多分、今自分が佐久間に言っていることは逃げなのだと分かっている。
それでも、尚紀はこのまま佐久間を切り捨てることが出来なかった。
 本当なら・・・・・あの時、構内で佐久間のセックスを目撃しなかったら、この男と自分は絶対に知り合わなかったはずだ。
交友関係も違うし、何より性格が違い過ぎる。
 現に、まだ早い時間とはいえ学校に来る者達はいて、向かい合っている自分と佐久間を不思議そうに見ていた。どういう繋
がりなのか、全然想像が出来ないのだろう。
(まあ、俺自身もそう思うけどさ)
 自分はとても平凡で、佐久間の周りにいるような華やかな男女とは全く違う。きっぱりと断るのが本当だろうが、それが出来な
いのなら、伊丹の言う通り完全無視をするのが一番無難にこの嵐をかわす方法だとも思う。
 それでも・・・・・こうして顔を知り、名前を知った。
あまりよろしくない評判ばかり聞く男の、子供っぽく笑う顔も知ったし、自分のことを呼ぶ声も知ってしまった。
もう少しだけ、この男のことを知りたいと、見ていたいと思ってもおかしくないのではないか?そこに、恋愛感情というものが無いに
しても、だ。
 「と、とりあえず、恋人でもいいけど」
(多分、佐久間だってよく分かっていないんだろうし)
 平凡過ぎる自分とただ友人になりたい。それを言うことが出来ないので、恋人という特殊な関係を持ち出してしまったという可
能性もある。
 「ホントに?」
 途端に、嬉しそうに笑う佐久間を見て、これだけは言わないとと慌てて付け加えた。
 「で、でも、エッチは無し!俺、そこまで割り切れてないし」
 「ん〜」
(どうしてそこで悩むんだよっ!)
 大体、男同士で付き合うという常識は尚紀の中には無く、佐久間だって今までは女の子としか付き合っていないはずだ。
一線を越えるというのは山ほどのハードルがあってもおかしくないのに、佐久間には敷居を跨ぐ位の感覚しかないように感じてし
まう。
 「エッチは無しねえ」
 「無し!」
 そこは譲れない。第一、尚紀は初体験もまだなのだ。
 「・・・・・」
 「でも、一応恋人なんだ?」
 「さ、佐久間って、今まで特定の恋人作ったこと無いんだろ?それなら、佐久間だってお試し期間があった方がいいんじゃない
か?」
 佐久間はどう答えるだろうか。
それでも付き合いたいと言うのか、それだったらいいと断るのか。
 「・・・・・」
何だか自分の方が佐久間に付き合いを申し込んでいるような気がして、尚紀はどちらが優位なのかよく分からなくなっていた。




(セックスは無しか)
 恋人という関係なのにセックスをしないというのはさすがに厳しいのではないかと思う。
もちろん、今まで佐久間は男相手にセックスをしたことは無く、今までしようとも思っていなかったが、目の前のこの平凡な青年に
関しては触れてみたいと思っていたのだ。
 男同士のセックス。女相手にアナルセックスもしていた佐久間には抵抗は薄いし、尚紀はきっと可愛く啼いてくれるのではない
かと思っている。
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 尚紀は自分の反応を気にするようにチラチラと見ている。その行動は何だか小動物のように可愛くて、佐久間は思わず笑っ
てしまった。
(まあ、いいか)
 いくらこの場で尚紀がセックスをしないと言っても、仮にも恋人同士という立場になればこちらが強引に出ることも出来る。
それに、遊び相手には不自由していないので、欲求不満になることも無いだろう。
今まで特定の恋人を作ったことは無いが、それこそ自分でも把握していないほどのセックスフレンドはいる。尚紀がその気になる
まで彼女達を相手にすればいいし、仮に男同士のセックスが気持ち良いものではなくても、人間として尚紀は一緒にいて楽し
い相手だと思うので、簡単に手放すということは今は考えられない。
そうなると、最初に彼の口からその言葉を聞いたことは結果としていいかもしれないと思った。
 「分かった」
 「え?」
 「それでもいいよ。お試しの恋人ってことで、いいよね?」
 手を伸ばし、尚紀の腕を掴んで言えば、尚紀はその手が気になるのか今にも振りほどきたいというような表情をしながら、それ
でも出来なくて瞳を揺らしている。
(やっぱり、可愛い)
 「う・・・・・」
 「ね?」
 「・・・・・う、うん」
 尚紀がどう思ってお試しなどという中途半端なことを言いだしたのか分からないが、その言葉を利用してやるつもりだ。
せっかく面白いと思える相手を、セックスなど関係なく、傍にいたいなと感じる相手に出会えたのだ。佐久間はチャンスを逃すほ
ど馬鹿な男ではなく、ずるい男でもある。
 「ナオって呼んでもいい?」
 「え、えっと」
 「いいよね、ナオ」
そう言えば、尚紀の耳たぶまでもが赤く染まった。
 「じゃあ、キスするよ」
 「ええっ?」
 「もう、前にしたじゃない。セックスじゃないんだし、唇の感触は男も女も変わりないって」
 「ちょっ、まっ、ふむっ」
 キスも抵抗しようとしている尚紀の腰を抱き寄せ、そのまま顔を寄せると、周りのどよめくような声が耳に届く。
(これで、逃げられないよ、ナオ)
お試し期間だと尚紀は言っていたが、良くも悪くも目立つ自分が誰の目も関係なくこうしてキスをしているのだ。2人が特別な関
係だと構内で噂が広がるのは時間の問題だろうと、佐久間は唇を重ねたまま目を細めた。




 「・・・・・もう一度、言ってもらってもいいか?」
 「あ・・・・・と」
 伊丹の低い声に尚紀が少し躊躇ってしまうと、隣に立っていた男が優しく背中を撫でてくれた。つい先ほどまでは慣れなかった
はずの隣の体温が、その瞬間何だかとても安堵出来る要因になる。
 「ナオ、俺から言うから」
 「・・・・・ナオ?」
 その呼び方にも反応されたが、男・・・・・佐久間は少しも気にした様子は無く、さらに尚紀の肩を抱き寄せるようにして伊丹に
言った。
 「俺達、付き合うことになったから」

 昼食の時間、今日は午後からの講義に出るために午前中は会えなかった伊丹を、尚紀は人影の無い資料室へと呼び出し
た。
その辺りから、勘の良い伊丹は何かを感じていたようだったが、開いたドアの向こうに佐久間の姿を見ると、苦々しく眉を顰めて
尚紀を振り返った。
 「ハッチ、俺こいつとこんなとこで会う理由無いけど」
 「う、うん、分かってる」
 「じゃあ、何?こいつに断りを入れるのを見届けて欲しいわけ?それだったら喜んで立ち会うけど」
 最初から、佐久間のことを噂くらいにしか知らなかった尚紀とは違い、伊丹は尚紀が知らない佐久間のことも知っているのか、
最初から拒絶していたというか、嫌悪感というものが激しかった。
 そんな伊丹に、今から自分が話すことが納得してもらえるかどうかは分からないが、それでも大学内で一番の友人である伊丹
に何時までも隠しとおせるものではなく、他人の口から知られてしまうよりもちゃんと自分の口で説明をしたい。
多分、校門前で堂々とキスした(されてしまった)ことは、こちらが把握している以上に大きな噂になっているはずだ。
尚紀はギュッと拳を握り締めたが、やがて顔を上げて伊丹に言った。
 「俺、佐久間と付き合うことにした」

 「・・・・・尚紀、本当か?」
 「う、うん」
 伊丹がちゃんと名前を呼んでくる時は相当真面目な時だと分かっている。
 「脅されて?」
そして、伊丹の中では佐久間は完全な悪役のようだ。
こうして2人揃っているというのに、あくまでも佐久間が強引に話を進めているのだと考えているらしい。そんな伊丹に見せ付ける
ように、佐久間は自分の頬に己の頬を摺り寄せながら笑った。
 「人聞きの悪いことは言わないでくれない?ちゃんとナオが考えて答えを出してくれたんだよ、ね?」
 「・・・・・うん」
頷くのが何だか怖いが、それでも佐久間の言っていることは間違いではないので、尚紀は伊丹の反応を気にしながらも頷いた。
 「・・・・・」
 伊丹は険しい表情のまま尚紀を見据える。
 「どうして」
 「ど、どうしてって」
 「始め、あれほど嫌がってただろ?どうして急に前向きになったんだよ。尚紀、よく考えろ。お前達は男同士で、普通の恋人同
士とは違うんだぞ?」
 「う、うん、分かってる」
正確には、分かっていると思っている。そもそも、こうして誰かと付き合うことなど、それが男相手だとはいえ初めてなのだ。この付
き合いがどうなっていくのか、尚紀自身全く想像が出来なかった。
 「あ、あのさ、まだちゃんとした恋人じゃなくって、なんていうか、その、試しにっていうか・・・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
 「・・・・・」
(い、居心地悪い)
 そう思っているのは、多分一番小心者の自分だけだろう。
尚紀はどうやってこの場を切り抜けようかと焦りながら考えていたが、そう簡単に妙案が浮かぶわけも無く、ただ息苦しいほどの緊
迫した時間が過ぎていく。
 「尚紀」
 「な、何?」
改めて伊丹に名前を呼ばれた尚紀は、精一杯の笑みを頬に浮かべて目の前の伊丹を見つめた。
 「俺は、反対」
 「え・・・・・」
 「お前、絶対泣く破目になる」
伊丹の言葉はとても真摯な響きが込められていて、尚紀は断言するその言葉に、とっさに反論は出来なかった。




(よりにもよって、佐久間と付き合うだって?)
 伊丹は歯噛みしたい思いだった。
佐久間が尚紀に興味を持ったということ自体腹立たしいのに、どうして恋人という関係に一気に飛んでしまうのか。
世間知らずの尚紀は、あっという間に佐久間に影響されるだろうし、その身体だって・・・・・確実に食われてしまうはずだ。
 「始め、あれほど嫌がってただろ?どうして急に前向きになったんだよ。尚紀、よく考えろ。お前達は男同士で、普通の恋人同
士とは違うんだぞ?」
 「う、うん、分かってる」
 揺れている言葉に力強さは無い。
 「あ、あのさ、まだちゃんとした恋人じゃなくって、なんていうか、その、試しにっていうか・・・・・」
(試し?・・・・・バカッ、そんなのこいつには関係ないって)
多分、尚紀は分かっていない。
ゲイではなくても男同士でセックスをする者はいるし、佐久間などそれに罪悪感を感じるような性格ではないはずだ。
 「俺は、反対」
 「え・・・・・」
 「お前、絶対泣く破目になる」
 きっぱりと言い切ると、途端に尚紀の顔が曇った。
自分の前では何時も笑っている尚紀のそんな顔は見たくないし、それをさせたというのが自分だと思うと悔しいが、今はっきり言っ
ておかなければならないことだと、伊丹は尚紀の腕に手を伸ばそうとした。
 「勝手に触るな。これはもう俺のだから」
 「・・・・・っ」
 しかし、その手は直前で佐久間によって阻まれる。自分がいた位置に我が物顔で座っている男に、伊丹はわけの分からない
苛立ちを感じていた。