正妃の条件
30
※ここでの『』の言葉は日本語です
まだ夜が明けきらない冷んやりとした朝方の空気の中、有希はウンパに先導されて神殿に向かっていた。
服は白い寝巻きに似た簡素なもので、下着は着けることを許されていない。
数ヶ月の間に伸びてしまった髪は肩より少し長いぐらいになっていたが、それも後ろで一括りに結わえられ、ほっそりとした白いう
なじが露わになっていた。
「アルティウス・・・・・もう出た?」
「はい。ここから神林まではソリューを飛ばしても半日近く掛かります。それから聖木を探して・・・・・明日の婚儀までに見つか
ればよいのですが」
「・・・・・うん、そうだね」
婚儀の時、神の祭殿に捧げる聖木は、街から遥か南の先の、この国では珍しい森林の中にあるという。
ただし、この森林に入れるのは王か皇太子だけで、他の者が足を踏み入れれば生きて戻ることはないと噂されていた。
だからなのか、誰もが聖木というのがどんなものか分かるというわけではなく、入った者はたった1人でそれを探し出さなければな
らないのだ。
期限は明日の婚儀の直前まで。聖木が見つからなければ神の祝福がない結婚という烙印が押されてしまうので、アルティウス
も相当な覚悟で出立したはずだ。
「でも、聖木って、どんな木なのかな?少しも分からないの?」
「言い伝えによれば、目に眩しいほど輝く木で、その花は純白だということです。聖木を目に出来るのは王と王妃、それに神
官だけですから、あまり資料はないのですよ」
「でも、そんなとこ危ないんじゃ・・・・・」
「それはご心配無用だと思いますよ。王はこの国随一の剣の使い手であると同時に、何事も恐れない勇猛な意思をお持ち
の方です。ユキ様、今は王のご心配ではなく、ご自分の儀式が無事終わるようにということをお考え下さい」
「う、うん、分かった」
有希は片手で胸を押さえ、ふう〜っと大きく溜め息をついた。
神殿に入ればそこからはウンパも付いて来れず、有希はたった一人で儀式をこなさなければならないのだ。
いよいよ・・・・・儀式が始まる。
神殿の前まで来ると、数人の神官が正装をして有希を待っていた。
1枚の白い布を身体に巻きつけ、その上からさらに青い布を被り、額と、腰を銀のベルトで飾っている。
まだ若い神官達らしく、無表情を装っているものの、どこか有希を見る目が興味深そうな色を帯びていた。
「ご苦労。ここから先は我らがお供致します」
告げられたウンパは頷き、有希に向かって跪いて頭を下げた。
「ユキ様、初めてのことばかりでお心不安定になるでしょうが、全てはアルティウス様の、そしてこのエクテシアの為の聖なる儀
式。心してお勤め下さい」
「分かってる。ありがとう、ウンパ」
有希は小さく微笑んで言うと、並び立つ神官達に向かって一礼した。
「宜しくお願いします」
まだ夜が明けきらないとはいえ、神殿の中は不思議な白と青の光が交差していた。
(あ・・・・・ここ・・・・・)
有希が案内されたのは、ディーガを立会人として急いで誓いの儀を行った場所・・・・・うっすらと濡れた床、中央の奥に置かれ
た円状の大きな桶、その中に溢れるほ どの水、そして有希の身長ほどもありそうな大きな輝く石・・・・・エクテシア国の神、ドゥ
アーラ・カフス神が祭られているその場所は、あの時と少しも変わらず神聖な空気をまとっていた。
「ユキ様」
「カムラ神官長」
その場所に、今日はディーガではなく、神官長であるカムラが立っている。
出迎えてくれた神官達と同じ衣装に、頭には銀の宝冠、そして右手に丸く形どられた輝く水晶が載せられていた。
「無事、今日の日を迎えられたことをお喜び申し上げる」
「ありがとうございます」
「今から行う清浄の儀は、あなた様と私の2人の儀式。よろしいか?」
「はい。アルティウスも、あなたに全て任せるようにと」
「・・・・・そうか」
一瞬、カムラは何かを考えるように目を閉じたが、次の瞬間には元の無表情なまでの厳粛な面持ちで言った。
「では、これより清浄の儀を行う」
声が合図だったのか、それまで何人かいた神官達はみんな部屋の外に出て行き、カムラは持っていた水晶をその入口の前に
置いた。
「これで、他の何人も中に入ることは出来ません。では、ユキ殿」
差し出されたカムラの手に有希が手を重ねると、そのままゆっくりと部屋の奥に連れて行かれる。
「あ、あの?」
儀式の形態自体分からない有希は、途惑ったように自分の手を引くカムラを見上げた。
「どこに行くんですか?」
「もう一つの神殿です」
「もう一つ?」
「大切な祭事がある時にだけ開かれる扉があるのです。その存在は、代々の神官長と、共に儀式を行った者しか知り得ま
せん」
「・・・・・」
円状の大きな桶の真後ろに、水晶で出来ている幾本かの柱が立っている。
カムラは迷いなくその中の1本を引き抜き、振り返って桶に手をやった。
「あ・・・・・」
すると、とても人一人の力で動くはずのない桶が動き、突然その真下に伸びる階段が現われた。
祭壇は床よりも少し上にはあるものの、その開いた階段には水が・・・・聖水が滴って落ちている。
「さあ、ユキ様」
「お、降りるんですか?」
「はい。この下に、聖水の源があります。清浄の儀はそこで」
「・・・・・」
なぜか・・・・・有希は躊躇ってしまった。どんなことでも受け入れて儀式を行う決心をしたというのに、なぜかこの地下へと続く
階段を下りる勇気が湧いてこない。
その場に張り付いてしまったように足が動かなくなった有希は、困惑したように階段に足を掛けて振り向くカムラを見つめた。
「あ、あの・・・・・」
「儀式を・・・・・中断するおつもりか?」
「そんなことっ」
「ならば、自分の足で進むのです。私はお助けすることは出来ませんよ」
「・・・・・」
「ユキ様」
「・・・・・はい」
この場で拒否など出来るはずがなかった。
有希はコクッと唾を飲み込むと、前に立つカムラに続いてゆっくりと階段を下り始めた。
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