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 今日の午前中の講義はないというのに、佐久間は大学の門に背を預けるようして立っていた。
今はもう講義中だが、行き来する学生の姿は絶えることなく、彼らは人待ち顔で立っている佐久間を不思議そうな顔で見てい
る。
 何時もはこんな目立つことはしないのだが、今日はどうしてもここに立っている必要があった。・・・・・いや、そんな悠長な思い
でここにいるわけでなく、佐久間は無表情の仮面の下でかなり怒っているのだ。
(ナオ・・・・・今日、休むつもりじゃないだろうな)
昨日、ようやく尚紀を抱いた。
自分の周りにはいない、純朴で子供っぽい、臆病な尚紀を自分の好みにしたいと思い、こちらを見ない視線を強引にでも引き
寄せたと思った。
 実際に抱いた尚紀の身体は、男が初めてだということもあって随分手間が掛かったが、それでも佐久間の想像以上の快感
を与えてくれたし、何よりも恥じらい、泣くその姿にゾクゾクと官能を刺激され、尚紀が気を失うまで抱き続けてしまった。
 「・・・・・」
(すっかり、気を許したんだよな・・・・・)
 普段、誰を抱いても眠ることはなかったのに、思ったよりも抱き心地の良い尚紀の身体を抱きしめているうちに佐久間はらしく
も無く深い眠りに落ちてしまった。
 翌朝、男を知った尚紀はどんな表情をするだろうか。
それを楽しみにしていたのに、朝起きるとベッドに尚紀の姿はなかった。
なんだか肩すかしにあったような気分になり、次にはムッと不快感が湧きおこる。誰もみな、自分と身体を合わせれば所有権を
主張するようにベタベタとくっ付いてくるのに、どうして恋人のはずの尚紀が距離を置こうとするのか。
 初めてのセックスの後だけに、何だか自分に不合格を押されたような気がしてたまらず、佐久間はどうしても尚紀を掴まえたく
て学校にやってきたのだ。

 「・・・・・」
(来た)
 尚紀がその講義を受けるのかは知っていた。
真面目な彼がサボるとは思わなかったので門前で待てば絶対に捕まえられると思ったが・・・・・待ち始めて30分後(よくそれだ
け待てたものだ)、ようやく待っていた姿が視界に入った。
 「・・・・・」
 尚紀は俯き加減で歩いているので、どうやら佐久間がそこにいることに気づいていないらしい。
心なしか歩き方がぎこちなく見えるのは、絶対に昨夜のセックスのせいだ。
(朝までゆっくりして行ったら良かったのに・・・・・)
 セックスで酷使した身体で自宅まで戻り、それからまた大学にやってくるなど、それだけの手間を掛けるからそんなに疲れたよ
うな顔をしているのだ。
 「ナオ」
 「!」
 数メートルに近付き、佐久間が声を掛けた。
その瞬間、面白いほど大袈裟に肩を揺らした尚紀が弾けるように顔を上げる。
 「あ・・・・・」
 「・・・・・」
 ボッと顔を真っ赤にした尚紀を見れば、彼が自分という存在を意識していることがわかる。
何だかそれに満足して、佐久間は先程まで感じていた不快感が一瞬で消えた気がした。




 佐久間とセックスをした。
自分からもその関係を望んで身体を合わせたつもりだったが、夜明け前、疼く下半身の痛みで目を覚ました時、綺麗な彼の寝
顔を見た瞬間に居たたまれない思いに襲われてしまった。
 どんな顔をして、言葉を交わせばいいのか。
自分の身体のことをどう思ったのか。
 経験豊富だからこそ、佐久間が誰かと自分を比べるような言葉を言うかもしれないという恐れと、それ以前に恥ずかしさは半
端でなくて、佐久間を起こさないように逃げ出してしまった。
(・・・・・どうしよう・・・・・)
 今日、顔を合わせないにしても、いずれは絶対に会わなければならない。
その時のことを今からシュミレーションしておかなければならないと思いながら、尚紀はまだ鈍痛を感じる下半身を庇うように学
校に向かって・・・・・。
 「ナオ」
 「!」
 なんの心構えもしていない時、あの甘い声が自分の名を呼んだ。
 「さ、佐久間・・・・・?」
(ど、どうしてここに・・・・・?)
門前に佐久間が立っているなんて誰が想像するだろうか。
彼が真面目な学生かどうかまでは知らないが、それでもたった1人でこんな場所にいる姿は絶対にないはずで、こうやって声を
掛けてくるというのは自分を待っていたからだというのはわかった。
(怒ってる・・・・・かな?)
 黙って帰ってしまった自分のことをどう思っているのか・・・・・。
 「良かった。ここで会えて」
 「・・・・・」
佐久間は足が固まって動けなくなっている尚紀の側に歩み寄ると、耳元に顔を寄せて囁いてきた。
 「身体、大丈夫だった?」
 「な・・・・・っ?」
 「初めての朝くらい、一緒にいたかったのに・・・・・」
 「あ、あのっ、俺っ」
(こ、これって普通の会話なのかっ?)
 こんな赤裸々な話を外でするのかと焦った尚紀は、何とか自分も言葉を返そうと思うのに声が出ない。
 「・・・・・っ」
その間にも、佐久間の手がスルッと腰を撫でた。
 「俺の・・・・・美味しかった?」
 「ば、馬鹿!」
 焦って佐久間の身体を押し返した時、
 「あ、佐久間?」
背後から別の声が掛かり、尚紀は慌てて振り向く。
そこにいたのは大人っぽい雰囲気の女だ。綺麗に染めた髪をかき上げる指先も綺麗にネイルされ、足を大胆に出すミニスカー
ト姿で立つその女は、佐久間の隣に立つ尚紀などまるで眼中にないように艶やかに笑いながら近づいてきた。
 「こんなに早くから来るなんて珍しいじゃない」
 「そう?」
 「そうよ」
 親しい会話から、2人の親密さをこちらにも感じさせる。いや、感じさせるだけでなく、慣れたように佐久間の腕に触れる女の手
を、尚紀はただ呆然と見るしかなかった。
 「ねえ、今日時間ある?」
 「時間?」
 「最近してないじゃない?やっぱり佐久間とするのが一番気持ち良いのよ」
 積極的に会話をしているのではないと、言葉数少ない返事を聞きながら何とか思いこもうとするが、佐久間はなかなかその手
を離そうとはしない。
人前で冷たくしないのはフェミニストなんだと好意的に考えたいのに、どうしてという気持ちも大きかった。
 仮にも、自分は佐久間の恋人で、付き合っている、はずだ。それは言葉だけでなく、昨夜は身体全てで確認し合った。
(佐久間・・・・・)
佐久間の中の優先順位、それは自分が一番なのだと・・・・・思うのはおかしいのだろうか・・・・・。
その時、チラッとこちらを見た佐久間の口元が綺麗に笑んだ。
(・・・・・え?)
 「いいよ」
 尚紀が自分の中で悶々と考えているというのに、佐久間は軽い口調で女に答えた。
 「ナオ」
そして、続いて尚紀の名前を呼ぶ。何を言うのか、怖くて、不安だった。
 「また連絡するから」
 「あ・・・・・うん」
 「じゃあね」
 腕に絡みつく女をそのままに背を向ける佐久間。尚紀はギュッと拳を握り締める。
恋人の前で、他の相手の手を取るなんて、どう考えたっておかしいだろう。それなのに、そんな佐久間を止めることが出来なかっ
た自分は、もしかしたらもっとおかしいのではないか。
 「・・・・・これって、浮気じゃねーの・・・・・?」
呟くように言っても、誰も答えてくれない。
佐久間と身体を合わせた高揚感は、何時の間にか尚紀の心の中から消えていた。




 「ぅわっ?」
 「ハッチッ?」
 不意に足がもつれてよろけてしまった尚紀の腕を、隣を歩いていた伊丹がとっさに掴んでくれた。おかげでみっともなくその場に
転ぶことが無く、尚紀は助かったと伊丹に礼を言う。
 「ありがと」
 「・・・・・」
 「なんだよ?」
 ドジだなとからかってくると思ったのに、なぜか伊丹はじっと顔を見つめてくる。何かを見透かすようなその眼差しに、尚紀は自
分の頬が引き攣るのを自覚したが・・・・・なんとか笑みを作ってみた。
 「・・・・・どっか、痛めたのか?」
 「はあ?」
 「今日はずっと身体を重そうに引きずってたし・・・・・なんだか、歩き方も変だ」
 「そ、そうか?」
(そ、そんなにおかしかったのかっ?)
 伊丹とは昼前に顔を合わせたが、その頃にはもう身体のだるさは随分薄れていたはずだ。
いや、女と消えた佐久間のことを考えると身体の痛みどころではなく、落ち込んだ顔をしないようにすることだけを心掛けていた
のだが。
 「・・・・・ハッチ」
 長身を折り曲げ、顔を覗きこんでくる伊丹を、尚紀はさりげなく押し返した。
 「変なこと言うなよ、ほら、行こ」
 「・・・・・」
何かを疑われていても、それを真実だと告げる必要はない。
伊丹は佐久間との関係を知る唯一の友人だし、きっと尚紀の相談にも親身になって乗ってくれるだろうとは思うが、こんな情け
ない現状を知られるのはやっぱり嫌だった。
(・・・・・セックスした翌日に、目の前で浮気されるなんて・・・・・)
 もしかしたら、佐久間にはそれが不実なことだという自覚は無いのかもしれない。
 「・・・・・」
昨日の今日だ。恥ずかしくても嬉しいという気持ちが全身を包んでいるはずなのに・・・・・尚紀は大きな溜め息をついた。




 伊丹は俯く尚紀をじっと見つめた。
(あいつ・・・・・っ)
そして、ここにはいない男の顔を思い浮かべる。
尚紀は何とか誤魔化したと思っているのかもしれないが、伊丹の視線から見える尚紀の項には、シャツと髪にチラチラと見え隠
れする赤い痣が見えていた。
 女に節操がなく、誘われたらそのままセックスをする。
そんな、どうしようもない男と勢いとは言え付き合うと言いだした尚紀を心配していたが、こんなにも早くセックスをしたとは考えも
しなかった。
 何か大切にしていたものを汚された気分だが、それに加え、その恋人と身体を合わせたというのにこんなにも不安な顔になって
いる尚紀。
(だから、あんな男に近寄るなって言ったのに)
 「おい」
何時の間にか伊丹は足を止めていたらしい。何歩か先を歩いていた尚紀が振り返って声を掛けてきた。
 「どうしたんだよ?」
 「・・・・・いや」
 眉間に寄りそうになった皺を何とか誤魔化し、伊丹は笑いながら尚紀に追いつく。
本当は何があったのか問い詰めたくて仕方がなかったが、今の尚紀はきっと口を開かないだろう。それならば、尚紀が苦しいと
感じる時にずっと傍にいて、何時でも手を差し伸べれるようにしておきたい。
 「今日の帰り、どこか行くか?」
 「なんだよ、奢ってくれるのか?」
 「バイト代入ったから」
 何でもない会話を始めると、明らかにホッと安堵した様子の尚紀が乗ってきた。
 「俺、久し振りにラーメンが食べたいなあ」
 「そんなんでいいのか?」
恋人という関係ではないにせよ、今尚紀の一番近くにいるのは自分だ。
なんだかそんなことが嬉しくて、伊丹は様々なリクエストを口にする尚紀を笑いながら見つめた。