竜の王様2
竜の番い
第二章 孵化の音色
15
※ここでの『』の言葉は日本語です
片腕で抱いた青嵐が重い。
出会った頃から比べたら随分成長したんだなと、こんな時に考えてしまう自分が可笑しかった。
今、自分の目の前で繰り広げられている光景に驚きと恐怖はもちろんあったが、一人で立ち尽くす真白を見ると駆けよらずにはい
られなかった。
「コーヤッ!」
スオーの鋭い制止の声が背後で聞こえたが、昂也は構わずに真白に駆け寄るとその前に跪いた。真白の視線はまだ彷徨ったま
ま、昂也の方をちらりとも見ない。それは拒絶かもしれないが、反対にどうしようもない人恋しさにも思えた。
「真白っ」
手を伸ばして、青嵐ごと真白を抱きしめる。柔らかいのに冷たいし、抱きしめたことへの反応も示さない。
自分が何をしたわけでも、されたわけでもないのに目には涙が溢れ、昂也は胸が締め付けられるような悲しみと苦しさにますます腕
に力を込めた。
「・・・・・えっ?」
しかし、次の瞬間、頬に熱さを感じる。それは間を置いて痛みに変化した。
「コーヤッ、マシロを離すんだっ」
「コ、コーゲン?」
「マシロッ、お前が周りに敵意を抱くのは勝手だが、このコーヤは無条件にお前を信じ、守ろうとしたんだ。そんな相手を傷つける気
かっ?」
「傷?」
「コーヤッ」
まるで守ってくれるように自分と真白の間を引き離そうとしているコーゲンを呆然と見ていた昂也は、背後からぐっと腕を掴まれてし
まい慌てて振り返った。
そこに立っていたのはスオーで、その表情には見たこともないような強い殺意が表れている。どうしてそんな表情をしているのかわ
からなくて非難する眼差しを向ければ、昂也に視線を戻したスオーが眉間に皺を寄せたまま、自身の袖を引き裂いて昂也の頬に
押し当ててきた。
「スオー?」
「見ろ」
押し当てられた布を見せられた昂也は、そこに滲む赤い血を見て息を飲む。自分がいつ怪我をしたのかも自覚がなかったので、痛
みよりも驚きの方が大きかった。
「マシロの気にやられたんだ。あいつはお前の声も耳に入っていない。これ以上近づくな」
「真白に・・・・・?」
あんな無防備な真白に傷つけられたなんてとても信じられない。昂也は慌てて真白を見た。
そこではコーゲンとコクヨーが、まるで巨大な敵に立ち向かうかのように張り詰めた気を纏っているのがコーヤにもわかる。何の根拠
もなかったが、このままでは真白が殺されてしまうかもしれないと思った。
「止めろ!」
そう思った途端、昂也はそう叫んでスオーの手を振り払った。いや、実際にはスオーの拘束を解けなかったが、その腕の中から身
を乗り出すようにして、必死に二人に訴えた。
「真白はまだ子供なんだっ!」
「ただの子供が、黒蓉の腕を引き千切れるか?」
「そ、それは・・・・・」
コクヨーの痛々しい姿は現実で、それまでも気のせいだと言えるはずがない。
昂也は一心に目の前の真白を見つめる。せめて視線が合えばと思うのに、真白の眼差しは一向に自分の方へ向けられることがな
かった。
(どうしてこんなことに・・・・・っ)
自分が真白を見つけたことがいけなかったのだろうか。考えても、結論は出なかった。いや、今はそんなことを考えている場合では
ないのだ。
昂也は腕を掴むスオーを振り返った。
「離してくれっ」
「駄目だ」
「頼むから!」
何度頼んでも、スオーは腕を掴む手を離してはくれない。男の頑固さに焦れ、今度はコーゲンに訴えた。
「コーゲンッ、真白と話させてよ!」
コーゲンは一瞬こちらを向いてくれたが、昂也の願いどおりに行動してくれない。昂也は焦れて叫んだ。
「真白を殺さないでよ!・・・・・!!」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
昂也の言葉と同時に、いきなり青嵐が声を上げる。それは今までに聞いたことがないような必死な声で、昂也は思わず腕の中の青
嵐を見た。青嵐は閉じた目じりから涙を流し、頬を紅潮させていた。小さな手は必死に昂也の胸元を掴んでいる。
いったい、青嵐に何が起こったのか、抱いている昂也自身わからなかった。それでも、火がついたように叫ぶ青嵐をどうにかしてや
らなければならないと思い、必死にその身体を揺さぶった。
「青嵐、大丈夫だからっ、俺がちゃんと側にいるからっ」
「あぁ!あぁぁぁぁぁーっ!」
「コーヤ、青嵐はどうしたんだっ?」
「わ、わかんないっ」
スオーも突然の青嵐の異変に驚き、昂也から手を離した。しかし、今の昂也は目の前の青嵐の異常な声に動揺して、真白に駆
け寄るという考えはなかった。
「マシロッ?」
「えっ?」
そんな中、コーゲンの焦ったような声に慌てて視線を上げた時、すぐ目の前に真白がいて昂也は一瞬息をのんだ。
まるでスローモーションのように、コーゲンとコクヨーの手がこちらに向かってくるのが見えたが、それよりも早く真白は昂也の腕の中
で叫んでいる青嵐の額に手を当て・・・・・。
「!」
眩い光に思わず目を閉じた昂也は、腕の中がさらに重くなったのを感じてその場に膝をついてしまった。
恐ろしく、不気味な存在であるこの折れた角を持つ子供を、一刻でも早く始末しなければならない。片腕を失い、猛烈な痛みが
全身を襲っていたが、黒蓉は必死に意識を集中していた。
そこに、唐突にコーヤが現れ、計画が崩れてしまった。コーヤに子供を始末するところを見られたくなかったし、危険な目に遭わせ
るわけにもいかないと、黒蓉は何とかして子供をコーヤから引き離そうとした。
「真白を殺さないでよ!・・・・・!!」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
コーヤの悲痛な叫びと共に響く青嵐の異様な叫び声に身体が震えたが、それでもすぐに助けなければならないと思い一歩踏み
出す。だが、思った以上に片腕の怪我が響き、黒蓉は低く呻きながら肩口を押さえて必死にコーヤを見た。
「な・・・・・んだ?」
目に映ったのは、眩い光に包まれたコーヤの姿。それはコーヤが抱いている青嵐と、いつの間にか二人のすぐ側にいた角折れの
子供までも包んでいる。それがどういうものかはわからなかったが、黒蓉は一刻も早くコーヤをその光の中から引き出そうとした。
「コーヤ!」
そんな黒蓉より先に側にいた蘇芳と江幻が動いたが、あの子供は微動だにしない。そればかりか、二人が次々とその場に膝を
ついてしまった。
「おいっ!」
自由に動けない身体で黒蓉は叫ぶが、常ならば飄々としている江幻の真っ青な顔を見ると、尋常でない現象が起こっているのだ
と感じた。
今の自分に何ができるのか。そんなことを考えている場合ではない。黒蓉は重い身体を引きずってコーヤの側に歩いて行く。一歩
踏み出すごとに熱波のような気が全身を襲ったが、このまま身体が燃えたとしても構わなかった。
「コ、ヤッ」
ようやく、手が届きそうな場所まできた。黒蓉はコーヤの名前を呼ぶが、青嵐を抱いたまま膝をついたコーヤは顔を上げない。
「コーヤッ!」
「・・・・・」
「おいっ、聞こえるかっ?」
「・・・・・んっ」
何度も声を掛けると、やっとコーヤは顔を上げた。先ほどよりは纏う光の光量は減ったように感じるが、それでも完全に消えたわけで
はない。だが、黒蓉は躊躇わず光の中へ入って行き、コーヤの腰辺りに佇んでいる子供の腕を掴んで引き離そうとした。
「!」
動かない身体に目を凝らすと、子供の腰に回っている手が見えた。コーヤだ。
「手を離せっ」
「・・・・・っ」
「離せ!」
片腕を失っている今、もう一本の手で子供の腕を掴んでいるのでコーヤの身体を突き放すことができない。
「江幻っ、蘇芳!」
何とか二人に手助けしてもらおうと呼びかけるが、呻き声を上げて反応は示すものの、身体は動かせないらしい。
どうすればいいのか。逡巡している黒蓉の耳に、小さな声が届いた。
「・・・・・じょ、ぶ」
「コーヤッ?」
「大丈夫、だからっ」
コーヤが反応してくれたことに、黒蓉は自分でも意外なほど安堵していた。
片腕を失った自分、能力を発揮できずにいる江幻と蘇芳。この角が折れた子供がどれほどの力を持っているのか、正確にはわから
なくても力のないコーヤなど容易に危害を加えられると思った。
だが、コーヤ自身に危惧したような変化は見えない。
(光が・・・・・)
間もなく、光がだんだんと小さくなっていき、やがて綺麗に消えた。その途端、蘇芳と江幻が身を起してコーヤから子供を引き離した。
その時には子供も反抗する様子は見せず、おとなしく江幻に拘束されている。
「コーヤ、大丈夫か?」
蘇芳の言葉に何度か頷いたコーヤは、江幻の腕の中にいる子供を真っ直ぐに見ながら口を開いた。
「マシロだって、誰かを傷つけたいわけじゃないよ」
「コーヤ」
「コクヨーは、マシロを敵だと思ってるのか?」
その言葉に、黒蓉はすぐに答えることはできなかった。この存在が異質なものだという確信はあるものの、あからさまな敵意を突き
つけられたわけではない。腕の怪我も、黒蓉が殺気を見せなかったとしたら・・・・・多分、失うことはなかっただろう。
しかし、それを言ったとしたら甘いコーヤはどう考えるか。容易に想像がついて黒蓉は答えることができなかった。
沈黙する黒蓉を見上げたコーヤは、しばらくして蘇芳に腕の中の青嵐を任せた。そして、自身の着ている服を脱ぎ、不器用な手つ
きでそれを黒蓉の引き裂かれた腕に巻き付けて行く。
「・・・・・痛いよな」
「・・・・・」
「こんなことをされて、許せなんて言えないけど・・・・・」
コーヤの着ていた服に血が滲んでいった。自分のためにこんなことをしてくれるということに戸惑い、黒蓉はなんとも言えない気持
ちでコーヤを見下ろす。
「・・・・・知らないところで、殺したり・・・・・しないでよ」
「コーヤ・・・・・」
自分の身体を傷つけられて、怒らない者などいないだろう。ましてや、腕を引き千切られるなんて大怪我をさせられて、コクヨーの
ように冷静でいられる方が稀だと思う。
そんなコクヨーの優しさに甘えているという自覚はあったが、昂也は真白の身の安全を頼まずにはいられなかった。
コクヨーは昂也の言葉に何も返してくれない。だが、無表情の中に困ったような気配を感じて、昂也はコクヨーの服の裾を強く握りし
めた。
「・・・・・ごめん」
「・・・・・」
「ごめん、コクヨー」
謝ることしかできなかった昂也は、やがてふっと息をつく気配に顔を上げる。相変わらずコクヨーは無表情だったが、不思議と先ほ
どまで強く感じた殺気は消えていた。
「お前が謝ることはない」
「でもっ」
「・・・・・この角折れの子供の処遇を、勝手に決めようとした己の責任だ」
彼らしい自分への厳しさに、昂也はこんな時なのになんだか安堵した。コクヨーがいつもの彼に戻ったのが嬉しかったのだ。
昂也がじっとコクヨーを見つめていると、彼はふっと視線を反らしてしまう。そして、すぐ側にいたコーゲンとスオーに向かって言った。
「王都に戻る」
「・・・・・」
コーゲンの返事に昂也は驚いたが、コクヨーは平然としていた。どうやら、コーゲンの言葉の通りらしい。
「情けないが、俺にはこれの処遇をどうすることもできない。紅蓮様にご指示を仰ぐしかないだろう」
「確かに、私たちではこれ以上何もできないだろうね。それに、コーヤと青嵐がいれば、多分マシロが紅蓮に危害を加えることはな
いと思えるし」
「コーゲン、真白をグレンに会わせるのかっ?」
「コーヤもそうした方がいいと思っているんじゃないかな?蘇芳もいいだろう?」
「・・・・・しかたないだろう」
「そういうことだよ、コーヤ」
どうやら、最悪の状況は一転したらしい。それが良いのか悪いのか、昂也にも判断がつかないが、グレンに会わせることが真白に
とっても良い方に向かうのではないかと思いたかった。
昂也は相変わらずぼんやりとした表情をして立っている真白を見る。この可愛らしい顔に表情が出ることはあるのだろうか。
(グレンなら・・・・・)
竜王として、この世界のことを一番に考えているあの男なら、コーゲンたちが言う《異質な存在》の真白のこともきちんと考えてくれる
はずだ。
「ありがとうっ、コクヨー!」
昂也が礼を言っても、コクヨーはにこりともしない。そして、そのまま振り返ると元いた場所へと再び戻って行く。どうしてと思う間も
なく屈んで千切れた腕を拾おうとした彼に、昂也は反射的に身体が動いてコクヨーより先にその腕をそっと拾い上げた。
「コーヤ」
「俺が、持つ」
冷たく、青い血が滴り落ちているそれが怖くないとは言えない。それでも、コーヤは己の感情を押し殺して真白のために動いてくれ
ようとしているコクヨーの身体の一部を見て見ぬ振りなどできなかった。
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