竜の王様2

竜の番い





第二章 
孵化の音色



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※ここでの『』の言葉は日本語です





 少し前。
 紅蓮は子供たちの部屋を訪れていた。最初に身体に鱗が出現した白銀以外にも、数人の子供たちの身体に鱗が現れていた。
それは白銀よりは酷くないものの、やはり異質な変化だった。
 コーヤが旅立ってから、白銀はまるで気力が尽きたかのように倒れてしまい、それきり目を覚まさない。他の子供たちもほとんど動
くことがなくなってしまい、紅蓮は即座に医師と、地下に軟禁している紫苑を招集した。
紫苑は反逆という大きな罪を犯したが、それでも医療の知識に明るい。同時に、個々が纏う気についても詳しく、この非常事態にそ
の手を借りることを紅蓮は躊躇わなかった。
 多分、以前の自分ならば矜持が邪魔して、絶対に紫苑を頼ることはしなかっただろう。一度裏切った者を信じることなど絶対にな
かった。こんなふうに柔軟な対応ができたのが誰の影響が強いのか、それは口にせずとも紅蓮自身、そして周りの者もよくわかって
いる。
 今も、紫苑は他の医師と共に子供の鱗を診察していた。これが子供の身体にとってどんな影響を及ぼすのか、今一番早急に取
り組まなければならない問題だからだ。
 紅蓮もそれに立ち会っていたのだが、不意に大きく揺れた気を感じて顔を上げた。
 「・・・・・黒蓉か?」
 「紅蓮様」
その気配は、紫苑と、同じくその場にいた白鳴も感じ取ったらしい。
 「早いですね」
 「・・・・・」
 「何かあったのでしょうか」
 一行が旅立って、まだそれほど時間は経っていない。今回の旅の目的も明確なものがあったわけではなく、紅蓮も正直どのくらい
の時間が掛かるのか測りかねていた。それが、こんなにも早い期間に・・・・・別の要因を想像して眉が寄ってしまう。
(まさか、コーヤになにか・・・・・)
 黒蓉を始め江幻も蘇芳も竜人界では突出した力の持ち主で、何か非常事態があっても対処はできるはずだ。しかし、人間であ
るコーヤには何の力もない。今の竜人界は何が起こっているのか、正直紅蓮もすべてを掴み切れていないので、心配は尽きなかっ
た。
 「白鳴、誰か迎えを向けろ」
 「はい」
 「私は部屋に戻っている」
 コーヤたちがどんな結果を持ち帰ってきたのかはわからないが、その話はけして外に漏らしてはならない。それには紅蓮の自室が
一番いいので、白鳴にそう告げるとそのまま部屋を出ようとした。
 しかし、扉を開けようとした紅蓮は足を止め、まだ部屋の中にいた紫苑を振り返る。紫苑も同じように気を感じ取っているのだろう
が、表面上はあまり変化はなかった。
 「紫苑」
 「私は・・・・・」
 「お前はこのままここにいて子供たちを見ていろ。何か異変があった場合はすぐに知らせるように」
 「・・・・・はい」
 紫苑はこのままここにいてはならないと思っていたのだろうが、紅蓮はわざと言葉にして紫苑を押しとどめる。今の紫苑は紅蓮に逆
らうことはなく、深く頭を下げる姿を見てから紅蓮は部屋の外に出た。




 「紅蓮様、コーヤが戻って参りました」
 間もなく、蒼樹の声がして扉が開かれた。
(コーヤ・・・・・)
すぐに目に入ったコーヤの姿を見て、一見して大きな怪我などないことに安堵する。危惧していたことが杞憂だったことがわかった後、
ようやくその腕の中にいる白い存在に気がついた。
(これは・・・・・!)
 色素がないこと以上に、角があること。その角が折れていることに、紅蓮は思わず息をのんだ。
《角持ち》である青嵐が現れた時も、話だけ聞いたことがある伝説の存在を目の当たりにしたことに驚いたが、今の驚愕はそれ以上
のものだった。どんな文献にも、角が折れた《角持ち》の記述はなかったからだ。
 紅蓮は再びコーヤの顔を見る。どこか困惑したような、泣きそうな、それはいつもの生命力満ち溢れたコーヤとはまるで違う表情だ。
それが、今腕の中にいる存在のせいなのかどうか、紅蓮は慎重に考えながら椅子から立ち上がった。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 近づくごとに、コーヤの緊張が痛いほど伝わってくる。何も、コーヤに対して詰問する気もないのに、ここまで怯えられるのは心外だ。
紅蓮は眉間の皺をますます深くしながら、コーヤの前に立って真っ直ぐ子供を見下ろした。
 「これは?」
 「見、見つけた」
 「どこで?」
 「青嵐を見つけた、近く」
 「・・・・・」
 竜人界の地理に詳しくないコーヤにそれ以上の質問をしても無駄だろうと、紅蓮は共に帰ってきたはずの黒蓉の姿を探す。
本来なら、必ず紅蓮の目が届くところにいるはずなのに、どうしてすぐ見える場所にいないのか。それは、江幻の背後にいた黒蓉の
姿を見た時にわかった。
 「黒蓉・・・・・」
 紅蓮の言葉の中の驚きに気がついたらしい黒蓉は、すぐに前に歩み寄って頭を下げる。いつもと変わりのない態度だが、左側の
袖から覗くはずの腕がなかった。黒を基調にしている服のせいであまり目立たないが、それは少なくない血で汚れている。青白い血
の気のない顔を見ながら、紅蓮はかつてそこにあったはずの腕を見ながら手を伸ばした。
 「これは、あれが?」
 はっきり言わなくても、黒蓉は紅蓮が言いたいことを読み取ったらしい。一瞬だけ息をのんだが、すぐに深く頭を下げる。
 「申し訳ありません、不覚をとりました」
 「お前が?」
 「・・・・・」
 「・・・・・そうか」
竜人界にじわじわと広がっていた異変の要因を、紅蓮はその肌で感じていた。




(な、何、考えてるんだ?)
 グレンとコクヨーの交わす言葉を側で聞きながら、昂也は腕の中にいる真白を不安に思いながら見下ろした。
角が折れてしまった《角持ち》。コーゲンたちが言うには、一度に二人もの《角持ち》が現れることはなかったらしいが、そのことは当然
グレンも知っているはずだ。
 コクヨーが真白をその手にかけようとしたように、グレンも。そう想像するだけで泣きそうになる。
(俺、守れるのかな・・・・・)
何の力もない自分が、コクヨーにあれほどの怪我を負わせたらしい真白を守るというのもおかしいが、それでも見るからに庇護を必要
としている真白から目を離すことなどできない。
 しばらくして、コクヨーの前から離れたグレンは、もう一度昂也の前にやってくる。そして、黙って見ている昂也に向かって自身の両手
を差し出した。
 「え?」
 「渡せ」
 「渡せって、真白を?」
 「マシロ?」
 「こ、この子の名前だよっ」
 そう言えば、そんな基本的な情報も伝えていなかった。
昂也は改めて大きく深呼吸した。今、この場で無条件に真白の味方をするのは自分しかいない。真白の正体が何であれ、それだ
けは絶対にと改めて心の中で誓った。
 だとすれば、今昂也ができることは、グレンに真白の身の安全を確約してもらうことだ。もう二度とコクヨーのように命を奪おうとする
者が現れて欲しくないし、彼のような大怪我を誰も負って欲しくない。
 「グレン」
 「なんだ」
 「頼むから、先入観を持たずに真白を見てくれないか」
 角が折れているからといって、始めから忌むべき存在として見ないで欲しい。
グレンの赤い瞳を真っ直ぐに見ながら訴えると、しばらくその視線を見返してきたグレンがふと目を細めたのがわかった。それは昂也
の言葉を受け入れないという雰囲気ではないように感じた。
 「・・・・・まったくお前は」
 溜め息交じりの小さな声と同時に、頭の上に大きな手がのせられる。
(え・・・・・?)
 「私にとって大切なのは、この竜人界と民だ」
 「そ、それはわかって・・・・・」
 「その者も、ここで生まれたのならば我が民だ」
 「グレン!」
まさか、グレンがそこまで言いきってくれるとは思わず、昂也は驚きと喜びで思わずグレンに抱きついてしまった。と、いっても、腕の
中にいる真白をサンドイッチのように挟む体勢だ。
勢いがついていたはずなのに、少しもよろけることなく受け止めてくれたグレンを素直に凄いと思っていると、いきなり背後から腰を掴
まれて真白ごとグレンから引き離された。慌てて振り向くと、そこには不機嫌そうなスオーの顔がある。
 「え?青嵐は?」
 さっきまでスオーが青嵐を抱いていたはずだと焦ると、スオーは無言のまま顎で指し示す。青嵐は、コーゲンの腕に抱かれていた。
安堵した昂也は腕を離してくれと訴えるが、スオーはまったく耳に入らないかのように無視だ。心なしか、先ほどまで柔らかく感じて
いたグレンを纏う空気も冷たくなった気がする。
 「スオーッ」
 「・・・・・」
 このままでは落ち着いて話もできないではないか。子供じみた行動をとった自分のことを置いて考えていると、グレンの背後にいた
ハクメイが一歩進み出る。
 「紅蓮様、先ずは話を聞くのが先決ではないでしょうか」
 「・・・・・」
 「紅蓮様」
 「・・・・・そうだな。コーヤ、先ずはお前が知っていることを話してもらおう。・・・・・黒蓉」
 「はい」
 どうやら、このまま状況説明という状況になりそうで、昂也は慌てて声を掛けた。
 「あ、あのっ」
 「どうした」
 「先にコクヨーの怪我の手当てをしてやってくれないかっ?切り離された腕は、えっと」
始めは昂也が自分で持つつもりだったが、竜の背に乗る段階になって状況的に無理になった。スオーが青嵐を抱くのはいいとして、
竜に変化するコーゲンと、片腕がないコクヨーだと、真白を抱いて乗る者が昂也しかいないからだ。
 結局、コクヨーの腕は竜に変化したコーゲンの口の中に一時保管することになって、そのまま・・・・・と思い出し、昂也はコーゲンを
振り返った。王都に到着した途端、真白のことばかり気になってしまって、頭の中からすっぽり腕の存在を忘れてしまっていた。
 「ああ、私が持っているよ」
 どこに隠していたのか、まるで手品のようにコーゲンは服に包まれたそれを取り出す。だが、スオーは素直でなかった。
 「俺のことはいい。一刻も早く紅蓮様に」
 「黒蓉」
コクヨーは昂也の言葉を即座に却下しようとしたが、その言葉をすべて言い終える前にグレンが制した。
 「お前は先に手当てを」
 「紅蓮様っ」
 「お前の話は最後に聞こう」
 コクヨーの勢いではグレンの言うことなど聞かないように思えたが、眉間に皺を作りながらも黙って頭を下げ、コーゲンから腕を受け
取って部屋を出て行く。これからこの部屋で交わされる言葉が気になってしかたがないのはわかるし、コクヨーしか知らない話もある
が、それでも先ずはちゃんと治療をして欲しかった昂也はそれでようやく安心した。




 コーヤの口から、この角が折れた子供−マシロと勝手に名付けたらしいが−を見つけた状況を聞き、これも不思議な運命だったの
かと紅蓮は思った。もしかしたら・・・・・いや、きっとコーヤが旅に同行しなければ、マシロは見つかることはなかっただろう。青嵐の時
といい、コーヤは大きな力を引き寄せる存在だ。
 そんなコーヤは既にこの子供に気持ちを寄せているらしく、説明中も庇うような物言いが多い。
 「・・・・・」
見ていると、コーヤの腕の中にいる子供はおとなしい。角が折れている以外も、色素のないその容姿はとても異様で、見るからに不
吉なものに思えるのに、コーヤはこの子供も青嵐や他の子と同じように見えているのだろうか。
 黒蓉の腕の件は見ていなかったようで、治療の後で本人に聞くしかないが、どちらにせよ見た目もその力からも、この子供は普通
ではないというのは確かだ。
 「紅蓮」
 コーヤの話が途切れると、先ず江幻が口を開いた。
 「マシロをどうする?」
 「・・・・・」
そんな重大なことを、今ここで決められるはずがないとわかった上で聞いているのだろう。相変わらずにこやかな見掛けによらず性格
の悪い男だ。しかし、その口調とは裏腹に、表情の中には厳しい色がある。さすがのこの男も、今の状況がからかう余地などないと
わかっているのかもしれない。
 本当は、この子供を始末するように命じるのが最善だと、紅蓮の頭の中に真っ先に浮かんだ。すでに《角持ち》の青嵐はいて、一
度はこの竜人界を救うためにその力を使ってくれた。その青嵐とこの子供が同質の力を持つとは考えにくい。
 本来、竜王としては冷酷な判断もしなければならないのに、どうしても「殺せ」という言葉が口から出せなかった。
 それは。
 「グレン・・・・・」
 「・・・・・」
 「グレン、真白は・・・・・この子が、普通じゃないっていうのは俺にもわかる。でもっ、こんなにも小さいのに、自分の意思で悪いことを
するなんて思えないんだっ」
コーヤの言葉は願いを含んだものでしかない。
(この子供が、今この竜人界で起こっている不吉な出来事を呼びよせているのか・・・・・?)
考えた紅蓮は右手を上げ、そこに力を込め始めた。