竜の王様2

竜の番い





第二章 
孵化の音色








                                                             
※ここでの『』の言葉は日本語です





 抱きしめた手を離してはいけない。
昂也が咄嗟に思ったのはそれだけだった。目の前のシロガネがどうしてこんなふうに変貌したのかはわからないが、彼が自分のことを
忘れず、求めてくれているのを感じるからだ。
(どうして・・・・・どうして、こんなっ?)
 変わりない姿を確認したのはついさっきだ。
その間、特に変わったことはなかったし、自分には感じ取れない気配がわかるコーゲンやスオーの態度も何時もと同じで、何か変わっ
たことが起きたとは到底思えない。それでも、これは異常事態だ。
 「・・・・・っつ」
 しがみつくように掴まれた腕に爪が食い込み、血が滲んだ。痛みは確かにあるのだが、それよりもこの事態をどうにかしなければとい
う思いの方が強くて、昂也は必死になってシロガネの変化にその理由を探そうとした。
 小さく呻くような泣き声は聞こえるが、どうやらそれは痛みからではないようだ。それに幾分か安心したが、この鱗のようなものはどう
なっているのか。かろうじて、腕や足の内側は肌の部分が残っているものの、ここも同じように鱗に覆われてしまうのかもしれない。
 「コーヤッ」
 どうすることも出来ない昂也の耳に、鋭いスオーの声が届いた。
また、自分からシロガネを引き離そうとするのかもしれない・・・・・そんなふうに思った昂也は手に力を込めたが、
 「青嵐がっ」
 「えっ?」
続く言葉に、ハッと顔を上げて振り向いた。
 「せ、らん?」
(ひ、光ってる?)
 シロガネの姿ばかりに意識が向いていて、青嵐の変化にまったく気がつかなかった。
元々金髪に金の瞳を持つ青嵐だが、今は全身が眩いほどの金色に輝いている。どうしてなんて、考える余裕などなく、昂也はシロガ
ネを抱きしめたまま青嵐の傍に駆け寄った。
 「青嵐っ、どうしたんだっ?」
 その場に膝をついて声を掛けるが、青嵐は呻き声一つあげない。そればかりか、呼吸をしているのかどうかもわからなかった。
(い、いったい、何が起こってるんだっ?)
シロガネだけでなく、青嵐まで、こんな変化をしてしまうというのは何かが起こる前触れなのだろうか。
 「コーヤッ、しっかりしろっ」
 スオーが肩を抱いてそう力づけてくれるが、昂也はその声に応えられない。
その時だ。
 「・・・・・っ」
バンッと荒々しくドアが開かれ、そこに現れた燃えるような紅い瞳の持ち主に、昂也は我知らず縋るような目を向けていた。




 「子供が変化いたしましたっ!」

 江幻に言われた言葉を頭の中で繰り返しながら自室に戻った紅蓮は、間もなく突然飛び込んできた神官見習いの少年の言葉に
即座に顔を上げた。
 「変化とは、いったいどういうことだ?」
 「あ、あのっ、か、身体がっ」
 「・・・・・」
 「こ、子供の、身体がっ」
 「落ち着いて話せ」
 紅蓮を前に緊張しているのか、それともまともに話が出来ないほどの出来事が起こったのか、今の時点で紅蓮は判断がつかなかっ
た。
神官見習いは慌てて頭を下げると、一度大きく深呼吸をし、改めて顔を上げると幾分落ち着いて報告をしてきた。
 「白銀の身体に変化が見られます」
 「その変化とは」
 「身体の大部分が鱗におおわれて、まるで竜のような・・・・・」
 「・・・・・竜のように?」
 紅蓮は伝えられた言葉を繰り返すが、その事実は直ぐに頭の中に入ってはこなかった。
通常、竜人の子供たちは多少の差もあれど鱗のような肌を持っている。のちに、祖竜の血を濃くひく者は能力者と呼ばれ、身体の
一部には竜の面影を強く残すことになる。
 ただ、まだ赤ん坊の頃は能力的にほとんど差はなく、身体に現れる竜の証もごくわずかなもののはずだ。それが、はっきりと竜だと
わかるほどの変化をしているのは明らかにおかしい。
 「紅蓮様っ」
 考え込んでいた紅蓮は、切羽詰まったように名前を呼ばれてハッと我に返る。
 「直ぐに参る」
考えている時間はなかった。

 勢いよく開けた扉に向こうには、思っていた以上の人影があった。その中にコーヤの姿を見付けて目を見張った紅蓮だったが、直ぐ
にその眼差しはコーヤが抱いている子供に向けられた。
 「これは・・・・・」
 あらかじめ報告を受けていたとはいえ、実際に目で見るその変化はあまりにも奇異なもので、紅蓮は直ぐに言葉を発することが出
来なかった。
 しかし、そんな躊躇いを覚えたことを後悔し、紅蓮は真っ直ぐにコーヤに・・・・・いや、白銀に歩み寄る。そんな自分を呆然と見てい
た。
 「!」
 そんな紅蓮の視界に、もう一つ奇異な光景が入ってくる。それは、黄金色に輝く青嵐の姿だ。
白銀だけの変化だと思っていた紅蓮にとってそれは想定外の出来事だったが、直ぐにその全身の気を探ってみる。
(・・・・・気の変化は見えぬ)
 こうして視る限り、青嵐には異常はなかった。もちろん、その全身が輝いていること自体は異常事態なのだが、元々《角持ち》という
存在のことはすべてが明らかになっているわけではない。
 類い稀な能力以外、他にも秘密があるかもしれないと思うと、まずは白銀の異変の方を最優先にしなければならないと思えた。
紅蓮が側に行くと、珍しくコーヤが弱々しい声で言った。
 「グ、レン、シロガネ・・・・・」
 「ああ」
 手を伸ばし、コーヤの腕から白銀の身体を受け取ろうとしたが、その瞬間コーヤの腕には意外なほど力が込められたのがわかった。
まるで、白銀を奪われないようにしているようで、紅蓮は改めて言葉でコーヤを促してみる。
 「手を離せ」
 「だ、だって・・・・・」
 以前から、子供たちのことを気に掛けていたコーヤだ。白銀の変化に戸惑う以上に心配しているのはよくわかる。おとなしく白銀がそ
の腕に抱かれている姿を見ても、白銀自身がコーヤと共にいることを望んでいるのだろうというのも見当がついた。
 だが、このまま常にない変化をしてしまった白銀をコーヤに預けていることは出来ない。医師や神官を招集し、こうなってしまった原
因を早急に突き止めなければ、今後も他の子供たちに同様な変化が表れてしまうかもしれない。
(まさか、伝染するようなものではないと思うが・・・・・)
 コーヤの腕の力を抜くためにも、厳しい言葉を告げなければならないと思った。
 「お前には何も出来ないであろう」
 「・・・・・っ」
愕然としたコーヤの表情が、次第に泣きそうに歪む。
 「お・・・・・れ」
 「手を、離せ」
再度促して白銀の身体を抱き寄せれば、コーヤの腕がガクンと力なく落ちた。
 「コーヤ」
 「行け、紅蓮」
 「江幻」
 どんな言葉を投げかけたらいいものかと思い悩んだ紅蓮の耳に、江幻の声が聞こえた。今まで聞いたことがないような硬く険しいそ
の口調に、紅蓮は現状がさらに深刻なのだと察した。
 「なすべきことをしろ」
 「・・・・・コーヤを頼む」
 本当ならば自分こそが彼の不安だろう気持ちを宥めたかったが、今の段階ではそれよりも優先すべきことがある。
竜王になる自分自身の立場を考え、紅蓮は白銀を抱いたまま部屋を後にした。




 グレンが立ち去り、昂也はゆっくりと視線を自身の腕に向けた。
(シロガネ・・・・・)
あの変化は何かの前触れか、それともシロガネ自身の身体に関することなのか。今の自分は色々と想像するだけで何も出来ない。
 「・・・・・っ」
 それが、悔しくてたまらない。
あまりにも無力な自分を思い知らされて、グレンに言われた厳しい言葉がグルグルと頭の中を渦巻いた。
 「コーヤ」
 「・・・・・」
 「コーヤ」
 肩を揺すられ、昂也はハッと顔を上げる。ようやく視線が合った江幻は何時ものように穏やかな笑みを口元に湛えていたが、真っ直
ぐに向けられている眼差しは怖いほど真剣だった。
 「白銀のことはグレンに任せておけばいいよ。それよりも、青嵐のことを見てやろう」
 「あ!」
 改めて言われ、昂也はコーゲンが青嵐を抱いているのにようやく気づいた。
 「青嵐!」
金の光は一向に衰える様子もなく青嵐の身体を包んでいて、当の青嵐はずっと目を閉じたまま何の反応も示さない。
その静かな様子に、まさか息をしていないのかと恐る恐る胸元に手を置くと、ごく僅かだが手のひらに振動を感じて涙が出るほど安心
した。
 「コーゲン、青嵐はいったいどうしたんだ?」
 「わからない。気を探っているけど、そこには異変を感じないんだ」
 「じゃあ」
 「《角持ち》の異変ということは・・・・・コーヤ、青嵐はどこで見付けた?」
 「ど、どこって、」
 あの時の昂也はまだまったく竜人界のことはわからなくて、場所の名前もはっきりとした記憶がない。だが、確かあの場所は・・・・・。
 「北の谷です」
昂也が答える前に、江紫がきっぱりとした口調で答えた。まだ顔は青ざめたままだったが、シロガネをグレンに託したことで幾分落ち着
いたのかもしれない。
彼は一度青嵐へと視線を向けてから、真っ直ぐにコーゲンを見た。
 「紫苑様からお聞きしました。《角持ち》は北の谷で見つかったと」
 「北の谷、ねえ」
 何かを考えるように目を閉じたコーゲンの服を掴み、昂也はいったい何がわかったのだと訊ねてみた。青嵐と、青嵐を見付けた場所
に、今回のことがどんな関係があるのだろうか。
 「・・・・・因縁めいてるね」
 「い、んねん?」
(それって、いったいどういうことなんだ?)




 北の谷には、様々な因縁がある。
過去、王家に逆らった罪人たちが流されたのはその場所だし、聖樹が命を落としたのもその地だった。まさか彼がその血に呪いを掛け
たとは思わないが、何らかの意味があるのではないかと疑ってしまう。
 「・・・・・行った方がいいか」
 「行くって、青嵐を見付けたとこに?」
 「ああ。青嵐の変化の手掛かりが何かあるかもしれないし」
 今まで長い間一緒にいて何も変化しなかったのだ、変化の理由はそんな単純なものではないだろう。
 「おい、江幻」
 「・・・・・」
 「お前、本当に行く気か?」
 「ああ、その方が早いような気がする」
蘇芳に答えながら、江幻は気持ちを決めた。
青嵐のことが心配だということももちろんあるが、この変化がコーヤにどんな影響を及ぼすのか懸念していた。
(青嵐はコーヤに対してだけ酷く感情を動かす。今回のことも、もしかしたら青嵐だけの問題ではなく、人間のコーヤがこの世界にいる
ことへの何らかの警告か)
 どちらにせよ、この目で確かめなければわからない。
躊躇う時間はなかった。少しでも遅れたら、コーヤ自身にも何らかの影響が出てしまうかもしれない。
 「蘇芳、お前はここでコーヤを」
 「俺も行く!」
 蘇芳にコーヤのことを託そうとした江幻は、いきなり叫んだコーヤの顔を見下ろした。
つい先ほどまで怯えたような、泣きそうな顔でたたずんでいたはずのコーヤは、今、強い決意を抱いたような眼差しで自分を見ている。
 「怖いんだろう?」
何が起こっているのかまったくわからない状況で、己を守る力もないコーヤは恐怖で震える思いだろう。それなのに、真っ直ぐ顔を上げ
て、自分も動くという。
 その行動は愚かかもしれないが、江幻はコーヤの心の強さを感じて嬉しくなった。
 「コーヤ」
 「おい」
江幻が何を言おうとしているのかわかったのか、蘇芳が幾分眉間に皺を寄せてその名を呼ぶ。その顔をちらっと見た後、江幻は口角
を上げた。