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普通に見れば、仲の良い友人を横取りされるような悔しさと感じるかもしれないが、伊丹が尚紀に特別な感情を抱いている
のは、彼らと知り合って間もない自分にも直ぐに分かった。
(でも、始めから望んでそのポジションにいるんだろう?)
男同士では、親友という位置が一番身近だと思うのは仕方が無いが、佐久間はそんな性別の垣根を簡単に越えることが出
来る。出来なかった伊丹は、もうそこでおいて行かれたも同然なのだ。
「勝手に触るな。これはもう俺のだから」
「・・・・・っ」
悔しそうに睨んでくる伊丹の目。自分でその感情に気付いているのだろうか?
(なんだかゾクゾクするな)
恋人のいる女を奪う時、それはほとんど向こうからのアプローチだったが、恋人を満足させられない男を情けないと思い、たいし
て気にもしなかった。
しかし、伊丹に関しては・・・・・大切な親友である(本人はそう思い込んでいるようだ)尚紀を取られてしまった形の男に対して
は、何だか優越感のようなものを感じてしまう。
(お前の大事なハッチは、俺が貰うから)
「ナオ」
「・・・・・っ」
「え?」
「今日の昼は俺と一緒に食べてくれるよね?」
「え・・・・・と」
尚紀はチラッと伊丹に視線を向けた。
どうやら、出来たばかりの(仮)恋人よりは、親友の態度の方が気になってしまうらしい。だがそれも、もうじきに変わるはずだ。
「良かったら、伊丹も一緒に食べる?」
「・・・・・遠慮する!」
「そ。ナオ、仕方ないから2人で食べようよ」
「う・・・・・ん」
今はまだ、尚紀の心は自分のものではない。それでも、先に手を出した自分の方にその権利はあるのだと、佐久間は伊丹に対
してゆったりとした笑みを向けた。
「行こう」
「あ・・・・・っ」
佐久間に肩を抱かれ、尚紀は伊丹を背にして歩き始めた。佐久間のことが気になって仕方が無いが、ここで振り向くのは隣に
いる佐久間に悪いような気がして、気持ちを誤魔化していると変な歩き方になってしまった。
(これで良かったのかな・・・・・)
ただ、佐久間のことをもう少し見てみたくて、彼の言う付き合いというものを承諾してしまったが、やはり男同士をそんな言葉で
くくるのは変だったのかもしれない。
受け入れ難いというような表情をする伊丹の目を真っ直ぐに見ることが出来ないなんて、何だか悪いことをしているような気がし
て仕方がなかった。
「・・・・・」
「ハッチッ、さっきのこと、ちゃんと考えろよ!」
「あ・・・・・」
「お前、絶対泣く破目になる」
(俺・・・・・泣くのか?)
好きとか、嫌いとか。
今、自分の気持ちがどちらに傾いているのかも分からないのに、泣いてしまうとどうして伊丹は分かるのだろう。
「聞かなくていいよ、ナオ」
そんな風に揺れる尚紀の気持ちをしっかりと繋ぎとめるかのように、佐久間が耳元に唇を寄せてきた。
「ナオが泣くとしたら、快感に、だろう?」
「・・・・・っ」
(そ、そんなこと、こいつ相手に出来るのか?俺・・・・・)
付き合うと言った手前、どこまで佐久間と関係を深めたらいいのだろうかと、今更ながら距離を測りきれない尚紀はさらに悩み
が増えてしまった。
それから、尚紀と佐久間の付き合いは始まった。
付き合いと言っても、佐久間は尚紀が覚悟していたような性的な接触はしてこなくて、ただ時間が空けば隣にいるようになった。
いや、そうとも言えないかもしれない。
今までそこには伊丹がいて、馬鹿馬鹿しい話から授業の話まで、まるで色気のない雰囲気でいたのだが、佐久間が相手だとそ
うもいかなかった。
「ナオ」
「え?」
チュッ
「!」
さすがに人目は考えてくれているようだが、それでも頻繁にキスをされてしまう。
一番最初のそれが無理矢理だったせいか、不意を突かれるような触れるだけのキスはどうも拒みにくく・・・・・と、いうか、唇の感
触だけでは男も女も大きな違いはなくて、危惧したような抵抗感が自分の中に生まれてこないということの方が不思議だった。
ただ・・・・・。
「あ、今日も一緒なんだ」
「うん」
自分達が一緒にいても、佐久間に声を掛けてくる女生徒達の数は一向に減ることはない。
「でも、そんなにくっ付いてると、ゲイって噂がたっちゃうわよ?だから、ねえ、佐久間、今夜私と遊ばない?」
以前は全く気にしなかった光景。いや、佐久間と顔見知りでもなかった頃はこんな光景がこんなにも頻繁に繰り返されていると
も思っていなかったが、
「いいよ、後でね」
自分と付き合うようになってからも、こんな風に気軽に誘いに乗るとも想像していなかった。
「あ、あのさ、佐久間」
「義仁」
佐久間は尚紀が名字で呼ぶたびに一々訂正してくる。こんな所は細かいくせに、どうして人の感情というのに鈍いのだろうか?
「・・・・・義仁、今の彼女・・・・・知り合いなのか?」
「前、飲み会で会ってメアド交換した子だよ。何?妬きもち?」
「ま、まさか!」
(・・・・・やっぱり、分かってない)
言葉では否定したものの、仮にも付き合っている相手が自分以外の人間と、それも恋愛対象になりうる異性と2人でどこかに
行くと言われて、喜んで行ってこいという人間はいないと思う。
ただ、そう言えばきっと、佐久間がどんなふうに反論してくるのか、それも尚紀は分かっているのだ。
「だって、ナオはセックスさせてくれないだろう?」
男と、仮にでも付き合うと決めただけでも一大決心なのに、セックスをするという所まではまたハードルは高い。
時間を掛けて、感情を育ててという自分は、もしかしたら古いタイプの人間なのだろうかと思ってしまうが、それでも誰かれ構わ
ずに身体を合わせることなんて尚紀には出来なかった。
「どうしたの?ナオ」
「・・・・・何でもない」
こんな風に心の中で葛藤している自分の方が何だか負けている気がして、尚紀は笑いながら首を横に振った。
(ふ〜ん、やっぱり気にしないタイプなのか)
先程の女との会話に、尚紀は曖昧な笑顔を浮かべてから話を切り上げてしまった。
少しは妬いてくれるかなとも思ったのだが、それはどうやら自分の思い込みのせいだったらしい。
こんなあからさまなデートの誘いにさえ嫉妬してもらえないとは、本当に自分のことを好きになってくれているのかと疑ってしまう。
「・・・・・違うか」
「え?」
「何でもない」
(俺達はまだ仮の付き合いだったっけ)
男同士という垣根を簡単に乗り越えられないということと、まだ知り合ったばかりだという小学生並みの条件を突き付けられた
状態の今は、自分達はまだ本当の恋人同士ではない。
それならば、多少摘み食いしても許されるのではないか。
身体だけの、快楽だけの簡単な付き合いで欲求が解消出来るのならば、尚紀に精神的な重荷も背負わせることもない。
(出来れば、ナオを抱いてみたいけど)
それはもう少し、尚紀の気持ちが成長してからになるようだ。
「明日、午前中の講義ある?」
「うん」
「じゃあ、お昼一緒しよっか」
「そうだな」
尚紀と一緒にいる時間はとても居心地良くて、まだ知ったばかりだというのにもう手放せなくなってしまっている。
この存在をどうしてもっと早く知らなかったのか、佐久間は周りにいる派手な者達にしか目がいかなかった自分を、今更ながら後
悔していた。
「じゃあ、また明日」
「あ、ああ」
講義が終わり、綺麗な女生徒と腕を組んで立ち去って行く佐久間を、尚紀はまるで友達の1人がそうするように手を振って見
送ってしまった。
「・・・・・」
(俺、何してるんだろ)
見送っている後ろ姿は親密な雰囲気を漂わせていて・・・・・いや、
(あ)
実際に、歩きながら女生徒の頭を抱き寄せた佐久間は、そのまま唇を重ねている。
「・・・・・俺にもしたくせに」
この講義が始まる前、人の目を盗んでキスを掠め取ったくせに。
仮にも付き合っている恋人の自分とのキスは誰にも見られないようにこっそりとしたくせに、あんなふうに遊びで付き合う相手との
キスは誰が見てもいいと思っているのだろうか。
「ねえ」
「え?」
ぼんやりと立ちつくしていた尚紀は、不意に声を掛けられて振り向いた。
そこには先程佐久間と立ち去った女生徒と同じような濃い化粧をした2人の女が立っている。
「最近、義仁とつるんでるってホント?」
「え、あ、まあ」
「【普通のハッチ】と仲良くなったって聞いた時嘘だって思ったけど、さっきの様子を見るとホントみたいね」
「うん。全然釣り合わないんだけど」
きっと、その言葉に大きな意味はないと思う。女達は見た目で、平凡な尚紀と目立つ佐久間が一緒にいることが不自然だと
言っているだけだろうが、一応は付き合っているという事実が頭にある尚紀には胸に突き刺さるような言葉だった。
「ねえ、義仁って本命出来た?最近誘っても断られる時があるのよ」
「あ、私も。全然駄目ってことはないんだけど、何か他に気を取られていることがあるって感じ」
「・・・・・さあ、俺は分からないけど」
まさか、そこで自分のせいだとは言いだせなかったし、考えたら佐久間が尚紀のために他の誘いを断るということも想像出来な
い。
(一応、俺と付き合ってるって形だけど、もしかしたら他にも、いたりして)
笑い飛ばせないのが何だか虚しい。
「ごめん、そうよね。最近付き合ったばかりで知ってるはずないか」
「だからさ、今度2人で聞こうよ。1人だとやっぱり怖いし」
2人は何時の間にか尚紀を置いて話し始め、その様子を見て尚紀はそっと教室から出ていく。あれ以上傍にいたらもっと聞き
たくない話も耳に入ってきそうだ。
「・・・・・俺、こんなキャラだったっけ」
佐久間と付き合い始めてまだ二週間と経っていない。それなのにもう、尚紀はあの時OKを出したことを既に後悔し始めていた。
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