正妃の条件



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※ここでの『』の言葉は日本語です






   − 正午 −



 王宮の裏手、珍しく木々の生い茂った場所にある石造りの塔に、有希は初めて足を踏み入れた。
木々が目隠しになっていてなかなかその存在を見せないその場所が処刑場だからだ。
気のせいか血の匂いがするような気がして、有希は不意に足を止めてしまった。
(こ、怖い・・・・・)
 乱暴なことに慣れていない有希にとって、処刑場に足を踏み入れるのは相当な勇気と覚悟がいる。決めたこととはいえ、
直前で躊躇ってしまうのも仕方がないだろう。
 「ユキ、良いか?」
 「・・・・・うん」
 気遣わしそうに声を掛けてくれたアルティウスに向かって頷くと、有希は思い切って一歩足を踏み出した。
(・・・・・空気が冷たい・・・・・。こんなに暑い国の中で、ここだけ別世界だ・・・・・)
有希は前を行くアルティウスに視線を向けた。
無表情で歩くその顔に、躊躇いはおろか、怒りや悲しみの表情も無い。
(こんなこと、慣れてるのかな・・・・・)
 「・・・・・ここ、そんなに頻繁に使う?」
 「ここでの処刑は王に対する反逆者だけだ。王が直接手を下す為、王宮に近いこの場所にある。他の罪の者は、街外
れの公開処罰場で、民に知らしめる為に罰を与えるのだ。・・・・・殺しはしないがな」
 ディーガやマクシーに教えてもらったエクテシアの歴史。今は争いもなく比較的平穏な国政だが、やはり代替わりの時は
権力争いが激しいらしい。
元々エクテシアは長男が次期王となる定めだが、実際に戴冠式を終える瞬間まで、何があるのか分からないのだ。
戴冠式までに長男に何かあった場合、次期国王は王族の中で一番強者が継ぐことになる。
それは兄弟親戚全て含まれており、武闘民族のエクテシアの民らしい決め方なのだそうだ。
 そのせいか、力はあるものの統治能力に欠ける者も少なくなく、その度に激しい権力闘争があるらしいが、前王・・・・・ア
ルティウスの父王は武力だけではなく優れた統治者であり、アルティウスもそれを引き継いで有能な王な為、ここ数十年は
王族間の争いはないということだった。
王に対する反逆者に厳しい対応を取るのは、弱みを見せないという周りに向けての牽制の意味もあるのだ。
(そうだ、初めて会った時も・・・・・)
 有希を襲っていた男の腕を、無表情のまま切り落とした。
有希にとっては信じられない暴力も、この国の頂点に立つアルティウスにとっては日常なのかもしれない。
それでも、有希といるようになってから、アルティウスもかなりまるくなったらしいが・・・・・。
 「・・・・・あ」
 塔のほぼ中央に、かなり高い天井にまで届くような石の柱がそびえ立っている。
そして、その柱に縛られるようにして、1人の若い男が立っていた。
 「ア、アルティウス」
 「あの者が今日の処刑者だ」
 「・・・・・ぁ・・・・・」
 人の気配を感じたのか、縛られた男がゆっくりと顔を上げる。
比較的傷の少ない整った顔が表れた。



 「イッダ、覚悟は良いか」
 アルティウスはじっとイッダ・・・・・本名ヴェルニを見つめて言った。
微かに上下に動く頭に、ヴェルニの覚悟の程を知る。
 「ベルーク」
 傍に控えていたベルークは、ヴェルニの面前に立った。
 「罪人、イッダ。王に対する反逆の罪で処刑を執行する。異論は」
 「・・・・・ぃぃ・・・・・ぇ」
 「残す言葉は」
 「・・・・・」
ベルークは書面をたたんでアルティウスに頭を下げた。いよいよ刑の執行だ。
 「・・・・・イッダ、顔を上げよ」
 アルティウスの言葉通りに動くと、ヴェルニは真っ直ぐに視線を向けてくる。
その視線を受けながら、アルティウスは腰の長剣を抜いた。
 「アルティウスっ?」
 その行動に、有希が慌てたように叫んだ。
 「約束はっ?」
 「ユキ、そなたの提案はまことに見事だ。しかし、このまま無傷で解放すれば、この者は間違いなく自ら死を選ぶだろう。罰
を与えることもまた、救いの手段の一つなのだ」
 そう言い終えた瞬間、アルティウスの手が振り落とされた。



 「!!」
 目前で行われた行為が信じられなくて、有希は呆然と目を見開いたまま立ちすくんでいた。
 「・・・・・」
近くにいたベルークが跪き、自分の着ている服を引き裂いて、有希の爪先を濡らした血痕をぬぐった。
 「王妃様」
 「・・・・・」
 「ユキ様、大丈夫ですか?」
 「・・・・・っ」
 ベルークが肩に触れた瞬間、ハッと我に返った有希は慌ててヴェルニのもとに駈け寄った。
 「ユキ様っ、汚れます!」
 「いい!」
有希は額から左目、頬に掛けて真っ直ぐ切られてしまったヴェルニの顔面に、巻いていた腰布を外して巻いた。
噴き出す血に、有希の手から服の前面にかけて赤く染まっていくが、有希はそれに構わず叫んだ。
 「医者を!早く医者を呼んで!」
 「ユキ」
 「アルティウスの嘘つき!処刑しない言った!僕との約束破った!」
 「・・・・・これが、イッダの処刑だ」
 ヴェルニに縋りつく有希を無理矢理引き剥がし、アルティウスは痛みに微かに呻くヴェルニに向かって言った。
 「今の一太刀、その左目と共にイッダは死んだ。今私の目の前にいるのはヴェルニという男だな」
 「・・・・・お・・・・・う・・・・・し・・・・・って・・・・・?」
 「片手片足を失うよりも、片目ならば今後も剣を持つことも出来るであろう。・・・・・よいな?」
 「・・・・・御・・・・・意・・・・・」
 「これにてイッダの処刑は終わった。ベルーク、医者を呼んでやれ」
 「はっ」
一連のアルティウスの言葉を聞きながら、有希はその顔をじっと見つめる。
有希を抱きしめることでアルティウスの服も血で汚れたが、一向に構うことなく次々に的確な指示を出している。
(・・・・・王様なんだ・・・・・)
何時も自分が見る優しく情けない顔とはまるで違う、人の上に立つ支配者の顔。
有希の胸の奥で、何かがトクッと音をたてた。