昔日への思慕



13







 綾辻の行動は驚くほど早かった。
病院に駆けつける車の中から様々に指示してきたのか、時間を置かずして次々と電話やメールが入ってくる。
それに対応しながら、綾辻は海藤に視線を向けた。
 「捕まえました」
 誰が・・・・・という主語はなくとも、海藤には直ぐ予想が付いた。
 「背景は想像した通りか?」
 「ほぼ間違いないでしょう。本人から聞けばいいことです」
病室の中に倉橋と真琴を残し、海藤は綾辻と廊下に立っていた。
たいした傷ではないからと、倉橋は直ぐにでも動きたいと申し出てきたが、真琴をガードするという目的を与えてやって中に残し
た。
もっとも、海藤が許可を出したとしても、綾辻がそれを許すはずが無いだろうが・・・・・。
 「郷洲組の若頭に波多野という男がいるんですが、そいつは今の組長である菊池とかなり反目しているらしいです。菊池は
前の組長をいわば騙した形で跡目をついだようですから」
 「・・・・・」
 「波多野は前の組長の時から若頭を張っていて、周りは次期組長はこの波多野だと思っていたらしいんですが、横から掻っ
攫われる形で組を乗っ取られて。でも、シマじゃ波多野の方が力があるし、他の組長達との顔繋ぎも十分で、切りたくても切
れないっていうのが菊池のジレンマみたいですね。まあ、だからといって、簡単に名前を売る方法として、今でもカリスマ的な名
前を張ってる会長の父親を狙うとは・・・・・まあ、脳が足りないんでしょう」
 身も蓋も無い言葉だが、海藤に反論する気は全くない。
まさに身内の喧嘩を回りに飛び火さした感じで、迷惑この上も無い話だ。
これで貴之が本当に命を落としていたとしたらどんな大きな戦争になったか・・・・・そんな予想もせずに思いつきで喧嘩を売って
きた相手をこのままには出来ないのは当然だった。
 「こっちの顔役は三和会(さんわかい)の・・・・・」
 「加茂(かも)会長です。少し頭は固いですが仁義に厚い人らしいですよ。確か、御前とも親交があるはずです」
 「・・・・・伯父貴を通して話をするか」
 「後々問題にならない為にはそれが得策ですね。・・・・・会長」
 「なんだ?」
 「菊池を潰すのは、俺にさせて下さい」
 海藤は綾辻に視線を向けた。
 「綾辻」
海藤に名を呼ばれ、綾辻の頬がピクッと強張った。
何を言われるのかは既に想像がついているのだろう。
 「そんなに倉橋が大事か?」
 「・・・・・申し訳ありません、みっともないところを見せました」
 「綾辻」
重ねて言うと、綾辻は少し困ったように笑いながら目を伏せた。
 「あいつは・・・・・倉橋は、あなたが一番大事なんですよ」
 「・・・・・」
 「あなたと自分が銃を突きつけられたとしたら、迷うことなくあなたを庇うでしょうが・・・・・俺は、俺はあなたよりも克己を助けると
思います。・・・・・そういうことですよ」
 「・・・・・そうか」
海藤の頬に笑みが漏れる。
しかし、それはけして不快な思いからではなかった。



 「大丈夫ですか?」
 「・・・・・」
 何時も毅然とした、どこか人形のように隙も感情も無さそうな倉橋が、置いてきぼりをされた幼い子供のように頼りなく見える。
ぼんやりとした眼差しを窓の外に向けていた倉橋に、真琴は小さく声を掛けた。
 「倉橋さん、大丈夫ですか?」
 「あ・・・・・あ、すみません」
 「・・・・・」
 「怖い思いをさせてしまいましたね。真琴さんは本当に怪我はありませんでしたか?」
 「はい、俺は大丈夫です。それに、倉橋さんのせいなんかじゃありませんよ?俺が勝手に皆から離れて、偶然あんなことになっ
て・・・・・でも、お父さんに何も無くて良かったです」
 「・・・・・ええ、そうですね」
 真琴にはそう言って頷いて見せたが、倉橋の頭の中には疑問が残っていた。
あの男が本当に貴之を狙っていたとしたら、あんな場所であんなに堂々と刃物を手にしてエレベーターから出てくるということをす
るだろうか?
それよりも、あの白衣をもっと有効に利用し、完全に医者だと偽って病室の中まで入ってから行動した方が確率は高かったはず
だ。
(まさかとは思うが・・・・・向こうが真琴さんの存在を把握しているとしか思えない・・・・・)
確かにこの面々の中にいれば普通の青年である真琴は目立つし、海藤の隣に何時もいるということは何らかの立場を意味して
いるとも考え付くかもしれないが。
 「倉橋さん」
 「・・・・・」
 「綾辻さん、すごく心配していましたね」
 「え?」
 突然綾辻の名前を出され、倉橋の思考はストップしてしまった。
 「あんな怖い顔の綾辻さん、俺初めて見ました」
 「ま、真琴さん、それは・・・・・」
 「本当に仲間を大事にしているんですね」
 「・・・・・ええ、そうですね」
全く何も気付いていないような真琴に、倉橋は内心安堵の溜め息をついた。
 「喧嘩相手がいなくなると淋しいんでしょう」
 「・・・・・そうかな」
 「真琴さん」
 「なんだか、凄く大事に思ってるって感じでした」
 「・・・・・」
 これ以上口を開くと思い掛けないことを言いそうで、倉橋はただ困ったように笑う。
自分と綾辻の関係が真琴の目から見てどう映ったのかは分からないが、倉橋自身説明出来ない関係をどう言えばいいのか分
からない。
 「ねえ、倉橋さん」
 「はい」
 「大切に思われるって、いいですよね」
 「え?」
 「こんな怖い思いはしない方がいいのは分かってるけど、誰かに大事に思われてるのは嬉しいって・・・・・そう思いませんか?俺、
海藤さんに抱きしめられた時、ああ、嬉しいなって思ったんです。誰かに思われるのって、嬉しくて安心するって」
 「・・・・・」
 「それが愛情でも、友情でも、凄く嬉しいですよね?」
 「・・・・・ええ、そうですね」
少しだけ笑って頷く倉橋を、真琴はとても綺麗だなと思った。