正妃の条件



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※ここでの『』の言葉は日本語です






 豊満な胸の前で腕を組み、まるで見下すような視線を向けてくるリタと、苦悶の表情を浮かべ、ギュッと拳を握り締めている
カムラ。
対照的な2人様子を見ながら、有希はどうこの場を切り抜けるかを頭の中で必死に考えていた。
 清浄の儀というのは神官長と儀式を受ける者2人の儀式で、他の神官達は今日は王宮の方に行っているはずだ。
(ウンパも中にまでは入ってこないだろうし・・・・・)
何より、リタをこの地下の祭壇にまで引き入れたのは神官長であるカムラで、リタがここにいることを悟られないようにしたのだろう
ということは想像がつく。
(・・・・・アルティウス・・・・・)
 ここにはいない、有希にとって一番頼りになる名を心の中で呼ぶ。
すると、その名を繰り返し呼ぶことで、有希の恐怖心と焦りは少しずつ納まってきた。
(すごいね、アルティウス・・・・・)
 「何を笑っているの?」
 有希の頬に笑みが浮かんだのを見て取り、リタは忌々しそうに赤い唇を歪めた。
 「自分の命がこれまでと思って、気でもふれてしまった?」
 「まさか。僕は死ぬ気はないよ」
 「まだそんなこと言う余裕があるの?」
 「あなたは、僕が死ねば気が済むの?」
 「わたくしは・・・・・女王になるわ」
 「女王?」
思い掛けない言葉に、有希は思わず聞き返してしまった。
 「ここであなたと入れ替わり、わたくしが王と式を行うのよ。式を挙げて王妃となり、その後で〈不幸にも〉王が逝去されれば、
幼いエディエスではなく、わたくしが代わりに王座に就くこととなるわ」
 「王座・・・・・あなたはアルティウスを愛しては・・・・・」
 「愛していたわ。王の地位と、財力と、若く美しいあの容姿を」
 「・・・・・酷いっ」



 「・・・・・ユキ様?」
 神殿の前に控えていたウンパは、ふと嫌な胸騒ぎを感じた。
有希が正妃になる為の、大事な一連の儀式の一番初め。
その中で、唯一有希の姿が見えない儀式が、この神官長と2人きりで行われる清浄の儀だった。
(今だリタ様も捕まっていないから不安なのだろうか・・・・・)
 たかが側仕えの身では、この聖なる神殿に足を踏み入れることは出来ない。
ウンパはどうしようかとドアを見上げた。
ディーガかマクシーを呼んで来た方がいいだろうか・・・・・この不安を消し去る手段を考えていた時、
 「ウンパっ!」
 「!」
突然、力強い声がウンパを呼んだ。



 泉の縁まで追い詰められた有希は、リタの後ろに立つカムラに向かって言った。
 「カムラっ、あなたもアルティウスを裏切るんですかっ?」
 「・・・・・」
 「アルティウスはあなたを信頼して僕を預けた!そのアルティウスを裏切るんですか!」
 「・・・・・ユキ様・・・・・」
搾り出すように有希の名を呼ぶカムラに、有希は更に言葉を続けた。
 「カムラ、エクテシアの王妃として命令します!その者を捕らえ、速やかに衛兵を呼ぶように!」
 既に一番大事な神への誓いは済ませている有希は、今の段階でもアルティウスの正妃であり、エクテシア国の王妃だ。
王と並ぶ発言権を持つ王妃の命令は、本来ならば絶対的な力を持つはずだった。
そのことをよく理解しているだろうカムラは硬直したように動かない。
焦れたリタが側で囁いた。
 「何を躊躇っているの?わたくしを匿った時点で、あなたも共犯者でしょう」
 「・・・・・」
 「お願い、お父様。わたくしのお願いを聞いて?私をこの国で一番地位のある女にして・・・・・?」
 リタはカムラの腕に縋り付き、幼い少女のような物言いでカムラに迫った。
それでも一向に動こうとしないカムラに、待ちきれなくなったリタはくるりと有希の方を振り返った。
 「後のことはご心配なく。日を置かず、王もあなたのもとへお送りするわ」
 「や、やめ・・・・・」
 「さよなら、汚らわしい《異国の星》よ」
 「待ちなさいっ、リタ!」
カムラの静止する声がしたと同時に、リタの華奢な白い手が伸びてきて、ドンッと強く有希の胸を突く。
 「ああ!」
自分の身体が泉に落ちる音が、妙に遠くの方で聞こえた。



 突き落とされた泉の中は、手で触れた時とは全く違い、身体が凍るかと思うほど冷たい。
全く足は着かず、どこまでも沈んでいく感覚がして、有希はギュッと目を閉じ、両手で鼻と口を押さえた。
(アルティウス・・・・・っ!)
 まだやっと、アルティウスのことを好きだと思う自分の気持ちを受け入れられるようになったばかりだ。
アルティウスの5人の子供達とも仲良くしようと決めたし、王妃として自分が出来ることは何でもしようと心に誓った。
ただ・・・・・怖さを盾にし、まだあれからアルティウスを受け入れていない。
このまま死ぬのならば、どうしてもう一度アルティウスの腕の中に飛び込んでしまわなかったのかと後悔ばかり先にたち、有希は
苦しい息の中で泣きそうになった。
(ごめんね・・・・・)
 押さえる手から力が抜けていく。
もう無理だ・・・・・そう思った時、突然有希はグイッと腕を掴まれた。
 「!」
(な・・・・・に?)
そのまま腰を力強い腕が抱きしめる。
それが誰だか、有希は目を閉じたままでも分かった。
 沈む時は永遠に思えた時間が、浮き上がる時はあっという間だった。
頭が水の外に出たかと思うと、また別の腕が有希の身体を軽々と引き上げ、直ぐに乾いた布で身体を包んでくれた。
 「ユキ様っ、口を開けて!呼吸をなさってください!」
言葉は耳に入るものの、水の中での呼吸が出来ない状態が抜けきれず、有希は唇を引き結んだまま身体を震わせている。
すると、誰かが強引に有希の口に指を差し入れ、無理矢理口を開けさせた。
 「・・・・・っ」
反射的に、有希は口の中の指を噛んだが、その主は引き抜こうとはしなかった。
 「・・・・・ごほぁっ」
 次の瞬間、有希は大きく口を開けた。
 「ぷはっ、はあっ、はぁ・・・・・ごほっ、ごほっ」
いきなり空気が肺に流れ込んできた有希は、その場に倒れ込んで激しく咳き込んだ。
口の中から吐き出す水を見ると、じんわりと目元に涙が浮かんでくる。
 「い・・・・・きて・・・・・る・・・・・」
 「ユキ!」
身体が重く、呼吸も苦しい。それでも腰をすくい取るように激しく抱きしめてくる腕が嬉しくて、有希はギュッと目を閉じながら
万感の思いを込めてその名を呼んだ。
 「アルティウス・・・・・」