竜の王様2

竜の番い





第二章 
孵化の音色



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 蘇芳も、江幻がどこに向かったかは知らない。だが、多分黒蓉は絶対にコーヤに知られないようにこの場から離れたはずだ。
あの後、すぐに黒蓉の後を追った江幻の気配を辿ればいずれは追いつくかもしれないが、その時にコーヤにとって最悪の事態になっ
ているかもしれない可能性は残っていた。
 そのことを、今のうちにコーヤに伝えておいた方が良いかもしれないが、蘇芳はあえて口を閉ざすことにした。どんなに言葉を尽くして
も、現実に己の目で見た事実には敵わない。それがコーヤにとって身を引き裂かれるほどにつらい現実だとしても、その目で見せるこ
とが最善だと思う。もちろん、自分はずっと側にいて、コーヤを支えるつもりだった。
 コーヤは蘇芳のすぐ後ろを、少し早足で付いてきている。その腕には、しっかりと青嵐が抱かれていた。コーヤが抱き続けているのは
負担だろうと声を掛けたのだが、どうしてもその腕の中から離さない。多分、黒蓉にマシロを連れて行かれたことで、青嵐も自分の手
の中から離すとどこかに連れ去られてしまうかもしれないと思っているのだろう。信頼されていないと悲しむことはなかったが、それでも
少し寂しい思いはした。
(黒蓉は・・・・・殺したか・・・・・?)
 今、状況はどうなっているのか。
黒蓉はもうマシロを手に掛けたか、それとも江幻が間にあったか。だが、たとえ江幻が間にあったとしても、あの男もマシロの存在を異
質なものだと感じていたようだし、黒蓉のしようとすることを止めるとは限らない。冷静に考えれば仕方がないが、コーヤの気持ちを考
えれば複雑な気持ちもある。
 「スオー」
 しばらくして、コーヤが話しかけてきた。その声は今のコーヤの心境を表すほどに暗く、重い。
 「ん?」
 「マシロは・・・・・生きていてもいいよな?」
 「・・・・・」
 「死んでいい命なんて、絶対にないよな?」
 「コーヤ」
 コーヤは優しい。確かに、綺麗事を言えばコーヤの言うことはもっともだが、現実問題としてこの世界に必要のない存在というもの
はある。それが、あんなにも幼い子供だったのでコーヤは余計に哀れに思うかもしれないが、世界の存続と比べたらどちらが重要か
は改めて言うこともない。
 ただ、それを正直にコーヤに告げてもいいものか。今、コーヤの心は不安で押しつぶされそうになっているはずだ。
それでも、こうして顔を上げ、嫌なことでもちゃんと聞こうとしているその気持ちがすがすがしく、いっそう愛おしく思えた。
 「・・・・・」
 その顔を見れば、言葉を濁すことなんてできない。蘇芳が立ち止まると、自然とコーヤの足も止まり、二人は向かい合う形になっ
た。
 「今まで、同じ時期に二人の角持ちが現れたことはない。すでに青嵐がいる今、マシロが現れたという時点で、この竜人界にとって
大きな異変が現れたと言ってもいいんだ」
 「でもっ、今までになかったことだって言ったって、それがすぐに悪いことだとは限らないだろっ?」
 「コーヤの言いたいことはわかる。お前が物事を良い方に考えたいという気持ちもな。だが、マシロの容姿を思い出せ。色のないあ
の姿を見て、それでもあいつが吉兆だと思える者はいないだろう」
 怖いほどに白い姿。すべてのものを無に変えてしまうあの姿を恐れる者はきっと多い。
子供が生まれにくくなっていることも、もしかしたら聖樹の謀反も、このマシロの存在故と結び付けて考えてしまったら。
 「マシロが青嵐と同じような力を持っているとは限らない。今のあいつに、青嵐ほどの力があるとは俺にも感じ取れない。もしかした
ら、唯の突然変異で生まれたという可能性もある。それでも・・・・・不安の芽はまだ芽生えないうちに摘むものだと俺は思う」
 「・・・・・っ」
 「多分、黒蓉も、同じ考えだったんだろう」
 蘇芳が言いきると、コーヤは俯いてしまった。コーヤには残酷な宣言かもしれないが、多くの竜人たちの命を最優先した黒蓉の思
いを、簡単に責めることはとてもできない。
 「・・・・・っ」
 その時、少し離れた場所でいきなり江幻の気が高まるのを感じた。
 「いた」
 「え?」
 江幻がこれほど気を全開にするのは稀なことだ。
 「お前はここで待っていろっ」
今何が行われているのかわからないが、この急激な気の変化は緊急事態だ。もしものことを考えてコーヤをここで待たせておくという
選択をした蘇芳だが、その言葉を聞いた途端、コーヤは急に走り出してしまった。
 「コーヤッ?」
あまりにも突然の行動に、蘇芳は一瞬止めるのが遅れてしまった。




 「お前はここで待っていろっ」
 スオーがそう言った瞬間、昂也は走り出していた。
どうしてかはわからない。だが、猛烈な不安が襲ってきたのだ。
(まさかっ、まさか、真白!)
 昂也のおぼろげな不安は、ついさっき聞いたスオーの言葉でさらにはっきりとしたものになっている。だがそれが、現実となると考え
たくもなかった。
 「真白!どこだっ、真白!」
 昂也には、幼馴染の龍巳のような能力はない。誰が、どこにいるのか、感じることもできない。勘だけで探せればいいのだが、それ
さえもできない自分が情けなくて、悔しくて、それでも声を限りに叫び続けた。
 「真白!」
 勝手に付けてしまった名前を、真白が自覚しているのかもわからないが、自分の声を聞いてどうにか声を上げて欲しい。
せめて、こちらに逃げてくれたら・・・・・。
(俺は・・・・・っ)
 「あ!」
 それは、思いがけなく近い場所だった。
僅かに開けた場所に立っているコーゲンの後ろ姿が目に入り、続いて少し離れた場所にコクヨーの姿を見つけた。
コクヨーも昂也たちに背を向けた恰好だったが、なんだか妙な違和感を覚えて胸がざわめく。
 「来るなっ」
 一歩足を踏み出そうとした昂也は、鋭い制止の声に大きく身体を揺らした。
昂也を止めたコーゲンはこちらを向いていないが、彼がとても緊張しているのはとりまく雰囲気でわかる。
 何が、どうなっているのか。身体を動かせない昂也は懸命に視線で違和感を探り、そしてようやくその原因がわかった。
 「・・・・・嘘だろ・・・・・」
 後ろを向いているコクヨーの左腕が肩からなくなっていた。まるで大きな肉食動物にでも引き千切られたかのように大量に流れてい
る青い血が、地面に水たまりのようになっている。そしてそこには、千切れてしまった腕が無造作に転がっていた。
 それなのに、コクヨーは傷口を押さえることもなく、真っ直ぐに立って右手を前方に向けていた。まるで、何か巨大な敵に立ち向かっ
ているような体勢に、昂也は煩いくらい激しく鼓動を打つ心臓を自覚しながらコクヨーの視線を追った。
 「・・・・・真白・・・・・」
 真白は、そこに立っていた。
色素が抜けたかのようだった白い顔にも肌にも、青い血がべったりと付いている。人間とは違う青い血のせいか、その光景を見ても
妙にリアリティーがない。コクヨー自身も痛みを訴えるわけでもなく、見た限りでは平然とした様子で立っているせいで、どうしてもそれ
が緊急事態のようには思えなかった。
 だが、それはやはり異様な光景なのだ。昂也は喉に張り付いた声を押し出した。
 「ま、しろ」
真白の視線は空を彷徨うように揺れていて、昂也の方に向けられない。声が聞こえていないわけではないだろう。きっと、真白の意
識の中には昂也の存在はまったく無に等しいのだ。
 「真白・・・・・」
 どうしても自分の方を向いて欲しくて、昂也は重い足を引きずって前へと進む。
 「真白、聞こえてるだろ?」
 「コーヤ、来るんじゃない」
厳しい声でコーゲンが制したが、今の昂也の意識は真白だけに向けられていた。
 「怖くないから、ほら」
 「コーヤッ」
 「真白」
 ようやく、コーゲンのいる場所に並んだ。その隣をゆっくり通り過ぎようとしたが、強い力で腕を掴まれてしまう。
 「今は近づけない。コーヤ、マシロは普通の角持ちじゃないんだ」
 「離して」
 「コーヤ」
 「平気だから、頼むよ」
 「・・・・・」
 「頼む、から」
コーゲンが心配してくれているのは良くわかる。昂也自身、どうしようもない不安や、消しきれない恐怖を抱いたままここにいた。
ただ、このままコーゲンの言うように自分だけが安全な位置にいて、彼らが真白をどうにかするまで待っているなんてとてもできなかっ
た。
 昂也の決意が伝わったのか、腕を掴んでいたコーゲンの手から力が抜ける。それを振りほどくようにしてさらに歩いた昂也は、今度
はコクヨーに近づいた。
 「・・・・・コクヨー」
 どうしても目に入ってしまう無残な姿に息をのむ。
近づいて初めて、真っ青なコクヨーの顔色に気づいた。元々、あまり感情を出さない男がこんな表情をするなんて、相当な痛みを感
じているのだ。腕が千切れてしまうというありえない現実に、昂也は掛ける声も見つからない。
 コクヨーは昂也が側にいることには気づいているはずなのに、鋭い眼差しは前方にいる真白から逸らされることはなかった。まるで
目の前の真白が強大な敵かのような臨戦態勢だ。
(真白は・・・・・)
 真白は無防備な表情のまま、コクヨーの眼差しにはまったく気づいた様子もない。その顔を見ていても、昂也は真白がこんな酷い
ことをしたとは考えられなかった。
 昂也は唇を噛みしめる。立ち止まっていると、自分が震えているのがわかった。まさか真白がと思っているはずなのに、目の前の小
さな存在に対して恐怖を感じている自分がいて、後一歩踏み出すのがとても怖い。
 しかし・・・・・。
(俺まで逃げるなんて・・・・・できないっ)
 「・・・・・っ」
 「コーヤッ?」
 「コーヤ!」
コーゲンの必死な声や、スオーの焦ったような声が聞こえたが、昂也は構わずに手を伸ばしながら真白に近づいた。




 江幻が黒蓉とマシロを見つけた時、2人は距離をとって向かい合っていた。いや、それは正しい表現ではない。マシロの方は江幻
どころか黒蓉の姿もほとんど認識していないような様子なのに対し、黒蓉は最大限の気で自身を防御している。
 「黒蓉っ?」
 さらに驚くことに、黒蓉の左腕が肩口から千切れていた。それがどうしてなのか、考えるまでもない。
(マシロがやったのか・・・・・)
 折れた角を持つ子供。正しい《角持ち》である青嵐とは違い、明らかに異質な存在であると感じていた危惧は、明確な形となって
面前に突きつけられた。
 「おいっ」
 「・・・・・来るな」
 意外にも、黒蓉の声に焦りはない。しかし、隠しきれない痛みのせいか、息遣いに乱れを感じた。
 「これは、俺が始末をする」
 「待て、お前ほどの男がそんな姿になって・・・・・」
 「あの姿に油断しただけだ。もう、容赦などするつもりはない」
子供の数が極端に少ない竜人界では、大人ならば誰もが子供を庇護する立場になる。黒蓉も、マシロの存在が良くないものであ
ると感じていても、外見だけを見たら無情に攻撃することができなかったに違いない。それにしては、片腕を失うというのは大きな痛
手で、江幻はこの状況をどうにかできないだろうかと素早く考えた。
(まだ、気が残っているといいが・・・・・)
 完全に失ったものを再生することはできないが、その場にまだ部位が残っているのならもう一度接合することは可能だ。
江幻は跪いて千切れた腕を手に取ろうとした。
 「・・・・・っつ」
(なん、だ?)
 江幻は伸ばした手を止める。まだ実際に触れていないというのに、強烈な負の気がそれから放たれているのを感じたからだ。これ
では、もう二度とこの手を黒蓉の身体に付けることはできない。
 しかし、いったいどうしてこんなことになったのかと考えた江幻は、改めて自分たちと向き合う形に立っているマシロを見た。初対面
で見た時は、青嵐のような強烈な強い気はなかったはずだ。
 「・・・・・マシロ」
 名前を呼んだが、マシロは江幻を見ようとしない。
 「江幻、これに何を言っても通じない。やはり、存在してはならないものだ」
黒蓉の気が高まるのがわかる。片腕を失い、相当量の失血をしている身体でこんな力の出し方をすれば、最悪命を落とす可能性
もある。マシロをどうにかしなければならないというのはもちろんだが、黒蓉の手当ても一刻も早い方が良い。
(私一人じゃ手が足りないが・・・・・)
 そこへ、
 「真白!どこだっ、真白!」
置いてきたはずのコーヤが突然現れた。その後ろに蘇芳がいるのを見て、江幻は溜め息が漏れてしまう。コーヤにはこんな場面を見
せたくなくて置いてきたのに、蘇芳は何をしていたのか。
(蘇芳がコーヤを止められるわけがなかったか)
 コーヤに想いを寄せている蘇芳なら、必死に頼みこまれれば最終的に折れてしまうことは考えられる。それでもこの緊急事態に何
とか頑張ってくれるのではないかと期待したが、どうやらコーヤの行動力は江幻が考えていた以上のものだったようだ。
 なぜか始めからマシロに対して好意を抱いている様子のコーヤは、目の前の光景に一瞬信じられないというような驚きの表情に
なっていた。こんな顔をさせたくなかったのにと胸がつかれる思いがして、江幻は不甲斐ない自身を呪った。
 「コーヤッ?」
 「コーヤ!」
 そんな中、コーヤがマシロに近づいていく。江幻と蘇芳は焦って制止したが、コーヤの足は止まらずにマシロのすぐ近くまで歩み寄っ
てしまった。
(くそっ)
コーヤの腕の中には青嵐もいるのだ。江幻は身体を張るつもりでコーヤの側に駆け寄った。