盛 宴
5
「うわっ、なにっ、これ!美味しい!凄い!」
酒宴が始まった。
ゆったりと酒を傾ける大人達とは違い、年少者達は酒よりも花よりも・・・・・団子だ。
太朗は海藤の作った弁当のおかずを一つ一つ口にしながら一々歓声をあげ、仕舞いには両頬をリスのように膨らましながら勢
いづけて海藤に言った。
「海藤さん、すっごい美味しいですよ!料理上手ですね!」
普段、上杉よりも物静かな海藤には、さすがの太朗もなかなか畏まった態度を崩すことは出来なかったが、見掛けを裏切る
料理の腕があまりに凄くて、思わず海藤に満面の笑みを向けながら話し掛けていた。
「・・・・・」
傍で聞いていた上杉は、太朗の素直な感情表現を好ましく思う一方、自分の目の前で他の男を褒められるのは少し面白くな
くて眉を顰めてしまったが、それは杯を傾ける手で太朗の目には映らなかった。
「ありがとう」
そんな上杉の気配を感じながらも、海藤は太朗に苦笑を向ける。素直な言葉で褒められて、それでも難しい顔をしていられ
るほどに海藤も大人ではなかった。
「楓んとこは?料理出来る?」
梅干お握りにすっぱそうに口を窄めながら聞く太朗に、こちらはケンタッキーを指で裂きながら楓は答えた。
「簡単なのなら出来る」
「えっ、嘘!」
「チャーハンとか上手い。お前んとこは?」
「ジローさんっ、負けてる!」
「何だ、タロは知らないだろうが、俺だって少しは・・・・・」
「誰かに何時も作ってもらってるじゃないですか」
「小田切っ」
しれっとした顔で小田切が口を挟むと、上杉は珍しく慌てたように止めようとする。
しかし、何が悪いのかと、小田切は綺麗な出し巻き卵を上品な箸使いで取りながら言葉を続けた。
「今日は無礼講でしょう?それに、本当のことじゃないですか」
「・・・・・お前なあ〜。タロ、昔のことだ、今は・・・・・」
他の人間もいる前で言い訳するのもみっともないとは思ったが、話を後回しにすると余計な考えがグルグルと回ってしまいかねな
い。
しかし、
「海藤さん!俺を弟子にしてください!」
いきなり立ち上がった太朗は、ムッと口元を引き締めて海藤を振り返った。
「ん?」
「料理習って、俺が今までの奴よりも一番美味しいものジローさんに食べさせる!!」
太朗の怒りは上杉の思っていた方向とは全然別の方を向いているらしく、箸を握り締めて宣言するように叫ぶ。
嬉しくて笑い出した上杉と、苦笑を漏らす周りの笑い声に、桜がゆるりと揺れていた。
居たたまれない・・・・・宗岡は自分がどういった立場にいていいのか分からなかった。
旅行が駄目になったお詫びをと殊勝なことを言われ、嬉々として付いてきたまでは良かったが、まさか自分までもこの暴力団組
織のかなり有名どころの面々の宴席に加わるとは思わなかった。
せめてもと思い、慌てて車にのせていた日除け用のサングラスを掛けたが、一度だけ会ったことがある太朗には簡単に正体がば
れてしまった。
(一応、警察官なんだけど・・・・・)
多分、上杉以外の人間は、宗岡も組員の1人だと思っているだろうが、本来ならこの場に自分がいるという事だけでも大問
題なのだ。
(裕さん・・・・・)
そんな宗岡の途惑いには気付いているだろうに、小田切は何のフォローもなく酒を飲んでいる。
(俺にどうしろって・・・・・)
「どうぞ」
不意に、ビールの缶が目の前に差し出された。
「あっ」
慌てて視線を向けると、そこには小田切とはまた違った硬質そうな美人(もちろん男だが)がいる。
眼鏡の奥の切れ長の目が、少し気の毒そうな色を帯びていた。
「すみません」
「・・・・・いえ、小田切さんのお知り合いの方ですか」
「・・・・・ええ」
「・・・・・そうですか」
その言葉の間に深い意味があるような気がしたが、それが何なのか改めて聞くのは怖い気がした。
「私は開成会の倉橋といいます」
「あ、俺は・・・・・」
(本名言ってもいいのか?)
一瞬、躊躇ったのは確かだが、それでも、
「宗岡といいます」
誤魔化したり偽名を使わなかったのは、倉橋の生真面目で誠実そうな雰囲気のせいかもしれない。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
互いに向き合って頭を下げていると、ノシッと背中に重みが掛かった。
(裕さん?)
「な〜に、ここだけお見合いみたいじゃない」
聞こえてきたのは、低く艶やかな女言葉だった。
周りに気を遣う倉橋。
そんな倉橋が、どうしたらいいのかと居たたまれないように眉を顰めている宗岡に声を掛けたのを、視界に入れた瞬間にまずいと
思った綾辻は自分も直ぐに傍に行った。
綾辻は、この宗岡が警察関係者だとは知っていたし、小田切からも多少の事情はほんの一握り程には聞いていた。
しかし、他人の私生活には全くといっていい程興味のない倉橋は知らないのだ。下手に宗岡が警察関係者と知ったら、倉橋
の余計な苦労が更に増えてしまうかもしれない。
「な〜に、ここだけお見合いみたいじゃない」
わざと冗談ぽく言いながら宗岡の背中に張り付いた。
しっかりと鍛えた筋肉が、服越しの感触からでも分かる。
「あ、あの」
「ワンちゃん、浮気しているとご主人が怒っちゃうわよ」
「・・・・・」
綾辻の言い方が気に食わないのか、倉橋と対峙していた時は気弱な青年風だったのに、自分に対しては鋭い対抗心を含ん
だような視線を向けてくる。
(ふふ、可愛いじゃない)
「さっきもそんなことを言ってましたけど、俺は犬じゃありませんから」
「小田切さんはそう言ってたじゃない」
「裕さんは別です。あの人は本当に俺の飼い主ですから」
「へえ」
(躾出来てるわね〜)
きっぱりと言い切る宗岡に、綾辻は一気に好感度を上げた。
「綾辻、その言い方は失礼でしょう」
「あ・・・・・」
(しまった・・・・・)
綾辻の言葉を聞きとがめた倉橋が、睨むような目を向けていた。
こういう揶揄の仕方が嫌いな倉橋の性格をよく知っているのに、目の前で言ってしまったことに今更後悔しても・・・・・遅い。
それでも、綾辻は直ぐに頭を下げた。
「悪かった」
「え?」
急に変わった綾辻の態度に宗岡が途惑っているのは分かるが、綾辻にしてみれば倉橋以外の人間が自分をどういう目で見
ていても全く気にならない。
「克己、許して?」
「謝るのは、私にじゃないでしょう」
その言葉に応え、綾辻は宗岡に軽く頭を下げた。
「・・・・・ごめん、言い過ぎた」
「あ、あの」
「許してくれる・・・・・わよね?」
有無を言わせない空気を感じ取ったのか、宗岡は首を縦に振る。
それを確認して、綾辻は倉橋に言った。
「許してくれるって。いい?」
「・・・・・ええ」
自分達の不思議な会話を目を丸くして見つめている宗岡を横目で見ながら、綾辻は小さく溜め息をついた。
(変わった顔ぶれだが・・・・・)
静かに杯を重ねる江坂も、ノーブルな見掛けによらない酒豪だった。
この場では一番上の立場になるので次々と酌をされるが、それを端から飲んでも少しも顔色を変えない。
(予定外だが、静も喜んでいるようだし)
目の前では、同世代を相手に静が珍しく声を上げて笑っていた。
人形のような整った容貌とは裏腹に静の性格はおっとりと素直で、高飛車で傲慢なように見えると周りから誤解されることも多
いらしい。
しかし、今回集まっている者達は、無知な故の鋭い言葉の刃を向けるという事はないようだ。
「・・・・・」
(日向の息子は分かるが、他の子供は・・・・・少し意外だったな)
上杉も海藤も、下部組織の中では頭2つ分ほども抜き出ている有望な若い勢力で、その容姿と共にかなり目立つ存在でも
あった。
どちらかというと人間にはあまり興味のなさそうな海藤とは違い、上杉は女関係の噂も華やかで、表立っては言えないが芸能人
や大きな組の妻や娘とも関係を持っていたらしい。
持って生まれた性格からか、あまり人には恨まれることは無いようだったが、それ程に女好きだった上杉と、反対に人を寄せ付け
ないような海藤が、それぞれ同性の恋人を持ち、その上こんなふうに健全に交流しているとは想像も出来なかった。
それにどうやらこの2人は、日向組の次男坊とも仲がいいらしい。
(親の子と出来てるのか)
日向組の若頭である伊崎と、元組長の息子で、現組長の弟である楓が関係があるようだというのも見ていれば分かる。
楓が以前垣間見た時よりも一段と艶やかな美人になっているのはそのせいか。
「・・・・・」
じっと見ていると、視線を感じたのか青年が顔を上げてこちらを見た。
目元のホクロが印象的な、柔らかい雰囲気の男だ。
「・・・・・」
途惑ったようにこちらを見ていた青年は、ふと笑うと隣にいる静に何か話し掛け、その手に幾つかのおかずをのせた皿を手渡すと、
静がニコニコ笑いながら傍にやってきた。
「江坂さん、これお勧めなんですって!凄く美味しいんですよ」
楽しそうにそう言う静を見て、江坂も穏やかな微笑を浮かべる。
「楽しいですか?」
「はいっ。西原君は俺と同い年で勉強の話とかも興味あるし、太朗君の学校の話は面白いし」
「・・・・・」
「楓君って、凄く綺麗ですよね。あんなに綺麗な子、初めて見ました。太朗君と2人言い合ってるの、面白くって」
こんな風に弾んだ調子で話す静が可愛くて、江坂は思わず目を細めた。
(まあ・・・・・いいか)
ここにいる者達はいわば皆関係者で、過敏に警戒していなくてもいいはずだ。
なにしろ、それぞれの弱みが目の前で仲良く笑い合っているのだ、ヘタな真似は出来ないといってもいいだろう。
「楽しんでらっしゃい」
「はいっ」
静はコクンと頷くと、自分を待っている新しい友人達のもとへと戻っていった。
「よくこんなに買ったよな」
あらかた食事を終えた年少者達は、次に太朗が大量に買い込んできた菓子の物色に入った。
4人とも甘いものが好きという共通点で、チョコレートやポッキーなどは好評で分け合って食べていたが、なぜかそこにある酢昆布
やのしイカ、カリカリ梅、ラムネにタマゴボーロに一口カステラ・・・・・。
「わっ、これ、うまい棒!何種類買ったの?」
「お店にあった種類一通り」
「この串刺しイカ、ケースであるし」
「あ、お持ち帰りにこの粉末ジュースあるから!何味がいい?」
まるで小さな駄菓子屋のように自慢げに菓子を広げていく太朗を、始めは呆れたように見ていた楓もだんだんと笑みが零れてき
てしまった。
いっそここまでしてくれれば気持ちがいい。
「俺、うまい棒チーズ味がいい」
「俺はカリカリ梅くれる?小早川君は?」
「俺は・・・・・イカ、貰っていい?」
「どんどん食べてよ!」
「でも、これだけ買って、駄菓子でも大変だったんじゃない?」
「あの男がスポンサーだろ?」
「失礼なこと言うなよなっ、楓っ。これは全部俺の小遣い!」
「え、あ、じゃあ、少しカンパを・・・・・」
びっくりしたように言う真琴を、太朗は笑いながら抑えた。
「いいんですって!」
実は、花見に誘われたという事で母から多少プラスしてもらった小遣いと、太朗には甘い父へのカンパのおねだり攻撃で、何
とかマイナスにならない範囲で買えたのだ。
「チーズケーキも食べてくださいね、母ちゃんの手作り、美味しいから!」
「うん、美味しそう」
「バナナもイチゴもあるし」
「・・・・・お前って、ホント食べることには貪欲だよなあ」
呆れる、というよりは、感心したように楓は言い、太朗はへへっと自慢げに笑った。
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食べてます、食べてます(笑)。
太朗が買ってきた駄菓子は、私も好きでよく買ってました。あと、一口ヨーグルトとか、おでんとかも美味しかった!
あの駄菓子屋潰れちゃったんだよな〜残念(涙)。