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 「佐、佐久間」
 佐久間の出現に、明らかに女の勢いがなくなった。その様子に、尚紀は内心深い溜め息をつく。
(やっぱり、この子も・・・・)
仮に、単なる友人だとしたら、女は尚紀に対したと同じ態度を取るはずだ。それが、こんなにも動揺するなんて、もしかしてと思っ
ていた可能性が尚紀の中で真実になった。
 目の前のこの女は、佐久間と関係がある。それが、佐久間と自分が付き合うことになった前か、後か。さすがにそれが気になっ
て、尚紀は自分の隣に立つ佐久間を見上げた。
 「・・・・・ん?」
 そんな尚紀の視線に、佐久間は直ぐに気づく。唯我独尊で、気ままに見える彼が、意外にも人の機微に敏いと思うと、なんだ
か少しだけおかしかった。
 「何か言われた?」
 「俺?」
 「嫌なこと言われたんならちゃんと教えて?ナオは俺の特別な存在なんだから」
 にっこりと笑って、そんな甘い言葉を掛けないで欲しい。横顔に鋭く突き刺さる女の視線が気になって仕方がなく、尚紀は別に
と言葉を誤魔化すしかなかった。
 すると、妙に察しの良い佐久間が、尚紀から女へと視線を移す。
 「ナオに何を言った?」
 「佐久間、私・・・・・っ」
 「たかが寝るだけの女がナオに張り合ったって仕方がないだろう」
 「佐、佐久間っ」
さすがに言い過ぎだと、尚紀は佐久間の腕を掴んで止めようとしたが、その前に女が佐久間の前に立った。その顔には笑みが
浮かんでいたが、先ほどまで尚紀に向けていた余裕のあるそれではない。
 そんな女を、佐久間はただ黙って見ている。彼もまた、何時もの人当たりがいい笑顔は一切消して、まるで相手を値踏みする
ような冷めた眼差しをしていた。
 「佐久間、これから付き合って?」
 「・・・・・」
 「気持ちいいことしましょうよ」
 ストレートな誘い文句。きっと、佐久間が今不機嫌だということを察し、それを宥めるためには自分の身体を使うのが一番いい
方法だと思ったのかもしれない。常日頃から女の誘いをほとんど断らない佐久間に通じる手段だ。
 多分、佐久間はこのままこの女と行くだろう。人のオモチャ(この場合、佐久間にとっての自分だが)に勝手に手を出された気
がして面白くないと思ったのだろうが、こんなふうに誘われたらその気持ちも直ぐに変わるはずだ。
 それが佐久間だと、初めからわかっていたはずなのに・・・・・さすがに、身体を合わせたばかりでこの光景を目の当たりにする
のはきつい。
 「悪いけど」
 「え?」
 だが、あっさりと拒絶した佐久間の言葉に、女だけでなく尚紀も驚いて声を上げた。
 「どうして?先約でもあるの?」
 「ないよ。でも、君と遊ぶ気にはならないな」
佐久間はそう言いながら女の身体を押しのけ、尚紀の肩を抱きよせながら言葉を続けた。
 「って言うか、これからは誘わないでくれ。俺は身の程を知らない奴は嫌いなんだ」
 「佐久間!」
 「行こう、ナオ」
 「で、でもっ」
 佐久間が女の誘いを断ってくれたのは嬉しいが、このままこの場に置いて行ってしまっていいのだろうか。何らかのフォローを
した方がいいのではないかと混乱し、尚紀は何度も2人の顔を交互に見た。
 すると、そんな尚紀の行動が面白くなかったのか、佐久間はいきなり肩にあった手を腰に滑らせ、そのままキスをしてくる。
 「んぅ・・・・・ふっ」
押し当てられた唇に息が出来なくなって開けた口に直ぐに舌が入り込んできて、逃げる尚紀の舌に強引に絡みついてきた。
口腔内を隅々まで舐められ、唾液を吸われ、尚紀は気が遠くなりそうになる。不意のキスは、身体を合わせた時の記憶まで蘇
らせて下半身が熱くなってしまい、もぞっと腿をすり合わせてしまった。
 「・・・・・」
 合わせた唇から、佐久間が笑う気配が伝わってくる。こんなキスくらいでと思われているのかもしれないが、尚紀にとってはセッ
クスもキスも、まだまだ慣れない接触だった。




 腕の中の尚紀が喘いでいる。その様が可愛らしくて思わず笑ってしまうと、ギュウッと閉じている尚紀の目じりに涙が浮かんでく
るのがわかった。
 お互いの身体の隅々まで見、奥深くまで繋がったというのに、まだまだ尚紀は初だ。
女のバージンは面倒くさいだけだが、男の、いや、尚紀のこんな性質は自分にとっては好ましいものだった。
 「・・・・・ぁ」
 思う存分甘い唇を味わってキスを解くと、腰砕けになったらしい尚紀がパタンと胸元に倒れこんでくる。普段は甘えてくれない尚
紀のその行動が嬉しくて顔がにやけていると、
 「・・・・・に、それ・・・・・」
呆然とした女の声が聞こえてきた。
(・・・・・いたんだっけ)
 すっかり、頭の中からその存在を消していたので、まだここに女が残っていたことが不思議だった。尚紀が気づく前にさっさと立
ち去れと、佐久間は視線だけを向けた。
 「お、とこ、同士で、キスって・・・・・」
 「・・・・・」
 「佐久間、女が好きなのよね?」
 まるで、性別だけしか縋るものがないような必死な声音。
 「好きだよ」
 「そ、よね」
その返答に、女の表情が見る間に明るくなった。今の尚紀へのキスは単なる冗談なんだと思ったようだ。
(馬鹿だな)
優先順位を間違っている女には、はっきり言ってやった方がいい。後で尚紀に叱られるかもしれないが、佐久間は自分たちの関
係を何時までも隠すつもりはなかった。
少々早いかもしれないが、これも良い切っ掛けかもしれない。
 「でも、ナオは特別」
 「と、くべつ?」
 「だって、俺の彼氏だから」
 「!」
 「佐久間!」
 さすがに我に返ったのか、尚紀が焦って止めに入った。だが、もう言ってしまったのだ、どんなに尚紀が嫌がったとしても取り消
すことなんて出来ない。
 「ナオ、義仁って呼んでくれって言っただろう?」
それよりも、尚紀が何時まで経っても名前を呼んでくれないことの方が気になる。他の人間に名前で呼ばれるのは遠慮するが、
尚紀の声で呼ばれるのは・・・・・ゾクゾクするほど心地良いのだ。
(名前呼ばないとお仕置きしちゃうぞって言おうかな)
 セックスで焦らして焦らして鳴かせるのも楽しそうだと想像していると、先ほどの佐久間の言葉に驚いたらしい女が空気を読め
ずに口を開こうとした。
 「佐久間、それ、う・・・・・」
 「嘘なんかじゃないよ。俺とナオは身も心も結ばれてるんだ」
どういう意味かなんて聞かなくても、尚紀を抱きしめている自分の手や先ほどのキスでわかっているはずなのに、言葉で確かめ
ようとするのは女のズルイところだ。
男が男に恋愛感情を抱くなどおかしい。そうでなくても、不特定多数の女と関係を持っている自分が、間違っても男に本気にな
るなんてと思うのかもしれないが、だからこそ何に価値があるか・・・・・囚われずに考えることが出来るのだ。
 「そ・・・・・な・・・・・」
 女は呆然と呟いている。佐久間は追い打ちを掛けるように言った。
 「わかったんなら、今後俺の大切なナオに近づかないでくれよ」
 「・・・・・言うわよ」
 「ん?」
 「周りに、佐久間がゲイだって言いふらしてもいいのっ?」
その言葉が、男を引きとめられると思っているのか。
僅かに残っていた憐みの気持ちも完全に消えうせ、佐久間はにっこりと艶やかに笑ってみせた。
 「いいよ。本当のことだしね」
これで、尚紀に近づく人間が減るといい。佐久間にとってカミングアウトは、自分の欲望を叶えるために都合のよいものだった。








 尚紀はハァと深い溜め息をついた。
 「大丈夫か?」
 「・・・・・俺に近づかない方がいいぞ」
 「バカ、変な遠慮なんかするな」
そう言って、髪をクシャッと撫でてくれる伊丹の手が心地良くて、尚紀はなんだ泣きそうになった。たったこれだけのことでと言われ
るかもしれないが、それほど今の自分は疲れているのだ。
 「・・・・・」
 隣に腰かけた伊丹が回りをじろっと見まわすと、それまでこちらに注目していた視線が一斉に逸らされるのがわかる。そう言え
ば伊丹も人気者で影響力があったなと、今さらのようにぼんやりと考えた。
 「参っているようだな」
 「・・・・・うん」
 「佐久間の奴、この状況が想像出来ないくらい馬鹿だったのか」
 「・・・・・佐久間は悪くないって」
(あいつは本当の事を言っただけだし・・・・・)

 佐久間が女に向かって言ったカミングアウト。それは、一気に大学内で広がった。
それまで、佐久間が尚紀にまとわりついている様子はよく見られていたが、元々女遊びの激しい佐久間がまさか恋愛感情で付
きまとっているというのは誰も考え付かなかったらしく、単にからかっているんだろうという雰囲気が大勢だった。
 それでも女たちからは佐久間と親しくなったことへの嫉妬は向けられていたし、反対に男たちは気の毒だなと同情してくれてい
たらしい。
 しかし、カミングアウトで事態は一気に変化した。
女たちの感情はさらに激しい嫉妬になってしまい、講義中でさえ刺々しい視線で睨みつけられることが多い。構内のカフェテラス
でも、これ見よがしに、
 「男同士で付き合うなんて信じられないよね〜」
 「佐久間って、すっごくエッチが上手いし、激しいじゃない?それって、あれに満足してないから、他に快楽を求めてるってことじゃ
ないの?」
などと、嘲笑交じりに言われた。
 男からは、
 「お前、本当に佐久間と寝たのか?」
 「男同士のセックスってどうなんだ?」
と、好奇心いっぱいに露骨に訊ねられるようになった。

 言い返せばさらに突っ込まれて、沈黙が武器なのだと間もなく知った。あれから一週間、それまでつるんでいた友人たちとも疎
遠になり、構内では1人でいることが多くなったが、伊丹だけはどんな非難の視線も気にせず、側にいてくれる。
口では、関わらない方がいいと言うものの、伊丹の存在は尚紀のささくれ立った気持ちを優しく宥めてくれていた。
 「お前な」
 伊丹は、今の現状を作ったのは佐久間だと非難するが、尚紀は佐久間だけを責めることは出来なかった。
確かに、あの場で、佐久間のことを好きな女相手に自分たちの関係を言ってしまったことには今でも反対だが、自分が佐久間と
付き合っているということは真実だ。
佐久間の交際の申し込みを受けた時点でこの状況を想像出来なかった自分だって、多分少なからず非はあると思う。
 「・・・・・」
 伊丹が大きな溜め息をついた途端、ビクッと肩が揺れた。今の言葉は撤回しないが、伊丹に呆れられるのは嫌だ。
 「伊丹・・・・・」
 「・・・・・あいつは?」
 「え?」
 「佐久間は何て言ってるんだ?このこと、知らないってことはないだろう?」
学部が違っても、同じ大学に通っているのだ、噂は耳に入っているはずだと言われ、尚紀はうんと力なく頷く。
 「知ってる、けど」
 「けど?」
 「・・・・・気にしなかったらいいって」
 「はあ?」
尚紀だって、はあと思った。もう少し親身になって、この状況をどうにかしようと一緒に考えて欲しかった。
しかし、当事者の片割れである佐久間は、尚紀が追いつめられているこの状況を深刻には捉えていない。いや、言葉の端々に
喜んでいる雰囲気さえ感じられた。
(俺が困ってるのに・・・・・)
 聞けば、佐久間本人はあまりからかわれたりしないらしい。返って女たちからの誘いが増えて困ると、なんだか楽しそうに言わ
れたのが嫌で仕方がなかった。
自分は佐久間に本当に大切にされているのか。尚紀は根本的なことに疑問を持ってしまった。