んだよ」
「おい」
コーゲンは昂也の問いに答えることなく、素早く身支度をしながら言う。スオーが眉を顰めて言えば一応振り向くが、それでもどこか
緊張した雰囲気を纏っていた。
「近くを見るだけだ」
そう言ったコーゲンは、そのまま洞穴から出ていく。反射的に立ちあがった昂也はその後を追おうとしたが、その前に腕を掴まれて引
きとめられてしまった。
「ス、スオー?」
「あいつに任せておけばいい。取りあえず、俺たちは・・・・・」
スオーの視線は真白に向けられている。真白のことをこのまま放っておくことはできないと考えるスオーの気持ちはわかっているつもり
だ。しかし、昂也は今出て行ったコーゲンのことが気になって仕方がなかった。同時に、戻って来ないコクヨーの身のことを考えると心配
でたまらない。
彼が、どこで、どうなっているのか。
無事なのか。
それは、結果的に真白を疑っていることだが、昂也はどうしてもじっとしていられず、スオーの手を振り払ってコーゲンの後を追った。
「コーヤ!」
背後でスオーが呼びとめる声がする。それでも、コーヤはそのまま洞窟から出た。
(どこっ、どこだっ?)
少しひらけた場所だ。コーゲンが出て行ってからそれほど時間を置くことなく追ってきたのでその姿はどこかにあると思っていたのに、
どんなに目を凝らしてもコーゲンの姿は辺りにはなかった。
(もしかして、竜に変化していったってこと?)
一歩足を踏み出したが、二歩めは・・・・・出ない。
「お・・・・・れ・・・・・」
昂也にはまったく見当もつかないが、もしかしたらコーゲンはある程度目星をつけていて、そこまで竜に変化して向かったかもしれな
い。そうなると、昂也にはどうすることもできなかった。
「・・・・・っ」
昂也は拳を握りしめた。本当に自分は何の役にも立たない。それどころか、足手まといになっているのではないだろうか。
「・・・・・トーエン・・・・・」
口をついて出たのは、懐かしい名前。頼りがいがあって、優しくて、いつだって力になってくれた幼馴染み。
(ここにいるのがあいつだったら、今の状況は変わっていたのかもしれない・・・・・)
「コーヤ!」
「あ・・・・・」
片腕に真白を抱えた状態で、スオーは焦ったように駆け寄ってきて昂也の腕を掴んできた。今度は絶対に放さないとでもいうような
強いその力は痛かったが、同時に、グルグルと頭の中に渦巻いていたものがパッと晴れたような気がした。
「スオー、コーゲンのとこに連れて行って」
「コーヤ、それは・・・・・」
唐突なコーヤの言葉に、さすがに蘇芳も一瞬言葉が詰まった。江幻に頼まれたからというわけではないが、蘇芳もコーヤを行かせる
ことには躊躇があった。本当なら、正体のわからないマシロをコーヤの側に置くこと自体、不安なのだ。
マシロのことを会った当初から気に掛けているコーヤには言い難いが、やはり角の折れたこの子供はここにいてはいけない存在に思え
てならなかった。
できれば、コーヤには何も知らせずに事を収めたかったが、そんな蘇芳の内心をまったく知らないコーヤは一歩も引かないというよう
に意思を込めた目を向けてくる。
「俺だけ何も知らないままなんて嫌だ」
「コーヤ」
「なにもできないかもしれないけど、でもっ、俺も関係あるんだから、仲間外れにしないでくれよ」
黒蓉がなぜいないのか。
江幻はどこに行ったのか。
コーヤは誤魔化される気はないようだ。
蘇芳は溜め息をついた。それは、参ったなという思いからだが、心のどこかではこれがコーヤだなとワクワクもしていた。何事にも真っ
直ぐに向き合い、逃げないその視線が眩しくて、愛おしい。
「・・・・・目を逸らさずにいられるか?」
「・・・・・」
確かめるように訊ねると、一瞬だけ間があいた後、しっかりとした頷きが返される。ここまで決心しているのなら、蘇芳もコーヤを巻き
込むのに躊躇する必要はなかった。
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