正妃の条件



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※ここでの『』の言葉は日本語です






 ひんやりとした冷たさが、水に浸かった足元から全身に回っていくような感じがする。
プルッと身体を震わせた有希は、目の前に立つディーガを見上げた。
 「エクテシア国の偉大なる王アルティウスよ、ドゥアーラ・カフス神の前で誓え。そなたの愛しい者は」
 「ユキである」
 「そなたの命を握る者は」
 「ユキである」
低く響くアルティウスの声を、有希は神聖なものとして聞く。
 「そなたの伴侶となるべき者は」
 「ユキである」
 「エクテシア国を共に守護していく者は」
 「ユキである」
 「偉大なる王アルティウスよ、ドゥアーラ・カフス神の前で誓え」
 「我、エクテシア国国王アルティウスは、ここにいるユキを伴侶とし、エクテシアを共に守り、発展させることを誓う」
アルティウスがそう言うと、傍に控えていた有希以外の全員が声を揃えて言った。
 〔承認〕
 アルティウスの言葉を立会人が承認する。それは多分誓いの言葉なのだろう。
ディーガがこちらを振り向き、有希はいよいよ自分の番かと緊張した。
 「貴重なる《異国の星》よ、ドゥアーラ・カフス神の前で誓え。そなたの愛しい者は」
 一瞬、有希は声が喉に張り付いて出なかった。
ここで誓えば、もう逃げることは出来ない。全くの異国の世界で、完全に男の花嫁になってしまえば、万が一帰ることが出
来るかも知れない元の世界に戻る時、大きなしがらみが出来てしまう。
 「ユキ」
 なかなか言葉が出ない有希を、隣にいるアルティウスが見た。
何時もの不遜なほど自信に満ちた声が、今は不安そうに有希の名前を呼ぶ。
(・・・・・自分で決めたことなんだから・・・・・っ)
 「エ、エクテシア国、王・・・・・アルティウスです」
小さな声でやっと言った有希に、息を潜めて控えていた周りの者も思わず安堵の溜め息を漏らした。



 有希が言った誓いの言葉は、じわじわとアルティウスの心に染み渡っていく。
(本当にユキが・・・・・)
 「そなたの伴侶となるべき者は」
 「・・・・・アルティウスです」
(私の后になった・・・・・!)
たとえ有希が異国の人間だとしても、このエクテシアで、エクテシアの神の前で誓ったことは必ず守らなければならない。
ようやく手にした愛しい存在に、アルティウスの体中の血は沸き立った。
 〔承認〕
 有希が誓いの言葉を言い終えると、ディーガは2人を立たせ、溢れる神水の前に誘導した。
 「この神水を互いに飲ませなさい」
エクテシアを生み、守っているこの神水はとても神聖なものであると同時に、これを飲めば必ずこの地に帰ることが出来ると
いう言い伝えがあった。
 アルティウスは躊躇いなく痛いほど冷たい神水を片手ですくい、有希の口元に当てた。
チラッとアルティウスを見上げた有希は少し躊躇った後、そっとアルティウスの手を支えて神水を口にする。
柔らかな唇が手のひらをくすぐった。



 「・・・・・っ」
(冷たい)
 両手ですくった水はまるで氷に触っているかと思うほど冷たく、有希は反射的に手を引きそうになる。
しかし、何とか我慢してそっと水をすくい上げると、手を上に持ち上げるより先にアルティウスは腰を屈めてそれを飲んだ。
 「以上、終了です」
 「・・・・・え?もう?」
 思わず聞き返してしまった有希に、ディーガは苦笑しながら言った。
 「本来なら正式な婚儀は2日ほどかけて行われるものなのですが、今回はその中でも1番重要な儀式だけ・・・・・神へ
の誓いと神水の飲(いん)だけを行いました。正式な婚儀はまた後日に」
 「え、えっと、じゃあ、今ので僕は・・・・・」
 「この瞬間からあなた様はエクテシア国の王妃となられました」
 ディーガはそう言うと、躊躇いなくその場に跪く。周りの大臣達もそれに習った。
 「偉大なるエクテシア国王妃、ユキ様。我々はあなたに永遠の忠誠を誓います」
 「ディ、ディーガ・・・・・」
 覚悟をしていたとはいえ、これで自分の立場がガラリと変わったことを実感し、有希はキュッと唇を噛み締めた。
これから先の自分の行動、言葉は、ただの杜沢有希の言葉とは違う。王であるアルティウスと同等の力があるのだ。
 有希は隣に立つアルティウスを振り返り、その表情を硬くして言った。
 「アルティウス、お願いがあります」
 「・・・・・申してみよ」
 「今日の処刑、どうか中止にして下さい」
 「何ゆえ?」
 「僕は処刑には反対だから」
 「・・・・・ユキ、今日の罪人が何の罪を犯したのか知っているのか?」
 「・・・・・リタの逃亡を助けたって・・・・・」
 「それだけではない。その者は私の目を盗み、リタと密通していた。王の妾妃と情を交わしたのだ」
 「!」
思いがけない事実に有希は息をのんだ。
 「これからあの女が我が国に対してどのような厄事を呼び寄せるのか分からない。そんな女を逃がし、情を交わした。これ
は重罪だ」
 「で、でも・・・・・っ」
 「ユキ、これはヴェルニ・・・・・イッダも受け入れている」
 ふと、有希はアルティウスの言葉に違和感を感じる。
 「名前・・・・・?」
 「ああ、そ奴は名前を偽って入隊したのだ。公の名はイッダ、しかし、真実の名はヴェルニ」
 「イッダとヴェルニ・・・・・」
(名前が2つ・・・・・)
 「ユキ?」
 「あっ」
不意に頭の中にひらめいた考えに、有希は思わず声を上げた。
 「アルティウスッ、聞いて欲しいんだ!」