8
佐久間の行動は本当に意味不明だ。
自分のような平凡な男はきっと永遠に理解できないだろうなと思いながら、尚紀は目の前で少し眉を下げている佐久間を見つ
めた。
こんな情けない表情も、元がいいからきっと女達には可愛いと言われるんだろうなと思い、
「もーいいって」
こんなふうに言ってしまう自分も、きっと佐久間の表情に絆されているんだなと苦笑する。
唐突にキスされ、周りが騒いで。
そのまま、佐久間に引っ張られるようにして大学の外のカフェに連れて行かれた。
「ごめん、ナオが嫌だって思うのは分かってるんだけど」
どうしても人に見せ付けたかったと佐久間は続けるが、その感覚こそが謎だ。
どちらかといえば、自分のような男と付き合っていること自体を隠そうと思うのではないかと考えるのだが、佐久間は2人の関係を
周りに周知させたいと言う。
(普通、男同士って隠さないか?)
もしかしてそれは古い考えなのだろうか?
(そんなに・・・・・気にしないでもいいのかな)
佐久間が誰かにキスする光景など、構内ではよく見られた光景だろうし、それが相手が男だからといって今更と思われるだけで
はないだろうかと考え直した。
今回のことも、きっと一時期噂になるだろうが、反応しなければ直ぐに噂は消えるはずだ。下手に騒ぎ立てない方がいいだろ
うと、尚紀は本当にいいからと笑い掛けた。
気にして欲しいと思うのに、尚紀は平気だからといって笑う。
佐久間にとって、尚紀は本当に謎の存在だった。
強引だったとはいえ、男の佐久間の交際の申し込みを限定であっても受け入れ、キスも嫌がらずに受け入れてくれる。
そのくせ、佐久間が他の女と遊んでも妬きもちを焼くこともなく、佐久間だからという変な理由で納得をするのだ。これでは何の
ために付き合っているのか分からない。
(・・・・・参った・・・・・)
退屈しのぎ。
きっと、面白いだろうと考えて尚紀に付き合いを申し込んだのに、日々、思うように動いてくれない尚紀に自分の方が焦れて墓
穴を掘っている気がした。
「・・・・・ナオ」
「何?」
「ナオは、セックスは抜きって言ったよね」
「なっ、何、こんなとこでっ」
さすがにセックスという単語をこんな場所で言われては恥ずかしいのか、尚紀の顔がじわじわと赤くなっていく。
自分のどんな愛の言動よりも、単に一つの単語だけで尚紀を動揺させることが出来たというのは複雑だったが、鮮やかに表情が
変わっていくのは見ていて楽しい。
自分に付きまとっている女達は尚紀のことをありえない平凡と言って笑うが、こんなふうに顔を赤くして瞳を揺らす表情などは、
変な愛撫よりも股間にきた。
「ナオ」
「だ、だから、そんな話は・・・・・」
「しない?」
「へ?」
「セックス」
「・・・・・っ」
尚紀が目を見張って自分を見る。
「そ、そんなの、約束が・・・・・っ」
「だって、抱きたくなったんだよ。ナオを抱いて、アンアンって言わせたい。もっとって、俺にしがみ付いて欲しい。そう思うのっておか
しいかな?」
本当はもっとスマートに、尚紀の方から抱いて欲しいと言わせるつもりだったのだが、呆気なく自分の方が白旗をあげてしまった。
早く、尚紀の全てを自分のものにして安心したい。
今抱いているような妙な苛立ちを解消したい。
それには、レイプ紛いにでも抱いてしまった方がいいのかも・・・・・そんなギリギリの感情が佐久間を突き動かしていた。
「しない?セックス」
まさか、佐久間の方からそんなことを言い出すとは思わなかった。
女に困っているのならまだしも、ついさっきもセックスをしていたと、仮にも付き合っている相手の自分に言う男だ。飢えているとはと
ても思えなかった。
(・・・・・まさか、話題作り、とか?)
付き合っているということだけでは面白くなくなって、話のネタに抱いてみようとでも思ったのかもしれない。
女の柔らかな身体よりも男の骨ばった面白みの無い身体を抱きたいと思うなど、普通なら思いつかないはずだ。
「ナオ」
「う・・・・・」
(そ、そんなふうに甘えるなんて卑怯っ)
「よ、義仁は相手に困ってないだろっ?」
「うん」
「だったら・・・・・」
「でも、ナオがいい」
「!」
(だ、だから、それが卑怯なんだって!)
佐久間ほどの男に、それがたとえその場限りだとしてもこんなに欲しがられるのは悪い気はしない。自分が男だということを、仮
の恋人だということも忘れ、ついうんと頷いてしまいたくなる。
(そ、それじゃ駄目なんだよっ)
しかし、もしも受け入れてしまったら・・・・・それこそ、今以上にムズムズとした感覚に襲われ、女にモテル佐久間を見続けなけ
ればならない。
今でこそ、仮なのだからと何とか気持ちを落ち着かせているのに、身体まで合わせる本当の恋人同士になってしまったら自分は
どうなってしまうだろう。
何とか断らなければと思った尚紀は、佐久間が出来ないであろうことを告げた。
「お、俺としたいなら、他の子と一切手を切ってよ」
1日に2、3人もの相手を抱くこともあるという噂の佐久間が、自分のような面白みの無い人間だけで満足するとはとても思えな
い。もしかしたら、何を言っているのだと、呆れてしまうかもしれない。
(その方が都合いい、し)
佐久間といると落ち着かない。
元の平穏な時間を恋しく思い始めた尚紀にとって、今回のことは佐久間と別れる(あくまでも仮の関係だが)いい切っ掛けなの
かもしれなかった。
「お、俺としたいなら、他の子と一切手を切ってよ」
どういったつもりでそんなことを言い出したのだろうか。ひょっとして、こんなことを言えば自分が諦めるかもしれないと思ったのかも
しれないが、それこそ笑ってしまう。
「いいよ」
「え・・・・・」
(ほら、言葉で言うのって簡単なんだよ)
確かな証というわけではないのに、人は言葉というものを重要視する。
尚紀も、佐久間が実際に自身を抱いて、本当に他の誰をも抱かないという確信を持つことが出来ないくせに、肯定した佐久
間の言葉に縋ろうとしている。
何より、条件を出したことによって、その条件さえ飲めばセックスを解禁したのだということを、この可愛い恋人は分かっているの
だろうか。
「ナオの言う通りにする」
「あ、いや、ちょっと」
「俺んちに行こう」
「ちょっと待ってっ」
「大丈夫。今まで抱いた相手は連れ込んだりしていないから」
「!」
(ドキッとした?)
否定している矢先に、佐久間の言葉に動揺しているのが分かる。
誰も足を踏み入れたことの無い自宅にまで呼ばれたという事実が、もしかしたら自分は本当に特別なのかもしれないと感じさせ
ている。
今の時点ではそれは正しい。佐久間が一番に欲しているのは尚紀で、彼以外の人間を抱きたいとは思っていない。
だがそれは、あくまでも今の自分の感情だ。
(先のことなんて、俺も・・・・・ナオだって、分からないだろう?)
それでも、前に進むためには一歩踏み出さなければ何も変わらない。
自分は何時までもじれったい尚紀に苛立ち、その存在が欲しくて欲しくてたまらなくなる。
「それなら、いい?」
(だから少し、君を分けてよ)
「ナオ」
(大事に抱くから)
これは、夢なのかもしれない。
佐久間に手を引かれ、彼のプライベート空間に連れて行かれるなんて・・・・・。
そして、それが、こんなふうにごく普通のワンルームマンションなんて、誰が想像するだろうか?
「こ、ここ?」
「あんまり普通で驚いた?」
「あ、んと、違う、けど」
こんなにも華やかで、年上の女ともたくさん遊んでいて、もしかしたらパトロンとか、いや、ホストをしてたり・・・・・などと、いろんな
噂だけは聞いていた佐久間のあまりの地味さに、少しだけ呆気に取られたのだ。
しかし、考えれば佐久間も普通の大学生で、自分達の歳ならば相応の場所に住んでいるということに何の不思議も無いと
思った。
「どーぞ」
「お、お邪魔し、ます」
半ば無理矢理連れてこられたのに、こうして律儀に挨拶をしてあがりこむ自分は何をしているんだろうか。
ただ、佐久間の家というのには興味があったので、どうしても自分の目で見たいという誘惑に勝つことは出来なかった。
「わ・・・・・結構広い」
「そう?」
「それに、綺麗?」
男の1人暮らしにしては綺麗だと思う。
キッチンを入って直ぐに見えるベッドも、その周りも、床に本や服が散らかって、生ゴミも・・・・・なんて、光景は全く見えない。
(・・・・・誰が掃除してるんだろ)
まさか、佐久間が自分で?
「これでも、綺麗好きなんだ」
「・・・・・」
「本当に誰も入れてないよ。ここにきた女は1人だけ」
「え・・・・・」
「部屋探しに付き合ってくれた姉貴」
「・・・・・っ」
(び、びっくりした)
一瞬、泣きそうになってしまった。佐久間の言葉を無意識のうちに信じていただけに、本当は誰か特別な相手がいるんじゃない
かと、一言一言に一喜一憂してしまったのが恥ずかしい。
「ナオ」
そんな尚紀の動揺など見透かしていたかのように笑った佐久間が、不意に肩を抱き寄せて顔を近づけてきた。
キスされてしまうことは分かっていたが、ここまできて逃げてしまうのは卑怯な気がした。
「ナオがいい」
そう言ってくれた佐久間の言葉を信じたい。
それに、女ではないのだ、初めてがどうのこうのといって抵抗するのはおかしいだろう。
(俺が・・・・・ここまで来たんだから)
自分とは全く違う人種に見える佐久間を、もう少しだけ見ていたい。そのためにこの身体を欲しいというのなら与えても、きっと
後悔はしないような気がした。
![]()
![]()