盛 宴
4
(綺麗な人間っているんだ・・・・・)
艶やかで花のある楓を綺麗だと思うが、突然現われたこの青年もかなり整った容貌をしている。
ただ、楓がかなり豊かな表情をするのに対し、この青年はまるで人形のように綺麗だが・・・・・感情表現が苦手なのか、あまり
表情の変化は見られなかった。
(海藤さんがこんな挨拶するなんて、凄く偉い人なのかな)
去年の夏、海藤の伯父に会いに行った時、世話になっている組の上の人という相手に紹介された時も、海藤の態度は慇懃
だった。
この、目の前の冷たい容貌の男も、海藤からすれば上の人間なのだろう。
「こんばんは」
真琴は思い切って、男の後ろに立っている青年に声を掛けてみた。
僅かだが驚いたように目を瞬かせた青年は、真琴に視線を向けて小さく口を開く。
「・・・・・こんばんは」
「せっかくだから、一緒にお花見しませんか?お座敷で食べるよりも絶対美味しいと思いますよ?ね?太朗君」
人懐こい太朗に同意を求めると、先ほどから興味深々の視線を寄越していた太朗は、うんっと大きく頷いた。
「そうだよ!ご馳走じゃないけど、ご馳走だから!」
「・・・・・意味になってない」
ぼそっと呟く楓に、太朗は直ぐに反論する。
「大人にはご馳走じゃないかもしれないけど、俺にとっては十分ゴーカなご飯なんだよ!あ、でも、えっと、ケンタなんか食べな
いかな・・・・・ですか?」
慣れない敬語を付け足す太朗が可愛い。
見た目のイメージでは、高級和食を一口だけ食べるといった雰囲気に見えるが、青年はブンブンと首を横に振った。
「俺も、ケンタ好きです。時々急に食べたくなるし」
「あっ、同じ!」
太朗が満面の笑顔で、そのまま青年の手を取った。
(あ・・・・・)
一瞬、青年の傍にいた男が鋭く太朗を見つめたことに気付いたが、青年が人形のような顔に柔らかな笑顔を浮かべながら太
朗の握手に応えているのを見て、男の表情にも変化があった。
「静さん、どうします?」
「あ、あの、江坂さんは?」
「私はあなたがいい方で構いませんよ。このまま他の店に行ってもいいし、ここでと言うのならそれでも」
「・・・・・」
「一緒に食べるっ?」
ワクワクとした太朗の表情に、青年はつられた様にコクンと頷いた。
「・・・・・」
(太朗君、凄い)
(江坂理事の秘蔵の花か)
開成会にとっての母体組織である大東組。日本でも3本の指に入る組織の代表者でもある理事に、まだ30代の江坂が選
任された時はかなりの話題になった。
江坂の方針は海藤の考え方にも似ていたが、そのあまりにも極端なやり方には全てに頷くことも出来なかった。
そんな江坂が変わったと感じたのは・・・・・去年の秋の定例会からだろうか。
目に見えるあからさまな変化ではなく、時折垣間見えるだけの僅かな変化。計算され尽くした言動が、ほんの少しだけ人間味
を帯びてきた。
それが、江坂が囲った愛人の影響だというのはかなり広まっている。
(綺麗な人形、か)
面と向かって江坂に訊ねる勇気のある者がいないので真相はあやふやだが、相手がかなり美しいらしいという事は聞いていた。
まさか、男だとは思わなかったが。
「海藤、お前が上杉と馴れ合ってるとはな」
静かに控えていた海藤に、江坂は平坦な口調で言葉を掛けた。
それは皮肉というよりは、ただ単に事実を言っただけなのだろう。
「上杉さんにはよくして頂いてます」
「若手の注目株同士が手を組むか。・・・・・伊崎もか」
「私ではまだまだお2人と対等な立場ではありませんから」
「出世に興味が無いらしかったお前が急に若頭を襲名したことは不思議に思っていたが・・・・・原因は、日向の次男坊か」
「・・・・・」
「あれ程の容姿だ、苦労するだろう」
クッと笑みを零す江坂を見て、海藤と上杉は顔を見合わせる。
江坂にこんな表情が出来るとは思わなかった。
「じゃあ、同級生だ」
にっこりと笑って言われ、静も素直に頷いた。
(俺以外にも、いるんだ・・・・・男同士で付き合ってる人・・・・・)
小早川静(こばやかわ しずか)は、春から大学2年生となる19歳の青年だ。
家の経済的理由で、援助を申し出てくれた江坂と同居することになったが、一緒に暮らしていくうちに自分を本当に大切にし
てくれる江坂を好きになっていった。
幸いにも自分達は両想いになったが、心のどこかで同性同士の恋愛を不安に思うことがあるのも本当だった。
しかし、目の前の自分と同世代の青年達も、自分と同じように同性の恋人を持っているという。自分だけではない・・・・・そう
思うと、静は肩のこわばりが解けるような気がした。
「よろしくね、小早川君」
目元のホクロが妙に印象的な青年、自分と同じ大学生の西原真琴が笑って言えば。
「俺!苑江太朗!よろしくです!」
まだ子供のような満面の笑みで太朗が言い。
「日向楓、よろしく」
(・・・・・綺麗な子・・・・・)
まるで大輪の薔薇の花のように鮮やかな容貌の楓に、静はしばらく呆然と見惚れていた。
「何?」
じっと視線を向けたまま黙っている静に、楓は綺麗な眉を顰めて聞く。
「あ・・・・・綺麗だなって、思って」
「え?」
「ははは、何、それ!静さんだって綺麗じゃん!」
そういって笑う太朗の言葉に途惑うが、ごく自然に『静さん』と、名前を呼んでもらったことが妙に気恥ずかしかった。
「お、俺は、そんな・・・・・」
「そうだよね、真琴さん」
「うん、楓君も小早川君もすっごく綺麗。連れて歩くと自慢出来るね」
「あ・・・・・」
「ん?なに?」
「あ、ありがと」
今まで容姿を褒められることに慣れていなかったが、彼らの言葉は裏表が全く無く、素直に受け止めることが出来る。
静は偶然とはいえこの花見の仲間に入れてもらったことが嬉しくなって、思わずといったように顔を綻ばせた。
綾辻は澄ました顔でシートに座った小田切と、その後ろにまるで影のように立っている大柄な男を交互に見比べて・・・・・や
がてふふっと笑いながら口を開いた。
「彼が、噂の番犬?」
「ええ」
「連れて来ていいんですか?」
小田切の恋人のことは綾辻も多少の情報は握っている。もちろん、相手の職業もだ。
「1人で留守番が出来ないらしいので」
「裕さん」
笑みを含んだ小田切の言葉に、男・・・・・宗岡哲生(むねおか てつお)は困ったように口を挟んだ。
「ここに来たのは、裕さんが無理矢理・・・・・」
「嫌なら帰れ」
「・・・・・っ」
「その代わり、言う事をきかない犬はいらないから」
「裕さん・・・・・」
「・・・・・」
(かわいそ・・・・・)
まるで本当に犬のように、垂れた耳と動かない尻尾が目に見えるようで、この男を犬と例えた小田切のネーミングセンスは的
を得ていると思う。
小田切とこの犬の関係は複雑だ。
男同士という事や年齢差というのは目を瞑ることは出来ても、ヤクザと警官というのはまさに水と油でしかない。
たとえ男の所属が交通課であっても、だ。
「ねえ、ワンちゃん。本当にその飼い主でいいの?あなたはまだ若いし、もっと普通の恋愛だって出来るんじゃない?」
2人を別れさせようとは思わなかった。恋愛とは人それぞれで、現に自分の恋愛も他人から見れば不毛なものかもしれない。
綾辻はただ純粋に、こんなに癖のある相手を選んだ男の気持ちを知りたかったのだ。
「ん?正直に言っていいよ?」
綾辻の言葉に気分を害した様子も無く、小田切は笑みを浮かべたまま男を見ている。
やがて・・・・・男はギュッと両手の拳を握り締めたまま、きっぱりと言い切った。
「俺は、この人がいいんです」
「・・・・・」
「俺が・・・・・選んだんです」
「・・・・・熱烈。羨ましいわ、小田切さん」
男の答えが自分の望んだ通りなのかどうか、小田切は黙ったまま曖昧な笑みを浮かべた。
「ねえ、もしかして、テツオさん?」
小田切の背後にいる男がどうしても気になってしまった太朗は、トコトコと近付いてサングラスの隙間からその顔を覗き込んだ。
太い眉に垂れ目が印象的な、ごくごく日本人らしい顔立ち。
服の上からも分かるがっしりした体付きや太い腕は 、かつて見た記憶にある通りのものだった。
「ね?」
「・・・・・こんばんは」
サングラスは外さないまま、それでも柔らかく挨拶をして貰えて、太朗は確信したように笑う。
「やっぱり!あの、夜なのにサングラス外さないんですか?」
「これは・・・・・」
「今ものもらいが出来ているんですよ」
なぜか、宗岡の代わりに小田切が答えてくれ、太朗は直ぐに納得して頷いた。
「そうなんだ。ごめんなさい、変な事言って」
「いや、いいよ」
「あれからなかなか会えないから、ジローさんとこの人じゃないのかなって思ってたんだけど、やっぱりちゃんと組員さんだったんだ」
「俺は知らない」
上杉に尋ねてもいい加減にあしらわれていたのだが、こうして花見の席に出席するぐらいならば、ある程度の偉い人なのだろう。
(ジローさんめ、後でとっちめてやろ!)
(・・・・・まあまあ、か)
楓は目の前で真琴と話している静をチラッと見てそう思った。
自分以上の美貌を持つ人間などいないと思っていたが、この静は自分以上ではないが、まま見れる容姿の主だろうと思う。
(それにしても・・・・・どういう関係・・・・・?)
大東組の新年会の席に何度か呼ばれたことがある楓は、江坂の顔は覚えていた。
伊崎とはまた違った整った容貌の江坂は、その無表情さと冷たい眼差しが妙に印象的だったのだ。
今夜、突然現われた江坂の第一印象はそれまでとは変わらなかったが、その後・・・・・この静と話す時は、それまでの江坂から
はまるで考えられないほどに口調も雰囲気も柔らかく変化した。
(・・・・・素人・・・・・だよな)
同じヤクザの世界の人間ならば、この容貌なのだ、今まで噂は聞こえてきたはずだ。
「素人を捕まえたのか・・・・・」
あの江坂の相手を出来るのかと心配になるほど、この静という青年は大人しくてどこかポヤンとしている。
「これ、全部あの人が作ったんですか?凄いっ、買ってきたみたいっ」
「でしょう?美味しいんだから、食べてみて」
甲斐甲斐しく皿におかずをのせて渡す真琴は、同い年なのにまるでお兄さんのようだ。
そして、世話をされている静を見つめる江坂の目は・・・・・。
「恭祐」
「はい?」
楓は、丁度江坂への挨拶を終えて戻ってきた伊崎に、視線は目の前の2人に向けたまま聞いた。
「綺麗だな、あいつ」
「・・・・・そうですね」
「俺と、どっちが美人だ?」
普段は女扱いされることは嫌でたまらないのだが、なぜだか今は伊崎に確認を取りたかった。
誰の目から見ても大人しくて美人で、あの江坂にあんなにも愛されている静という存在は、もしかしたら自分以上に価値のあ
る存在なのではないだろうか。
伊崎の目がどこを向いているのか、言葉で答えを聞きたくなった。
「楓さん」
そんな楓の気持ちを宥めるように、伊崎は穏やかにその名前を呼ぶ。
それだけでも、楓の気持ちはふわっと和らいだ。
「あなたの方ですよ」
「・・・・・お世辞じゃないよな」
「どうでしょう。ただ、私の目にはあなたしか映っていませんから」
「・・・・・口が上手い」
「本当ですよ」
「もう、いい」
くすぐったい。
知らずに頬を赤くする楓の手を、伊崎は一瞬だけギュッと握り締めて・・・・・離した。
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なんだか、江坂と静の説明話になっちゃいました。
次からは今度こそ酒宴に突入です(笑)。