盛 宴
6
その異変に最初に気付いたのは、やはり大人の男達だった。
「西原君、大丈夫?」
心配そうな静の口調に顔を上げた海藤は、そこに頬を赤らめてくったりと静に凭れ掛かっている真琴の姿を見付けた。
(・・・・・酒か?)
今夜用意した食事の中には、酒を使った物は全くないはずだった。それは一緒に準備していた真琴も承知していて、今日は迷
惑掛けないからと張り切っていたのだ。
「真琴」
海藤は直ぐに席を立ち、年少者達で固まっている場所へ足早に歩み寄る。
すると、そこには真琴以外にも立派な酔っ払いが2人、現われた海藤に絡むように声を掛けてきた。
「なんら、かいどーさんじゃん〜。ごはん、美味しかったよお〜」
海藤の足にギュッと掴まった太朗が、顔を真っ赤にして楽しそうに笑っていた。
その手にはまだスナック菓子が握られていて、その粉が海藤のスーツを汚していくが太朗は全く気付いていない。
海藤もそんなことで気分を害するという事はなかったが、このまま放っておくことは出来ないと上杉を振り返った。
「タロ〜、俺以外の男に懐いてどうする」
しかし、海藤が呼ぶよりも先に傍に来ていた上杉は、海藤に抱き付いている太朗をベリッと引き離す。
すると、太朗は今度は上杉の首にギュウッとしがみ付いた。
「じろお〜さ〜ん」
「ん?」
「ケーキ、食べた?母ちゃんの、ケーキ、食べてくれた?」
「ああ、まだだが、後で・・・・・」
「・・・・・食べてないんだあ〜」
「タロ」
「母ちゃんのこと、嫌いなんだあ〜、俺のことも嫌い?」
「あのなあ」
酔っ払いの言いがかりに苦笑を零している上杉に同情しながら、海藤はやっと目の前の盆に乗ったグラスに気付いた。
綺麗な切子グラスの中には、白く濁った液体が・・・・・。
「・・・・・これは?」
1人だけしっかりしている静に聞くと、静は途惑ったように口を開いた。
「さっき、お吸い物を頂きに言ったら、お店の人がサービスですって渡してくれたんです」
「・・・・・」
「あの、甘酒なんですけど、飲ませない方が良かったんですか?」
「いや」
綺麗なグラスに、桜の花びらを1枚浮かべた甘酒。
自分達にとっては甘くて酒とは言えないものだが、真琴達には紛れもなく酒の一種に違いがない。
(気をつけていたんだろうが)
自分が酒に弱いことを知っている真琴は、海藤と2人きりの時はもちろん、人前では全くといっていいほど酒を使った料理も口
にしないように(気付かないまま食べてしまうことはあるが)している。
ただ、今回は慣れた面々で、野外で、美しい桜の木の下、少しだけと口を濡らしたのだろう。
「真琴、大丈夫か?」
海藤が静に懐いている真琴の身体を抱き寄せると、目元を赤くした真琴がぽやんとした視線を向けてきた。
「ん・・・・・だいじょーぶ」
こちらの言っている意味が分かるのならば、そんなに大した酔いではないだろう。
海藤は内心安堵して静に言った。
「すまなかった」
「い、いえ、なんか、みんな甘酒飲んだらこんなになっちゃって・・・・・」
「君も飲んだのか?」
「はい、俺は結構強いみたいで」
確かに、顔色も口調も全く変化はない静はどれ程酒に強いかは分からないが、少なくとも真琴や太朗のように直ぐにダウンす
るという事は無いようだ。
太朗に抱きつかれた上杉は、まるで色気が無いと苦笑していた。
こうして抱いていても、まるで子供に懐かれた父親の気分だ。
「ほら、タロ、もう帰るか?」
「や〜だ〜!」
「そんなんじゃ、もう物も食えないだろーが」
「だって、だって、もう帰るなんてさびしーよー」
「タロ?」
泣いているのかと、太朗の顔を覗き込もうとした上杉の顔をグイッと引き離すと、太朗は突然足をバタバタさせて下ろせと叫び始
めた。
「タロッ・・・・・てっ」
暴れていた足が膝に当たり、上杉の腕の拘束が僅かに緩んだかと思うと、太朗はそのままガバッと静に抱きついた。
「こばちゃんとこのままさよならってさびしー!」
「た、太朗君」
ギュウギュウと太朗に抱きつかれた静は、困ったように・・・・・それでも嬉しそうに頬を綻ばせる。
すると。
「ずるいぞ、タロ!綺麗なものは俺のもの!」
それまで、大人しいと思っていた楓が背中から静に抱き付いた。
顔はそれ程赤くなってはいないのだが、目が座っているようだ。
(おいおい、最後になってこれか?)
「離れろよ〜、楓〜」
「お前こそ離れろ。これ、俺が持って帰る。部屋に飾るんだ」
「え〜!じゃあ、俺も、俺も飾る〜!」
「楽しそー、俺も仲間に入れて!」
そこへ、海藤が確保したはずの真琴も入ってきて、3人は静を中心におしくら饅頭をしているようにギュウギュウと笑い合いながら
抱き合っている。
傍目には和む光景だったが、上杉はふと射抜くような鋭い視線を感じて、視線だけをそちらに向けた。
(・・・・・おいおい、じゃれあいにまでか?)
氷点下の冷たい視線は、この場の最高権力者のものだった。
(・・・・・子供で助かったと思え)
もしもあの3人が静よりも少しでも体格が良かったら・・・・・少しでも静に意味深な視線を向けたとしたら、この場から無事な
姿では帰さなかったかもしれない。
本人だけでなく、その子供を連れてきた相手にも、戦争を仕掛けたかも知れなかった。
しかし、そんな過保護と溺愛のフィルターが掛かった江坂の目でも、3人の子供に他意があるようには見えなかった。
何より、あれ程に静が笑っているのだ。
(・・・・・そろそろか)
ただ、これ以上自分の大切な存在を他の人間と共有したくは無くて、江坂はゆっくりと立ち上がってはしゃぐ子供達の傍に歩
み寄った。
「静さん」
「あっ、江坂さん」
笑顔のまま自分を見つめる静に、江坂は優しく言った。
「たいぶ夜も更けて、風も冷たくなってきました。そろそろ失礼しましょうか?」
「え・・・・・」
久し振りの楽しい時間を振り切るのはかなり心残りがあるのか、静は縋るような視線を向けてくる。
もちろん、そんな反応は予想が出来ていたので、江坂はわざと突き放すようなことを言った。
「それとも、あなただけ残りますか?」
暗に、自分と彼らとどちらを選ぶのだとの問い掛けに、素直な静は直ぐに叫んだ。
「お、俺も帰りますっ」
その答えに、江坂の口元には本物の笑みが浮かんだ。
今の静にとって、自分という存在が1番だという確信が持てたからだ。
どんなに自分が手を回し、巧みに誘導しても、静の心の中までを完全に見ることなど不可能で、だからこそ時々こうして試すよ
うなことを言い、静の反応を見てしまう。
(情けないほど、余裕がないな)
「楓君、またね」
静かに言いながら自分の顔を見つめる綺麗な顔。
真琴のほっこりとした温かさとも、太朗の太陽のような明るさとも違う、月の光りのようなしんとした居心地のよい静けさ。
楓はじっと静を見つめた。
「また?」
「え?」
「本当に、また?」
自分は酔っていない。
だからこそ、こうして確約を取ろうとしているのだと、楓は手を伸ばして静の手を取った。
「マコさんも、太朗も、好き」
「・・・・・」
「俺のこと、嫌い?」
それが、酔っ払い特有の支離滅裂な言い回しだとは分からない楓は、まるで駄々をこねる様に静の手をブンブンと振るう。
そんな楓の手を、そっと掴んだのは・・・・・。
「楓さん、彼が困っていますよ」
「煩い」
「楓さん」
「お前、さっきから俺の傍にいなかったくせに!いっつもいっつも、忙しい忙しいって、俺との時間なかなか取らないくせに!俺の
邪魔するなよ!」
まるで子供を宥めるような言い方をする伊崎が急に憎らしくなって、楓はパッと静の手を離すと、そのままその手で伊崎の胸倉
を掴んで自分の面前まで引き下ろした。
「お前にとっての1番は誰だ!」
「楓さんです」
「嘘付け!兄さんだろう!」
「・・・・・確かに組長は大切な存在ですが、あなたのお兄さんだからこそ私も心から仕えているんです。私にとって一番大切な
のは、最初からあなただけですよ・・・・・楓」
「・・・・・!」
楓は泣きそうに顔を歪めながら、そのまま伊崎に飛びついた。
「毎日言え!」
「はい」
「約束だぞ!」
「ええ」
伊崎は柔らかく微笑みながら、抱きついてくる楓の身体をしっかりと抱きしめた。
「・・・・・そろそろ、お開きのようですね」
一連の酔っ払いの様子を楽しそうに眺めていた小田切が、時計を見下ろしながら呟いた。
一同が集まり始めたのが午後五時過ぎで、今はもうそろそろ九時になろうとしている。
酒の空き瓶もかなり積まれ、料理もあらかた食べ終えた。
「車を用意しますので」
近くでは、江坂にそう告げている倉橋の姿があった。どうやら今日は酒を口にしていないようだ。
「つまらないですね」
「え?」
太朗が配ってくれた駄菓子のラムネを美味しそうに口に放り込んでいた綾辻は、にこやかに笑いながら自分を見つめている小田
切に視線を向けた。
「倉橋さん。今日は自制が効いてらっしゃる」
「克己もバカじゃないから」
「面白くないじゃないですか?」
「酔ったところも可愛いけど、普段の固い殻を被っている姿もゾクゾクするほど色っぽいですよ」
「そうですか」
小田切は自分に寄り添うように座っている、今だ緊張の解けていない宗岡を振り返った。
「私はどちらがいいと思う?」
「え?」
「何時もの私と、酔った私だ」
「・・・・・裕さん、酔わないじゃないですか。俺よりも強いのに」
「真面目に答えるな、馬鹿」
「それに、裕さんは何時も綺麗で色っぽいし」
「・・・・・」
馬鹿正直な宗岡の答えに、さすがの小田切も苦笑を零してしまった。
「い〜ですね〜、愛されてるって」
「そちらも、でしょう?」
「さあ。どうかしら。全くのゼロというわけじゃないとは思うけど」
自分と宗岡の関係も一言で言えないくらい複雑だが、綾辻と倉橋の関係もかなり不透明でややこしい。
人の恋路まで頭を突っ込もうとは思わないが、面白いことが好きな小田切にとってはこの2人の関係は見ているだけでも刺激が
あって楽しい。
きっと、綾辻達にとっては迷惑だろうが。
「さてと」
綾辻は一声出して立ち上がった。
「後始末を始めますか」
「これ、使ってください。体力だけはありますから」
これ呼ばわりされた宗岡は情けなさそうに眉を下げるが、直ぐに意識を仕切りなおしたように軽く頭を下げた。
「何でも言ってください」
「助かるわ〜」
「じゃあ、私は会長達に伝えますね」
「お願いします」
春の宵の酒宴はそろそろ幕引きとなる。
江坂と静という、思い掛けない来客はあったが、それなりに皆楽しんだだろう。
(それにしても、海藤会長の料理の腕は確かだな。・・・・・あれにも勉強させるか?)
わざわざ学校に通わなくても、意外に手先が器用な宗岡は今でもそれなりに料理は作れるのだ、きっと小田切の舌を満足させ
るものを作れるのも無理ではないはずだ。
(キッチンでのセックスも楽しそうだし)
ふふっと笑う小田切がどんなことを考えているのか、その場にいた者は誰も分からなかった。
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やっぱり、酔っ払いは欠かせませんね〜(笑)。今回は楓様にも盛大にクダをまいてもらいました。
次回からは酒宴その後。後2話くらいかな。