竜の王様2

竜の番い





第二章 
孵化の音色








                                                             
※ここでの『』の言葉は日本語です





 じっと見つめていたコーヤの目は、零れおちそうなほど丸く、大きくなった。驚愕というほどではないかもしれないが、今の紅蓮の行動
に明らかに驚いている。
その反応に満足した紅蓮は、押し当てただけだった唇をいったん離し、再度重ねた瞬間に強引に舌を入れた。
抱きしめた時、何時も温かいと思うコーヤの身体。口の中も例外ではなく、紅蓮は差し入れた自身の舌がこのままとけるのではない
かという錯覚に陥りそうになった。
(口付けとは、これほどに熱いものだっただろうか・・・・・?)
 これまで身体を重ねてきた相手はどうだったかと思いだそうとしたが、目の前のコーヤの印象が強烈過ぎて一向に思い出すことが出
来ない。だが、多分思い出したとしても、きっとコーヤとの口付けほど熱かったことなどないだろう。
 「ん・・・・・ぅっ」
 熱い口腔内を舌で弄り、唾液を啜る。
普段のコーヤからは想像も出来ないほどの高い、甘えた声が耳をくすぐり、紅蓮は胸をざわつかせて・・・・・そのままコーヤの後頭部に
手を添えてもっと深く抱き込もうとした時、
 「んぁっ!」
 「・・・・・っ」
唐突に、胸を突き飛ばされた。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「コーヤ」
 「い、いや、ごめん」
 両手を前に突き出した格好で、コーヤは焦った様子で謝罪してきた。
紅蓮の口付けを途中で拒むとは何を考えているのかと内心眉を顰めたが、その謝罪で本人が自身の非を認めたことに鷹揚に頷く。
そして、改めて手を伸ばしたが、コーヤはビクッと一歩後ずさった。
 「・・・・・」
 「あ、えーっと・・・・・」
 今さら何を逃げようとしているのか、コーヤの気持ちがわからない。
紅蓮は眉を顰めたまま、離された距離を詰めるために自身も一歩足を踏み出した。




(な、なに、この状況?)
 コハクたちに会った後、コクヨーにグレンのもとまで連れてこられた。
そして、どんなことを話していただろうか・・・・・その直前のことはすっかり頭の中から抜けてしまい、昂也はただ、グレンにキスをされた
ことに大きなショックを受けていた。
 いいとか、嫌とか、そんなことなど考える前に、ただ、驚いた。まさかグレンが自分に対してキスをするなど・・・・・。
(そ、そうだよ、あれってキス、だよな?)
 溺れてもいないのに、立ったまま人工呼吸をしていたなんてバカなことはさすがに言えないし、今もはっきりと口の中にグレンの舌の
感触が残っているような気がした。
 「コーヤ」
 「い、いや、ごめん」
 突き飛ばしたグレンは、眉を顰めてこちらを見ている。突き飛ばしたことを怒っているのか、それともキスが途中になったのを怒ってい
るのか、その気持ちは想像がつかなかった。
 そもそも、グレンは人間が嫌いだったはずだ。ただ、セージュとの戦いでなにやら心境の変化があったらしく、昂也に対して冷たい眼差
しを向けてくることはなくなってきたが、それでもそこからどうしてキスなのか、その飛躍の理由がまったくわからない。
 「あー、えーっと」
 「・・・・・」
 「い、今のって・・・・・」
 どうしてキスなんかしたのかと訊ねれば話は早いのだが、なんだかグレンに対してそんな話をするのは躊躇ってしまう。それほど、キス
とグレンというのはまったく結びつかなかった。
 仮に、キスしてきたのがコーゲンやスオーだとする。相手が同じ男だというのも問題だが、日頃から言葉や態度で好意を表してくれる
彼らが、ふざけてそんなことを仕掛けてくるのは容易に想像出来た。
 だが、どう考えてもグレンのこれは好意からというよりも、怒りや、もしくは嫌がらせの類いだと想像した方が納得がいく。
(・・・・・うん、やっぱり嫌がらせだよな)
コハクたちに会いたいと言った昂也の我儘に対する、これはグレンなりの罰だ。
 「コーヤ」
 「ごめん」
 「・・・・・何を謝る?」
 「だって、怒ってるんだろ?コハクたちと会ったこと」
 当たりだと思いながら自信満々に言うと、グレンはなぜか妙な表情になる。驚いたような、怒っているような、どこか・・・・・。
 「グ、グレン?)
(泣きそう、とか?)
ふと見えた横顔がどこか子供の泣き顔のように歪んでいるのが気にかかり、昂也は思わずその名前を呼んだ。
その瞬間、グレンはハッとしたように表情を改めた。弱々しく見えたあの表情が、まるで幻だったかのように綺麗に消えてしまう。
 「コーヤ、お前は私のもとに戻ってきた。今後は私の目が届く範囲から姿を消すのはならん」
 「へ?」
 それはどういうことかと、昂也は思わすグレンの服を掴んだ。
 「目が届く範囲って、それっ、どういうことだよっ?」
 「言葉の通りだ」
説明する必要はないと言うのか、グレンはそれ以上言わない。
そして、戸惑う昂也の腕を掴むと、そのまま部屋を出た。
 「ど、どこに行くんだよ?」
 「お前の部屋だ。私の私室の隣に設けた」
 「ちょ、ちょっと〜っ?」
 何が、いったどうなっているのか。
これからの竜人界を創る手助けをしたいとは言ったが、それとグレンの側を離れてはいけないというのはどういう意味だろうか。昂也は
疑問だらけのまま、引きずられるようにして静かな廊下を歩いた。




 「コーヤ?」
 青嵐や子供たちがいるはずの部屋にコーヤの姿が見当たらず、江幻と蘇芳はその姿を探して歩いた。
王宮の中にいる限り、命の危険がないことはわかっていたが、別の危険がある・・・・・と、江幻も蘇芳も口に出さなくても感じていた。
 「紅蓮の奴、どこにコーヤを連れ込んだんだ」
 さっきからずっと毒づきながら歩く蘇芳に、江幻は苦笑を浮かべたまま言った。
 「今の紅蓮が、コーヤに無体を強いるとは思わないがね」
コーヤをこの竜人界に引き込んだ時、どういう理由からかはわからないがその身体を無残にも凌辱した紅蓮。
しかし、それからコーヤのことを知るにつれ、紅蓮の中では様々な感情がせめぎ合ったはずだ。
(今の紅蓮を見れば、誰でも強い独占欲を感じることが出来るし)
 江幻は、紅蓮とコーヤの関係が深まることを望んではいない。それでも、コーヤと出会ったことで豊かな感情が芽生え始めている紅
蓮を、コーヤから強引に引き離すつもりもなかった。
 「蘇芳、コーヤがここからいなくなるわけはないし・・・・・」
 部屋で待っていないかと言いかけた江幻は、
 「・・・・・っ」
いきなり、蘇芳の気が増したことに気づく。
(・・・・・ああ)
同時に、江幻もこちらに迫ってくる、新たな気の主に気づいて振り返ろうとしたが、それより先に蘇芳が足早に歩み寄った。
 「後は俺が引き受ける」
 「・・・・・」
 「コーヤを渡せ」
 蘇芳の言葉に、紅蓮が直ぐ隣にいるコーヤを見下ろす。紅蓮の胸元ほどしかないコーヤはこう見るとまだまだ子供のようで、いとけ
ない風情だ。それなのに、本人の気質はとても男らしいので、その大きなずれに蘇芳や紅蓮が強く惹かれるのかもしれない。
(そういう私も・・・・・だけれどね)
 見ていると、紅蓮がコーヤの腕から手を放した。コーヤは何か言いたげに紅蓮を見上げたが、何か言う前に今度は蘇芳がコーヤの
肩を抱き寄せる。
 「行くぞ」
 「スオー」
自身の腕の中にコーヤを取り戻したスオーは、さっさと反対の方向に歩き始めた。

 先を歩く2人の背を見送った江幻は、取り残された形になった紅蓮へと視線を戻した。
 「戴冠式の準備で忙しいんだろう?コーヤにかまけていていいのかな?」
 「・・・・・」
紅蓮は不機嫌な表情を隠さないまま江幻を見据える。だが、無言だということが、紅蓮の真意を突いているのだと確信が持てた。
 「お前はこの先竜王となり、后を娶って、次代の王を生み出さなくてはならない。おかしな方向に想いを向けないように気をつけた方
がいいんじゃないか?」
 「江幻」
 「じゃあ」
 紅蓮の返事を聞かないまま、江幻は2人の後を追う。
少し厳しい言い方をしたかもしれないが、江幻が今言ったことはこれから先紅蓮が立ち向かわねばならないことだった。たとえ、紅蓮
がコーヤに対してある種の思いを抱いていたとしても、あの男には次代の竜王を生み出さなければならないという使命がある。
血というものに深い拘りがある紅蓮にとって、それは避けられないことだ。
 「・・・・・私も、陰険だな」
 表面上は何気ない風を装いながらも、その実、コーヤという得難い存在を他の誰かに渡したくないと思っている。蘇芳のようにあか
らさまな言葉や態度でそう見せないからこそ、もしかしたら想いは深いのかもしれない。
 自身の複雑な思いを、出来るだけ客観的に見るようにしなければと思う。暴走し、コーヤに対して無理強いをしないように、彼が何
時でも自分の前で笑っていられるようにしなければ・・・・・江幻はそう、考えた。




 「紅蓮に何をされた?」
 「え?」
 しばらく歩き、紅蓮の気配が遠くなったのを確認した蘇芳は、そう言いながら自分の隣を歩くコーヤを見下ろす。
何を言われたのかわからないような表情は、とても作ったようには見えなかった。
(・・・・・じゃあ、あれは俺の気のせいか?)
 2人の姿を見た時、交わす眼差しの中に何か意味があるように思えた。それがどういった種類のものか気になって仕方がなく、どう
してもコーヤ本人に確かめたいと思ったのだが。
 蘇芳は頭を振り、考え過ぎだったらしい自分に苦笑を洩らす。コーヤに対してはどうしても神経が過敏になってしまうようだ。
 「どこに行っていた?」
 「コハクたちに会ってきた」
 「お前・・・・・」
相手は罪人だぞと眼差しで非難するが、コーヤは会ってよかったと、妙にすっきりしたような顔をして笑っている。
こういうところが、見掛けを裏切るコーヤの大人なところだろう。コーヤを傷つけようとしたあの男たちのことをどこかで許せないと思って
いる自分とは違い、とうに解決をしているその潔さが気持ちいい。
 ふっと笑んだ蘇芳は、後ろから軽く頭を小突かれた。
 「・・・・・何をするんだ」
 「私を待っていないからだよ」
 「お前が紅蓮と話したそうだったからな」
何時の間にか追いついてきた江幻は、蘇芳とは反対側のコーヤの隣に並んだ。
せっかくコーヤと2人になれたというのに、いくら相手が江幻だといえど邪魔でしょうがない。
 「おい、江幻、今コーヤは俺と・・・・・」
 「ねえ、コーヤ」
 江幻は蘇芳の言葉を遮るようにしてコーヤに話し掛けた。
 「しばらくは王宮にいるんだろう?」
 「う・・・・・ん。だって、他に行くとこなんてないし・・・・・」
何を言うんだと、蘇芳は口の中で舌を打つ。大体、コーヤが王宮に留まらなければならないことはないはずだった。
(確かに、コーヤはこの竜人界のために戻ってきてくれたらしいが、今のこの世界は紅蓮に任せていてもいいだろう)
 蘇芳から見ればまだ不完全で頼りない男だが、先の戦いで随分変わったというのは認めるところだ。今の紅蓮ならば、己の力だけ
を信じるのではなく、周りの協力をきちんと受け入れるだけの余裕はあるはずだ。
 「珪那(けいな)が会いたがってるんだけど」
 「ケーナ?」
(珪那が?)
 もちろん、蘇芳は知っている。そう言えば、コーヤは江幻のあの壊れ掛けた小屋にいたのだ、江幻の世話を焼いていた珪那と会って
いても不思議ではない。
 「私の小屋で会った子だけど」
 「ああっ、あいつっ?」
コーヤも思い出したらしく、懐かしそうに笑った。
 「俺も会いたい!」
 「・・・・・会いに行く?」
 「え、いいの?」
 「江幻?」
 まさか、江幻から王宮を抜け出す誘いをするとは思わず、蘇芳もコーヤ以上に驚いてしまった。
すると、江幻はちらっとこちらに視線を向け、何かを企んでいるかのように目を細めて笑っている。いったい何を考えているのか、蘇芳
はその考えを読もうとした。
 「竜になれば一飛び出し、コーヤの願いなら紅蓮も許してくれるはずだしね」
唆すようにコーヤに笑い掛ける江幻は、じっと視線を向けていた蘇芳と目を合わせてきた。