竜の王様2

竜の番い





第二章 
孵化の音色



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 ひんやりと冷たい腕は、既に生気がない。大量に流れている血を見ても、この腕が再びコクヨーの身体に付くとは思えなかった。
(これ、どうやって・・・・・)
昂也が駆け付けてきた時にはもう、腕は千切れて落ちていた。その瞬間を見ていないので、今でも昂也の中では本当に真白がした
のだろうかと思いたい自分がいる。だが、真白以外、そんなことができる者がこの場にいないということもわかっていた。
 昂也は腕を抱いたまま、コーゲンを振り返る。
 「コーゲン、コクヨーは大丈夫なのか?」
 「黒蓉、止血をしておこう」
 「いや」
 「言うことを聞いてくれ。お前がそのままではコーヤがここを動かないよ」
少しだけ苦笑混じりに言うコーゲンの言葉に、コクヨーよりも昂也の方がドキッとした。
確かに、コクヨーの腕をあのままにしておけない。血が流れ続けるのではないかと心配だし、何より見た目が痛々しかった。それをコ
クヨーに面と向かって言っても彼は何も言わないだろうが、昂也の気持ちがそう訴えるのだ。
 そうはいっても、コーゲン達とはあまり仲が良いとは言えないコクヨーが簡単にコーゲンの手を受け入れてくれるとは思えない・・・・・
そう考えながら昂也がじっとその顔を見上げていると、ふいっと視線を逸らされてしまった。
(む、無視された?)
 興味半分で見ていたわけではなかったが、コクヨーに誤解されてしまったかもしれない。内心焦る昂也を無視したまま、コクヨーが
低い声でコーゲンに言った。
 「最低限の処置でいい」
 「ああ」
 「コクヨーッ」
 なぜだかわからないが、コクヨーはコーゲンの言葉を受け入れてくれるらしい。
昂也は安堵したが、すぐにあっとスオーを振り返った。スオーの腕の中にいる青嵐は、再び静かに眠っている。先ほどの、胸が張り
裂けそうなほどの悲痛な声で泣いていた様子は欠片も見えない。
 「青嵐・・・・・」
 いったいなぜ、青嵐はあんな声で泣いたのだろうか。自分の仲間かもしれない真白の命が奪われそうになるのを察して、真白を助
けるために咄嗟に口から出たのか。
 青嵐に理由を聞きたくても真白と出会う前から眠ったままで、まともに二人は顔を合わせていない。
青嵐も真白も、このままで大丈夫なのだろうか、不安は尽きなかった。




 コーゲンの処置のおかげで、コクヨーの腕からの出血はなんとか止まったらしい。そのことに安堵すると、ようやく王都に向かうことに
なった。
今回、コーゲンが竜に変化してくれることになり、青嵐はスオーが、真白は昂也が抱いて背に乗ることにする。
 当初、昂也が真白を抱えることに他の三人は難色を示したが、当の真白が昂也の服の裾を掴んで離さなかった。昂也が自分を
守ってくれる者だと認識しているのか、それとも単に竜人ではないから選んだのかわからない。だが、昂也はしっかりと抱きかかえて
も泣きも拒みもしない真白を見て、この頼りない存在を守れるのは自分だけではないかと改めて思った。
 「コーゲン、頼むな」
 大きな竜の鱗をしっかりと掴んで言うと、コーゲンは返事の代わりにゆるく瞬きをする。竜になっているので当然大きな瞼が上下す
ると風が揺れるが、慣れた昂也は恐怖を感じることはない。
 「スオー、コクヨーもいい?」
 「ああ」
 「・・・・・」
 「コクヨー」
 「俺のことは気遣う必要はない」
 片腕で不自由はないかと心配していることはどうやらお見通しらしい。プライドの高いコクヨーにはそれは余計な御世話だったようだ。
一同の準備が整ったのを見てとったコーゲンが、一鳴き声を上げて空へと高く飛び立つ。
 「マシロ、怖くないからなっ」
 多分、初めての飛行のはずの真白に声を掛けたが、真白は無表情のまま昂也の腹に抱きついている。泣かれても困るが、この反
応もどうしたらいいのか迷ってしまった。
(青嵐は・・・・・)
 視線を後ろにやると、しっかりと青嵐を抱いているスオーの姿が見えた。昂也と視線が合ったスオーは、ふっと目を細めて笑いかけ
てくる。
 「大丈夫かっ?」
 「うんっ」
早い速度で空を飛んでいる最中の会話は、声を張らなければ耳に届かない。昂也はスオーにそう答えると、再び視線を眼下に向け
た。いつもなら、竜の背に乗って飛ぶことは現代ではないことなのでとても楽しいし、ワクワクするのだが、今回に限ってはそんな浮い
た気持ちにはなれなかった。
 見る間に通り過ぎる岩山や森を見ても、もっと早く飛んで王都に着かないかと考える。コクヨーの怪我のこと、真白のこと、早くコー
ゲンに伝えて、彼の意見を聞きたかった。
 そんな昂也の気持ちが伝わったのか、コーゲンも急いでくれたらしい。
振り飛ばされないように必死に掴まっていなければならないほどの速さで空を飛んだ竜は、間もなく王都に着いた。ここまでくれば、王
宮の姿も目に入る。
 「着いた!」
 既に懐かしいとも思える王宮の後ろ側にある開けた山中に向け、竜は旋回し始めた。
 「コーヤ、降りる時は気をつけろっ」
 「わかった!」
 スオーの言葉に地面に降りる時の衝撃に備え、昂也は絶対離さないよう強く真白を抱きしめた。背中に回る小さな手の感触が、
意味もなく嬉しく感じてしまう。
 「大丈夫だからっ」
(真白のことは俺が絶対に守るから!)
 「!」
頬を風が叩き、そのまま竜は降下していく。多分、昂也を気遣ってくれているのだろう、その速度は覚悟していたものよりはゆっくりで
角度も緩い。
徐々に近づいてくる地上を見て、昂也は自分でも不思議なほどの安堵感に包まれた。




(早かったな)
 かなり無理をしたらしい江幻を労う言葉が改まって出て来ず、蘇芳は軽く背を叩いてから地上に降り立った。すぐにコーヤに手を貸
そうと思ったが、随分慣れたのか真白を抱いたままで器用に背から降りている。
 いや、
 「うわっ」
 「コーヤッ」
地面に足を着いた瞬間に体勢が崩れたのを見てすぐに手を伸ばしたが、蘇芳の前に黒蓉がコーヤの腰を抱きとめた。
片腕というのがまったくわからないくらい平然とした表情に多少の嫉妬は感じるが、さすがにこの場で文句を言うことはない。それより
も、助けられたコーヤが恐縮し、さらには黒蓉の身体を支えようとしている。
 「構うな」
 黒蓉はコーヤに気遣われることが不本意らしくその手は取らないのが、なんとか蘇芳の感情を宥めていた。
 「さてと」
変化を解いた江幻も合流し、すぐに山を下り始める。
 「どう思うだろうな」
 先頭を黒蓉、続いてマシロを抱いたコーヤが続き、蘇芳は江幻と並んで最後尾を歩きながら思わずそう口にしてしまった。
 「紅蓮?」
 「ああ」
紅蓮の存在自体、今もって蘇芳には目障りなものだ。だが、一応この竜人界を治める者としての力はあることは認めざるをえない。
その男がマシロを見てどう思うのか、蘇芳には興味深かった。
 「そうだねぇ」
 何を思っているのか、相変わらず読めない口調で呟きながら、江幻はコーヤの腕の中に抱かれているマシロを見ている。
数多くの文献を読み、知識も豊富な江幻にとって、マシロの存在はそれこそ生きた貴重な教材でもあるはずだ。ただし、そこにコーヤ
が関わっていては、単純に楽しむということはできないだろう。
 その上、マシロの力はまったく読めないほど強く、《角折れ》で・・・・・。
(・・・・・ったく、どうしてこう、次々と厄介事が舞い込んでくるんだ?)
気楽な一人暮らしだった頃は、この竜人界がどうなろうがまったく気にならなかった。王族に対して根強い恨みがあったし、育った環
境からか自分以外のものには一欠片の興味もなかったからだ。
 しかし、コーヤと出会い、その心根に触れて行くうちに、蘇芳は自分でもくすぐったくなるような温かいものが胸の中に芽生えた。
コーヤの悲しむ顔は見たくなかったし、その笑顔を自分だけに向けて欲しいと思うようにもなった。
それが独占欲を伴った愛情だと、誰に対してだって胸を張って言える。後は、コーヤが自分を受け入れてくれたら。
 「・・・・・」
 前を歩くコーヤの眼差しは、自身の腕の中にいるマシロに向けられている。今のコーヤには、愛だの恋だの甘い感情はとても期待
できない。それを急かすつもりも、ない。
 「・・・・・」
 「・・・・・なんだ」
 いつの間にか、江幻が自分の方をじっと見ていた。今の自分の気持ちを見透かされたようで、蘇芳は誤魔化すように不機嫌に言
い捨てる。長い付き合いの江幻はそんな態度にも思うことがあるのか、目を細めて少し笑んだ。
 「いや、何も」
 「・・・・・」
 「ああ、紅蓮のことだった。まあ、彼の頭の中は覗けないが、一つだけ私にもわかることがあるよ」
 「一つだけ?」
 「紅蓮は、コーヤが悲しむことは絶対にしない。これだけは確かだ」
不本意だが、それには蘇芳も同意できた。




 山を下り、王宮の門までやってくると、そこには見慣れた顔があった。
 「ソージュッ、アサヒッ?」
立っていたのはソージュとアサヒと、数人の兵士たちだ。帰るとは知らせていなかったのでこんなところで二人に出迎えられるとは思
いもしなかった。
 だが、二人からは「お帰り」という言葉は出てこない。その前に、鋭い眼差しが昂也の前にいる黒蓉に向けられている。いや、正確
には黒蓉の腕に、だ。
 「あ、あのっ」
 「お前たちが戻ってくると、紅蓮様がおっしゃった」
 「グレンが?」
頷いたソージュは手を上げ、そっとコクヨーの肩口に触れた。
 「・・・・・これは?」
 「大したことはない」
 コクヨーは軽くソージュの手を振り払う。怪我をしている個所に触れられるのを嫌がるというよりも、気遣われることが嫌なふうだ。
ソージュはそんなコクヨーをじっと見ていたが、すぐにこちらに顔を向けてくる。
(ど、どうしよう)
コクヨーの怪我の訳をきかれたら、いったい何と答えればいいのだろうか。問い詰められることを覚悟して焦るが、ソージュは昂也の腕
の中にいる真白を見て驚いたように目を瞠った。
 あまり表情の変化がないソージュのその様子に、昂也はあっと気づいて慌てて小さな身体を深く抱きこむ。
 「コーヤ、その子供は?」
 「あ、あの」
 「・・・・・まさか、黒蓉のあれと関係があるのか?」
言葉は問い掛けだが、その響きには確信が込められている気がする。多分、昂也がどんなに真白寄りに説明したとしても、ソージュ
の中に生まれただろう疑念を綺麗に払拭することはできそうにない。
 とにかく、真白に対しては良い印象を持ってもらわなければならないと思っていたはずなのに、いざとなると何もできない自分が恥ず
かしくてたまらなかった。
 このまま、真白と引き離されてしまうのだろうか。そんな恐れまで抱き始めた時、ポンっと頭の上に手を置かれた。
 「ここで話すことじゃなくてね」
 「江幻」
 「紅蓮は?すぐに会える?」
 「・・・・・お待ちかねだ」
 「だ、そうだよ、コーヤ」
 「う、うん」
 「・・・・・案内しよう」
コーゲンに促されながら門をくぐったコーヤだが、王宮に入った途端にいっせいに向けられる視線に心臓の鼓動が速くなった。誰もが
皆、昂也の腕の中の真白を見て驚きと恐怖の表情になっている。こんなにも小さく、保護をしなければならないほど幼いのに、始め
から拒絶されているということが悲しい。
 「・・・・・」
 周りの視線から真白を遮りたくて自然と早足になってしまったらしく、昂也はいきなり腕を掴まれて慌てて顔を上げた。
 「な、なに?コーゲン」
 「着いたよ」
 「あ、うん」
いつの間にか、目的地に着いたらしい。しかし、そこは大広間でも謁見の間でもない。
 「ここで?」
 「まだあまり人に聞かせられる話じゃないし、王宮の中でも自分の部屋が一番安全だと思ったんじゃないのかな」
 「じゃあ、グレンの部屋で?」
(そうだよな、真白のこともちゃんと説明しなきゃいけないし)
 真白の運命はグレンの気持ちで決まる。昂也は改めて大きく深呼吸した後、腕の中の真白を見下ろした。あまりの静かさに眠っ
ているのではないかと思ったが、目を開けて昂也の顔を見ていた。その瞳に、自分の顔はどんなふうに映っているのだろうか。
 「・・・・・大丈夫だから」
 「紅蓮様、コーヤが戻って参りました」
 先を歩いていたソージュが扉に向かってそう言った後、側にいたアサヒが大きなそれを開く。開かれた向こう側に赤い髪の男の姿
を見た昂也は、唇を引き締めて足を踏み出した。