竜の王様2
竜の番い
第二章 孵化の音色
8
※ここでの『』の言葉は日本語です
「大丈夫だね?」
「うん」
江幻の言葉に力強く頷くコーヤをどう止めようか、蘇芳は眉を顰めて考えていた。
確かに青嵐を見付けたのはコーヤで、そのコーヤが同行した方が今回の不思議な現象を解く何かを見付けることが出来るかもしれ
ない。しかし、同時に危険は大きいはずだ。向かうものがわからない現状で、自分がコーヤを守りきれると言い切る自信が・・・・・。
「蘇芳」
そこまで考えた蘇芳は、唐突に江幻に名前を呼ばれて視線を向ける。
「・・・・・よく考えろ」
すぐに口を突いて出たのは、自分らしくない言葉だった。
それだけで、今自分がどんな状態なのか悟ったらしい江幻は、頬から笑みを消さないままもちろんと頷いた。
「でも、考えても同じ答えに行きつくと思うけど」
「・・・・・」
「動かなければ、何もないかもしれない。でも、動かなければ、必ず何かが起こる」
「それは・・・・・」
言われなくてもわかっている。
竜人界で起こっている変化。それは聖樹の反乱であり、角持ちの青嵐の出現でもあるが、何よりも大きな動きは人間であるコーヤ
の存在だと思う。ここにいてはならないものが存在しているということは、竜人界の大きな理を変えるのに十分な理由のはずだ。
白銀や青嵐の変化がコーヤのせいではないと言えないし、多分コーヤも心のどこかで考えているだろう。だからこそ、危険を押して
同行を求めるコーヤを、自分が止めることが出来るのだろうか。
「・・・・・」
2人の睨みあいを、コーヤが不安そうな面持ちで見つめている。その表情を見ると、蘇芳は駄目だと頭ごなしにはとても言えない。
(俺が、常に側にいればいい・・・・・か)
「・・・・・わかった」
「スオー」
どんな結論を出したのかと、期待と不安が半々のような顔だ。こうしてみると、コーヤの子供っぽい面ざしが際立って、蘇芳は思わ
ず苦笑してしまった。
「いいか、コーヤ。お前は絶対に1人で行動するな。俺か、江幻の側から離れるなよ」
「わ、わかった」
同行の許可を貰い、コーヤは嬉しさというよりも引き締めた表情で頷く。その頭をクシャッと撫でた蘇芳は、この結果を想像していた
であろう江幻をじろりと睨んだ。
「青嵐はお前が運べよ。コーヤは俺が担当だ」
それだけは譲れなかった。
白銀を抱いた紅蓮が足を向けたのは、王宮の中で一番不可思議な現象を理解出来る者のもとだった。
「紅蓮様っ?」
扉の前に立って番をしていた衛兵が、突然現れた紅蓮の姿に驚いたような声を上げる。その眼差しが腕の中の白銀に行く前に、紅
蓮は険しい口調で言った。
「扉を開けよ」
「は、はいっ」
大きく、重い扉が開かれると、外の気配を感じていたのか部屋の主が寝台で身体を起こしてこちらを向いていた。
「いかがされました、紅蓮様」
「白銀を見てくれ」
「白銀?」
「コーヤが孵化を促した赤ん坊だ」
ああと、声に出さないまま紫苑は頷いている。子供たちの孵化のことは知っていても、どんな名前が付けられたかということまでは知
らなかったのだ。
その説明をしてやる手間も惜しみ、紅蓮は寝台へと歩み寄る。
その間にも紫苑の眼差しが腕の中の白銀に向けられているのはわかったが、紅蓮はまず口で説明するよりもとそのまま黙って紫苑
の直ぐ脇に立った。
「・・・・・この子が、白銀ですか」
紫苑の問いかけに、紅蓮は頷いた。
「変化はつい今しがた起きた」
「・・・・・完全な竜の姿には?」
「それはない」
祖竜の血が濃い能力者は、ある一定の年齢になると完全な竜の姿に変化する。大きさは成竜の半分にも満たないものだが、竜と
しての力はほぼ同等だ。その力は歩けるほどの子供になればわかるのだが、白銀のような幼子でわかることはほぼなかった。
近年子供の数が極端に減ったとはいえ、紅蓮は幼い頃からそんな竜人たちの変化を側で見てきた。普通、能力者は力の片鱗が
垣間見えると王宮へと召し上げられるからだ。
(それでも、こんなに幼い頃から変化をする者などいなかった)
「・・・・・」
紅蓮は白銀の顔を覗き込む紫苑をじっと見た。
力を失ったとはいえ、紫苑は有能な神官だ。人間のことも文献を読んで竜人の中の誰よりも詳しく知っていた。だとしたら、白銀のこ
の変化の意味も見当がつくのではないだろうか。
(・・・・・いや、ついてくれ・・・・・っ)
紫苑ならわかると信じたい。
「紅蓮様」
「・・・・・」
「これは、多分変化ではありません」
唐突な言葉に、紅蓮は思わず息をのんだ。
身体に表れたこの鱗はどう見ても竜のものなのに、それを違うと言うのか。
「・・・・・では、この変化はどういうことだ」
理由もなく、こんな姿になるはずはない。違うかと見据える紅蓮に答えず、紫苑は手を伸ばして白銀の額に触れた。
以前はともかく、今の紫苑が触れるだけで相手の気を読めるはずはない。わかっているのに、紅蓮は息をつめて紫苑の次の言葉を
待った。
「以前、神官長にお聞きしたことがあります。数百年も昔、能力のない子供が竜に変化することがあったと」
紫苑の言う神官長とは、彼の前の代のことだ。物静かで、まだ子供だった紅蓮にとっては穏やかな祖父のような存在という認識し
かなく、彼がどれほど有能だったかは正直記憶には残っていない。
しかし、そんな先代に直接教育を受けた紫苑にとっては特別な存在だったはずで。
「その話では、抵抗力のない者はそのまま死に至り、潜在的な能力のある者は力を制御出来ず、暴走してしまうと」
「・・・・・」
初めて聞く話は驚くべきものだったが、今の紅蓮はそこでオロオロと立ち止まってはいられなかった。
「原因は何だ」
「・・・・・呪いです」
「まじ、ない?」
「何者かが自身の欲を叶えるため、祖竜に祈念したと。ですが、そもそも祖竜は竜人界の繁栄を願っていた者。そのため、互いの
力が反発し合い、その圧倒的な負の影響が弱い者の身体へと表れたのだと伝えられているそうです。その時に亡くなってしまった幼
子は数十人に及んだと」
「・・・・・そのようなことが、今・・・・・」
「青嵐の出現も、聖樹の行動が要因になっているのかもしれません」
「・・・・・」
長い間現れなかった角持ち。それにも、何らかの意味があると紫苑は言う。
「聖樹によって、竜人界の様々な部分で均衡が崩れています。その中で、大きな力を持つ者が望むものを手に入れるためにどんな
手段を使うか・・・・・」
「・・・・・紫苑、お前はその者に心当たりがあるのか」
数百年前と同じことが今、これから紅蓮が治めようとしているこの竜人界で起こっていると思うと、心の奥底がずんと凍えるような気が
した。
自分たちがこれからどうするのか、本来ならグレンに伝えてから行動しなければならないということはわかっているつもりだ。
しかし、今は時間がなかった。
コーゲンもスオーも同じように考えているらしく、その足は自然と王宮の外へと向かう。
「・・・・・大丈夫?」
昂也は何度もコーゲンが抱いている青嵐の顔を覗き込んだ。何時もなら「コーヤ」と名前を呼んで抱きついてくる青嵐が、まるで死ん
だように身動きせずコーゲンに抱かれているのが不安でたまらないのだ。
そんな昂也を2人も気にしていたのか、自分たちに近寄る影に直ぐに気がつかなかったらしい。
「どこに行く?」
「!」
淡々とした声に、昂也はビクッと足を止めた。慌てて振り返ると、そこには数人の供を連れたハクメーが立っている。
「あ・・・・・」
「江幻」
ハクメーはこの中で一番話が早いと思ったらしいコーゲンへと眼差しを向けた。それを真っ直ぐに受け止めたコーゲンは、
「北の谷へ、ね」
なんと、誤魔化すこともなく正直に行き先を告げる。
「コ、コーゲンッ!」
(言っちゃっていいのかっ?)
もちろん、止められたとしても行くつもりだったが、出来れば穏便にというか・・・・・いや、正直に言えば、心配を掛けたくなくて、黙った
まま北の谷へと向かいたかった。
(知られたら、絶対に止められる・・・・・っ)
どんな反応が返ってくるのか。昂也の心はバクバクと大きく鼓動を打つ。
「・・・・・」
ハクメーは昂也たち3人の顔を順に見つめ、最後にコーゲンの腕の中にいる青嵐を見る。その表情が硬くなっていることに、自分自身
も緊張している昂也は気づかない。
「白銀と青嵐のことは聞いた」
「あ・・・・・」
「北の谷行きは、それに関係あるということか」
「さあ」
「江幻」
「私にもはっきりしたことはわからない。それを突きとめるために行くんだよ」
江幻は手の内を全部晒す気だ。内密にしているより、こうして情報を共有した方がいいと思っているのかもしれない。
だとしたら、と、昂也は気になっていたことが知りたくて2人の会話に割り込んだ。
「ハクメー、シロガネは?」
あんな状態のシロガネをグレンがどこに連れて行ったのか。もちろん、何とかしようとしてくれているのだとわかっているつもりでも、何
も知らないというのは不安だった。
すると、ハクメーはちゃんとこちらを向いてくれた。
「紅蓮様は紫苑のもとに」
「シオンの?」
(え?どうして?)
声に出さなくても、顔に疑問符が浮かんでいたのだろうか、ハクメーは直ぐに言葉を継ぐ。
「今回の変化の要因を、紫苑ならばわかるやもしれぬと思われたのだろう。神官の修行で紫苑は過去を遡り、様々な能力者のこ
とや竜人界で起こったことを知識として持っている」
「す、ごい・・・・・」
力がなくても、その豊富な知識を必要とされている紫苑はすごい。思わず口から零れた感嘆の声にハクメーは目を細め、少し間を
おいてから軽く頷いた。
「わかった。江幻、蘇芳、くれぐれも青嵐とコーヤを頼むぞ」
何時もより少し硬かったくらいのハクメーの口調が、ようやく何時もの調子に戻ったように聞こえる。だが、戸惑うのはその口調の変化
だけではなかった。
「え・・・・・」
あっさりとおりた許可に、昂也は思わず声を漏らしてしまう。それに気づいたハクメーが訊いてきた。
「どうした」
「い、行っていいの?」
そうでなくても、今は緊急時だ。行くと、強くコーゲンやスオーに訴えたものの、そんな自分の行動が無謀かもしれないということは昂
也自身もわかっているつもりだった。
反対されても行く。しかし、素直に頷かれると本当にいいのかと戸惑いの方が先に立つ。
本当に、自分の気持ちだというのに厄介で仕方がない。
「もちろん、お前たちだけでは許可は出来ない。・・・・・黒蓉をここに」
「はっ」
そんな昂也の気持ちに呼応するように言ったハクメーの命令に、直ぐに頷いた衛兵が走り出した。
どうこう言う暇もない。ハクメーの中では昂也たち3人での北の谷行きは許可出来ないが、そこにコクヨー1人が付いて行くことで納得
がいくものなのだろうか。
「そうくるか」
予感していたのか、コーゲンは素直に受け入れるらしい。
「面倒だな」
蘇芳も、口では文句を言いながら反対する気はないようだ。
「い、いいのか?」
恐る恐る訊ねた昂也に、コーゲンは頷いた。
「王宮を出るまで気づかれない方が良かったけど、見つかったからには何らかの条件が付くのは覚悟の上だよ」
見つからなかったら黙っていくつもりだったのだ。
「少々頭は硬いが、黒蓉ほどの能力者が同行してくれるならこちらも戦力になる」
「お前は、俺が守るから」
「スオー」
忘れるなと付け足すスオーの言葉に、昂也は少しだけ笑った。
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