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「なあ、俺と付き合わない?」
「・・・・・はあ?」
一瞬、自分の耳がおかしくなったのではないかと思った尚紀は、無視することも忘れてマジマジと目の前の綺麗な顔、大学内
で知らぬ者がいない佐久間を見つめてしまった。
「どう?」
「ど、どう、どうって・・・・・どこに?」
自分でも、あまりにもわざとらしい誤魔化し方とは思ったが、尚紀はとにかく今の言葉を全く別の意味に取ってしまいたかった。
本当に相手のことを好きならば、同性同士でも恋人になる可能性はあるかもしれない。しかし、それはけして自分と、目の前の
相手、佐久間ではあり得ないのだ。
「わ、悪いけど・・・・・」
「この場で断るなんてしないよな?」
「・・・・・っ」
そう言われただけで、今、駄目だと言いそうになった声が出なくなった。
(い、いったい、俺にどんな魔術を掛けたんだっ?)
「とにかく、ちょっと来て」
1人グルグルとしてしまっている尚紀を置いて、佐久間はそう言うと腕を掴んで立ち上がらせてしまう。
「おっ、俺のカレー!」
「今度美味しい店に案内するから」
「勿体ないだろっ」
「学食のカレーなのに?」
「作ってもらったものじゃないか!」
改めて言うまでもないだろうと思わず佐久間を睨みつけると、なぜか当惑したように自分を見つめていた佐久間は、ふっと表情
を緩めて笑った。
いい男というのはどんなふうな表情をしても絵になるが、今目の前で見せられた笑顔は彼の素のような気がして、少しだけドキッ
としてしまう。もちろんそれは、珍しいものを見てしまったことに関する反応で、けして恋愛感情のそれではない。
「行こう」
「うわっ」
「ハッチ!」
今の自分の反応に戸惑っていた尚紀はそのまま腕を引かれ、それまで呆気に取られて成り行きを見ていた伊丹の声を背中に
聞きながら、そのままずるずると食堂から連れ出されてしまった。
本当に面白いと思う。
始めはたんに、構内でセックスをしていたのを見られた相手ということで、一応口止めをしようと思って捜していただけだった。
佐久間は学内で自分がどう言われているのかも知っていたし、自身でもその称号を恥ずかしいものとも思っておらず、ただ単に
場所がまずかったかもと思っただけだ。
一瞬見えた相手は、直ぐに背けられたので顔はよく分からなかったが、耳たぶにあったピアスが妙に印象に残った。
なまじ、真面目そうな雰囲気の男だっただけに、ピアスは妙に不釣り合いに感じ、全体的な雰囲気と合わせて捜せば、1人の青
年の名前が浮かんできた。
【学食のカレー君】
【普通のハッチ】
佐久間は初めて聞くが、彼はそれなりに有名らしい。
容姿は飛び抜けていいというわけではないらしいが、誠実な人柄で、どこか抜けていて。何時もカレーを食べている、子供のよう
な青年だと聞いて、少し興味がわいた。
そして、学食にやって来た。
あまり来ることのない自分の姿に周りがざわめくのが分かったが、佐久間はあの時に見た後ろ姿を捜すのに忙しく、
(あ・・・・・カレー)
そう時間は掛からずに、あの時逃げた相手に良く似た後ろ姿を見付けた。テーブルの上には噂の通りカレーがあり、佐久間は思
わず笑みを浮かべてしまう。
「きゃあ!」
「ウソッ」
その時、自分の姿に気付いた周りが騒ぎだし、それに誘われるように目当ての人物も振り返った。
「・・・・・ビンゴ」
小さな声で呟いた自分の声は、両腕を陣取っている身体の付き合いがある女友達には聞こえなかったらしい。
「ごめん、ちょっと野暮用」
「え〜っ」
「後で」
意味深にそう言って耳元に触れるだけのキスをしてやれば、可愛い女達はあっさりと自分を解放してくれた。
これが相手が女だったら・・・・・それこそ容姿がいくら平凡であっても煩くまとわりついただろうが、今回は幸運にも相手は男だ。
(・・・・・それに、これも結構可愛い)
けして女顔ではないのに、無防備に自分を見つめる彼が可愛く見えた。過去、何人か男も抱いたことのある佐久間にとって、
相手はたとえ男であっても、自分が気に入れば守備範囲内である。
ごく普通に見える青年だが、あの出会いからしても佐久間にとってはある種特別な存在にも感じてしまい・・・・・。
「なあ、俺と付き合わない?」
そう口から出た言葉に、佐久間は自分自身驚きと共に高揚感を感じていた。
尚紀が佐久間に強引に連れ出されたのは、構内の裏庭だった。
日当たりの悪いこの場所には日頃からあまり人影は無く、今にも雨が降りそうな今日はそれこそ誰もいなかった。
(よ、良かった・・・・・)
別に、自分と佐久間の間には全く、何の関係も無い。それでも、どこか痴話喧嘩のような雰囲気な今、誰も傍にいて欲しくな
かった。
「は、放せよっ」
確か、同い年であるはずだ。こちらが敬語を使うこともないし、モテないからと卑屈になることもない。
「・・・・・」
「そう睨むなよ」
肩を竦めて笑う佐久間は、本当にモデルのように格好が良い。
ただし、自分に関係が無いなら呑気にそんな風に思えるものの、今渦中にいるせいか、とてもその容姿を楽しんでいられる余裕
は無かった。
「お前のせいだろっ。あそこにどれだけ人がいたと思ってるんだ!絶対、噂になってる!」
「いいじゃん、本当のことにすれば」
「はあ?」
「だから、さっきも言ったろ?俺と付き合わないかって」
「・・・・・冗談だよな?」
(そう言えよっ)
せめて、罰ゲームだったと笑ってくれれば、尚紀も呆れはするものの笑ってここを立ち去ることが出来るはずだ。
しかし、佐久間は相変わらず無駄にキラキラとして輝く微笑を浮かべて、腕を組んだモデル立ちのまま続けた。
「他に誰もいないのに、どうして冗談を言わなきゃならないんだ?俺は本当にお前・・・・・えっと、ハッチ?」
「・・・・・八谷、だけど」
改めて名前を言いたくは無かった・・・・・いや、こんな風に交際を申し込んでくるくせに、自分の名前さえ知らないでいる佐久間
に呆れてしまう。
いや、佐久間にとって自分はその程度の存在だと納得出来るだけに、それでどうして付き合ってくれというのかが分からなかった。
しばらく、硬直した雰囲気のまま時間は過ぎた。
それでも、何時までもここでこうして佐久間と向き合っていると、誰かが現れて変な誤解をするかもしれない。今、尚紀の方がし
つこい佐久間を撃退する方法を考えているのだが、傍から見れば不細工な自分の方が佐久間に絡んでいると思うだろう。
悲しいが、この歳では顔の美醜はかなりのポイントであると思い、佐久間に何と思われようともさっさと振ってしまえと尚紀は口を
開いた。
「断る」
「どうして?」
「俺は男だ」
「男でも構わないよ」
・・・・・堂々巡りだ。
ここはもう無視をして立ち去るのが一番だと、尚紀はむっと口を引き結んで佐久間に背を向ける。
「おい、ハッチ」
「・・・・・」
(無視、無視)
「ハッチって」
「・・・・・」
(無視、無視、無視)
「・・・・・聞こえていないのなら実力行使しかないか」
「え・・・・・うわっ!」
不穏な言葉を聞いた気がして、さすがに尚紀が足を止めた時だった。そのまま腕を引かれて後ろへと倒れ込みそうになった尚
紀は、そのまま逞しい胸にぶつかるように倒れ込んでしまった。
「ご、ごめんっ」
それは佐久間のせいであるのに、人の良い尚紀は上を向いて思わず謝ってしまう。
「いいよ、大切な恋人の危機を救うのは当然だし」
「な・・・・・!」
何を言うのだと聞き返したはずだった。
しかし、開いた口はそのまま佐久間の唇で塞がれてしまい、意図しないまま簡単に相手の舌を自分の口腔内に受け入れる。
「んーっ、んーっっ!!」
自分の口の中を、自分の意思がきかないものが自在に蠢いている。
クチュ クチャ
「・・・・・っ」
(こ、この音、駄目!パス〜ッ!)
恥ずかしくてたまらず、尚紀は強く目を閉じた。
(可愛い、な)
「んーっ!」
「・・・・・」
強く目を閉じ、必死に自分の胸や肩を押し返している尚紀の様子は見ていて微笑ましかった。
こんなキスくらい、佐久間にとっては挨拶と同じ意味で、男同士ならばなおさら悪ふざけと取る者も少なからずいるはずだろうに、
必死に抵抗されると、かえって征服欲を刺激されてしまう。
(・・・・・恋人か)
本当は、誰か1人に縛られるのはとても苦痛に思っていたが、それが尚紀ならば案外楽しいかもしれない。
自分よりも15センチほど低くて、少し痩せ気味で。黒い硬そうな髪を持つ、童顔。
綺麗なものや可愛いものが好きな佐久間の審美眼からは少しずれてはいるものの、目尻に涙をためながら必死に自分のキスを
受け入れてくれている尚紀はとても可愛いと思う。
(名前も、ハッチで可愛いし)
もしかしたら、今回の自分の気まぐれはとても得なものだったかもしれない。今自分の周りにいる、綺麗なだけで中身の無い者
達とは違い、きっと楽しませてくれる予感がする。
(悪いけど、このまま逃がさないからな)
いまだキスを解かないまま、佐久間はこれから2人で過ごす時間のことを考えて思わず目を細めて笑ってしまった。
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